サグネゼルス編1 協和
「それでは行って参ります。お父様」
私はお父様と挨拶を交わす。
「うむ。道中気をつけるのだぞ?」
お父様は優しい表情で返してくれる。
「勿論です。これは私の夢、延いてはポルティア全国民の夢への第一歩です。無事に会合を済ませてきますよ」
私はこれから隣国のサグネゼルスへと向かう事になっている。理由は今後行われる世界協和の場にサグネゼルスの王様に出席していただく約束を取り付けるため。
私の夢はこの世界から争いを無くす事。その為には何としても今回の会合を上手く成功させなくちゃ。
私の胸は不安よりも期待に満ちている。我が国ポルティアから外へ出るのも楽しみだしその先に待っている世界協和。私がそのための架け橋になれると思うと嬉しくてたまらない。
「ファナよ。頼んだぞ? 私はこの国から離れる訳には行かぬ。万が一のために我が国きっての近衛隊にも同行させる。どうか無事に帰ってくるのだぞ」
お父様の顔が少し心配そうな顔つきに変わる。
「お父様、大丈夫です。こちらから何かをけしかける訳ではありません。心配無用ですよ。それに私だって普段から護身術の稽古はつけてるんですよ?自分の身くらい自分で守れますよ」
私はお父様を安心させるように言う。その昔は各国間で争いもあったようだが昨今ではそのような話は無く治安も良い。まだ内乱が行われる国もあるようで争いが嫌いな私にはとても悲しい事だ。これから向かうサグネゼルスは治安も良く内乱もないと聞く。お父様は心配症だな。
「お前に何かあってからでは遅いからな。ファナ。頼むぞ。私を一人にはしないでおくれよ」
お父様は私の両肩にそっと手をおいた。お母様は私が小さい頃に病気で亡くなってしまっているしお兄様も行方不明となっている。お父様が私を心配してくれる気持ちは勿論嬉しい。
「はい、道中気を付けますし必ず無事に帰ってきますので」
私はお父様の不安を少しでも拭えるように精一杯の笑顔で答えた。そして近くにいた侍女のナザリーへと目を向ける。
紫色の長くて綺麗な髪を後ろで一本に縛り、いつも笑顔を絶やさない彼女。
誰もが振り返るような整った顔立ちに同じ女性として羨ましくなるくらいのスリムな体格に王宮内でも彼女を射止めようとしている男性は多いらしい。
そして、私が物心つく前から王宮に仕えてくれていてお母様の代わりに私を育ててくれたお姉様のような存在です。
「ナザリー、暫くの間留守にするからね。お父様をお願いね」
ナザリーは私に深々と頭を下げ答える。
「はい。留守の間は私にお任せ下さい。ファナ様、どうかお気を付けて」
ナザリーと挨拶を交わし私は近衛の部下達が控えている城門へと向かった。
城門へと着くと既に旅の支度を整えた四人の部下達が待っていた。
「ファナ様、お待ちしておりました。長旅になりますが道中は私達が命に変えてもファナ様をお守りしますのでどうかご安心を」
まず先頭に立っていたコルトスが私に挨拶をしてきた。コルトスは近衛隊長でポルティア屈指の実力を持つ兵士である。
ガッシリとした体格に似合う黒い短髪。他の三人よりも頭一つ抜けて身長が高く私は見上げる形となる。
「コルトス、命に変えてもなんて言っちゃダメ。命は一つしかないのよ? 次にまた言ったら怒るわよ?」
「えっ、あ、はい。すみません」
いきなり出鼻を挫かれてしまったコルトスが戸惑った表情に変わる。
「コルトスー、いきなりファナ様に怒られてやんの。はっはっは」
それを横目に見てコルトスを茶化すように言う青年はレイル。
コルトスとは真逆の長めの金髪が特徴的。けれどもその外見とは裏腹にコルトスを好敵手としてお互いに切磋琢磨して近衛隊副隊長にまで登り詰めた努力家だ。
「うるさいぞレイル、ファナ様がお優しいだけだろ」
少し照れ隠しするような感じでコルトスがレイルに返す。二人は同じ時期に近衛隊に入り何かとウマが合うようで私生活でも仲が良いと聞く。
生真面目なコルトスにいつもちょっかいを出すレイル。よく見る光景だが私はこんな二人のやり取りがとても好き。
「ふふふ。いつもコルトスとレイルは仲が良いわね。でもさっき言った事は本当の事よ? 決して命を捨てるなんてもう言わないでね? 私、貴方達がもし死んでしまったら助かったって全然嬉しくないから」
