第九話 『一目惚れ? 俺がかぐやに 一目惚れ!?』
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雫とみのりが戻ってきた後、俺たちはたわいもない話で大いに盛り上がった。
そのなかで、来週に行く予定の旅行についての話も出たのだが――
「今からではどこの旅館も予約は取れないのではないか?」
京太郎にそう言われ、俺と雫は血の気が引く思いでスマートフォンを手にする。
「あっちゃ~。本当だ、全部満室になってる……」
いくつものパンフレットにある旅館は、全て満室になっていた。
今まで行った旅行は、全て誰かの親がついて来てくれていたし予約もしてくれていた。
今回は自分たちだけで準備をする旅行。
様々な旅館の特徴に目移りし、肝心の予約がまだ出来ていない……。
「どうしよう……。ごめん、私がいろいろと悩んだせいだね……」
雫の目が赤くなる。
「いや、俺が悪いんだよ。温泉の種類と広さにこだわって雫を困らせたんだから」
「それを言うなら私もだよ。お料理のメニューに目移りしちゃったし……」
俺とみのりはそう言ったのだが、雫はしょんぼりとしてしたままになっている。
「それならさ。ゲレンデのない旅館でもいいんじゃない? 俺、スキーやスノーボードは嫌いだし」
口の周りにチョコレートをつけたマルの意見に、京太郎がため息をついた。
「それでは楽しみが半減してしまうだろう」
「む。だったらどうすればいいんだよ」
口をとがらせるマルに、京太郎は不敵な笑みを見せる。
そしてその場に立ち上がってみんなを見回した。
「ふふん。こんなこともあるのではないかと思ってな。実はもう、プランBの実行を指示してあるのだよ!」
「プランB?」
俺だけでなく、みんなが京太郎に視線を送る。
「うむ。皆を我が家の別荘に招待しようではないか!」
京太郎は大きく腕を広げた。
「別荘? ゲレンデがある別荘なんてあるのか?」
御堂家は超が付くくらいのお金持ちだから、別荘の二つや三つ持っていてもおかしくはない。でも、スキーやスノーボードが出来るくらいの別荘なんてあるのだろうか?
「俺の祖父が大のスキー好きでな。昔、道楽でプライベートスキー場を造っているのだ。集客用ではないからそこまで大きなゲレンデではないが、この六人で行くだけだから十分だろう。もちろん、温泉もあるぞ」
「うわ~。御堂くんの家って、本当にすごいんだね~」
みのりの、感動というよりもポカ~ンと口が開く感想。
それは俺たちも同じだ。一般庶民とはスケールが違う。
「別荘とゲレンデの整備は指示してある。しかし、残念ながらへんぴな場所にあるので移動手段はヘリコプターしかない。まあ、それはウチから乗って行けばよいのだが……困ったことにシェフの都合がつかないようだ。現地では自炊ということになるのだが、それでもいいか?」
――――。
こうなることを予見していたかのような手際の良さに、誰もが言葉を失ってしまう。
「六人だと私も人数に含まれておるようなのだが、一緒に行ってもよいのか?」
かぐやが板チョコをパキっと食べながら京太郎を見上げる。
ちらりと俺に目を向けた京太郎は、かぐやに向かって微笑む。
「もちろんです。見目麗しい女性の参加は大歓迎しますよ。なにより、同じ釜の飯を食べた仲間ではないですか! そうだろうみんな!」
なにやら熱くなっている京太郎に、俺を含めた誰もが頷いた。
「そうか。スキーとやらは初めてなのでな。楽しみにしておるぞ」
少しは期待していたのだろうか? かぐやの顔が綻んだ。
こういった表情を見ると……。なんだろう? 胸が……モヤモヤする……。
◇
楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、みんなは自宅へと帰って行く。
みんなで泊って行けばいいのに……と、俺は勧めたのだが――
「バカを言うな。着替えも持ってきてはおらんのだぞ」
と言った京太郎に雫とみのりが頷き。
「俺は枕が変わると眠れないんだよね」
マルは体に似合わない神経質なことを言う。
俺は最後になった京太郎を見送りに玄関にいるのだが、そこへかぐやがやってきた。
「康平。忘れておったのだが、葉子から言伝をもう一つ預かっておった」
「今度はなんだ?」
また変な手紙を出すのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
「洗濯用洗剤が切れておるので、買っておいてほしいそうじゃ」
「今それを思い出すのか……」
俺の肩が落ちる。
出来れば、夕飯の食材を買いに行ったスーパーマーケットで言ってほしかった。
「この時間ならコンビニで買うしかあるまい。途中まで一緒に行くか?」
京太郎に言われ、
「そうするよ」
俺は上着を取りに部屋へと行った――。
◇
風は冷たいが星空はきれいだ。
隣を歩くのが京太郎ではなくて女の子だったなら、素敵な散歩になったのかもしれない。
「――良い事ではないか」
突然そう言われ、俺の思考が五秒ほど止まる。
「――なにが?」
訊き返した俺に、京太郎はフッと笑みを浮かべた。
「やはりわかってはいないようだな。康平らしいと言えばそれまでだが……」
「だから、何の話だよ?」
唐突に話をしてくるのはいつものことなのだが、内容がわからないというのはいただけない。
「一目惚れしたのだろう? かぐや嬢に――」
京太郎は上着の襟を立てて首を覆う。
「一目惚れ? 俺がかぐやに一目惚れ!? な、なんでそんな話になるんだよ」
そう言いながらも、俺はドキッとした胸の鼓動を感じていた。
「朝からずっと悩んでいたではないか。それはかぐや嬢の事なのだろう?」
「それは――そうだけど……。でも、なんでそれが一目惚れになるんだよ? 俺はむしろ、かぐやを住まわせるのは反対なんだぞ」
「しかし、結局は住むことを承諾したのだろう?」
「それは……母親が自分の客だって言い出したから……」
なぜだろう? なんで俺は口ごもる?
