【中世舞台のファンタジーに紅茶は駄目でも珈琲はいけるぜ】ひゃっはー(*'▽')
紅茶とか、原材料の茶葉が福建省なので陸路だと通過する国が多くなり、中世では国境を越えるたびに関税が掛けられる上、運送費用も莫大になるので商売として輸入するのは無理ゲーになります。
要するに古い時代から現地の茶葉自体はあっても、輸送コスト故に輸入できず、広まる要素がないし、通過する国の内情によっては野盗とかも跋扈してます(;'∀')
結果、大航海時代になって輸出国と輸入国の二国間取引(余計な関税が掛からない)が行われたり、物流コストが軽減されるまで西欧に福建省の茶葉は持ち込まれないし、その過程で発酵度合いが増して紅くなったりもしません!
なお、紅茶と同様に珈琲も広まらなかった訳ですが、前者と違って後者には現実的な経路が存在しています。思い出してください、世界で初めて文献に珈琲なるものが登場したのは900年代の“中東”、医師ラーゼスによるものです。
当時は完全に薬扱いですね~
地図を見ると珈琲豆の原産地であるエチオピアって、紅海を挟んだアラビア半島と実は近いんすよ。だから、中東には早い段階から珈琲の原型がありました。
当初はあくまでも苦い薬であり、本家のエチオピアでも砕いた珈琲豆を油と一緒に練り上げながら団子など作るとか、豆スープの具材に用いる“食べ物”扱いなので、恐らくは1300年代前後まで煎じた煮汁を飲むという発想はないのです。
ある程度まで現在の珈琲に近付くと嗜好品の性格を持つため、大っぴらに飲酒が出来ないイスラム教の寺院で代替の娯楽品として秘匿されることになります。所謂、“回教徒秘薬時代”も数百年単位で西欧伝播を遅らせた大きな原因ですね。
さらにはイスタンブールなどの西側へ向かうに連れて麻薬扱いされるなど、様々な障害があったのも言及しておきます。
ともあれ、中東の実態を踏まえると中世舞台でも時代背景が900年代以降なら、異国で薬として扱われている珈琲豆を輸入して飲料を発明する流れもありです(笑)
余談ですが、大航海時代とかより前の西欧人はなに飲んでいたんだよと言われたら、ハーブティー(香草茶)がありますので、無理に紅茶や珈琲を出さないでも良いかもしれませんね。
其々の原産国は違えども、多くのハーブがローマ帝国時代の物流経路を通じて、広範囲より取り寄せられ、西欧の地にも根付いた訳ですから。
そういう意味では現在の植生に関しても大帝国の影響は大きかったのではと、僭越ながら愚考する次第です。




