第七章・TOKYO(その7)
みなもはあらためて海の彼方の方を見返すと、隣に立っている潮音に話し始めた。
「ぼくはちっちゃな頃から、女らしくするのが苦手だった。人形とかで遊ぶより外でサッカーやストリートダンスをする方が好きだったし、服だってスカートとかは苦手でいつも男の子みたいな服ばかり着るようになっていたんだ」
「親からはそれについて何か言われなかったわけ」
「ぼくの父もストリートダンスをやっていて、性格もアクティブだったからね。そういうところも影響されているのかな。ぼくも男の子みたいな服ばかり着ているうちに、親だってそういうものだと思って何も言わなくなったし」
潮音は黙ったままみなもの話を聞きながら、暁子だってちっちゃな頃はやんちゃで男の子みたいな性格だったなと内心で思っていた。しかしそこで、みなもは語調を変えた。
「それでも中学に入ると、学校の制服でスカートをはかなきゃいけなくなるのがいやだった。それだけじゃなくて周りの女子もおしゃれとかそういうことの話ばかりをするようになって、だんだんその輪の中になじめなくなっていったんだ。それに中学校は校則だってきついし、先生なんて頭固くてわからず屋のくせして、口を開けば『勉強しろ』としか言わないし、中学はぼくにとってはいやなことばっかりだった」
「でもみなもが、真由美に会えたのは中学のときだって言ってたよね」
「ああ。だからぼくはそうやって先生や周りの生徒に反撥ばかりしているうちに、先生たちの間でも問題児扱いされるようになって、その結果ますます学校の中でも孤立していった。そのようなときにぼくに声をかけてくれたのが真由美だったんだ」
そのみなもの話を聞いて、真由美も校内で孤立しているみなものことを放っておけなかったのだろうと潮音は思った。それでもあえてみなもに声をかけた真由美のことを、潮音はあらためて見直していた。
「やっぱり真由美って優しいんだね」
しかし潮音はこのように話す一方で、みなもの言葉から自分自身の過去を思い出さずにはいられなかった。自分だって中学生のときに男から女に変ってしまった直後、そして高校で今まで勝手のわからなかった女子校の雰囲気に戸惑っていた頃には、心を閉ざして周囲に反撥ばかりしてきたのではなかったか。そのように考えると、潮音もみなものことを他人のようにとらえることはできなかった。そのような潮音の心の迷いをよそに、みなもはさらに話を続けた。
「ぼくが高校で、ほかの多くの子が行くような全日制の学校に行くんじゃなくて、通信制の学校で自分のペースで勉強することにしたのは、たしかに制服でスカートはくのがいやだったってこともあるけど、それだけが理由じゃないよ。ぼくはもともと、教室の中でみんなと同じ方向向いて、変に周りの目を気にしたり周りに合わせたりするのが苦手なんだ。ぼくはちっちゃな頃からストリートダンスをやってきて、それをもっとちゃんとやってみたかったということもあるしね。今でもダンスの教室に通ってるんだ」
そこで潮音は、心の中で紫のことを思い出していた。紫だってバレリーナに憧れながらも、その道を諦めて他の生徒たちと同じように学校に通って勉強することを選んだからではないかと思ったからだった。潮音は皆と同じように高校に行くのではなく、ダンスという明確な目標を持ってそれに取り組んでいるみなもの姿勢に憧れのようなものも内心で抱いていたが、その一方でどこかに危うさも感じていた。
「みなもがダンスというやりたいことがあって、それをとことんまでやろうとするのはえらいと思うよ…。でもこれでほんとに将来大丈夫なの」
「そんなのぼくだってわからないよ。でも僕は他人の顔をうかがうような生き方はしたくないんだ。うちの親だって、大人になったらダンスで食べていけるのかって言ってるけどね」
そのみなもの言葉を耳にすると、潮音はしばらくの間黙った後で、あらためて海の彼方に目を向けておもむろに口を開いた。
「そうだね…みなもにだったら私のこと話してもいいかな」
潮音がいきなり態度を変えたことにみなもがきょとんとしていると、潮音はここできっぱりと口を開いた。
「私…いやオレは、中学三年生のときまでは男だったんだ。ウソだと思う? だったら真由美に聞いてみたらいいよ」
潮音から素性を打ち明けられて、みなもは当惑の色を浮べていた。そこから潮音は、自分が男から女になったいきさつを話して聞かせた。
みなもは黙ったまま潮音の話を聞いていたが、話の一部始終を聞き終ると、みなもの当惑の色はますます深まったようだった。
「だったら潮音はどうして、今そうして女のような服着てるわけ?」
みなもに尋ねられて、潮音はふと息をついた。
「そう聞かれると思ったよ。同じことは今まで何度も聞かれたからね。男だったからといって、こういう風にしてスカートはいちゃいけないなんて決まりでもあるわけ? 今の私は自分がしたいからこういうかっこしてる、たったそれだけの話だよ。みなもだって制服着るのがいやで、自分が着たい服着てるだけだろ? それと一緒だよ」
そこでみなもは、ためらいがちに口を開いた。
「ぼくはたしかに『女らしく』とか言われるのがいやで、服だって男みたいなものばっかり着てるけど、女の体がいやで手術を受けて男になりたいとかいうわけじゃないんだ。ぼくはただ自分の好きなようにしたいだけなのに、どうしてみんなからそういう風に言われるんだろう」
そう話しながらみなもはため息をついた。
