第三章・またも体育祭(その2)
翌日から潮音たちの所属する二年梅組でも応援合戦の練習が始まった。潮音や美鈴をはじめとする梅組の生徒たちがシックな感じのする応援団用の和服と袴に着替えると、それを目の当りにした暁子と優菜も思わす目を丸くしていた。
「潮音は去年の学ランも良かったけど、この袴姿かてめっちゃええやん」
優菜が潮音の袴姿をほめそやしたのとは対照的に、暁子は潮音に何か言いたそうな、もじもじとした表情をしていた。
「暁子も応援団やってみたら? 今からやりたいと言っても遅くないよ」
潮音に声をかけられても、暁子は顔を赤らめて遠慮気味に手を振るのみだった。
ちょうどそのとき、潮音たちに対して元気よく声をかける者がいた。
「藤坂先輩は今年は袴姿でいくんですか? 去年の学ランも良かったけど、それもなかなかかっこいいですね」
その声の主は、中等部の三年生になっていた松崎香澄だった。そしその傍らには、その同級生で友達の新島清子と芹川杏李の姿もあった。そしてその三人はそろってカラフルなチアガールの衣裳を着ていたが、三人とも潮音の袴姿に最初の一瞬は驚いたものの、見ているうちにほれぼれしているようだった。
「うちの学校って、こういう体育祭や文化祭の伝統みたいなものがあるからいいですね」
中等部の三人の中ではおとなしい性格の清子が言うと、杏李もそれに同調した。
「でもこれは藤坂先輩みたいな人が着るからかっこいいからね」
その後輩たちの反応を見て、優菜もニコニコしながら口をはさんだ。
「潮音は後輩からもモテモテやん」
その優菜の言葉に、潮音はいやそうな顔をした。そこでもともと手芸部で香澄と面識のある暁子が、香澄に尋ねた。
「香澄たちのクラスはやっぱりチアガールをやるの?」
それに対して、香澄はますますご機嫌そうな顔で答えた。
「私たちは今年もチア服でやることになりました。学ランとか袴にもちょっと憧れるけれども、私が学ラン着たって峰山先輩や吹屋先輩にはかないっこないですからね」
そこで潮音は香澄をたしなめた。
「香澄たちはチア服着たって十分かわいいじゃん。もっと自分に自信持てばいいのに」
その潮音の言葉に、香澄は恥ずかしそうな顔をしながらもじもじした。
「いや…それほどでもありませんよ」
そこで杏李が横から口をはさんだ。
「あっちの方で峰山先輩たちのいる桜組も練習やってるみたいですよ。先輩も一緒に見に行きませんか?」
そこで潮音は暁子や優菜も一緒に杏李に案内されるままに、桜組が練習をやっている校庭の一角に向かった。潮音にとっても、紫たちの桜組が応援合戦でどのような練習をしているのかには興味があった。
しかしそこでは、紫が五月も末で汗ばむほどの陽気が照らしているにも関わらず、応援団用の丈の長い学ランを着て応援団の指導をやっていた。そこで学ランを着て練習している生徒の中には吹屋光瑠の姿もあったが、紫から指導を受けている学ラン姿の後輩たちの顔ぶれを見て、潮音は息を飲んだ。その後輩の中には、四月以来同好会の設立をめぐって潮音も手を焼かされた、一年桜組の樋沢遥子に壬生小春、妻崎すぴかの三人組の姿もあった。
それだけでなく潮音は、紫の学ランを着ても姿勢を崩したり暑がったりする様子もなく、背筋や手足もぴんと伸ばしてきびきびと後輩たちに的確なアドバイスをしている様子に思わず目を奪われていた。潮音はいつもバレエ教室でストイックに練習に打ち込み、教室に通う子どもたちに対しても、その個性を一人ひとり見極めた上で面倒もきちんと見ている紫の姿をずっと目にしてきたとはいえ、今の学ラン姿で後輩たちを指導している紫にやはり自分はかなわないということを認めずにはいられなかった。香澄をはじめとする中等部の生徒たちも、学ランを凛々しく着こなした紫や光瑠の姿に目が釘付けになっていた。
ちょうどそのとき、紫の方でも潮音や香澄たちに気がついたようだった。紫は潮音の方を振り向くなり、そのまま潮音の袴姿に見入っていた。
「潮音たちのクラスは今年は袴に着物でやるんだ。でも潮音にはこの恰好だってけっこう似合ってるじゃん。香澄たちのチア服だってかわいいけど」
「いや、紫に比べりゃ大したことないよ。それよりも紫は今年はこの子たちの世話もしてるんだ」
「今年の体育祭は私たちの学年が中心になってやるからね。悔いが残らないようにやっておきたいの」
「ほんとに紫ってまじめだよね。でも一年生たちも学ランで応援やるのはいいけど、紫の指導は厳しいから覚悟しといた方がいいよ。私だって去年の文化祭で劇をやったときは、紫にみっちりしごかれたからね」
その潮音の言葉に、学ランを着た遥子たちが不安げな様子をしたのを見て紫は困ったような顔をした。
「そんなこと言わないでよ。この子たちは練習も素直にやっていて飲み込みもいいし、ガッツもあってなかなか素質あるわ」
しかしそこで香澄は、遥子たちの姿を見るなり声を上げた。