私の紛れもない本音だ。私はポルティアの皇女である前に一人の人間だ。コルトスやレイルだって同じ人間。命の重さは皆平等である。他人のために捨てて良い命なんてありはしない。
「ファナ様、勿体無きお言葉ありがとうございます。皆で無事に今回の会合を終えポルティアへと帰ってきましょう」
コルトスが改めて私に深々と頭を下げた。
「ええ。皆で帰ってきましょう。このポルティアに」
微笑む私に残りの近衛の二人も答える。
「本当にファナ様はお優しい。俺達はポルティアに生まれジュリウス家に仕えられた事を心から誇りに思います」
「ファナ様、絶対に世界協和の夢は叶います。今回の会合はその始まりの一歩ですよ」
二人の名はイクとヨウ。コルトス、レイルと比較して年齢も若くそれぞれ単体では実力も一枚落ちる。
だがこの二人は双子であり息の合った連携力は近衛隊でも指折りだ。
お互いに間違われるのが嫌なようで兄のイクは短めの茶髪が耳にかかる程度。弟のヨウは首元まで伸ばしている。
「イク、ヨウ、ありがとう。この四人なら絶対に安心ね。それじゃあ出発ね」
「はい!」
皆と挨拶を交わして私のサグネゼルスへの旅は始まった。絶対に今回の会合を成功させてポルティアに帰ってくるぞ。 私は意気込んだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ファナ様、入国しましたよ。ここから先がサグネゼルスです」
国境を越えたのか馬車を運転しているレイルの声が荷台へと聞こえてくる。
「本当? どんな景色かしら?」
生まれて初めてポルティア国外に出た私はわくわくしながら揺られている馬車の窓から外を見る。
「まぁ」
窓から見た景色は見渡す限りの木々。ポルティアと比べると土地開発は進んでいないようで視界は悪い。それでも私は初めてのサグネゼルスに感動した。
「これが異国の景色……」
地面は整備されてない獣道で馬車はガタガタと揺れている。だけどそれも新鮮で心地良い。
「ファナ様はポルティアから出るのは初めてですもんね。全てが新鮮なんじゃないですか?」
私の隣でコルトスも外を覗きながら言う。
「ええ。あ、コルトス? あの大きな鳥は?」
私は木々の上空に飛ぶ大きな鳥を指差しコルトスに訪ねた。
「ああ、あれは飛竜ですね。サグネゼルスにのみ生息している怪鳥です。身体は大きいですが性格は非常に温厚で人を襲ったりする事もありません」
「あれが飛竜。本では見た事あるけど実際に見るのは初めて。とっても可愛いわね。ちょっと背中に乗ってみたいな」
私ったら子どもみたい。そんな事を思いながらもワクワクが止まらずにそう言った。
「はっはっは、飛竜の背中に乗りたいですか。ファナ様らしいですね。ですが飛竜は性格こそ温厚ではありますが人に対する警戒心は強く触れる事さえままなりません。故に飛竜の皮や翼は希少価値が高く裏では高値で売買されています」
「え? そうなの?」
今まで生きてきたけど飛竜の皮や翼なんて聞いた事はない。私は思いながらもコルトスの言葉に耳を傾ける。
「ええ、正直良い話ではありませんが一部の密猟者が飛竜目当てでサグネゼルスに入国し飛竜狩りを行っています。この国では飛竜を狩猟する事は禁じられていますので勿論犯罪行為ですが」
「なんて酷い事を……」
「それが原因の一つとなりサグネゼルス内では外部の国との小さな諍いもあると聞きます。ですのでファナ様、そういった事を今後引き起こさないために我々は今回サグネゼルスまで足を運んでいるのです」
隣のコルトスから笑みは消え真面目な顔つきとなっている。
「そうね。今回の会合。絶対に成功させなきゃね」
私は空を飛ぶ飛竜を眺めながら強く心に誓った。
「ファナ様、直にサグネゼルスの王宮へと着きますのでご準備の方を」
ちょうどその時レイルが荷台の中へと声を掛けてきた。
「はーい。いよいよね」
私はこれからの会合に向けて身を引き締めた。
「ここまで特に何事も無く来れたな」
「ああ、良かった、良かった」
一緒に荷台に乗っているイクとヨウもにこやかに会話を交わしている。やっぱりお父様の取り越し苦労だったようね。ここまで危険な事なんて何一つなかったし世界は平和へと近付いているのね。私が一人で納得しかけていたその時。
「ん? なんだお前は……うわぁ!」
レイルの叫び声が聞こえてきたと思うと急に馬車が失速を始めた。私は反動で荷台の隅へと飛ばされた。
「きゃッ!!」
