第二十七話 『後悔と 謝罪と不安と 連絡と』
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朱色の空。冷たい空気を進んだ光が俺の影を長く伸ばしている。何かいろいろと考えていたのだが、放心状態だった俺はそれをよく憶えていない。
どの道を走ったのか。どの方向へ歩いたのか――。気が付けば、俺は知らない公園にいた。
水の流れる音がする。どうやらここは、河川敷の公園らしい。
「はあ~。なんてこと言っちまったんだ俺は……」
頭も心も落ち着いた俺の胸に、重い自己嫌悪がのしかかってくる。
ブランコの支柱にもたれかかっても膝が折れそうになる……。
「おまえがそんなやつだと思わなかったッ!
俺にかまわずすきにしろよッ!」
そう言ってしまった時のかぐやの顔――。苦しいとか悲しいとか、そんな言葉では言い表せない表情――。あんな表情をさせてしまうなんて……。
「俺は――バカだ……。どうしようもない大馬鹿野郎だッ!」
鈍い音が響き、ブランコの支柱が振動する。
殴った拳に鋭い痛み。けれど、心のほうがもっと痛い――。
「私がいつ帰ろうと康平にとっては同じこと。
そういった意味ではこのまま帰るほうがよいのかもしれぬ――」
かぐやがそう言ったのには理由があるはず。そして、それを説明しようとしていたのに――俺はそれを遮った。遮って、酷くかぐやを責め立てた。
かぐやが背負っている宿命は理解しているつもりだった。いつかはかぐやが帰ってしまうこともわかっている――つもりだった。でも、やっぱり離れたくなくて、一緒にいたくて……かぐやのことが、大好きで――。
「――謝ろう」
痛む拳を握りしめる。
彦星ってやつと話をしていた時のかぐやは苦しそうだった。哀しそうだった。かぐやだって辛い想いをしたに違いない。
あれだけの事を言ったんだ。かぐやだって怒っているかもしれない。怒りを通り越して厭きれたかもしれない。今は許してくれないかもしれない。でも、謝ろう。
許してくれるとかくれないとかではなく、かぐやに謝って俺の本心を伝えよう。
俺は足を踏み出し、知らない公園を出て知らない家並みへ出た。
電柱で町名を確認する。よかった、来た事はないが知っている町名だ。
少し広い道に出た俺はバス停を見つけた。どうやら俺が通う学校前も停留所になっているようだ。徒歩通学なので使った事はないが、バス通学している連中のなかにはこの路線を使っている者もいるのだろう。
「お。あと三分でバスが来るじゃないか」
幸運なことにもうすぐバスが来る。学校前まで15分。そこから家まで15分。思ったよりも早く帰れそうだ。
◇
数人しか乗っていないバスに揺られて学校へ。停留所に着く前に席を立った俺は運転手の横で待機する。「停車するまで立ち上がらないでください」と言いたげな目でチラ見されたがそんなことはどうでもいい。一刻も早く帰りたい――俺の想いはそれだけだ。
バスが学校前に停車した。空気が抜けるような音を出しながら開くドアがやけに遅く感じる。
「ありがとうございました」と言った運転手と俺の言葉が重なった。投げるように料金を払った俺はバスから飛び降りて全速力で走り出す。
「まさか、もう帰ったわけじゃないよな」
バスのなかで嫌なことが頭に浮かんでしまったんだ。それは、もうかぐやは彦星と共に帰ってしまったのではないかという疑問。そんなはずはないと頭を振ったのだが、それは俺のなかでどんどん大きくなった。
「かぐや。別れの言葉どころか、謝れないままさよならなんて……そんなことないよな」
――冬の夕暮れは早い。俺が家に着いた時にはもう空は真っ暗だった。
玄関の明かりがついている。かぐやが帰ってきているのだろうが、顔を見るまで不安は拭えそうにない。
「かぐやっ!」
勢いよく玄関を開け、靴を脱ぎ散らかした俺は家の中へと駆け込む。
「かぐ……い、いない!?」
居間にかぐやはいなかった。だけど部屋の明かりはついているのだから帰ってきてはいるはずだ。