「こちらの樋沢先輩は、校内にフットサル同好会を作ろうと活動していた人ですね。で、妻崎先輩はファッション同好会を作ったし。自分で部活を作ろうとするなんてすごいですね」
元気でアクティブな遥子やすぴかは、四月に高等部から入学したばかりにもかかわらず、中等部の生徒たちの間でもすっかり有名人になっているようだった。
そこで潮音が遥子たち一年生の方を向き直すと、自分もちょうど一年前、学ランを着て一学年上の松崎千晶から応援の指導を受けたことを今さらのように思い出していた。遥子は初夏の汗ばむような陽気の中で学ランを着て練習をして、暑さで疲れているようなそぶりもあったが、それでも練習そのものに対して手ごたえを感じているようだった。
「暑くなってくると学ラン着て練習するのは大変だけど、それでもみんな頑張ってるじゃん。でも水分補給はちゃんとやって、休憩もきちんと取った方がいいよ。熱中症とかになったら元も子もないからね」
「はい。私はもともと小学生のときからサッカーをやっていて、暑い中でも運動するのには慣れていますから。でも藤坂先輩はやっぱり、着物に袴姿でもかっこいいですね」
遥子の明るくハイテンションな様子は、学ランを着ていてもいつもと変ることはなかった。しかし遥子の潮音の和服に袴姿に見入る視線に、潮音は気恥ずかしい気分になった。
「よしてよ、そんな恥ずかしくなるような言い方するの。それを言うんだったら樋沢さんたちだって学ラン姿がけっこう似合ってるじゃん」
それに対して一番に答えたのはすぴかだった。
「私の通っていた中学は男子の制服もブレザーで、今まで学ランは漫画の中とかでしか見たことなかったから、これをいざ自分が着てみるとちょっと不思議な気がします」
潮音はこの話を聞いて、これはやっぱり自らファッション同好会を作ったすぴかなりの視点だなと思った。
しかしそこで、小春が自信なさげに口を開いた。
「でもやっぱりかっこよさという点では、私たちは峰山先輩や吹屋先輩にはかないません。先輩たちはこの暑さの中でも、あんなにきびきび行動して大きな声を出しているし…」
その小春の話を聞いて、香澄をはじめとする中等部の三年生たちも少し表情を曇らせた。どうやら紫や光瑠に対してコンプレックスを抱いているのは、香澄たちも同感のようだった。
そこで潮音は、後輩たちをなだめるように声をかけた。
「そりゃ紫や光瑠にかないっこないなんて、私だって一緒だよ。私は紫と一緒にバレエやってるけど、紫はバレエやってもその実力は本当にすごいと思うもの。でも上ばかり見て、人と自分を比べてばかりいたってしょうがないよ。自分なりに全力を出し切れば、その頑張りはきっと見ている人に伝わるんじゃないかな。そもそも応援合戦では自分らしいパフォーマンスをするのが第一で、勝ち負けなんか二の次だろ」
その潮音の言葉には、後輩たちもみんな納得したようだった。そこで紫が遥子たちに声をかけた。
「みんなおしゃべりはこのくらいにして、そろそろ練習に戻るわよ」
紫の言葉に遥子たちは我に返ったような態度を取ると、練習に戻っていった。しかしそのときにも、遥子は笑顔で潮音の方を振り向いて声をかけることを忘れなかった。
「藤坂先輩も練習頑張って下さいね。体育祭の当日どんな応援をするかを楽しみにしています」
自分が遥子たち一年生から頼りにされていることを知って、潮音はこそばゆいような気持ちになった。それと同時に、潮音はたとえ遥子やすぴかが今後この学校の雰囲気になじむようになっていっても、持ち前の明るさや元気さは失ってほしくないと思っていた。
ちょうどそのとき、暁子が声をかけた。
「潮音だってそろそろ、練習に戻った方がいいんじゃないの」
その言葉で潮音は我に返ると、香澄をはじめとする中等部の生徒たちとも別れて、自分たちの練習場所に戻ることにした。香澄は潮音と別れる間際にやや興奮気味に言った。
「峰山先輩だけでなく、吹屋先輩だって学ラン着るとかっこいいですよね。さすがバスケ部の主将ですよね」
それには杏李も同感のようだった。
「吹屋先輩は去年の学園祭のロミオ役だってめちゃくちゃかっこよかったんだから。背が高くてクールな感じがするから、学ラン着たって下手な男よりさまになってますよね」
香澄や杏李はいまだに紫や光瑠に惚れているようだったが、それを聞きながら潮音は、光瑠だって実はぬいぐるみやファンシーグッズを集めたりする、かわいい物好きな普通の女の子らしい面だってあるのになと思っていたが、それを後輩たちには黙っておくことにした。
香澄たちと別れて練習場所に戻る途中で、優菜があらためて冷やかすように潮音に言った。
「やっぱり潮音は後輩から信頼されとるな。中等部からだけでなく今年高校部に入った子たちからもモテてええやん」
「そんな言い方よしてよ。こっちまで恥ずかしいじゃん。それ言ったら紫や光瑠は、もっと後輩からチヤホヤされてるんだから。あの二人はそんなこと気にしてなさそうだけど」
潮音が気恥ずかしそうにしながら語調を強めるのを、優菜はニコニコしながら見守っていた。




