【バスティーユの牢獄ワンルームマンションよりも快適】です、そして襲撃当時の囚人数は【7名】のみ(*º▿º*)
さて、今回は拙作のとある場面を書くため調べたフランス革命に於けるバスティーユ牢獄の襲撃事件です。
彼の有名な“サディズム”や “サディスト”の語源となったドナスィヤン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド侯爵も、その人生の中で11年間を過ごした有名な施設ですが…… 革命当時に収監されていた人数を御存知ですか?
なんと、その数はたったの【7名】です(;'∀')
そんな状況にも拘わらず、市民達が牢獄を襲った理由は別にあります。革命前夜の彼らに足りなかったのは“武器と弾薬”だったからです。
この時代のバスティーユは社会的に判断して“危険な存在”を隔離する場所でもあったので、謂わばパリの武器庫でもあった訳ですね。
他にも禁書などが保管されていて、有名どころでは“百科全書”などがあります。無秩序な平民への知識普及は国家体制を揺るがすと考えられたのでしょうか?
纏めると牢獄は人間だけを対象とした場所では無かったのです。
まぁ、市民や反体制派からすれば王族や貴族層に都合の悪いモノの隠し場所に見えてたんでしょうね。ともあれ、1789年に武器と弾薬を求めた市民が詰め掛け、襲撃されてしまうわけです。
結果、よく分からない内に放逐される囚人7名(=_=)
そもそも、このバスティーユ牢獄…… 元々が収監施設でも無いため、都市部の狭いワンルームマンションやアパートの部屋よりもリッチです。
バスティーユは城塞という言葉の意味を持っており、初期のパリ市街を護る内郭の一部になります。故に30m級の壁面に八個の防御塔を持ち、内側は兵卒が集合できるような中庭になってます。
市街地が拡張されて新たな城壁が建造される中、本来の役目を終えて貴族向けの豪華な拘留施設に変貌していったようです。
牢屋の天井までの高さが8mもあるのはその名残でしょうね。
気になる床面積は25㎡あり、採光用の窓もついてます。
さらに言えば家具などの持ち込み可、遊戯施設と図書館が利用でき、朝昼は三皿で夕は五皿の豪華な食事も付きます。この時代の平民よりずっと豊かな暮らしが送れそうです(^_^;)
独身者対象の若者向け賃貸物件よりきっと部屋としては広いんでしょうね……
そんな無駄に細かいところまで、意味不明なまでの時間を投じて書かれている拙作たち(*'▽')
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