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第二十四話 『見守る恋 彦星悩む 命令が・・・』

□◆□◆




 東の空が白く霞み、冬の長い夜が明けようとしております。


 徐々に顔を出す太陽の光が枯れ草の霜を輝かせ、その白みを帯びた結晶をはっきりと見ることができる爽やかな朝。

 外へ出てゆっくりと深呼吸したならば冷たく澄んだ空気が肺を満たし、吐き出す白い吐息の温もりが寝ぼけた脳の覚醒を促してくれることでしょう。


 肌をピリピリさせる寒さはありますが、こんな清々しい朝に目覚めたお二人はさぞ気分がよろしい――かと思ったのですが……。

 私が思っていたのとはどうも違うようでございます――。


「あ――」


「え? あ――」


 寝ぼけ眼で台所へやって来た姫様は、テーブルに肘をついている康平さんを見るなり立ち止まり、康平さんも口へと運んでいたマグカップの動きを止めました。


「お、おはよう……」


 康平さんのぎこちない挨拶。緊張していらっしゃるのか、小刻みに震えるマグカップをテーブルへ戻します。


「う、うむ。お、おはよう……」


 挨拶を返す姫様もぎこちなく、これまた隠せない緊張を長い髪をいじることで紛らわしておいでです。


「――――」


「――――」


 顔を赤らめ、続く言葉が出てこないお二人はなんとも言えない笑顔を交わすだけで微動だにいたしません。

 昨夜はお互いの気持ちを確かめ合うキスをされたというのに、朝っぱらから何をしているのでしょうかねぇ……。


「あら。かぐやちゃんおはよう。どうしたの? 今日はふたりとも早起きね」


 エプロン姿でやって来たのは葉子さん。

 彼女は康平さんの母君でいらっしゃるのですが、姉上でも通用しそうなほどの若さを保っていらっしゃいます。


「ちょっと待っててね。ちゃっちゃと朝ごはん作っちゃうから」


 葉子さんは鍋に水を入れて火にかけ、隣のコンロでフライパンを熱します。そしてあくびをしながら冷蔵庫を開け、卵を三つ取り出しました。

 朝食のおかずは目玉焼きなのでしょう。

 油をひかなくてもくっつかないフライパンを熱してから卵を落とし、トースターに食パンを入れるとお味噌を取り出します。

 主食はごはんもパンでもお味噌汁。というのが只野家のルールだそうで、煮沸しない程度に熱しておいた鍋のお湯でお味噌を溶かし、火を止めてから手の平の上で切った豆腐を投入――。その頃には目玉焼きが出来上がり、それを乗せたお皿を机に並べた時には食パンが焼き上がりました。

 毎日の事とはいえ、実に見事な手際です。



 立ったまま目玉焼きをトーストの上に乗せ、それをひと口食べる葉子さん。不思議そうな目でテーブルにある朝食へ手を伸ばすふたりを見つめます。


「――――。ふたりとも、さっきからずっとだんまりね。何かあったの?」


 その問いに、康平さんと姫様の手が止まりました。


「な、何かってなんだよ。俺たちは別に……なあ」


 康平さんは姫様に同意を求めます。


「う、うむ。こ、これといって葉子に報告するような事ではない。私と康平はいつも通り。そう、いつも通りなのじゃ」


 余計な言葉を足す姫様に、康平さんは思わず頭を抱えました。


 それを見た葉子さん。まだ眠そうな目でニヤリと笑みを浮かべます。


「あ~らら。旅行中にずいぶん仲良くなったみたいね。――もしかして、母さん本当におばあちゃんになったりする?」


「なるかぁぁぁっ!」


 ガバっと顔を上げる康平さん。


「でもでも~、何かはあったのよね? 母さんに教えてほしいな~」


 からかうような口調での甘えた声。いつの間にか葉子さんの目がランランと輝いております。


「教えるもなにも、よ、葉子の考えておるような事は何もないぞ。康平とは、せ、接吻をしただけじゃ」


 それを聞いた葉子さんが歓喜の悲鳴を上げました。


せっぷんってキスよね? キスだよね? 康平、いつ? いつしたの?」


 食べかけのトーストをお皿へ戻し、前のめりになる葉子さん。


「そんなのどうだっていいだろっ。早く朝飯食っちまえよっ!」


 真っ赤な顔の康平さんが葉子さんを押し戻します。


「ああ……お父さん。今の聞きました? 康平は少しずつ大人になってますよ」


 目線を上げて手を合わせる葉子さん。


「拝むなっ! 親父は長期の海外出張に行ってるだけで死んでねぇ!」


 康平さんが教えてくれないならと、今度は姫様に照準を合わせる葉子さん。


「かぐやちゃん。どこで康平とチュウしたの?」


「こ、公園じゃ……」


 葉子さんの勢いに押され、姫様は簡単に口を割りました。


「か、かぐや……。頼むから黙っててくれぇぇぇ……」


 意気消沈してへたり込む康平さん。


 可哀相に。男子ならばこういった事を母親に知られてしまうのは避けたいところでしょう。家庭によっては、こういった事でも自分から母親に話す男性もいると聞いたことはありますが、康平さんは私と同じくそういうタイプではないようです。

 康平さんは恥ずかしさのあまり顔を上げることができません。私が彼の立場なら――――家出ますね……。



 嬉しそうに微笑んでいた葉子さんですが、時計を見るなり表情が変わりました。


「あら、もうこんな時間なの? ざ~んねん、母さんもう行かなくちゃ。仕事が立て込んでるのよ」


 慌ててトーストを味噌汁で流し込みエプロンを外します。


「康平、後片付けお願いね」


「わかってる。後はやっておくから早く行ってくれ」


 足早に出て行く葉子さんに、康平さんはテーブルに突っ伏したまま手を上げました。

 やはり恥ずかしいのでしょうね。顔を上げる気にならないようです。


 姫様はそんな康平さんが気になるご様子。指をモジモジさせて落ち着きがありません。


「こ、康平。すまぬ。言ってはならんかったかの……」


 えっ!?


