サグネゼルス編20 ハルゲンの失脚
「こ、これは……」
ずしりっ、と音を立て目の前に置かれた巾着袋の山々にハルゲンは言葉を失う。
今朝方、俺がファナ達が乗っていた馬車から運び出したものである。
(あんな重たい巾着袋なんて初めて持ったな。一つの袋にどれだけ入っているのやら)
今まで数え切れないほどの高額報酬の依頼もこなしてきた俺だがいいとこ一袋の三分の一程度だった。それが今、目の前に何十個と置かれている。改めて彼女の、ひいてはポルティアという国家力のスケールの違いに驚かされる。
「ハルゲンさん、アセナードから今日までの事の顚末は聞かせて頂きました。今、こちらに契約の二万ゼルを用意致しました。
これにて、貴方とアセナードが結んだこの村を買い取るという契約は完了ですよね?
本日を機にこの村は私、ファナ・ジュリウスのものとなりアセナードも私の衛兵という形をとらせて頂きます」
ハルゲンとテーブルを挟み向かい合うように椅子に腰掛けるファナ。その後ろに控えるように俺は立つ。
「確かに全部、ホンモノだ。そんな、こんな事が……」
いつもの丁寧な口調がなくなっている辺り、ハルゲンの動揺が伺える。
「あら、ハルゲンさん、何をそんなに動揺してらっしゃいますか? 貴方はご自身の資産で身の安全の保証を買いたかったのですよね? 貴方が要望しましたこの二万ゼルでその願いは達成致します。何かご不満でも?」
「いや、確かに、それはそうですが」
「でしたら、これにてこの件は問題ありませんよね。
この二万ゼルに加えましてアセナードが留守にする間、この村を守っていただく傭兵も既に私の方で手配してあります。
今後の貴方の身の安全はご自身でどうにかして下さいね?」
「ば、バカな! たった二万ゼル如きで俺が死ぬまでの身の安全が買えるか! ちくしょお! アセナードを使い、満額に達したら再び国王に掛け合い金額をはね上げ死ぬまでこき使う俺の計画がぁぁ!」
(なにっ?)
テーブルをバンッ、と両手で叩き上気した顔のハルゲンの本音の吐露に俺は眉をしかめる。
「ハルゲン、それはどうゆう事だ!?」
いきり立ち、一歩前へ踏み出そうとする。が、
「アセナード」
「ファナ?」
「話はまだ終わってないわ。そして、ここから先は貴方にも聞いて欲しいの」
微動だにしないファナの一声に俺は静止する。その表情は伺えないがこれも彼女の計算のうちなのだろうか?
「ハルゲンさん、本音が出ましたね。貴方の話を聞いた時から私は一つの仮説を立てていました。
貴方はこの村をサグネゼルスから買いあげた際に刻印入りの誓約書をアセナードに見せたそうですね。ところが貴方とアセナードが交わした約束の際にそんな話は一切出てきませんでした。
この国の者はお金の上での約束は絶対に守る、それはもう獣人全員が周知の暗黙。
ですがそれは成功報酬という前提で傭兵が動き、守らねば報酬が入らないという前提での話ですね、それに雇い主も約束を反故にすれば逆上した傭兵に命を奪われかねない」
(そう言えば……)
あの日の事は昨日のように憶えている。
あの時の俺はまだ幼かった上に"金の上での約束"と言うキーワードに受け入れざる負えないという思いからハルゲンの要求に頷いた。
「つまり、村まるごとを後ろ盾にしている貴方にアセナードが手を出せない事を知っている貴方には土壇場になって金額を釣り上げることができます。
ただの口約束だ、と言い張れば彼は村のために首を縦に振るしかありませんからね。この国の軍法にて裁かれる事もない、彼が気付く頃には後の祭り、そもそもの二万ゼルがこの国の価値では途方もない額ですからね。暗黙の掟という盲点を付いた考えだとは思います。ですが」
ファナは一枚の紙を取り出し、それをハルゲンの前に広げて見せる。
「こちらは昨日、キース様に黒印を押していただきました誓約書にございます。
もしこれを破るようなら、貴方は軍法違反にて今の地位をも失う事になりますね。さあ、これで貴方の醜い計画も終わりです」
「国王直々の黒印状までだと!そんなものぉ!!
