第二章・ゴールデンウィークの風(その9)
潮音はゴールデンウィークの最終日は宿題の片付けに追われた。綾乃はそのような潮音に呆れ気味な視線を送っていた。
「連休だからといって遊んでばかりいないでちゃんと計画的に勉強しておけって言ってたのに。私は手伝わないからね」
綾乃にまでつれない態度を取られて、潮音はますます困惑した顔をせずにはいられなかった。
なんとかして宿題を済ませて、連休明けの日に潮音が登校すると、生徒たちの話題はゴールデンウィークのことで持ち切りだった。特にキャサリンが、美鈴に誘われて美鈴の実家のある山あいの村に出かけたことを楽し気に話すのには、みんなも興味深げに耳を傾けていた。潮音はこれらの話を聞きながら、暁子や優菜たちと一緒にフラワー公園に出かけたことはともかく、浩三と二人で水族館に行ったことは学校のみんなには黙っておいた方が良さそうだと直感していた。
それよりも潮音にとっては、後輩たちが設立しようとしているフットサル同好会やファッション同好会の方が気がかりだった。仮にフットサル同好会が活動を開始したとして、遥子が練習の場所や時間を確保した上でメンバーをまとめることができるのか、さらにすぴかのファッション同好会はそれ以前の問題で、そもそも同好会の設立そのものが認められるのか、そのためにすぴかは連休中に企画書の内容をきちんとまとめてきたのかなどといろいろ考えていると、潮音は遥子やすぴかのことが心配でならなかった。
潮音は昼休みに昼食を済ませると、さっそく一年桜組の教室へと向かった。遥子も潮音の姿を見るなり、潮音のそばに寄ってきていつも通りの快活な声で話しかけた。
「この連休中は、フットサル同好会の練習のメニューを考えていました。明日の放課後からさっそく練習を始めるのですよ」
「樋沢さんも頑張ったじゃん。でも問題は妻崎さんのやろうとしているファッション同好会の設立が認められるかどうかだよね」
「それについてですが、今日の放課後にすぴかは企画書を生徒会に提出することになっているのです。でもすぴかは企画書を作ろうとこのゴールデンウィークの間も一生懸命頑張っていたのだから、きっと大丈夫だと思います」
「私としても応援はしたいけどね…こればかりはあの子が頑張るしかないよ」
潮音はこう言って、遥子を落ち着かせるしかなかった。しかしそこで、遥子がいぶかしむようにして潮音に尋ねた。
「藤坂先輩ってどうしてあの生徒会長に顔が利くのですか?」
それを言われて、潮音は答えに窮してしまった。
「いや、紫とは一緒にバレエをやっているから…。それに紫はたしかにシビアなところもあるけど、実際はもっと気さくでつき合いやすいところだってあるよ。変に遠慮してないで話しかけてみたら、きっと話に乗ってくれるから」
潮音がはぐらかすのを、遥子はきょとんとした眼差しで見ていた。
そして放課後になって、潮音も紫や生徒会副会長の愛里紗や光瑠と一緒に生徒会室に向かった。潮音としては、自分がすぴかたち一年生に頼られている以上、彼女たちのことを放っておくわけにはいかなかった。
潮音たちが生徒会室に入って席についてからしばらくすると、ノックの音がしてすぴかが一年生の生徒数人と一緒に生徒会室に入ってきた。すぴかはいつになく緊張気味に体をこわばらせていたので、紫はにこやかな顔でもっとリラックスするように言った。
紫はまずすぴかに入学から一ヶ月ほどが過ぎて学校生活になじめたかを尋ね、それからしばらくとりとめもない世間話をして緊張をほぐした後で、すぴかの手から企画書を受け取ると、それに目を通し始めた。すぴかは固唾を飲みながらその紫の表情を見守っていたが、潮音もそのようなすぴかの態度を見守りながら気をもんでいた。
すぴかが紫に提出した企画書には、ファッション同好会を通してファッションへの理解を深めたいという希望や、校内にも将来ファッションやアパレル業界に進むことを希望している生徒も少なくないことから、その意味でも同好会活動には意義があるということ、活動内容としては文化祭にファッションショーを行うことを予定していることなどが書かれていた。その内容も具体的で、すでに入会希望者も中等部や高等部の一年を中心に十人近くいることも示されていることを見て、紫も考えを改めたようだった。
紫は企画書に一通り目を通した後で、にこやかな顔をしながらすぴかに視線を向けた。
「この企画書はしっかり作られているじゃない。あなたたちが本当にファッションのことに興味を持って活動したいと思っていることはわかったわ。ファッション同好会を設立することを許可します」
その紫の言葉を聞いて、すぴかをはじめとする一年生たちは満面の笑みを浮べて歓声を上げ、同好会の設立が許可されたことを喜び合った。しかしそれでも、紫は冷静な姿勢を崩さなかった。
「喜ぶのはまだ早いわ。顧問の先生を誰にするかや、部室をどうするのかなど、考えなきゃいけない問題はいくらだってあるでしょ。むしろ苦労するのはこれからだと思うけど」
そこで紫の傍らにいた愛里紗も口を開いた。
「たしかにファッション部の設立は許可するけれども、ちゃんと活動しているかどうかチェックはするからね」
「はい。でもこれから苦労することがあっても、へこたれずに頑張りたいと思います。今日はファッション同好会の設立を許可して下さりありがとうございます」
そう言ってすぴかは紫と愛里紗に対して丁寧にお辞儀をした。そのそぶりからも、すぴかは喜びと感謝の念を浮べていることがありありと見てとれた。そこで紫の傍らにいた光瑠が、すぴかに明るく声をかけた。