「いや、いいんだ。気恥ずかしさが出ちゃっただけだから、かぐやが悪いわけじゃない」


「それならばよいのだが……。私も迂闊であった。昨夜のことは私と康平だけの心にとどめておく事だったのかもしれん」


「俺とかぐやだけの思い出か――。いいな、それ。今週末はクリスマスだし、その後は年末年始だってある。そこでまた、俺とかぐやの思い出を積み重ねていけばいいだけだもんな」


「クリスマス? 康平、クリスマスとはなんじゃ?」


「知らないのか? クリスマスっていうのはさ、元は誰かの誕生日なんだけど、この国では――」


 康平さんの説明を、姫様は食い入るように聞いておいでです。


 しかし驚きました。負けん気の強い姫様が、さして非がないところで自ら謝罪なさるとは……。これも恋の力なのかもしれません。

 私はこんな監視任務など早く終わればいいと思っておりましたが、もうしばらくなら、このお二人を見守っていてもいい――。そんな気になってしまいます。


「康平、ちょっとお使い頼まれてよ」


 忙しい足音で戻ってきたのは、服を着替えた葉子さんです。


「お使い?」


「うん。これなんだけどね――」


 バッグから取り出したのは紙の束。


「商店街の福引券なんだけど、期限が今日までなのよ。母さん今日も遅くなるから行く暇がなくて――。かぐやちゃんをデートに誘う口実にしなさいな」


「で、デートって……」


 康平さんの口もとがヒクつきます。


 こういうのは姫様のいない所で渡すものだと思うのですが……。葉子さんの天然ぶりには驚かされます。


「お小遣いもあげるから、お昼も外で食べて楽しんでらっしゃい。それじゃ、母さんもう行くから。戸締りはちゃんとするのよ」


 葉子さんはテーブルにお小遣いと福引券の束を置いて颯爽と立ち去りました。

 空気をかき回していく台風のような方ですね――。


 テーブルに置かれた物を手に取った康平さん。


「え~と。……かぐや、今日の予定は?」


「ん? そんなものはないぞ。葉子の着せ替え人形に付き合わんでもよいのなら時間はあり余っておる」


「そ、そうか。それなら、その……あの……せっかくだし……」


 康平さんは顔を赤くして口ごもります。


 まったくもってまどろっこしい。お互いの気持ちを確かめ合っているのだから、こう……ズバッと誘ってしまいなさい。男らしくズバッと!


「うむ、承知した。今日は康平とデートとやらをしてみよう。して、私はなにをすれば良いのだ?」


 姫様が言いたいことを汲み取ってくれたことで康平さんの表情が綻びます。


「まだ朝早いからな。もうしばらく時間を潰してから出かけよう。ところで、かぐやはデートってなにか知っているのか?」


「知らん。福引をすることではないのか?」


「いや、それは……違う」


 どうやら、今日はお二人のデートを見守ることになりそうです。

 デートを必要以上に意識してしまっている康平さんとデートを知らない姫様。どんなデートとなるのか楽しみでございます。――おや?


 私の頭のなかに月世界からの伝達が来たようでございます。定期連絡にはまだ早いかと思うのですが――なんでしょう?


 ――――え? そんな……


 たった今、私のもとに月世界からの命令が届きました。

 来る新月の日。つまりは今週末――。


  『かぐやを月世界へと帰還させよ』


 帰還――。それは姫様と康平さんの、永遠のお別れを意味いたします。


 なぜこのタイミングなのでしょう? 姫様が月世界の民たちを慈しむ母のような愛ではなく、一人の女性として康平さんを愛することを覚えようとしているこの時になぜ?


 いろいろと疑問はございます。しかし命令は絶対です。

 私に出来ることは、姫様にこの事をお伝えし、康平さんとのお別れの心構えをしていただく時間を用意して差し上げることくらいしかありません――。



「康平、食器は全部洗ったぞ。デートにはいつ行くのだ」


 食器乾燥機のフタを閉めた姫様が振り返りました。


「まだスズメが鳴いてるじゃないか。あと二・三時間はどこの店も開かないぞ」


 机を拭く康平さんも気後れするほどの明るい表情――。


「なるほど。デートというのがどこかの店に行くことならば待つよりほかにあるまい。デートがどんなものか楽しみにしておるぞ」


「はは……。頼むからそれ以上ハードルを上げないでくれ~……」


 好奇心旺盛な姫様に康平さんはタジタジです。


「楽しみじゃの~!」


 まるで幼子のように純粋な姫様の笑顔――。


 ……言いにくい。こんなにも楽しそうな姫様に帰還命令をお伝えするなど、私にとって最大の試練でございます――。



□◆□◆

 読んでくださり、ありがとうございました。

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