誰かいないのかぁ!?このポルティアの女を殺せ!」
逆上したハルゲンの言葉に激しく扉が開かれ衛兵が三人、早足で部屋へと入り込んできた。
「ちッ!」
すかさず俺はファナを庇うように間に入り構えをとる。
「アセナード、大丈夫よ」
静まり返った室内にファナの淡々とした言葉だけが静かに響き渡る。
隣に立ち彼女の表情を覗き込む事ができるようになるがその瞳には一点の曇りもなく余裕が伺える。
「お前ら!その女を殺すんだ!そうすればこの村の権利者は居なくなり再び俺が──」
ハルゲンはその怒号を最後まで続ける事ができなかった。
何故なら部屋に入ってきた傭兵達は俺達ではなく、彼を取り囲んだからだ。
傭兵達の予想外の行動にハルゲンは小さく「お前ら?」と、怪訝な表情をみせる。
「ハルゲンよ、あんたも堕ちたもんだな。さっきの嬢さんの話聞いてなかったのかよ。
嬢さんは言ったよな、もうこの村はあんたのもんじゃないって、俺達は嬢さんにあんたの倍以上の報酬を貰ってんだ。つまり俺達があんたに従う理由はもうないってことさ」
「その通り、俺達は傭兵だ。より高く雇ってくれる者に就くのは当然だ」
傭兵達の言葉にハルゲンの表情はみるみると青ざめていく。
「ま、待て! お前ら! 今日まで誰のおかげでぬくぬくとやってこれたと思ってるんだ。そ、それならばその女の出した額以上の資金を」
「そいつは乗れないな。あんたは一つ大事なことを見落としてるよ。今、このお嬢さんに手を出すってことは親殺しを相手にするってことだ。いくら大金積まれたところで命落としたら無意味よ」
ちらりと横目で傭兵が俺に視線を移す。
そう、今や俺にこいつらを手にかけれない理由はないのだ。ファナがその枷は外してくれている。俺はハルゲンに睨みをきかせる。
「ハルゲンよ、やるなら相手になってやるぞ? 何なら先にビースト化させてやる。
だが、俺に指一本触れられると思うなよ?」
小さくドスの効いた声に静まり返る室内。
ハルゲンが、その場にいた誰もが俺の放つ殺気に固唾を飲んだ。
「うっ……ぐ」
俺の睨みに対し額から嫌な汗を垂れ流すハルゲンは口を紡ぐ。
「どうした、来ないのか? 貴様とてサグネゼルスの獣人だろう。村の権利を取り戻したいのなら力で奪ってみせろ。お前から来ないのであれば」
俺が拳を軽く握りしめると放つ殺気はより強くなり部屋全体を支配し始める。
「アセナード、殺してはダメよ」
ここまで静観を保っていたファナが口を開く。
「ファナ?」
「貴方の気持ちは理解するわ。でも、今この人を手にかけたところで貴方のお父様もお母様も帰ってくるわけではない。
この人はこれから先、辛い未来を歩んでいく事になるはずよ。それがこの人の背負うべき業。
それで貴方の気持ちが晴れるとも思わないわ。でもお願い、どうか私の前で争いはやめて欲しいの」
口調こそ冷静を装っているが声はやや震えていた。
昨日の今日でうっかりとしていたが彼女は人の死に慣れていない。
ここで血を見る騒ぎをおこせばまた彼女にいらぬ思いをさせてしまうだろう。
「解った、主に従おう」
握っていた拳を解くと、今しがたまで部屋を支配していた殺気もまた静まり返る。
ファナの表情が安堵するのを確認すると俺は目の前でガタガタと震えているハルゲンを再び睨みつける。
「ハルゲンよ。これがお前とファナの差だ。お前にいくら資産があろうとお前には徳がない。
せいぜいこれからはその二万ゼルで生きていくがいい。だがお前がまた変な気を起こそうものなら」
俺は再び握りしめた拳を繰り出しハルゲンの眼前にて止める。
