八月三十一日
八月三十一日。
思えばこの日にいい思い出はなかった。
単純によくある話だが小中高と夏休みという長い休暇にかまけて宿題を溜め込んだまま夏休み終盤になってやっと手をつけ始める。そしていつも八月三十一日の夜中になってやっと片付いて、その後は疲れてすぐ眠ってしまうので八月の終わりに遊ぼうなんて思ったことはなかった。
その僕が大学の課題を終えて花火大会のある会場で人と待ち合わせをしていることが少しだけ可笑しかった。
待ち合わせ時間の少し前になると駅のエスカレーターを何人か人が上ってきた。もともと寂れた駅で降りる人が少ない為小林さんを見つけることは容易かった。
「ごめん、まった?」
「全然待ってないよ」
テンプレな会話を交わして会場の方に歩きはじめる。
何時からなんだっけ?とか場所取れるといいねとか言っているうちに歩いて十分くらいの所にある会場に着くと二人でそのまま今度は見る場所を探した。
「花火ってどこから上がるの?」
「あの変だよ」と言って指を指す。
「じゃあここなんかいいんじゃない?」
もともとの規模自体そんなに大きいものではなく、隅田川なんかと比べるとはるかにちっぽけだが、その為人があまりおらず所々が手入れの行き届いていない芝のようにポツポツと空いていて半ば選び放題だった。けれどさっきからあまり落ち着かず、早く腰を下ろしてゆっくりしたかったのでよく考えもせずにそこに決めてしまった。しかし始まってみると彼女の選択は思いの外優秀で近すぎず遠すぎず、かつ誰の頭に遮られることもなく花火を見ていられた。
夜でも明るく星の見えない空に浮かぶ輝く花を仰ぐ行為は東京の人間にしてみれば新鮮だった。
誰もが目を輝かせて上を見るなか、僕だけが上を見ていなかった。
隣にいる小林さんのことを意識しすぎて花火が目に入ってこず、花火の明かりに照らされる彼女の顔ばかり見てしまっている。
東京で星が見れない理由は街が明るすぎるからだと言われている。僕にとっての彼女はまさにそれだった。
赤や緑の明かりに照らされる度に心臓が脈打って、彼女に触れてみたい欲求ばかりが募ってきた。
「坂井君」
我慢しきれずに手を握ってみると彼女は一瞬驚いて僕の名前を呼んだ。
ひどく落ち着いた声で。
僕はそんな彼女の声に身構えてしまう。
とっさに手を離した。
すると小林さんはこっちをむいてあたしのことどう思ってるの?と聞いた。
「好きなんだ。もうどう仕様もないくらい。最初はそんなつもりなかったんだけどこれまで関わっているうちに、気づけば僕の中には小林さんの席ができてた」
「そうだったんだ。あたし、坂井君にはただの友達だとしか思われてないのかと思ってた」
「僕もそのつもりだった」
「あたしもね、いつの間にか坂井君のことばっかり考えてて、正直辛かった」
「そっか」
「でも今は嬉しい。最高の気分だよ」
小林さんは今までに見た中で最高の笑顔を見せた。「あたしも坂井君が好き」
遠くで何かが弾ける音が聞こえたがそれが何かを追求しようとは思わなかった。
彼女に好きだと言われた瞬間世界から彼女と僕だけが切り取られていた。
その後のことは正直あまり覚えていない。
朝になって鼻に残った彼女の匂いと耳に残った彼女の音、目に残った彼女の姿を思い出すと、彼女と恋人同士になった実感がほんの少しだけ湧いてきた。