「二階? 自分の部屋にいるのかも――」
階段へ向かおうとした時、俺は居間の奥の台所から音がしていることに気がついた。
「なんだ、晩飯作ってくれていたのか……」
悪い予感は予感でしかなかった。
よかった。帰ってきてくれて、本当によかった。
胸を撫で下ろした俺は台所へと向かう。
「た、ただいま――」
今からかぐやに謝る。その緊張を深呼吸でほぐしてから俺は台所に入った。
料理をする後ろ姿。そこにいたのは――
「康平、遅かったな。もう少しで晩飯が出来上がる。
居間でテレビでも見ているがよい」
そう言って振り向くかぐやではなく、俺の母親だった――。
「おかえり。もうすぐ夕飯が出来上がるけど、母さんこれを作ったらまた会社に戻るから。後片付けよろしくね~」
「――え?」
「クリスマスイベントで使う衣装の調整が忙しくて、休憩と気分転換を兼ねて戻って来ただけなのよ。もしかしたら泊りになるかもしれないから、戸締りも頼んだわよ」
「あ。いや、そうじゃなくて――」
母親は会社に戻る理由を訊かれたのかと思ったらしいが、俺はかぐやではなかったことに驚いたのだ。
「か、母さん、かぐやは? かぐやは帰ってないの?」
悪い予感が再び甦る。もしかしたら、かぐやはもう――そんな不安から口が震えだした。
「かぐやちゃん? 一緒じゃないの?」
包丁片手に母親は首を傾げた。
不安的中の可能性大に目の前が真っ暗になる。
「――おかしいわね。かぐやちゃんならさっき帰って来たわよ。たくさんのティッシュを置いてすぐに出て行ったからあんたと一緒かと思っていたんだけど……ちがうの?」
母親の言葉に光が見えた気がした。
「さっきっていつ!? どこに行くとか言ってなかった!?」
さっき帰って来たばかりなら、かぐやはまだ月世界へ帰ったわけじゃない。
近くにいるなら見つけるし、帰ろうとしているのならその前に言うことがある。
「帰ってきたのは、夕飯を作ろうとしていた時だから~。ん~と……一時間くらい前かな――」
全然さっきじゃないっ!
「それと、どこに行くとは言ってなかったけど~……」
「けど? けど……なに!?」
早くかぐやを探しに行きたいのに、マイペースの母親がもどかしい。
「ありがとうって、そう言ってたわよ。お礼なんて言わなくても、母さんはいつだっておいしい夕飯を作ってあげるのにね!」
母親の言葉を最後まで聞くことなく、俺は玄関へと走り出した。
〝ありがとう〟だって? 別れの言葉みたいじゃないかっ!
散らかした靴を拾い、俺は再び外へと飛び出す。どこを探せばいいのかわからないが、ジッとしてなんていられないっ!
「かぐや――俺は――俺はお前となら――」
夜道を走る俺は、続きの言葉を飲み込んだ。
それはかぐやのことを好きだと自覚した時に半分冗談で考えたこと。今は本気で考えている事だ。でも、今の俺にそれを言う資格はないのかもしれない――。
かぐやがいそうな場所――。俺が最初に思いついたのが高台の公園だった。
そこで出会い、言葉を交わし、一緒に住むことになって、そして互いの気持ちを確かめ合った――。俺たちにとって想い入れのある公園だ。
「い、いない――どこ行っちまったんだよ……」
公園にかぐやはいなかった。
かぐやがいる可能性が一番高い場所。それがこの公園だった。ここ以外の場所となると可能性が一気に下がってしまうことに俺は焦る。
かぐやの行動範囲は決して広くない。
母親の会社で着せ替え人形になるバイト以外の時間はほとんど俺と一緒にいる。居間や俺の部屋で一緒に話をしたり、外へは図書館に行ったり買い出しに行ったりした。かぐやが行ったことのある場所で俺の知らない所はないといってもいい。
「あとは――いそうなところ――かぐやが行きそうなところといえば……ああっもうっ! フクマルくらいしか思いつかねえよっ!」
シュークリームの専門店である『フクマル』。店は小さいが店内には飲食ができる客席がいくつかある。そこのシュークリームを気に入ったかぐやに、買い出しに行くたび毎回のようにつき合わされた。