馬車が止まると何が起きたか解らずに私は膝を着いたまま上体だけ起こす。
「ぐ、いたた、おい、レイルどうした! 何があった!?」
同じく急停車でバランスを崩していたコルトスだったが直ぐに起き上がり荷台の扉を開けた。その隙間から見えたのは止まった馬車の外で何者かと対峙しているレイルの姿であった。
「あ、あれは?」
レイルが対峙していたのは野生の狼のような生き物であった。しかしその狼は普通の狼とは違いレイルよりも一回りは身体が大きく二足で立っている。
「獣人……」
そう、私は以前に一度だけポルティアで獣人を見た事がある。普段は私達と変わらない人間の姿をしているが必要に応じてその姿を獣の姿に変える事ができるという。
だが私が以前に会った事のある獣人は私達ポルティア人と普通に会話する事ができていた。そして何より瞳に正気があった。
だが今目の前にいるこの獣人には……
「ウウウッ!!」
明らかに敵意を剥き出した目で獣人が唸り声を上げながらレイルに飛びかかった。
「やろうっ!!」
予め抜刀していたレイルが剣で獣人を受け止めようとするが無情にも獣人の鋭い爪がレイルの喉元を掻き切った。一瞬でレイルの喉元から鮮血が飛び散る。
「───ッ!!」
声にならない声を上げレイルはそのまま膝から崩れ落ちた。
「レイルーー!!」
その状況を目の当たりにした私は断末魔に近い叫び声をあげた。
レイルはその場に倒れ動かなくなった。
「レイル! おい! レイル!!」
コルトスがレイルに必死に呼びかけるも返答がない。一瞬で事態を察したコルトスが獣人を睨みつけた。
「ッの野郎!ちくしょおお!」
コルトスが叫びながら抜刀して獣人に切りかかるが勢いも虚しく獣人の右手の一振りで払いのけられてしまう。
「うぐっ!」
払いのけられたコルトスはバランスを崩したまま獣人の数メートル横に倒れ込んだ。
「コ、コルトス!」
私は払いのけられて蹲るコルトスに悲痛な表情で声を掛けた。
「だ、大丈夫です! イク! ヨウ! ファナ様を頼む!」
致命傷は負わなかったようでコルトスは私と一緒にまだ荷台に乗っていたイクとヨウに指示を出した。
「は、はい! ファナ様、早く荷台の外へ!」
呆然としている私の腕をイクが掴みヨウが抜刀して私の後ろに着く。
一方獣人は払いのけたコルトスの方には見向きもせずに獣人は私達の乗っている荷台の方へと向かって来る。
「く、くそ! 来るな!」
ヨウが剣を獣人に向けて威嚇するが意外にも獣人は私達には見向きもせずに積荷を漁り始めた。鋭い爪と牙で次々と積荷を破っていく。
「あ……れ?」
獣人の想定外の行動にヨウは拍子抜けした表情になるがそんな私達には意に介さず獣人は積荷の中から食料品を貪り始めた。
「バカ! ボケっとしてるな! 今のうちに降りるぞ!」
戸惑っているヨウにイクが声を掛け私達は素早く荷台を降り立ち上がったコルトスの元へと向かった。
「コルトス、大丈夫? 怪我は?」
私はすぐさまにコルトスの安否を確認した。
「大丈夫です。それより早くここを離れましょう。何やら食料が目的のようですがまたあいつがすぐに襲って来ないとも限りません」
「え、ええ……」
私はまだ気が動転している状態でただ返事をした。
一体何が起きたの?どうなってるの?
そんな事を思っていると近くの茂みがガサガサと激しく揺れ動いた。
「ファナ様!危ない!!」
茂みから何かが飛び出してきたと同時にイクが私に覆いかぶさった。
「きゃっ!」
私が悲鳴をあげると私の立っていた場所へともう一人の獣人が飛び込んで来た。
「まじ……かよ……」
私を起こしながらイクが絶望的な表情で呟いた。目の前に先程レイルを襲った獣人とは別の獣人が飛び出して来たのだ。一人ですら恐ろしいのにこの状況はもはや絶望的である。
「逃げるぞ! イク! ファナ様を奥へ!」
獣人と私の間にコルトスが割って入り剣を構える。
「ファナ様! こちらへ!」
イクが私の腕を引きながら木々の生える森の中へと引き入れヨウがそれに続く。 一番後ろでコルトスが剣で獣人を威嚇しながらジリジリと後ずさる。
「走れ! 行くぞ!」
コルトスの合図で一気に私達は獣人に背を向け走り出した。
イクに腕を引かれ走りながらも私が後ろを振り返った最後に目に入ったのは馬車の横で横たわるレイルの亡骸だった。
(レイル…どうしてこんな事に?)
