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裸足の人魚  作者: やわら碧水
第四部
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第五章・百人一首大会(その1)

 年が明けてから一週間ほどが過ぎると、冬休みも終って松風女子学園の校舎にも活気が戻ってくる。新年最初の登校日は、朝一番に行われた始業式でいつまでも正月気分を引きずらずに勉強を頑張るようにという、理事長の吉野うららの新年の講話があったものの、それが終るとどの生徒たちもクリスマスや年末年始などの話題で持ちきりだった。


 その数日後、冬の陽が射し込む昼休みの教室で、潮音が暁子や天野美鈴と一緒に弁当を広げると、美鈴はさっそく冬休みに田舎に帰省したときの様子を話し始めた。美鈴の実家は山あいにある農家で冬は雪が積もり、冷え込みも厳しいけれども、それでも親戚の子たちと一緒に遊ぶことができ、夜にはみんなで鍋を囲んだときのことを話す美鈴の様子は見るからに楽しそうだった。


 次いで暁子が瀬戸内の島にある実家で年末年始を過ごしたことを話し出すと、それを美鈴も興味深げに聞いていた。


「尾道ではアナゴで雑煮のだしを取るんだけど、それがおいしいんだから。広島では雑煮に牡蠣(かき)を入れるところもあるみたいね。あとしまなみ海道でつながった島には、立派な神社やお寺だってあるから、そこにみんなで初詣に行ったんだよ」


「そのお雑煮おいしそうやな。アッコの実家のある島、うちもいっぺん行ってみたいわあ。話聞いとったら、魚やみかんかておいしそうやし」


 美鈴はおいしいものには目がないようで、とりわけ食べ物の話に目を輝かせていた。その美鈴の様子には、暁子もやれやれといった顔をしていた。


「天野さんの実家のある田舎だって、けっこう楽しそうじゃない」


「いや、田舎はたまに行っておいしいもの食べるだけやったらええけど、実際に住んだら不便やからな。冬は雪かきかてせなあかんし、車がないと買い物にも行けへんし」


 そのような暁子と美鈴の会話に、潮音も思わず聞き入っていた。


 しかし潮音たちの周りの生徒の間には、おいしいものを食べて寝正月を過ごしたことで、太ったのではないかということを気にする者もいて、彼女たちの口の間からは「ダイエットをしなければ」という声がちらほら漏れていた。潮音はそれを、やれやれとでも言いたげな面持ちで聞いていた。


 そのほかに生徒たちの話題の中心になっていたのは、一月の中旬に予定されている百人一首大会だった。この百人一首大会は松風女子学園の伝統行事として、けっこうな盛り上がりを見せるのが常だった。


 潮音の所属する桜組で、百人一首大会の主力としてクラスメイトたちの期待を集めているのは、読書家で文学にも詳しい寺島琴絵だった。琴絵はすでに小学生のときから百人一首を覚えていて、中等部に在籍していた頃から大会で優秀な成績を収めていた。日ごろは内向的でおとなしい性格で、校内ではあまり目立たない琴絵も、この大会では柄にもなく熱くなるというのが周囲の評判だった。


 潮音は周囲の生徒たちが百人一首大会の話で盛り上がるのを、やや冷ややかな視線で眺めていた。


「中等部からうちの学校にいる子は百人一首大会で盛り上がってるけど、私は百人一首なんてこれまで坊主めくりしかやったことがないからな」


 その潮音の自信のなさそうな物言いには、同じ高等部からの入学組である美鈴と暁子も同感なようだった。


「うちも一緒やで」


 そう話すときの美鈴はため息をつきながら、いつものハイテンションさとは打って変った元気のなさそうな様子をしていた。


「あたしだって冬休みの間に、百人一首についてちょっと調べてみたけど、さっぱり覚えられないよ」


 暁子も気が重そうだった。


 そこで潮音が背後に人の気配を感じると、そこには紫と光瑠が並んで立っていた。二人は先ほどからの潮音たちの会話を聞いていて、潮音たち高入生が百人一首大会に不安を感じている様子に気がついたのだった。光瑠は気さくな様子で潮音たちに話しかけた。


「高等部から入った子たちは、百人一首大会を難しいと思うみたいね。でも気にすることないよ。あたしだって古文は苦手だから、寺島さんとかに任せっきりだよ」


 そう話すときの光瑠はいつになく笑みを浮べて落ち着きのない様子をしていて、光瑠にとっても百人一首大会は苦手なことがありありと見てとれた。そこで潮音は少し意地悪っぽく光瑠に言った。


「吹屋さんもちょっとはいいとこ見せないと、ロミオ様の面目は丸つぶれだよ」


 そこで光瑠はいやそうな顔をした。


「それとこれとは関係ないでしょ」


「いや、光瑠だってバスケで鍛えた敏捷さがあるからね。光瑠だって百人一首を覚えたらけっこう強くなれるかもしれないよ」


 話をはたで聞いていた紫にまでこのように言われて、光瑠はますます気恥ずかしそうな顔をした。


「もう…紫までそんなこと言わないでよ」


 潮音にとっては、文化祭の劇で凛々しくロミオの役を演じ切り、生徒たちからも絶大な支持を得た光瑠が、今回ばかりは自信がなさそうにおどおどしているのがどこかおかしかった。


