第五章・百人一首大会(その4)
そしてとうとう、百人一首大会の当日が来た。
松風女子学園の百人一首大会は中等部は体育館、高等部は礼法の授業などが行われる畳敷きの和室で開催される。各クラスから代表が四名出場し、高等部は合計四十八名の出場者が四班に分かれて十二名づつでトーナメント戦を行い、それぞれの班の優勝者四名で決勝戦を行うのが習わしである。
潮音の所属する一年桜組の出場者は、潮音のほかに琴絵、紫、光瑠の三名だったが、潮音は会場となる和室に向かう前に、紫から少し待つように言われた。そして潮音が紫から手渡されたのは、きちんと畳まれた和服と袴だった。
「この着物は礼法の授業で使うものだけど、参加者はこれに着替えるのよ。ジャージだと感じ出ないでしょ」
潮音はコスプレ好きな紫が楽しそうな表情をしているのを見てげんなりしたが、それでも更衣室で着替えを済ませると、おのずと気分が引き締まるのを感じていた。紫や琴絵の着物姿もよく似合っていたが、それだけでなく応援にまわるキャサリンも着物に着替えて嬉しそうな顔をしていた。そのキャサリンの様子には、ほかの生徒たちも皆表情をほころばせていた。
しかしその一方で、着物をまとった光瑠はどこか恥ずかしそうにしていた。潮音はそれに対して、光瑠の着物姿も凛々しいのにと感じていた。
「そんなに恥ずかしがることないのに。吹屋さんは着物着たって十分似合ってるよ」
それは光瑠を囲んだ他の生徒たちも同感なようで、みんなから口々にほめそやされるのを聞いて光瑠はますます気恥ずかしそうな顔をしていた。その様子を見て、紫は笑みを浮べながら光瑠に言った。
「去年の体育祭では学ランで応援をやったけど、今年は着物に袴でやってみない?」
その紫の提案に、生徒会で体育関係を担当している光瑠は複雑そうな顔をしていた。
そしてみんなで会場となる和室に向かおうとすると、そこには暁子と優菜の姿もあった。その二人とも、着物に袴を着た潮音の姿に目を丸くしていた。
「潮音、そのかっこ結構似合ってるじゃん」
「暁子も褒めてくれてありがとう。うまくやれる自信はないけど、当って砕けろでなんとかやってみるよ」
潮音たちが会場となる和室に着くと、他のクラスの参加者たちも皆集まっていた。潮音は彼女たちの表情を見て、まだかるた初心者の自分が彼女たちに太刀打ちできるのかと思ってあらためて身震いがした。
大会はまずくじ引きで班分けと対戦相手を決定し、そこから一回戦が始まる。競技かるたでは参加者が百枚ある取り札を裏返しにして、その中からランダムに二十五枚を選んで自分の陣の中に三列に並べ、自分の陣の札が早くなくなった方を勝ちとするのがルールである。
参加者がくじを引き終ると、トーナメント表を書いた紙に名前が次々に書き込まれていった。しかし潮音の一回戦での対戦相手は、あろうことか先日出会ったばかりの、一年楓組の柚木芽実だった。潮音はよりによって、優勝候補とも目されている相手と当ることになるなんてと思った。
潮音と芽実は畳の上に向かい合って腰を下ろすと、かるたの競技を始める前はきちんと一礼をするようにという先生の指示に従って、互いの顔を見合いながら一礼をした。しかしそのときも芽実の緊張するそぶりも見せない、落ち着いた所作の一つ一つを見ていても、芽実の方が競技かるたに慣れていることは一目瞭然だった。応援の場にいた暁子もそれを目の当りにして、不安げな様子をしていた。
潮音が裏返しにされた取り札から二十五枚を選び、芽実も同じ取り札の山から二十五枚を選ぶと、潮音は自分の陣の中にそれを三列に並べていった。百人一首の達人は、札を並べるときにすでに取りやすいように配列を工夫するというが、潮音にはとてもそこまで考えをめぐらすだけの余裕はなかった。
皆が札を陣地の中に並べ終えると、競技者が札の配列を覚えるための時間が取られる。潮音も畳の上に並べられた札を目で追ってそれを覚えようとしたが、そのときも芽実は姿勢を崩すことなく畳の上に坐ったまま、眉ひとつ動かさずに並べられた札をじっと見つめていた。潮音は芽実の方にちらりと目を向けただけでも、その射るような真剣な眼差しを感じて身が縮こまるような思いがした。
やがて競技の時間が始まると、読み札を読む役の生徒が声も高らかに歌を読み上げ始めた。しかし出場者たちは皆真剣な眼差しで、決り字が読まれると同時に目にも止まらぬ速さで手を動かして札を取り始めた。潮音はそのスピードだけで呆気に取られて、とても自分自身が札を取るどころではなかった。
そうしているうちにも、潮音の対戦相手である芽実は敏捷に手を動かしてどんどん自陣だけでなく、潮音の陣地の側にある札までも取っていった。競技かるたでは相手の陣地内にある札を取った者は相手に自分の持ち札を一枚手渡すのがルールだが、芽実の持ち札はどんどん減っていくのに対して、潮音のそれはいっこうに減らなかった。さらに潮音がまごつきながらお手つきをしても、そのたびに芽実の持ち札が一枚づつ潮音に手渡された。応援席から見守っている暁子やキャサリンにとっても、潮音のそのような様子はとても見ていられないようだった。