「ともかく悩んでいることがあるなら、いつでも私と話せばいいよ。そりゃ私にはみなもの悩みや問題を解決できるような自信なんかないけど、話を聞いてくれる人がそばにいるだけでも全然違うだろ? 私だって今日ここに一緒にいる暁子や優菜が自分のことを支えてくれなかったら、今ごろどうなっていたかわかんないよ」
「ありがとう…これからも潮音とは仲良くできそうだね。ぼくもいつか潮音たちのいる神戸に行ってみたいな」
「いつでも来たらいいよ」
潮音は笑顔で応えながら、みなもと互いにSNSのアカウントを紹介し合った。
ちょうどそのとき、真由美と暁子、優菜の三人組も潮音とみなものところにやってきた。そこで暁子はみなもの顔を見るなり神妙な顔で声をかけた。
「みなもも潮音から話はみんな聞いたみたいね。でもだからこそ、潮音はみなものいい相談相手になってくれると思うよ」
「暁子も優菜も、潮音のことちゃんとわかって受け入れてるんだね」
そう話すときのみなもの口調は、どこか感慨深げだった。そこで優菜もみなもに話しかけた。
「だからみなもかて、一人でクヨクヨすることなんかあらへんよ。そういうときには真由美でもほかの誰でもええから頼りにしたらええやん」
暁子や優菜の話を聞いて、みなもは少し表情に明るさを取り戻したようだった。そこで真由美が、潮音たちみんなに声をかけた。
「みんなで暑い中歩いて来たし、そろそろおなかも減ったから、海の見える食堂で何か食べて一息ついていかない?」
その真由美の提案には、潮音たちみんなも賛成した。そこでみんなで急な階段を登り、崖の上にある食堂に入ると、さっそく優菜は名物のしらす丼を注文した。潮音たちは腹ごしらえをした後で、かき氷などを食べて涼を取ることにした。
「やっぱり夏の暑い季節にはかき氷が一番だよね」
食堂の眼下に広がる海を眺めながらかき氷で一服するのには、潮音も満足したようだった。その一方で真由美がフルーツなどのトッピングを乗せた豪勢なかき氷を注文したのには、潮音たちも目を丸くした。
「甘いものは別腹だからね。それにこのかき氷、口当たりも普段食べるのとは全然違うわ。やっぱり水もいいの使ってるのかな」
かき氷を味わう真由美に、優菜は心配そうに声をかけた。
「おなかこわさんように気をつけてよ」
潮音たちは食堂で少し休んだ後で江の島を後にすると、江ノ電の小さな電車に乗り込んだ。電車が道路の真ん中にレールが敷かれている区間を走ったり、路地裏のような家並みを抜けると車窓一面に海が広がったりするのには、潮音たちも目が離せなくなっていた。
江ノ電の電車が鎌倉に着くと、潮音たちは駅前から伸びる小町通りを散策した。スイーツの店や歴史のありそうな店が軒を連ねるのには、潮音たちも目を引きつけられていた。
そこで優菜が潮音や暁子に声をかけた。
「あたしたちも明日神戸に帰るから、ここでお土産買った方がええかもしれへんな」
その優菜の話を聞くと、みなもは寂しそうな顔をした。
「潮音たちはもう帰っちゃうの?」
「あたしらも真由美の家に泊めてもらっとるから、そう何日もおるわけにはいかへんからな。東京は見たいところがぎょうさんあって、四日か五日じゃ全然足りへんけど」
そこで真由美は優菜に言った。
「それだったら優菜もいっそ東京の大学に入学したら?」
「それもええけど、東京に下宿したらお金かてかかるしな」
優菜がため息をつくと、真由美が潮音たちに声をかけた。
「ともかく潮音たちは明日の夕方の新幹線で神戸に帰るんでしょ? それだったらちょっと時間あるから東京のお台場の辺りにでも一緒に行かない?」
潮音たちはその真由美の提案に乗り気になったが、そこでみなもが遠慮気味に声をかけた。
「それだったらぼくも明日空いてるから一緒に行っていいかな」
「もちろんよ」
みなもは自分ともっと話したいことがあるのだろうと潮音は思っていた。
潮音たちが鎌倉の街を後にして帰途についたときには、夏の日も西に傾きつつあった。帰りの電車の中で、真由美は潮音たちにこのように話した。
「今日は楽しかったけど、せっかく海に行ったんだから、今度はみんなで海水浴に行けたらいいのにね」
それに暁子も応えて言った。
「あたしたちは水着持ってこなかったからね」
しかしそのような会話に対して、みなもは黙ったままだった。そこで潮音は、こっそりみなもに耳打ちした。
「みなもってやっぱり、水着着るのいやなの」
そこでみなもは首を振った。
「そんなわけじゃないけど…むしろサーフィンとかはやってみたいと思うし」
しかし潮音の脳裏からは、海辺で話したときのみなもの表情が離れなかった。
――私はみんなから遅れたくないと思って、高校に入学してそこで頑張ってきた。今の自分には、みなものように自分の道を自分で切り開こうという勇気はあるだろうか…。
潮音たちが電車を降りて駅前でみなもと別れ、真由美の家に戻って夕食を済ませると、外はすっかり暗くなっていた。そこで優菜は窓の外の宵闇を見つめながら、ふと息をついた。
「この東京旅行はいろんなとこ行けてほんまに楽しかったけど、真由美とも明日でお別れやな。でも神戸帰ったら宿題やらな」
そこで真由美も勉強のことを思い出して、いやそうな顔をした。
「あたしもここ数日潮音たちと遊んだ分、夏休みの残りはちゃんと勉強しなきゃね」
潮音は真由美の話を聞きながら、自分が神戸に帰ると同時に夏休みが終ってしまうような寂しさを感じていたが、自分自身も夏休みの残りは勉強に追われることになりそうだと思ってため息をつきたくなった。




