第十七話 『忘れ物 かぐやが追った 康平の――』
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あわわわわ……た、大変なことになってしまいましたぁぁぁっ!
焦る私は木々の間から抜け出しました。
そこには雲ひとつない夜空には月と星々の輝き。そして雪山特有の冷たくて強い風がありました。
ここは街灯りのない人里離れた山奥。下弦の月ではありますが、弱い光を雪が反射し、闇の中の風景をシルエットとして見ることができるくらいの明るさがあります。
昼間とは違い、時が止まったかのような錯覚を覚えるゲレンデ。
そこで聞こえるのは機械音。動いているのは、姫様が動かしたリフトでございます――。
そのリフトで上ってきた康平さんが周りを見回します。
「かぐやーーーっ。いるなら返事しろーーー!」
大きな声で姫様を呼びますが、聞こえてくるのは強い山風の音――。姫様からの応答はありません。
「あのバカ。どこまで行ったんだよ……」
苛立つように舌を打ちますが、その表情は気が気ではないというご様子。
顔を右へ左へと振り、必死に姫様を探してくださっています。
「只野、落ち着け――」
一緒に上がってきた京太郎さんが声をかけました。
「止めたはずのリフトが動いていたということは、かぐや嬢が動かしてここまで来たのは間違いないだろう。それからどちらへ行ったのか――」
斜面を背にして、右側には広いゲレンデ、左側には上級者向けのコブ付きコースがあり、その奥には深い森があります。
「かぐや嬢が何を忘れたのかは知らんが、たしかキツネが持っていくかもしれないと言っていたな。それが起きてしまったのならば、後を追って森へと入って行ったか?」
「そうとは限らないぞ。かぐやのことだ、散歩をしたい気分になったとか言って、ゲレンデを歩いているのかもしれない」
康平さんは、京太郎さんとは逆のゲレンデにスマホのライトを向けます。
「只野。かぐや嬢を大変心配しているのはわかるが、こんな時に心にもない事を言うのはらしくないではないか」
「うぐ……」
声を詰まらせた康平さんに、京太郎さんはフッと微笑みます。
「かぐや嬢が散歩をしている可能性は低い。その理由を――只野、言ってみろ」
「か、かぐやはかなりの寒がりだ。忘れ物を手にしたならすぐに別荘へと帰るに違いない」
「そうだろうな。俺も同じことを考えていた。なのに、かぐや嬢は森のなかへと入って行ったらしい――」
京太郎さんが見つけたのは靴跡でした。それが森の方へと続いています。
「森のなか――あいつ、走ったのか?」
強い踏み込みで間隔のある足跡は、あきらかに雪上を走った形跡。
そうなんです!
姫様は森のなかへと入ってしまわれて――早く助けてあげてください!
焦る私の声は届きませんが、康平さんと京太郎さんはその足跡を追ってくださいます。
「――やはり、森のなかへと入ってしまったようだな……」
コブ付きコースを抜け、森の入り口で足を止めた京太郎さんが難しい顔をしました。
「まったく、世話をかけるやつだな……」
苛立つ声とは裏腹に、康平さんは止まることなく足跡を追おうとします。
「ちょっとまて只野――」
京太郎さんがその肩を掴みました。
「言ったと思うが、このコブ付きコースの横には崖のようになっている所がある。俺も詳しい場所は覚えていないのだが、この森を入ってすぐだったような記憶がある。そんなスマホのライトでは心もとない。別荘の周りを探してくれている皆にも声をかけて、ちゃんとした懐中電灯を持ってくるから少し待っていろ」
「で、でも……」
「勢いだけで踏み入って二次災害なんてシャレにもならん。いいからここで待て。すぐに戻る」
焦り顔の康平さんに言い残し、京太郎さんは「スキーを履いてくるべきだった」とぼやきながら斜面を走って行きました。
「たしか、崖から落ちたら自力で上がってくるのは難しいとか言っていたな……。くっそ、この森にいるのはわかっているのに……」
残された康平さんが舌を打ちます。
私としましては、一刻も早く姫様を救助していただきたいのですが……。京太郎さんがおっしゃった通り、二次災害になっては大変です。
ここはおとなしくお戻りを待つのが賢明かと思いま――って、康平さん?
「――ちょっと偵察に行くくらいなら平気だよな」
康平さんはスマホの頼りない明かりをかざし、森へと踏み入りました。
いや、お気持ちはありがたいのですが……と言って差し上げたいのですが、あいにく私の声を康平さんに届けることは出来ません――。
「こっちか……」
姫様の足跡を追い、康平さんは歩みを進めます。
「ん? あれは――」
見つけたのは、斜めに伸びている木の枝で揺れている長いマフラーでした。
「俺のマフラーじゃないか。かぐやのやつ、これをキツネに盗られたのか?」
キツネではなく、強い風に飛ばされてしまったのです。姫様はそれを追ってここまで来たのですが……こ、康平さん、気をつけてください! そこは雪庇になっていて――。
「おわッ!? な、なんだぁーーーっ!?」
手を伸ばした康平さんはマフラーを掴んだものの、足が雪を突き抜けてしまい崖から落ちてしまいました。
あわわわわ……。ひ、姫様と同じことになってしまいましたぁぁぁ!