私の目尻からは涙が溢れていた。
そして、どれくらい走っただろう。恐怖と動揺で感覚が解らないまま私達は森の中で少し日が差す開けた場所に落ち着いた。
「はぁ、はぁ、ここまで来れば……大丈夫か?」
息を切らしたコルトスが近くにあった大木に片手をつきながら言う。
「随分と走ったからな。何だよあの獣人? あんなの聞いてねえぞ?」
同じく息を切らしたイクも呼吸を整えつつ答えた。
「だな。速さも力も桁違いだったぜ。あんなの相手にしてたら身体がいくつあっても足りねえぜ」
ヨウもそれに合わせて返した。 私も呼吸を整え状況を整理しようとした……その時。
「グルルルッ……」
つい先程聞いた今、最も聞きたくない唸り声を耳にした私は恐怖を覚えながら声の方をゆっくりと振り返った。
そこには先程まで対峙していたと思われる獣人が立っていた。
「な、何でここまで……」
「もしかしたら……匂いってやつかね? こいつら狼だもんな」
イク、ヨウの二人が冷汗を流しつつ会話を交わしつつ素早く剣を構え私と獣人の間を塞ぐように移動した。
「だとしたら逃げても無駄ってやつだな。またすぐに追いつかれちまうな」
「そうだな。ここで戦うしか無さそうだな。レイルさんの仇も討ってやらないとな…」
二人は覚悟を決めたような表情で獣人を睨みつける。しかしその表情は明らかに勝算は無く死を覚悟しているように窺える。
「イク! ヨウ! ダメよ! 逃げて!」
私は叫ぶが二人は獣人に向かって行く。
「コルトスさん。ファナ様をお願いします!」
「俺達が時間を稼ぎます! できるだけ遠くへ逃げて下さい!!」
二人同時に飛びかかるが獣人は素早い動きで二人の剣を交わしそのままヨウの背中を切り裂く。
「うっ!」
ヨウの背中から鮮血が飛び散る。
「ヨウッ!」
その場にうずくまるヨウに対し叫ぶ私の手をコルトスが引く。
「ファナ様! 二人の意志を無駄にしてはいけません! 走りますよ!」
「コルトス!待って!イクとヨウが!お願い!助けてあげて!」
私は涙ながらに訴えるがコルトスが首を横に振りながら私に言う。
「ファナ様、残念ですがあの獣人達の力は我々ポルティア人を遥かに凌駕しております。あの二人は命を捨てる覚悟です。」
コルトスは私の手を引き走り出した。
「そんな、コルトス、私言ったじゃない! 貴方達が死んでしまったら助かったってちっとも嬉しくないって! お願いコルトス! 手を離して! 二人の所に戻らせて!」
私はコルトスに引かれる手を振りほどこうとする。
「ファナ様!! しっかりして下さい!」
突然のコルトスの怒声に私は驚く。
「レイルもイクとヨウもファナ様を今回の会合に無事送り届けるために命を掛けたのです! ファナ様が生き延びなければ三人が命を賭けた意味が無くなります!お叱りなら後で受けます。ですが今は…今は生き延びなければいけません! 貴女の肩にはポルティアの命運がかかっているのです!」
「……コルトス」
「今ここで戻れば確実に我々は全滅致します! それこそ無駄死にです!」
そこまで皆は私を…国の未来を思ってくれていたんだ。私は誰にも死んで欲しくない。誰にも争いをさせたくない。でも、でも、
「……うっ、うぅっ」
返す言葉が浮かばない。私はただただ嗚咽を漏らしながらコルトスに手を引かれるままに走り続けた。
「ファナ様…うっ!」
コルトスが何かを言いかけたがその場に立ち止まり私を背に隠した。
「コルトス?」
コルトスの咄嗟の行動に私は尋ねるがすぐにその意味を理解した。
目の前にはまたしても獣人が鋭い速度で回り込み立ち塞がっていたのだ。
その身体は返り血で真っ赤に染まっていた。その血がイクとヨウの返り血であろう事は私にも容易に想像できた。
「そ、そんな、イクもヨウもポルティアで屈指の近衛兵だと言うのに、この短時間で二人を……」
コルトスも同じ事を想像したのだろう。だが目の前にいる獣人の強さは私達の想像のできる範囲を越えていたのだろう。
私達が先程の場を離れてからまだ僅か数分しか経っていないというのに。
コルトスも私を庇う体制で剣を構えているがその全身は震えていた。
次元が違い過ぎる。この言葉が正にピッタリであろう。
生まれてからずっとポルティアと言う国に、父に、兵に守られていた私は初めて死という恐怖にとらわれていた。
これが、私の知らない世界……。
私が本当の意味で自分の甘さを痛感した瞬間だった。