「まだ閉店時間じゃないよな――」
スマホで時間を確認する。
日も落ちて真っ暗だが、時刻は18時を過ぎたところ。閉店まではまだ二時間以上はある。
可能性は低いだろうが、他に心当たりがない。
「とにかく、行ってみよう――」
上着のポケットにスマホを戻し、足を踏み出したところで着信音が鳴った。
「こんな時に誰だよ……」
もう一度スマホを取り出すと、画面には〝琴原雫〟の表示があった。
「悪いな雫。今はそれどころじゃないんだ」
着信を拒否した俺は走り出す。
公園を出ると着信音が。また雫だ。
「急用か?――もしもし、どうした?」
焦っているせいか、少し乱暴な言い方になってしまう。
≪よかった出てくれて。ちょっと聞きたいんだけど、康平さ、もしかして、かぐやさんとケンカした?≫
「え?」
かぐやの名前が出たことで俺の足が止まった。
なぜ雫が知っている? いや、それよりも――
「雫、かぐやに会ったのか? いつ――も訊きたいけど、どこで? かぐやとはどこで会ったんだ?」
かぐやが家を出たのが約一時間前。その後にかぐやと会ったのならば、まだその近くにいるかもしれない。
「――雫?」
早く聞き出したいのだが、雫は誰かと話をしているようだ。
≪――ごめんねみのり。なんか電波が悪いみたい。移動するから少し待ってて≫
みのり? 雫は何を言っているんだ?
足早に移動する音が聞こえた後、雫は小声で話を戻す。
≪康平、焦ってるみたいだけど、かぐやさんを探してるんだよね?≫
「ああ、そうなんだ。だから教えてほしい。雫はかぐやとどこで会ったんだ?」
≪心配しなくてもいいよ。実はね、いま私の家にかぐやさんがいるの≫
「かぐやが雫の家に?」
その意外な展開に驚いたが、俺は心からホッとしていた。
≪お昼前に私やみのりと商店街で会ったよね。あの後、買い物をして帰ったんだけど、買い忘れたものがあってもう一度商店街に行ったの。そしたらね、かぐやさんがたくさんのティッシュが詰まった袋を持って歩いてて……。なんだか様子がおかしかったから声をかけたの――≫
ということは、俺が走り去ってしまった後に会ったということか……。
≪かぐやさんをお茶に誘ってね、話を聞こうとしたんだけど、はぐらかされちゃって……。とりあえず康平の家の前まで一緒に行ったんだけどね、そこで私の家に泊めてくれないかって言われて……。かぐやさんすごく意気消沈したから……。あのさ康平、何があったのか知らないけど……≫
言いにくいのだろう。雫の語尾が沈んでいく。
「わかってる。俺が悪いんだ。俺、一方的にかぐやを責めちゃって……。かぐやは雫の家にいるんだろ? 俺、今から迎えに行くよ」
≪ん~。それは……やめた方がいいかも≫
「やめた方がいいって……なんで?」
一歩踏み出した足を止める。
≪私も連絡くらいはした方がいいよって言ったんだけど、康平に合わせる顔がないって……。今はそっとしておいてあげた方がいいと思うの。今日は家に泊まってもらうから、一応連絡をしておこうと思って電話したの≫
「そうか……そうだよな。とにかく、かぐやの居場所が聞けてホッとしたよ。ありがとな、雫」
≪そ、そんなあらたまった言い方されると照れちゃうよ~。ここは女同士。この雫さんに任せなさいっ!≫
見ることは出来ないが、照れ隠しで自分の胸を強く叩いてしまったのだろう。雫のむせる声が聞こえた――。
電話を切り、スマホをしまった俺は深い息を吐く。
「かぐやは雫の家に居るのか……。帰ったんじゃなくて良かったぁ~」
公園の前の道で座り込む俺。
かぐやが俺と顔を合わせたくない気持ちはわからないでもない。今すぐにはムリでも、かぐやが俺と会ってもいいと思ってくれた時、その時にはちゃんと謝ろう。
そして、俺の決意を、想いを、かぐやに伝えよう。
この後、二日経っても三日経っても、かぐやは俺と会ってはくれなかった――。
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読んでくださり、ありがとうございました。




