第六章・ルミナリエ(その4)
その次の月曜日に潮音が登校すると、キャサリンがはちきれそうな笑顔で、周囲の生徒たちと一緒に話に花を咲かせていた。キャサリンも紫や光瑠をはじめとするクラスメイトの何人かと一緒に、ルミナリエを見に出かけたのだった。
「ルミナリエについてはロンドンにいたときに母から話を聞いていましたが、思っていたよりずっときれいでした」
そこでキャサリンはスマホを操作すると、イルミネーションを背景に紫や光瑠と一緒に笑顔を浮べている写真を周囲の生徒たちに見せた。その写真からはキャサリンが紫たちと一緒にルミナリエを楽しんだ様子がありありと伝わってきて、潮音も思わずにんまりとした表情になっていた。これにはそばにいる紫も満足そうな様子をしていた。
「キャサリンも光のアーチを見てすごく喜んでたのよ。満足してくれたようで何よりだわ」
「ロンドンにいる家族に写真をSNSで送ったら、両親もとても喜んでいました」
そのキャサリンの言葉には、その場にいたみんなが歓声をあげた。潮音もそこで花梨から会場で言われた、「ルミナリエの光は大切な人との絆を認識させてくれる」という言葉をあらためて思い出していた。
そこで紫が潮音を向き直して言った。
「潮音は誰かと一緒にルミナリエに行ったの?」
そこで潮音は、声のトーンを少し下げて答えた。
「暁子や優菜と…あと去年の誕生日のパーティーに来ていた若宮さんやその友達と一緒に行ったんだ」
潮音の口から「若宮さん」という言葉を聞いて、紫は少し表情を曇らせた。
「ああ…あの子ね」
キャサリンをはじめとする他の生徒たちも、紫が急に態度を変えたことをいぶかしんでいた。そこで紫は、潮音にそっと耳打ちした。
「話だったら今日バレエのレッスンがあるから、このときにしましょ」
ちょうどそのとき朝礼の始まりを告げる予鈴が鳴ったので、生徒たちはみんな話を切り上げて自席に戻っていった。
その日の放課後、潮音と紫はバレエのレッスンで汗を流した後で、休憩時間にバレエの練習着のままレッスンルームに佇んで話をしていた。
「潮音はやっぱり、あの若宮さんって子のことがずっと心配だったわけね。だからこそあの子をルミナリエに誘ったということかしら」
その紫の言葉に、潮音はやや肩をすくめ気味になって答えた。
「ああ…あの子も自分と同じ悩みや苦しみをずっと抱えていたのかと思うと、どうしてもほっとけないんだ」
そこで紫は、あらためて潮音の顔を見つめ直した。
「あたし…潮音のそういうとこは好きだよ。いつだってそうやって、自分のことより人のことばかり考えてて。私と榎並さんの中が悪くなったときだってそうだったじゃない。…でもわかってるよ。あんたはこの学校に入ってからずっと、その悩みや苦しみを人には見せないようにしてきたんでしょ」
紫から「好きだ」と言われただけでなく、紫の言うことも図星だっただけに、潮音は少しどきりとした。
「オレ…今の学校で紫に会っていなかったら、そして紫がオレのこと認めて受け入れてくれなかったら、今ごろ学校に行くことすらできずに、ずっと自分の部屋の中に閉じこもっていることしかできなかったかもしれない。そしてその中で、じっとしているわけにはいかない、何かをしなきゃいけないと思ったからこそ、今こうして紫と一緒にバレエをやってるんだ…若宮さんにはこういう風にして、夢中になれるものとかあるんだろうか」
潮音が少し不安げな表情をしても、紫の態度は落ち着き払っていた。
「それはあの子が自分自身で見つけるしかないわね。潮音があの若宮さんって子のことを気にする気持ちだってわかるけど、もう少し若宮さんのことを信用して、焦らずに落ち着いた目で見守ってあげたらいいんじゃないかしら。いくら心配だからって、あんたがあまりあれこれ口出しするのは、おせっかいというものよ」
「うん…ルミナリエに行ったとき、一緒に行った子から言われたんだ。『ルミナリエは大切な人と思いをつなぐための場だ』って…。あの子にとって『大切な人』って誰なのかはわかんないけど、せめてあのルミナリエみたいに、あの子の心の中にも光をともすことができたら…」
そこで紫は笑顔を浮べて言った。
「そんなに心配ばかりしなくたって大丈夫よ。あなたのその気持ちがあれば、きっと若宮さんだってそれにこたえてくれると思うから」
潮音はその紫の言葉に大きくうなづくと、バレエの練習をもう一通り行った後で、冬の日が暮れかけた頃になって教室の前で紫と別れた。
潮音が帰宅してしばらく経つと、潮音のスマホが鳴ってSNSに連絡が入った。メッセージを送ったのは花梨だった。
しかし潮音がそのメッセージを見ると、その文面からは明らかに驚きと動揺の色が伝わってきた。
『藤坂さん…漣からみんな話を聞いたよ。あの子にあんな秘密があったなんて…。でも藤坂さんはみんな知ってたの?』
