第44話 猫の手
ユズルはネコたちの出て行った軌跡を塞ぐようにして相手の前に立ちはだかった。剣を逆手に持ち、冷や汗を空いた手で拭う。
────時間を稼がなきゃ
不意に敵が青年に手を向けた。
警戒してユズルは全身を緊張させる。
「あの少女をこちらに渡せばお前を見逃してやる」
武器を下げ、黒ローブがそう静かに言った。差し出す手は低い声にしては華奢だった。
ユズルは首を振った。
「それは出来ない。あの人は僕の大切な人だ」
たった1人の肉親。青年には他に身内は居らず、産みの親と同じくらい大切であった。それを望みもしない形で失うわけにはいかなかった。
「僕たちのことは放っておいて欲しい。どの道おばあちゃんはもう長くないんだ!」
ユズルは床に剣を突き刺して操り、離れた木製の床の一部を跳ねあげた。
黒ローブは横にステップを踏んで避ける。立て続けに床を跳ね上げるものの、軽やかな足取りで避けられて全く当たらない。
その内にしなる鞭がユズルの刀に絡みついた。抜き取られんと鞭を掴み引き合う。
「少女の力を制御出来ると言ったら?」
相手の言葉に青年の動きが止まる。
────いや、嘘だ。そんな事出来るはずが……
「なんなら寿命だって伸ばせるぞ、この薬を飲めばな」
黒ローブの懐から何かを取り出して月明かりに照らす。それは小さな小瓶だった。なかに液体が入っている。
と、僅かだが相手の一部分が見えた。
眼だ。
真紅の瞳。
一瞬であったが、月明かりを背に覗いた瞳は酷く幻想的で青年は目が眩んだ。
「これは……我の血、これを飲めば少しは生きながらえる」
「う、嘘、だ」
ユズルら固まる喉からようやっと絞るように掠れた声を出した。酷く弱々しく力がない。
『未来視なんて欲しがるのはロクでもない奴らだから、誰にも渡しちゃダメだよ』
ふとある時言われた言葉が脳裏によぎった。しかし一瞬の事。
ユズルは敵に言われた言葉が真実だと信じ始めていた。
────いや、違うか……
ユズルは一度は覚悟を決めたつもりではあったが、もしかしたら助かるのかもしれない、この状況を打破する方法があるかもしれない、と心の奥底で思っていたのだ。
そこへ敵からの魅力的な誘惑、勝てるはずがなかった。
身体から力が抜け、刀が手から滑り落ちる。
ガランと音を立てる唯一の武器は光を失い、床へ転がった。
黒ローブの人物はゆっくりと近づき、鞭を剣状に変化させる。
「馬鹿野郎ユズル‼︎」
敵の剣がユズルの喉元へと揺らめいた時、ふと名前を呼ぶ声が聞こえ、青年の目の前を何かが横切った。
鈍い衝突音がしたかと思えば、敵がその場を離れ、床に何かが着地した。
「ネコさん?な、なんで……」
ユズルの叔母と逃げたはずのネコだった。ユズルと戦った時のピューマの姿をしている。
「なんでもこうもねぇ!てめーの荷物はてめーで運べ!鬱陶しい!」
ネコは変身を解き、背中にしがみつく少女を引き剥がし、ユズルの方へ半ば投げるように押しやった。
少女がつまづき青年の方へ倒れ込んだ。
「お、おばあちゃん」
「ユズル……」
「てめーらはそこで見てろ!」
ネコは目の前の敵に向き直った。
────啖呵を切ったは良いけどどないしょ
彼は僅かだが震えていた。
何故なら本物の刃物を持った者などと戦ったことはなかったからだ。
しかし彼も男。調子よく戻って来たからには腹をくくるしかなかった。
「いいのか?この薬を飲めばそいつが助かるんだぞ?」
敵が手を前に出した。
────薬?
ネコは相手が手に持つ小瓶に目を向けた。中に少量の液体が入っている。それを見て何故ユズルが膝をついていたかわかった。
「ユズル、てめーあんなもんで本当に助かると思ったのかよ?」
「え、いや…………はい、でも、もしかしたら────」
青年は否定しかけて認めた。
「馬鹿野郎、お前は最後までばあさんを守るんだろうが。あんな嘘か本当かもわからないもんに騙されてんじゃねー!」
彼の言葉に、ハッと我に返ったように目を見開くユズル。
ネコは頭の中でなりたい猫をイメージする。
────猫、猫
「トランスフォーム!」
ネコの身体が光に包まれオオヤマネコへと変身した。飛び掛かろうと姿勢を低くした時、
「待ってください」
と、ユズルが隣へ立った。
「バカ、てめーはババアを────」
見ると少女はまだ築かれているバリケードの下に移動していた。隠れているにしてはいるが敵も見ているはずだ。
「いえ、アイはまだ未来視が使えます。それにこの状況では敵はアイを捉えても僕らを倒さなければ脱出出来ないはず」
ユズルはしゃがみ、小声でネコに耳打ちする。表情に迷いが消え、冷静さを取り戻したようだ。
「いや、バリケードを張ってあったのに奴はこの3階の外から来たぞ?何かしら脱出手段があるんじゃねーか?」
「だったら後ろを取りましょう」
「でもババアを抱えてなんて────」
「考えがあります」
ネコは作戦をユズルから聞くと頷き、唐突に前に飛び出した。
動かない敵を見ての不意を突いた攻撃であった。
しかし素早くはあったが相手のローブの端を裂いただけでヒラリと躱されてしまう。
その隙にユズルが刀を拾い床に突き立て、床の板が弾かれたように跳ねて相手を襲った。
しかし僅かにかする感触はあるが初撃のみで、後はいくらけしかけても剣で弾かれてしまう。
「おらぁ!」
動きを止めたところで相手の頭上からネコが襲いかかり、爪を振り回す。
しかしこれも当たらず、機敏に反応し彼の腹に敵が足の爪先を埋め込んだ。
ネコは変身を解きながら窓側へ転がった。痛みに呻く。
「もうその猫はしばらく動けまい」
勝ち誇ったように敵が言った。
「へ、へへ、それはどうかな」
ネコは作戦が上手く行ったとニヤリと笑う。見事の奇襲で敵を部屋の奥に押しやり、ネコたちは窓側を塞ぐ形になったのだ。
「これを見てもそれが言えるか?」
黒ローブは机の下から幼女を引きずり出し、その頰に触れた。
「我の手中に」
黒ローブは液体の入った小瓶を取り出し、幼女の口に当てがった。
流し込もうと傾けるが、ふと何かに気付いたように手を止めた。
少しの停止の後、不意に静かに笑い出した。
「そうか、貴様らワザとこの状況に持ち込んだな?」
「な、何がだよ」
ユズルは薄ら笑いを隠そうとしながら惚ける。
「この女にやろうとしていることを黙って見てるとは妙じゃないか」
「……」
「なるほど、我が女に手を出さないのをいいことに脱出口を塞いで、あわよくばただで薬を飲ませようとしたか」
────完全にバレた、だがこれで分かったぜ
ネコは肩で息をしながらユズルを呼んだ。
しかし反応がない。その後も何度か呼びかけるが一点を凝視したままニヤリと笑った。
ネコがその視線を辿ると小瓶であった。
────こいつ、まだ
ネコは渾身の力で青年の足首を掴んだ。
そこで我に返ったように薄ら笑いをやめた。
「あいつは不利になるのに小瓶を使おうとしねー!と言うことは────」
そこでネコの言葉は襲いかかる鞭によって掻き消された。