 そこで光瑠はさらに紫に言った。


「紫だって寺島さんほどじゃないけど、百人一首大会ではけっこういい成績を取るじゃない」


「私だって中学に入るまでは百人一首は全然知らなかったよ。でも中学に入ってからなんとか頑張って百首全部覚えたからね」


 潮音はその紫の話を聞いて、紫の努力家ぶりにはやはりかなわないと感じながら、あらためて紫を見つめ直していた。


――恭子は紫のことを「天才」なんて言ってたけど、そんなんじゃない。紫は勉強でもバレエでも何でも、人に知られないところで地道に努力を怠らないからこそ、それだけの実力があるし、みんなも紫についていくんだ。


 紫も潮音の視線に気がつくと、相変らず不安げな表情をしたままの潮音に声をかけた。


「そりゃ高入生たちは自信がないかもしれないけど…いっそ潮音も大会に出てみない?」


 その紫の言葉には、潮音本人だけでなくそばにいた暁子や美鈴までもが驚きの色を浮べた。


「え…、あの、私はいいよ。今まで百人一首なんかやったことないのに」


 あわてて尻込みする潮音を前にしても、紫の態度は落着きはらっていた。


「大会のクラス対抗戦はチームで行われるからね。そのチームの中には何人か高入生を入れなきゃいけないの。中入生ばかりが活躍したってしょうがないからね」


 それでも不安の色が抜けない潮音を前にして、紫はじれったそうに声を上げた。


「百人一首大会は勝ち負けよりも参加することに意義があるの。私だって百人一首の和歌を覚えたことで、試験に出るからとかそういうことなんか関係なしに、学校の古文の授業に前よりも興味が持てるようになったような気がするわ。琴絵にはかなわないけどね」


 潮音はその紫の話を聞きながら、そうやっていろいろなことに対して好奇心を抱くことを忘れず、視野を広げることができることこそが、紫の強みなのかなと考えていた。そこで潮音は、自信がなさそうな口ぶりながら、ようやく紫に返答した。


「紫がそこまで言うなら…私も出てみようかな」


 潮音の言葉を聞いて、暁子は驚きと当惑の入り混じった表情で潮音の顔に目を向けた。その一方で紫と光瑠は、嬉しそうな顔をしていた。


 そこで潮音は、あらためて紫の方を向き直しながら言った。


「でも百人一首だったら、寺島さんにいろいろ教えてもらえばいいかな」


 その潮音の言葉に対して、紫はつれない態度を取った。


「寺島さんだっていろいろ忙しいんだからね。それに勉強は人をあてにしないで、自分自身の力でやるものよ」


 紫に言われて、潮音は痛いところを突かれたとばかりにしゅんとしてしまった。そのような潮音をなだめるかのように、光瑠が声をかけた。


「藤坂さん、元気出してよ。百人一首だったら国語の資料集に百首全部載ってるから、それを見て覚えればいいんじゃないかな」


 そのようにして話をしているうちに昼休みの終りを告げるチャイムが鳴ったので、潮音たちはそれぞれの午後の授業の準備に取りかかった。



 その日帰宅する途中も、暁子は潮音と連れ立って歩きながら不安そうな顔をしていた。


「潮音、安請け合いしちゃってほんとにいいの? あんたってほんとに頼まれると断れない性分なんだね」


「紫だって言ってただろ。百人一首大会は勝ち負けよりも参加することに意義があるって。そこまで言われた以上は、自分もやってみようって気になったんだ」


「ま、そこがあんたのいいとこだけどね。ここまでやるんだったら、とことんまでやってみればいいじゃん」


 暁子にまでそのように言われて、潮音はいささか照れくさそうな顔をしていた。


「暁子こそ出てみればいいだろ」


「いや、あたしはいいよ。それに峰山さんや吹屋さんは、あんたが桜組を盛り上げてくれると見たからころ、あんたに声をかけたんじゃないかな」


 潮音は暁子にそこまで言われると、ますますそこから身を引くことはできないなと意を新たにしていた。暁子も潮音のそのような心中を察して、やれやれとでも言いたげな表情で潮音の顔を見ていた。


――ほんとに潮音って、気前がいいというかなんというか、おだてられるとすぐにその気になって頑張っちゃうんだから。


 潮音は自宅の前で暁子と別れて帰宅するとさっそく、国語の資料集に載っている百人一首のページを広げてみた。しかしそれを眺めてみても、果たしてこれを百首全部覚えることなどできるのかと暗澹たる気分になった。潮音はそのまま資料集を閉じると、ふと息をついて天井を見上げるしかなかった。


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