頭を抱える私に、約一時間前の出来事がフラッシュバックしました――。
◇
約一時間前――。動かしたリフトに乗った姫様が上がってきました。
「よかった。まだここにあったのじゃな」
リフトの柱を支えているワイヤーにかけておいたマフラー。
それを手にした姫様の顔が綻びます。
このマフラーは康平さんが首にかけてくださったもので、その温かさからしばらく使用していたのですが、康平さんと勝負することになった姫様は猛練習。
しだいに身体が熱くなってきたので、近場にあったワイヤーにマフラーをかけておいたのです。
「さて、戻るとするか」
愛おしそうにマフラーを顔にあてた姫様が、それを細い首にかけようとした時でした――。
山の斜面を吹き抜けた突風にマフラーを奪われてしまいます。
「待て待て! どこへ行こうというのじゃ」
姫様は追いかけますが、風に流されるマフラーは止まってくれません。
上級者向けコースのコブで風が変わり、舞い上がったマフラーは森のなかへ入っていきます。
「ええいっ、嫌な風じゃ!」
苛立ち隠せぬ姫様も森のなかへ。
膝下に届きそうな雪を踏み続け、姫様は木の枝にかかったマフラーを見つけました。
「まったく。木々の間を抜けて、よくこんなところまで飛ばされたものじゃ」
ふぅっと安堵の息を吐き、姫様は手を伸ばしますが僅かに届きません。
「もうちょっと――」
背伸びをして指先がマフラーに触れた時、突如として姫様の足下が崩れ落ちました。
「おろ? おろろろろっ!?」
目を丸くした姫様が雪と一緒に崖下へと落ちていきます。
ひ、姫様っ!
私は後を追い、倒れている姫様の元へと降り立ちました。
落ちた衝撃で気を失っておられるようですが、雪がクッションとなってくれたおかげで命に別状はないようです。
私はホッと胸を撫で下ろしますが、このままでは凍えてしまいます。
ここはいちど実体化して――
せめて姫様を別荘までお届けしようとしたのですが、実体化しようとすると身体中に電気が走ったような衝撃を受けてしまい集中することができません。
なぜですかっ! このままでは姫様のお命に関わるかもしれないのですよ!
私は下弦の月を見上げて月世界との交信を試みますが、こちらの声に応えてはくださいません。
監視役はあくまで監視役に徹するべきということなのでしょうか?
姫様の念動力を封じたのはまだしも、勝負をしている康平さんの邪魔したのは間違っておりました。
あの時は、勝つまで勝負を続けると言い出すであろう姫様に康平さんは逆らえないだろうと思ったのです。そうなるのならば、わざわざ余計に疲れさせる事はないという私なりの気遣いだったのですが……。
あの後、月世界からの交信が入りきついお叱りを受けてしまいました。
しかし、今は非常事態です。私は痛みに耐え、何度も実体化を試みますが、やはりうまくいきません。
私は実体化することを諦め、康平さんをこの場所に導こうと森を出たのでございます。
康平さんの手を引くことは出来ず、声も届くことはありませんが、近くで言い続ければ何かを感じ取って下さるかもしれない。
そんな希望にすがる以外になかったのです――。
◇
「痛って~……」
むくりと身体を起こした康平さん。
かなりの高さから転がり落ちたのですが、柔らかな新雪がその衝撃を受け止めてくれたようでございます。
少し離れた所に姫様を見つけた康平さんが見開きました。
「かぐやっ! しっかりしろかぐや!」
姫様を抱きかかえ、その頬を叩きますが反応はありません。
白い肌がさらに白くなっており、唇の血色もかなり悪くなっておいでです。
このままでは――。脳裏に悪い予感が走りました。
それは康平さんも同じだったようで、顔面蒼白になっております。
「京太郎たちが来てくれるのを待ちたいところだけど……。そんな時間はないな。それに、どうやってかぐやを引き上げてもらう?」
よほどの装備がないかぎり、姫様を引き上げることは出来ないでしょう。
姫様の冷たい顔に触れた康平さんは決心します。
「かぐや、安心しろ。俺が助けてやるからな」
そう言って姫様にマフラーをかけると、康平さんは姫様を背負いました。
「別荘まではそんなに離れていないはず。ここからでも帰ることは出来るはずだ」
膝まで埋まる新雪をかき分け、康平さんは僅かな月明かりを頼りに闇の森を歩き出します――。
出来ることならば道案内して差し上げたいのですが、それが叶わない私は見守る事しか出来ません。
どうか無事にお戻りくださいと、祈る事しか出来ない自分がもどかしく、これほど憎いと思ったことはございません――。
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読んでくださり、ありがとうございました。