「ならば、なぜあそこまで意識する必要があるのだ。康平にとってただの同居人ならば、なんの問題もないではないか――」
言い返せない俺に、京太郎は言葉を続ける。
「俺たちを夕飯に誘い、さっきは泊っていけなどと……。見ているこっちが照れてしまう言動だったぞ」
「あ、明日から冬休みみたいなものじゃないか。せっかくだから、みんなで楽しく過ごそうと思っただけさ」
京太郎は再び俺にフッと笑みをこぼした。
「ま、康平がそう思いたいのならばそれでもいい。――今はな。それにしても、かぐや嬢の作った『ほうれん草のピーナツバター和え』を、半分以上食べたお前には感心を通り越して感動すら覚えたぞ――」
それは言わないでくれ、まだ胃のなかがおかしくなっているんだ……。
「では、俺の帰り道はこちらなのでな。ここで失礼させてもらうぞ」
京太郎は意味不明な高笑いをあげながら十字路を曲がっていった。
「まったく、俺がかぐやに一目惚れなんて……。そんなこと、あるわけないだろ」
ぽつんと残された俺に、冬の寒さが身に沁みた――。
◇
「ただいま~」
コンビニで洗剤を買い、俺は自宅に帰ってきた。
かぐやからの返事はない。
こういうところは注意をしておかなければならないだろう。家族間に限らず、ちょっとしたあいさつや声かけは、人間関係の基本であり礼儀である。
「おいかぐや。ひとが帰ってきたんだから、おかえりくらいは……」
どかどかと居間に入った俺は、かぐやがこたつで横になっているのを発見する。
「なんだ、寝てたのか……」
買ってきた洗剤を脱衣所に置き、俺は居間に戻った。
「かぐや。こたつなんかで寝てたら風邪ひくぞ」
軽く肩を揺らすのだが反応はなし。どうやら熟睡しているらしい。
「まいったな。ほっとくわけにもいかないし……。おい、かぐやっ」
大きめの声をかけ、もういちど肩を揺らすのだが――
「ぅ~ん……」
寝返りをうったかぐやは反対を向いただけ。
「熟睡にもほどがあるだろ。……ええい、仕方がないっ!」
意を決した俺は、そっとかぐやを抱き上げる。
モデルのように細いかぐやは、思っていたよりもずっと軽かった。それに、力を入れ過ぎると折れてしまうような――そんな感じがして、俺は抱える力を少しだけ弛める。
階段を上ってかぐやの部屋の前。下げれば開くドアノブに足をかけ、俺は部屋の中へと入った。
部屋にはベッドと、その横に置かれた小さな折りたたみの机が一つ。そして部屋の隅に積み重なっている段ボール。
かぐやが使わなければ、ここはずっと物置き部屋だったかもしれない。
「この本の山はなんだ?」
眉をひそめながら見たのは、机の上とそのまわりに重ねられているたくさんの本だった。
「葉子が貸してくれた本を読んで、
地上世界のことをいろいろと覚えておったのじゃ……」
そういえば、今朝会った時に眠そうな顔でそんな事を言っていたっけ。
「こいつ、本当に勉強してたんだ……」
すやすやと寝息を立てるかぐや。その顔立ちは整っており、まつ毛は長い――。
見とれている俺の前で、柔らかそうな唇が何かを飲み込んだ時のように動いた。
ドキッとした俺の脳裏に、
「一目惚れしたのだろう? かぐや嬢に――」
京太郎の言葉が思い返される。
「そ、そんなこと、あるわけないだろう」
軽く頭を振った俺は、なるべくかぐやを見ないようにしながらそっとベッドに下ろそうとしたのだが――
「うわっ!?」
積まれている本に足をとられた俺は、バランスを崩して前のめりに倒れ込む。
――――どうなったのかはよくわからない。
ただ、今の俺の目と鼻の先には……かぐやの寝顔があった。
甘い匂いが鼻腔をくすぐる。そして、息をするだけでお互いを感じることができる距離に、俺は身動きが出来ない。
緊張で固まる身体は石のようになり、そしてもの凄く重い……。
地上では引力には逆らえない物理の法則のように、俺はかぐやへと引かれていくのを感じた。
お互いの鼻が触れ合うまであと1ミリメートルというところで、かぐやの寝息を感じた俺はガバっと上体を起こすことに成功する。
「な、なにやってんだ俺は……」
心臓の早鐘が止まらない。
ここにいるのは精神的に良くないと、俺はかぐやに布団をかぶせてから急いで自室へと戻った。
「こういう時は、早めに寝るのが一番だ!」
自分に言い聞かせ、俺は布団へともぐり込む。
「一目惚れしたのだろう? かぐや嬢に――」
再び、京太郎の幻影が現れる。
そんなわけあるかっ!
「ならば、なぜあそこまで意識する必要があるのだ。
康平にとってただの同居人ならば、なんの問題もないではないか――」
「う、うるさいっ!」
俺は布団のなかで叫んでいた。
まったく、なんでこんなことに……。
京太郎の、バカヤロ~――。
身体を丸くして、脳裏で幻影を殴る。
この日、俺が最後に聞いた音は……スズメの鳴き声だった――。
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読んでくださり、ありがとうございました。