第二章・ゴールデンウィークの風(その2)
潮音は帰宅してからも、浩三に会ったとしてそこでどのようにして浩三に接するべきなのか、そして何を話すべきなのか迷っていた。潮音はたしかに浩三が玲花の気持ちを踏みにじるような真似をしたことは許せなかったけれども、浩三が水泳選手として少しでも高みを目指したいという気持ちだって理解できるだけに、浩三のことを一方的に非難することもできないと思っていた。そうなるとせっかくのゴールデンウィークとはいえ、潮音の気分は晴れなかった。
ゴールデンウィークの初日も潮音は早めに勉強を済ませてその後でゆっくり遊ぼうと思ったものの、このような調子では気が散って勉強に集中することなどできなかった。ちょうどそうしていたとき、インターホンが鳴った。潮音が玄関口に出ると、そこには暁子が立っていた。
暁子は玄関口に姿を現した潮音の、髪の毛もボサボサで部屋着をだらしなく着て気が抜けたような顔を見るなり、呆れたような顔をした。
「あんた、せっかくのゴールデンウィークだからといって今まで寝てたわけ」
「そんなんじゃないよ。昨日尾上さんが言ってたことが気になって、何か勉強しようとしても全然集中できなくってさ」
「どうせあんたのことだから、昨日の尾上さんのことがなくたって、何だかんだと言い訳して結局勉強しないんでしょ。こんなんだったら成績良くならないよ」
潮音はますます心配そうな顔をした暁子を、いやそうな目で向き直した。ちょうどそのとき、家の奥の方からやはり呆れたような声がした。
「あんたたち、何やってるの」
綾乃の声だった。潮音が気がつくと、綾乃がいつの間にかすぐそばまで来ていた。
「ゴールデンウィークだっていうのにぼさっとして、ほんとにあんたってしょうがないねえ」
「ほっといてよ」
「その様子じゃ、学校でまた何か面白くないことでもあったんでしょ。あんたの様子なんかはたから見てりゃわかるよ」
潮音が答えに窮していると、綾乃はさらに言葉を継いだ。
「どうせなんだかんだ言って勉強しないんだったら、明日暁子ちゃんも一緒になって車に乗ってどこか行かない? そうすれば少しは気分転換になるかもよ。そうだ、フラワー公園なんかどうかな」
潮音はここで、また綾乃の運転する自動車に乗って心臓が縮こまるような思いをしなければならないのかと思ってぎくりと身構えた。しかし綾乃の運転の荒っぽさを体験したことのない暁子は、純粋に楽しみそうな顔をしていた。
「優菜や玲花も連れてっていいかな。もちろん明日のスケジュールが空いていればだけど。玲花が落ち込んでいるみたいだったから、そうすれば玲花だって少しは元気出ると思うんだ」
「ええ、もちろんよ。うちの車は五人乗りまで大丈夫だから」
潮音は暁子の楽しみそうな様子を見ながら、後でこわい思いをしたって知らないぞと思っていた。
その日の晩になって、夕食の席で綾乃が潮音や暁子と一緒に車で出かける予定の話をすると、則子もあわてたそぶりを見せた。
「綾乃、あなたが車の運転してほんとに大丈夫なの。たしかに免許取ってから一年以上経って若葉マークは取れたけど…」
綾乃は不安げな則子の様子を見て、何かしら不満そうな顔をしていたが、潮音は綾乃の運転する車に乗って本当に大丈夫なのかと不安ばかりが募っていった。
夕食が終った頃になって、潮音のスマホのSNSに暁子から連絡が入った。それは明日、優菜と玲花も一緒に来てくれそうだというものだった。潮音はそのメッセージを見ながら、もし玲花が一緒に来てくれたら玲花の気持ちだって少しは和らぐかもしれないという淡い期待をひそかに抱いていたものの、問題はやはり綾乃の運転する車だと思わずにはいられなかった。
その翌日は春の空も晴れ渡って汗ばむほどの陽気となり、絶好の行楽日和となった。潮音は例によって、綾乃のファッションチェックが入って動きやすさも加味したものの、かわいらしい感じの服にされてしまった。
「姉ちゃん…ほんとにこんなかっこでいいのかよ」
「フラワー公園は花壇がきれいなんだし、多少はおしゃれした方がいいでしょ」