そこで潮音は、漣が全ての事情を花梨に打ち明けたのかと気がついた。潮音は漣がこのような行動を取ったのにどれだけの勇気が要ったかと驚いたが、この場はとりあえず花梨を落ち着かせることにした。
『漣から話は聞いたんだね。ここはひとまず落ち着いてよ。近いうちに会って話がしたいけど、都合のいい日はいつかな』
そして潮音は、数日たった放課後に花梨と会って話をする予定をまとめ、待ち合わせの場所と時間を指定した。その後も潮音は、もともと明るい性格の花梨がどんな顔で自分に会うかと不安でならなかった。
そこで潮音は、ルミナリエに行ったときに花梨から言われた言葉をあらためて思い出していた。
――暗いと不平を言うよりも、進んで明かりをつけましょう。
潮音は漣やその周りの人たちの心に、なんとかして明かりをつけられないものかと思っていた。
そして潮音が花梨と会う約束の日が来た。潮音が放課後に待ち合わせ場所に指定した駅前に着くと、布引女学院の制服を着た花梨はいつもの元気な様子とは裏腹な、不安げな顔をしていた。潮音は花梨と一緒に、駅の近くにあるハンバーガーショップに入ることにした。
潮音は花梨と一緒に注文を済ませて席に落ち着くと、テーブルを挟んで花梨の顔をまじまじと見つめた。
「で…漣は自分のことを全部花梨に打ち明けたわけね」
花梨が黙ってうなづくと、潮音は言葉を継いだ。
「漣は今まで学校では誰にもそのことを話さなかったわけ?」
そこで花梨はようやく、心配そうに重い口を開いた。
「あの子はそれで周りとの間に変に波風を立てたくない、自分さえおとなしくしてりゃそれで問題は起きないって思ってたんじゃないかな…でも藤坂さんと会ったことで、漣はあらためて自分としっかり向き合えるようになったんだと思うよ」
花梨にまじまじと見つめられて、潮音は気恥ずかしそうに目をそらした。潮音はやはり、一緒にルミナリエに行ったことが漣の心に何らかの変化をもたらしたのだろうかと思っていた。そこで潮音はあらためて花梨の顔を向き直すと、きっぱりと口を開いた。
「漣や流風姉ちゃんから聞いたよね…。私だって中三までは男だったってことを。私だってそうなってしばらくの間は誰とも会いたくなかったし、周囲から目をそらして自分の中に閉じこもっているしかなかった。漣はずっとそのままで、中学から高校の今まで過ごしてきたんだね」
「漣はそんなこと表に出すような子じゃないけど、心の中ではやっぱりつらかっただろうと思うよ。何もかも心を許せる友達が誰もいなかったんだから」
花梨が目を伏せるのを見て、潮音も黙ってしまった。
「でも私は藤坂さんもそうだったって、流風先輩から聞かされた時は驚いたよ。…藤坂さんはすごいよ。あれだけのことがありながら、ちゃんと松風に通ってるんだから」
「私は人から褒められるほど大したことしてるつもりなんかないけどね。普通の高校生としてほかの子と同じように普通に学校に通ってる、たったそれだけだよ」
そこで花梨は、あらためて潮音の制服に目を向けた。
「でも漣もそうだけど、藤坂さんってどうして女子の制服着て学校行ってるの?」
「よく聞かれるけどね。スカートなんてただの布っ切れだろ。別にそれ着たからってどうなるわけでもないんだ。『女の服着たって自分は自分』、そう思えるようになったらスカートはくのだっていやじゃなくなったよ。そもそもかわいい服着ておしゃれができるのは、女子高生の特権だろ?」
潮音の屈託のない笑顔を見て、花梨は呆れたような表情をした。しかしここで潮音はあらためて花梨に言った。
「だから富川さんは漣をあまり特別な目で見たりしないで、自然に接してほしいんだ。そしてどんなことでも打ち明けられるようになってほしいんだ。漣が学校のほかの生徒に自分のことを知られたくないと思うならそれでもいい。ともかく漣はようやく自分自身と向き合えるようになったばかりだから、それをしっかり見守っていてほしいんだ」
その潮音の話を聞いたときの花梨は、覚悟を決めたような表情をしていた。
「わかったよ。私も漣には元気になってほしいからね。…だから漣にとって、こないだルミナリエに誘ってもらったのは嬉しかったんじゃないかな」
二人がハンバーガーショップで話している間に、冬の日は早くも暮れかけて外は薄暗くなりつつあった。そこで潮音と花梨は店を出て軽く挨拶をし、別れることにした。
「ありがとう。…藤坂さんと話してて、少し気が楽になったよ」
「漣のことはくれぐれもよろしく頼んだよ」
潮音は花梨と別れて帰途についてからも、心の中ではルミナリエで漣と一緒に見たきらびやかな光を忘れることはできなかった。そして潮音は内心で祈るような気持ちになっていた。
――ルミナリエの光が漣の心をも明るく照らしてくれますように。そしてそこから、漣にも仲間がもっと増えますように。




