『邂逅』夏のホラー2020参加作品
濃霧の中、急いで下山する。
ムシャクシャして山になんて来るんじゃなかった。
小さい頃は馬鹿親父に連れられてよく近所の山に登ったな。
自然と山に足が向いたのは、そのせいかもしれない。
おっ、線路が見えてきた。
うっすらとホームも見える。
何だか疲れたから早く帰ろう。
おや?
山の中の駅だからか改札がない。
今時、無人駅でもICカードは使えるんだけどな…。
まあ、運転手に聞いてみよう。
ベンチにでも座って…何だ、駅員がいるじゃないか。
暇そうなおじさんが立ってるし聞いてみるか。
「あのー、この駅ってICカード使えないんですか?」
「珍しいですね、こんな小さな駅にお客さんとは。
乗るときに利用可能ですよ」
「良かったー。
現金はそんなに持ってなかったんですよ。
それで次の電車はいつ来るんですか?」
「ここは便数が少ないのでお座りになってお待ちください」
「そうしますわ、何か疲れてて」
「ところでお客様も少なく、私も暇なので電車が来るまでお話しませんか?」
まあ、こんな駅じゃそうだろうな。
それなら無人駅にすればいいのに…。
でも、自分も暇だしまあいいか。
「ええ、良いですよ」
「それは助かります。
今日は登山をされてきたんですか?」
「そうなんです。
ムシャクシャしてて何となく…」
「だから軽装なんですね」
「ああ、思いつきで来ちゃったし、低山だから大丈夫かなって」
「そんな嫌な事があったんですね。
良かったら聞かせて貰えますか?」
うぅーん…初対面だが、もう会うことはないし良いか。
こんな場所にいたら誰かと話したくなるよな。
「ちょっと長くなっても良いですか?」
「次の電車はまだ来ません。
時間はありますから大丈夫ですよ」
「楽な仕事で羨ましいですね。
それで来た理由ですよね…。
まず最初に話さなきゃいけないのは自分、母子家庭で育ったんです。
父親は小さいときに山で滑落して死んだそうで顔も覚えてません。
だから、うちは貧乏でいじめの原因にもなって少しずつ素行が荒れましてね…」
「それは大変な幼少期でしたね」
「母さんは怒ることなく高校までは何とか通わせて貰ったんです。
当時は自分の境遇を恨んだり、勝手に山で死んだ父親への怒りで心が荒んでたんだと思います。
だから、高校を卒業したら家を飛び出して仕事を探したんです。
なんか自由になりたかったんですよ…」
「若いときはそう思うことはありますよ。
私もヤンチャしてましたよ」
このおじさんがやんちゃねぇ…。
人は見掛けによらないものなのかも。
「でも、高卒で出来る仕事なんてそんなになくてですね…。
何とか雇ってくれた工場に住み込みで働いたんですけど上手くいかなくて…。
給料も安いし将来もまったく見えない…。
やりたいこともある訳じゃないし…」
「それで勢いでここに来たんですか?」
「…多分、自暴自棄になってたんだと思います。
でも、このまま帰っても同じことの繰り返しになっちゃうんですよね…。
もし自分がこのまま死んでも誰も気にしないんだろうなぁ…」
「貴方には母親がいるじゃないですか。
少なくても一人はいるわけですね」
「母さんか…。
家を飛び出してから会ってないけど心配してくれてるのかな…?」
「ええ、そう思いますよ」
「何で初めて会ったあんたに分かるんですか?」
「貴方もさっき言っていましたね。
高卒だと仕事がないって」
「えぇ、言いましたけど…。
それとどんな関係があるって言うんですか?」
「子育てをしながらのシングルマザーも仕事をそれほど選べないんです。
特に子育ては時間に制約がありますからね。
一人で暮らす分だけでなく、養育費も稼ぐとなると並大抵の苦労ではありません。
それに高校は義務教育ではないのに貴方の将来の為に通わせたかったんでしょう。
働いてる今の貴方ならその大変さが分かるでしょう?」
確かに…子供の時は何にも思わなかったけど最近は少し気付いていたのかも…。
でも、そう思うと自分が最低に思えてくるから考えないようにしていただけなのかも…。
「もしかしたらですけど…貴方はここに死にに来たのかもって思ったんです」
「えっ…?どうして…」
「この辺の山に多いんですよ。
都会から近いからか自殺しようと山に入る人が。
そういった人は軽装が多くてですね」
なるほど…そうなのかもしれない。
仕事で嫌な事があって、今までの人生も含めてどうでもよくなってたな…。
このまま楽になりたかった気持ちも確かにあった…。
「今はどうですか?
まだ死にたいですか?」
「…まだちょっとよく分からないです…。
でも、母さんと話したくなりました…」
「それで十分ですよ。
貴方はある意味で恵まれていると思いますよ」
「恵まれてる…?自分が…?」
「そうですよ。
どれだけ裕福な家庭に産まれても愛情がない場合も多いそうですよ。
少なくても貴方は最高の愛情で育てられたんじゃないでしょうか。
まあ、ただのお節介ジジイの独り言ですけど」
「そぅ…なのかもしれないですね…。
帰ったら少しは親孝行をしてみます。
今まで心配や迷惑を掛けた分くらいは」
「それが良いと思いますよ。
ほら、丁度電車も来たみたいですよ」
「この電車で良いんですか?」
「そうですよ、頑張ってくださいね」
さて、帰るか。
何だか気持ちが晴れた気がする…。
おっ、誰も乗ってない。
疲れてるから座れたのは嬉しいな。
あぁ…座ったら眠くなってきた…。
揺れがちょうど良いというか…。
暖かくて…。
まぶたが…。
………。
……。
…。
ん…ここは…?