そうしているうちに朝から暁子と優菜、さらに玲花までもが潮音の家に集まると、皆は一様に潮音の服を見るなり「かわいい」と素っ頓狂な声をあげた。潮音はそれにげんなりとした表情をした。
みんなで車に乗り込むときにも暁子と優菜はこれから出かけるのを楽しみにしているようだったが、潮音はその傍らでこれから綾乃の運転する自動車に乗るのかと思うと、身が縮こまるような思いがした。しかしその中で玲花は一人浮かない表情をしており、潮音は玲花は浩三との関係がうまくいっていないことを心の中でひきずっているのだろうかと気がかりでならなかった。
則子の作ってくれたおにぎりや弁当を車に積み込んで、潮音たちがそれぞれ席につくと、綾乃が運転席に乗り込んでハンドルを握り、表通りに出てアクセルを踏んで車を加速させた。
しかしそれからというもの、綾乃は手荒くハンドルを切り返したり、急停車や急発進を繰り返したりしたので、そのたびに車は大きく揺れた。それと同時に、最初はドライブを楽しみにするようなそぶりを見せていた暁子や優菜も、みるみるうちに表情に不安の色を浮べるようになった。
やがて車が市街地を抜けると周囲ものどかな農村の趣となり、その彼方には春の青空が大きく広がるようになった。車窓には青々と茂って刈入れも間近になった麦畑やため池、新緑がまぶしい野山の景色が流れるようになり、時折見える野に咲く色鮮やかな花も春ののどかさを示していたが、綾乃の荒っぽい運転では潮音たちはそのような景色を楽しむ余裕もなかった。特に車がちょっとした山道にさしかかってカーブが連続すると、そのたびに車は大きく揺れた。
ようやく車が目的地の、植物園を兼ねた自然公園に着いたときには綾乃以外皆げんなりしていた。しかしそこでも、綾乃は駐車場に車を停めるのがなかなかうまくいかず、何度かやり直しをしなければならなかった。
「ふう…やっと着いたのかよ」
潮音は車を降りると、ようやく綾乃の荒っぽい運転から解放されてほっとしていた。
「綾乃お姉ちゃんの運転が荒っぽいことは潮音から聞いてたけど、こんなだったとは知らなかったわ」
「ほんまやわ。特にカーブのとこなんかはらはらしたで」
車を降りてほっとしたのは、暁子や優菜も同感のようだった。しかし潮音は、その中でも特に玲花のことが気になっていた。もともと潮音は玲花を元気づけようとしてこの自然公園に誘ったのに、これでますますいやな思いをさせたのではないかと気が気ではなかった。
しかし玲花はそのような潮音の不安をよそに、多少は表情にいつも通りの明るさを取り戻していた。
「そりゃ潮音のお姉ちゃんの運転する車に乗ったときはハラハラしたけど…潮音ってお姉ちゃんとずいぶん仲ええんやな。なかなかええコンビやん」
潮音は玲花が綾乃の運転する車にもあまり怖がっていないのを見て、玲花ってけっこう大胆なんだなと思うと同時に、自分と綾乃が仲がいいと言われたのには答えに窮してしまった。それでも潮音は、落ちこんでいた玲花が多少は気を取り直したことに比べたら、そんなことなど何でもないと思っていた。
そのような潮音たちの様子を見て、綾乃もいささか申し訳なさそうな顔をしていた。
「いや、車の運転は慣れるのが一番だって言うけど、なかなか運転する機会なくてさ」
「そりゃ姉ちゃんの運転だって去年に比べたら少しはましになったけど…」
潮音に言われて、綾乃はますます肩身の狭そうな顔をした。そこで優菜がその場の雰囲気を取り持とうとするかのように声を上げた。
「まあともかく、公園に着いたんやからさっそく楽しまな」
そこでみんなは、入園のチケット売場に並んだ。公園の入口は、ゴールデンウィークの最中ということもあって、子ども連れをはじめとする多くの客でにぎわっていた。潮音は何よりも、玲花が公園で色とりどりの花などを見て気を取り直してくれたらと願っていたが、初夏も近い明るい日差しを浴びてさわやかな空気を胸いっぱいに吸い込むと、綾乃の車で感じたストレスも心から洗い流されたような感じがした。




