無口と呼ばれた男
※今回は一人称にて話が進んでいきます。苦手な方は飛ばして下さい。
俺は戸惑うことしか出来なかった。
それ以外にどんな反応をすれば良かったって言うんだ?
黒とは言い難い群青色の髪を持つ貴族がやって来たのは、寒い冬の昼過ぎだった。
御貴族様にしては大人しい服だとは思ったが、細部まで凝った刺繍がしてあったから高級品である事は間違いないだろうな。
それにしても。一番驚いたのは貴族様の顔だ。
神様が自ら創り上げた天使様って言うのがいるらしいが、御貴族様はそれなんじゃないかと本気で疑ってしまった。
人間離れした綺麗な顔にほっそりとした手足。
厚手の服の上からでも分かる完璧な身体のバランス。
本当に生きている人間なのかと目を疑ったのは俺だけじゃなかった。
周りに居た俺と同じ仲間達も目をまん丸にして貴族様を見上げていたんだからな。
「ええ。出来れば買いたいと思いまして。条件に合う奴隷は居ますか?」
どうやら御貴族様は奴隷をご所望らしい。
条件の辺りは完全に聞き逃していたが、まぁ、俺には関係ないだろう。
随分と綺麗な顔立ちをしているから同レベルの顔立ちの男を買いに来たんだろう。
そう考えて静かに後ろに下がったんだ。
似たような考えの奴は必ず居るもんでな。
同じように壁際に移動した奴等と目が合って思わず笑っちまった。
お互い自分の顔の出来は十二分に理解してるってか?
…だが、そんな軽い気持ちで居られたのは最初だけだ。
どういう訳だろうか。
顔の良い若い連中は壁際に追い立てられ、俺のように年配の連中だけが御貴族様の前に引っ張り出された。
薄汚れた衣服で綺麗な顔をした女の前に立つのは恥かしい物があったが、そこはそれだ。
何年も奴隷生活を繰り返している俺達にはあまり関係のない感情だ。
とりあえず気にもしない風を装って御貴族様を盗み見る。
顔は上げていないといけないからな。
特に怪しまれる事もない。
奴隷と言ったってそこまで過酷な労働は課されない。
炭鉱で働いていた時だって週に一日は休みがあったんだし。
食事だって量は少ないが日に三食、清潔な衣服と共に支給される。
なったことのない連中は「奴隷なんて」と口にして嫌悪するが、俺はそこまで悪い職業ではないと思っている。
下手をすれば地元に居た頃よりも恵まれた生活をしているのだ。
乱暴はされないし、性格の悪い飼い主は居るが、そこまでひどい事はされない。
年一回の素行調査がいいのかも知れん。
人当たりの良い優しい飼い主の時は無かったが、ひどい飼い主に当たった時の事だ。
見慣れない奴隷がいつの間にか居て、そいつは俺達に飼い主についての評判やら行動なんかを聞いてきたんだ。
随分と口の達者な奴が居るなぁ、なんて暢気に考えていたが、少し経ってから気付く機会があった。
そこで飼われていた俺達が解雇された時だ。
何が何やら分からないまま外に出てきた俺達を待っていたのは、口の達者な奴隷だった。
彼は国から使わされた調査団の一人だったらしい。
外部の情報だけでは信憑性に欠けるとか言って内部に潜入していたそうだ。
…無駄な動きが無かったのは訓練された騎士様だからだってさ。
そういう事もあって俺達はまた売りに出された。
…というか。自分達から売りに行った。
学の無い俺達が自立して生活していけるほど世間という奴は優しくない。
路頭に迷うくらいなら奴隷として働いて衣食住を保障してもらう方が断然良いに決まっている。
「貴方、お名前は?」
現実逃避気味に過去を回想していたのが悪かったんだろうか。
それとも呆然と顔を見つめていたのがいけなかったのか。
知らないうちに俺の方まで順番が回ってきていたらしい。
出来れば買われたくないが(貴族令嬢によるセクハラは意外と多いのだ)仕方が無い。
珍しく優しい商人達に扱ってもらっているのだ。
此処で下手をすれば彼等にも迷惑が行くだろう。
…ああ、買われたくないなぁ。
「ヨルと言います」
「まぁ、素敵なお名前ね。髪の色からそう言った名前が付けられたのかしら」
視界の端で商人がしきりに首を縦に振っている。
俺はもう嘆息するしか無い。
売られた商品は奴隷として働く間。
その時の商人が付けた名前を名乗る事になっている。
俺の新しい名前は「ヨル」。
黒い髪と灰色の瞳からそう名づけられた。
髪は夜空、瞳は煌く星々だそうだ。
ひどくロマンチックな発想だが、商人が考えた名前ではない。
彼の奥様が付けた名だ。
面白そうに目を細めている御貴族様には申し訳ないが、出来れば名前は呼ばないで欲しい。
名付け理由を知っているだけに恥かしいを通り越して穴に隠れたい気分だ。
「ではヨルさんとユキさんを頂いていきますね」
終わった…。
最悪だ、絶望しか見えない。