知らない天井だ…。
痛てっ!
何か全身が痛む…。
視界がはっきりしてきた…。
ここは…病室か。
いつ怪我して入院したんだ?
ん…誰かが手を握ってる。
母さん?
疲れて寝てるみたいだ。
「母さん…」
「ん…目が覚めたのかい!
良かったぁ…とても心配したんだよぉ…」
泣いてる…。
本当に愛されてるのかもしれないな…。
「あの…ごめん…その…」
「ぅ…うっ…良いんだよ…元気でいてくれるだけで…」
「ねえ母さん…どうして自分は入院してるの?
ちょっとその辺の記憶が無くて…」
「頭を打って記憶障害が起きたのかもしれないわね…。
山の斜面を落ちて倒れてる所を発見されたんだよ。
名刺から会社に連絡があったそうで社長さんが母さんに連絡くれたんだよ」
確か履歴書に実家の住所と電話番号を書いたっけか…。
ん…?まてよ…。
山で倒れてたのか…?
じゃあ、あの駅でのやりとりは一体…?
もし逆方向の電車に乗ってたら、どうなってたんだ…?
「母さん…心配掛けて…ごめん…」
「もういいよ。
でも、山で倒れたと聞いて父さんと重なって…」
そうだ。
あの馬鹿親父と同じにならなくて良かった。
そんなのは死んでも嫌だ。
アイツが死ななければ母さんがこんなに苦労しなかったはずだ!
「あんな奴は父親じゃないよ」
「お前…やっぱり覚えてないんだね…」
「覚えてない…?何の事?」
「父さんが死んだ理由は覚えてるかい?」
「だから登山中に崖から落ちて…」
「そこにお前もいたんだよ…」
「えっ…?」
自分もいた…?
確かにぼんやりだけど父親と山に行った記憶が…。
「まだ小さかったから忘れたんだろうけど…。
あの日はお前を連れて近所の山に行ってたんだよ。
特に危険はないような山だったけど、目撃した人の話では崖から落ちそうになったお前を庇って父さんが落ちたそうなの…。
お前が罪悪感を感じないようにこの話は黙ってたんだけど…」
そんな…。
母さんの事もそうだけど、嫌いだった父さんまで…。
自分は何も知らずに勝手な事ばかり…。
「そんな…」
「自分を責めちゃ駄目よ。
父さんは考えるより先に体が動いちゃう人だったのよ。
それが良いところでもあり、悪いところでもあるのだけど…。
親として子供の幸せほど大切なモノはないわ」
「うぅ…母さん…今まで…ずっと…ずっと…父さんのこと…」
熱い想いが込み上げてくる。
何とも表現しようのない感情だ。
いつの間にか涙が流れ止まらない。
ただ、ただ泣きたくてしょうがなかった。
後日、実家に戻り母さんと一緒に暮らすことにした。
仕事も頑張って続けている。
今はまだ何をしたいかは分からないけど、気持ちが変わるだけで物事の見方や感じ方が正反対になったかのようだ。
今日は独り暮らしの部屋から運んだ荷物を整理している。
押し入れにしまおうと開けてみたら懐かしいモノが沢山出てきた。
子供の時のオモチャだったりもする。
今見たら何が良かったか分からない当時の宝物。
それにこれは…。
それを見た瞬間、全身に何かが走り抜けた。
外の音も夏の暑さも忘れるほどに意識がソレに集中している。
ふと何かに突き動かされるように走り出した。
母さんがいる台所へと。
「母さん!母さん!
ちょっとこれを見て!!」
「どうしたんだい、血相を変えて?
一体何を…これは懐かしいわねぇ」
「ねえ、これって…」
手に握っているのは一枚の写真だ。
押し入れから出てきた色褪せた一枚の写真。
そこには小さい子供と一人の男性が笑顔で写っている。
「ええ、そうよ。
あなたの父さんよ。
これは近所の山に登った時の写真ね」
そう。
分かっていた。
顔を覚えてないけど見た瞬間、何故か分かった。
横にいる子供が自分だったのもあるが、何故か分かったのだ。
それよりも衝撃を受けたのは、その男性の顔があの駅員そっくりだったのだ。
おそらく、あの駅は生死の境目にあるのだろう。
斜面を滑り落ち死にそうになったときに見た夢だったのかもしれないが、自分としては違うように思えてならない。
おそらく逆方面の電車に乗っていたら死んでいたのだろう。
もし、父さんとあそこで話さなかったら生きる気が起こらずどうなっていたことか…。
「父さん…また、守ってくれたんだね…」
この夏、父さんが死んで以来、初めて墓参りに行った。
電車に乗る前に言ってくれた『頑張れ』の言葉と発車するまで笑顔で手を振ってくれたことを今でもはっきり覚えている。
次に会うときには胸を張って頑張ったと伝えられるように。