結局潮音と芽実の対戦は、芽実の完勝で幕を閉じた。勝負がついてから潮音と芽実は互いに向き合って一礼をしたが、その後で芽実は笑顔で潮音に手を差し出してきた。潮音はその芽実の態度に一瞬戸惑ったものの、それでも自分はこのような格が段違いの相手を前にして正々堂々と戦ったのだから悔いはないと思い直して、むしろすがすがしい気分でその芽実の握手を受けた。
潮音が勝負の場から立ち去って控室に戻ると、その場になって疲れがどっと出たような気がした。くたびれた表情の潮音を出迎えたのは、暁子とキャサリンをはじめとする桜組の生徒たちだった。
「お疲れ様。相手の子は強かったけど、あんたもそれに対してよく頑張ったじゃん」
「潮音も疲れてるみたいだけど大丈夫ですか。でも私は、日本のかるたがここまでエキサイティングなゲームだとは思いませんでした」
キャサリンも心配そうな顔で潮音を眺めていたが、暁子もそれに同感のようだった。
「キャサリンの言う通りよ。あたしも見てて驚いたよ。本当にうまい子は、上の句が終らないうちにすごいスピードでさっと札を取っちゃうんだから。あの日ごろはおとなしい寺島さんまで、あんなに熱くなるし。あたしもちっちゃな頃に栄介とかるたで遊んだことがあるけど、あれとは全然違うじゃない。あたしはとてもじゃないけど、あれに出て勝てる自信はないよ」
暁子にねぎらわれて、潮音は琴絵が余裕で二回戦進出を決めたことを思い出していた。潮音はやはり琴絵にはかなわないと思いながらも、息をつきながら答えた。
「どうもありがとう、暁子。やっぱり慣れないことはするもんじゃないな」
するとそこに、いきなり声をかける者がいた。
「そんなこと言わないで下さいよ。柚木先輩は去年中等部で準優勝するくらいだからたしかに強いけど、藤坂先輩だって頑張ってたじゃないですか」
その元気な声の主は松崎香澄だった。香澄がこの場で笑顔を浮べていることに、潮音だけでなく暁子も驚きの色を浮べていた。
「どうして香澄が中等部じゃなくてここにいるのよ」
「ちょっと高等部をのぞきに来たのです。高等部には峰山先輩や吹屋先輩、そして椿先輩もいますからね」
香澄の屈託のない明るく元気な様子を見て暁子は呆れた顔をしていたが、潮音は内心でやれやれとは思いながらも、悪い気はしなかった。
「応援するのはいいけど、みんな読み手の声を聞き洩らさないように真剣になって勝負してるからな。静かにしておけよ」
その潮音の言葉には、香澄も口をつぐんだ。するとその控室に、光瑠がいつになく疲れた表情で姿を現した。光瑠も潮音と同様に、一回戦で敗退したようだった。
「光瑠だったらバスケで鍛えた敏捷性と体力があるから、もうちょっとうまくやれると思ったんだけどな」
香澄は目を輝かせながら光瑠の袴姿を眺めていたが、それを横目に光瑠も息をつきながら潮音に応えた。
「無茶言わないでよ。あたしは古文は苦手だって言ってるでしょ。ここは紫と琴絵に任せるしかないよね」
バスケ部に所属していて体力には自信があるはずの光瑠が、こんな弱気な表情をするなんてと潮音は意外だった。光瑠の言葉に、潮音もうなづくしかなかったが、それでも潮音の表情はどこかふっ切れたようだった。
「あのさっき対戦した柚木さんって子、最初はちょっと偉そうでいやな感じの子だと思ったけど、こうして対戦してみるとこれからはかえって仲良くなれそうな気がする」
「そうやって人に対して変にわだかまりを持たずに仲良くなれるところが、あんたのいいところよね。だからこそこの学校のみんなもあんたのこと認めてくれて、今度の百人一首大会にも誘われたんじゃないかな。ただ勝ち負けだけが大切だったら、桜組のみんなもあんたをそうやって大会に誘ったりなんかしないはずだよ」
そう答える暁子の表情も、どこかにこやかだった。そこで光瑠も笑顔で相づちを打った。
「その通りよ。藤坂さんは恭子とも最初はあれだけ大ゲンカしながら、その後は逆に恭子とも仲良くなっちゃうし、楓組の榎並さんと紫との間にいざこざが起きたときだってそうだったじゃない」
それを傍らで聞いていた香澄も、自然と笑顔になっていた。
「藤坂先輩はすっかり、高等部のみんなから頼りにされてますね」
香澄のその言葉には、その場全体の雰囲気がなごんだような感じがした。潮音はその場で、ただ照れ笑いを浮べるしかなかった。
私は百人一首というと、百枚の取り札を複数人で取り合って取った数を競う、いわゆる「ちらし取り」しか知りませんでしたが、これを書くにあたってあらためて競技かるたのルールについて知りました。漫画の「ちはやふる」を今になって読んでみたりもしましたが、小説を書くのも勉強が大切だと痛感します。




