6-5 失われた記憶 その5
次の日。
僕は再び、杏子ちゃんの病院に来ていた。
もちろん吉行も一緒だ……かなえさん達は部活とかがあるみたいで無理だったけど。
「付き合ってくれてありがとな、健太」
「ううん、いいんだ。僕だって杏子ちゃんのことが心配で来てるんだから」
「……そう言ってくれると、助かる」
珍しく真面目な表情を浮かべている吉行。
自分の妹の記憶が失われたというのに、まったく動じた様子を見せていない。
……吉行は、強い。
僕だったら、心が折れてしまっていたと思う。
「……んじゃあ健太、中に入るぞ」
「……うん」
僕達は、共に確認しあって、中に入る。
(ガラッ)
引き戸が吉行によって開かれる音がする。
杏子ちゃんが記憶を失ってから、これで二回目の遭遇となった。
「ち~す。調子はどうだ?杏子」
まるでさっきまでの真剣な感じを払拭するかのように、吉行は何時ものテンションで杏子ちゃんに接する。
だが、杏子ちゃんはそんな吉行のテンションに着いていくことが出来ないようだ……記憶を失っているせいで、どう接すればいいのか分からなくなっているのだ。
「……あ、はい。大丈夫、です」
「堅苦しい敬語はなしにしようぜ。何せ俺達は、血が繋がった兄妹なんだからよ」
「……うん」
納得出来ていない様子の杏子ちゃん。
……まぁ、杏子ちゃんにしてみれば、『見ず知らずの男の人が勝手に兄と名乗っている』ようなものだから、無理もないのだが。
「……本当に僕達のこと、忘れちゃったんだなぁ」
誰かに聞こえることなく、僕の呟きは病室から消える。
……何となくこの空間は居ずらいな。
兄妹水入らずの会話の中に、僕が立ち合っていていいものだろうか。
「あ……」
「どうした?杏子」
その時、杏子ちゃんは何かを言いたげな眼差しで、僕の方を見ていることに気付いた。
分かっていてかいなくてか、吉行は杏子ちゃんにそう尋ねた。
すると、
「……前に、何処かでお会いしたことって、ありましたっけ?」
「……え?」
前に……と言うと、昨日のことだろうか。
恐らく記憶を失ってからの杏子ちゃんが僕に最後に会ったのは、昨日だけだろう。
……最も、そんなに日にちが経ってないし、流石に昨日のことを『前に』なんて表現する人はいないだろう。
と、言うことは……。
「なんだか、貴方のことを見ていると……胸が、ドキドキするんです。頭を撫でられたかのような感触が、蘇るんです」
「……」
多分、体や心が、僕のことを覚えているんだろう。
……胸がドキドキするというのは、少し分からないけど。
「……なんなのでしょう、この感じ。何だか、忘れたくない物を……思い出さないといけないような……」
「……無理に思い出す必要はない。ゆっくりでいいからな、杏子」
吉行は囁くように、そう言った。
……正直言って、僕も杏子ちゃんには無理をして欲しくはない。
記憶は、ゆっくり取り戻す方がいいだろう。
「……んじゃあ、ちっとばかし話していこうぜ」
「……そうですね」
杏子ちゃんは、若干の戸惑いと共にそう答える。
……なんだろう、こんなに微妙な感情になるのか。
何とも、形容しようがない気分なんだろうか。
僕が記憶を失っていた時もそうだったのだろうか。
……そんな思考が頭の中でグルグルとかき混ぜられながら、僕は吉行や杏子ちゃんと話していた。