「活動を軌道に乗せるためにはいろいろ大変なことだってあるかもしれないけれども、困ったことがあったらいつでも生徒会に相談に来るといいよ。私たちだってできることがあったら協力するから。そりゃ不安なことだってあって当然だけど、それでもまずはやってみることが大事じゃないかな」
校内では気さくな姉御肌の性格で、後輩からも頼りにされている光瑠が活動に理解を示したのを見て、すぴかをはじめとする一年生たちは一斉に表情をほころばせた。すぴかは光瑠の顔を見て元気よく返事をした。
「ありがとうございます。吹屋先輩にこのように言ってもらえると頼りになります」
すぴかが嬉しそうにしているのを見ると、潮音も何か言わずにはいられなかった。
「同好会が認められて良かったね。でもみんなが言うようにむしろ勝負はこれからだから、もっとがんばらなきゃね。光瑠も言ってたけれど、困ったときは私のとこにもいつでも相談に来なよ」
そこですぴかも、しっかりと潮音の顔を向き直して答えた。
「藤坂先輩こそ、私たちがファッション同好会を設立するのを手伝ってくれてありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
そう言ってすぴかは生徒会室を後にした。生徒会室の中が落着きを取戻した頃になって、潮音が安心したように口を開いた。
「なんとか活動が認められて良かったよ。でもこれだけのものを作ってくるなんて、あの子たちはなかなかしっかりしてるじゃん。さっきの受け答えだってしっかりしてたし、フットサル同好会もそうだけど、これから後輩たちがどうなるか楽しみだよ」
そこで紫が潮音をたしなめるように言った。
「そう思うんだったら、潮音こそ先輩としてあの子たちのことをしっかり支えてやらなきゃね」
潮音が紫の言葉にしゅんとしていると、光瑠が潮音をなだめた。
「いや、潮音はよくやったよ。あの子たちは潮音のことをだいぶ頼りにしてるじゃん。そうやって人のために何かをせずにはいられないところが、潮音のいいところよね」
光瑠にそこまで言われると、潮音は気恥ずかしい気分になった。そこで愛里紗が、潮音に釘をさすように言った。
「でも潮音も、後輩をサポートしたいと思うのはいいけど、それだったらちゃんと最後まで責任取らなきゃね。ただ八方美人な態度を取っているだけではダメよ」
潮音はやはり愛里紗はこの点厳しいなと思いながら、少々気まずそうな顔をした。そこで紫はみんなに声をかけた。
「ともかく、中間テストが終ったらその次は体育祭だからね。体育祭は天野さんたちの体育委員が中心になってやるけど、私たちもこの調子で盛り上げていかなきゃね。そしてその後には修学旅行だってあるし」
その紫の言葉には、その場にいたみんなが納得したようだった。
その数日後、潮音は放課後の教室の窓から遥子たちフットサル同好会のメンバーたちが校庭をランニングしているのを眺めていた。まだユニホームもなくて、メンバーたちはそれぞれ体操服や運動できる服を着ており、また練習場所が確保できない状況では、基礎体力をつけるためにランニングや基礎トレーニングをするしかなかったが、それでもフットサル同好会がとにもかくにも活動を始めることができたことが潮音にとって満足だった。
ちょうどそのとき、キャサリンと美鈴が潮音のところに来た。
「美鈴は体育委員として、もう体育祭の準備にとりかかってるんでしょ? 大変そうだけど頑張ってね」
潮音に言われて、美鈴は少し首を傾げた。
「去年と同じ路線で行くか、新しくするとしたらどの辺を変えるか、なかなか難しいよ。潮音こそ生徒会の役員として、ちょっとは手伝ってほしいわ」
「私も体育祭の本番が近づいたら忙しくなるからね」
そこで美鈴は、窓の外を見て校庭で基礎トレーニングをやっているフットサル同好会に目を向けた。
「今度の一年はなかなかやる気もあって、体育祭も楽しみやな。フットサル同好会かてうまくいけばええけど。でもフットサル同好会を作った樋沢さんって子はサッカーをやっとったんやろ? あたしはサッカーと言うたってテレビで試合見るだけで、自分はやったことなかったからな。クラブがなかったら自分で作ろうとするところがえらいやん」
「あと一年の子たちはファッション同好会も作ろうとしていたけど、それも設立が認められたからね。本当に今年の一年は元気で、これからが楽しみだよ」
そこでキャサリンが身を乗り出して、ニコニコしながら言った。
「私はもう剣道部に入っているけど、ファッション同好会はどんなことするか今から楽しみです」
潮音はここで、キャサリンはロンドンにいた頃から剣道の心得があって、学校でも剣道部に入っていることを思い出していた。
「入るかどうかは別にして、キャサリンもファッション同好会の活動に顔くらい出してみたら? キャサリンだったら歓迎されると思うよ」
そこでキャサリンは、少々気恥ずかしそうにスマホの画面を示した。そこには先ほどのゴールデンウィークのときに、キャサリンが茉美と一緒にゴスロリの服を着て古民家の中で写っている写真が表示されていた。
この写真を見て、潮音はキャサリンがゴスロリ服を着ている姿に一瞬のけぞった。
「キャサリン…どうしてそんなかっこしてるんだよ」
その潮音の態度を前にしても、キャサリンの態度は屈託がなさそうだった。
「私も最初は恥ずかしかったけど、思い切って着てみるとそういう服もいいなと思いました。ファッション同好会ではこういう服もデザインするのかなと思うと楽しみです」
潮音もキャサリンがゴスロリ服にも興味を示している様子にいささか呆気に取られていたが、それ以上に複雑な思いにとらわれていたのは美鈴の方だった。
――連休中のアレで、どうやらキャサリンの心の中に変なスイッチが入ってしもたみたいやな。
そう考えると美鈴は、やれやれとため息をつかずにはいられなかった。