「ひぃッ!!」
拳の風圧と俺の気に押されたハルゲンはその勢いのままに椅子へとへたれ込む。
「お前を殺す。この地上の何処まで追いはててでも、主の命令に背いても、だ」
目、鼻、口、身体中のありとあらゆる穴からだらし無い液体を漏らしながらハルゲンは立ち上がれなくなる。どうやら今ので腰を抜かしたようだ。
「それではこれにて、交渉は成立ですね。傭兵さん達、すみませんがその方を外へお連れして下さい」
「はいよ」と、一人が返事をすると両脇を抱え持ち上げられたハルゲンは扉の外へと消えていく。
室内には俺とファナの二人だけが残る形となった。
「アセナード、ごめんなさい」
先に沈黙を破ったのはファナであり、その内容は謝罪の念であった。
「構わないさ。お前の言う通りあいつを殺したところで何も変わりはしない」
何に対しての謝罪かは聞かない、大方の予想はつくからだ。
「それにお前の選択の方が恐らく正しかったさ。あいつの今後を考えるとこの場で死ぬよりもここから生き長らえる方がよほどの苦行となるだろう」
ハルゲンは今日、最も欲しかったであろう安息を失った。子飼いにしていた有数の傭兵達はファナに買収されてしまったため、今後雇うことができる傭兵も若輩者ばかり、身の安全の保証とは程遠い存在だ。これからは恐怖に怯える毎日を過ごす事になるだろう。
「二万ゼルと引換にしては割に合わないもんだな。金に溺れた者が金に敗れるとは滑稽な話だ」
ハルゲンの行く末を想像し、俺の口端が若干釣り上がる。
「アセナード、随分と笑うようになったわね。初めて会った時と別の人みたい」
「そんなことはない、俺は元々こんなもんさ。それよりもお前に聞きたいことがあるんだが?」
指摘され、口元を閉め直しながら俺はファナに問いかける。
「何かしら?」
「ハルゲンが俺を使い潰そうと考えていた事が何故解ったんだ?」
「あぁ、それは貴方の話を聞いた時に違和感を感じていたの。そこまで保身が大事って言ってる人が期限付きで貴方を解放なんてするのかなって、もしも私だったら貴方を逃さないようにって考えるもの。
それでちょっとカマかけてみたら当たったみたいだけど」
またもファナのファナたる才能を目の当たりにした。本当にこの女は恐ろしいな。
「これからお前は世界協和のために世界を回るんだ。正直、俺もサグネゼルスを出たことはない。故に他の国がうちの国王のようにお前と和平を結んでくれるかは全く見当もつかない、だが」
「だが?」
「お前の交渉術なら大丈夫であろう。それまで俺がお前を守ってやる。お前の夢が叶うその日まで」
俺の真っ直ぐな瞳に頭をかきながらファナは言う。
「アセナード、ありがとう」
「でも、これだけは言っておく。お前が争いを好まないのは理解しているが、お前の身に危険が及ぶようであれば俺は容赦なくそいつを殺す。全世界が皆、お前の価値観に賛同するわけではない。それだけは覚悟しておいてくれ」
「その時は解っているわ。私にも覚悟はできている、私だって全てが理想通りにいくと思ってるほど子どもじゃないわ。
でも、そこまで私の身を案じてくれているのね」
言いながら俺の顔を下から覗き込んでくるファナ。
その無邪気な瞳に今度は俺が直視することができずに目を逸らす。
「お前に死なれたら報酬が貰えなくなるからな」
「ふふふ、そうね。そしたら私の夢が叶う日まで私は死ねないし、貴方も死ねないわね」
「そうだな」
こうして、晴れて自由の身となった俺は世界へと旅立つ事へとなった。
新たなる目的のため、目の前の少女と共に。




