母の胸中
その声に二人は目を見合わせると揃って困ったように笑みを浮かべた。
入室し、マリーは洗練された動作で朝の挨拶を口にし、疑問を投げかけた。
「お早う御座います、お母様。私に用事とは何でしょうか?」
「ふふ…相変わらずせっかちさんね。とりあえず座りなさいな、マリー」
蕩ける様な甘い笑みと共に彼女の母は椅子を指差した。
一緒に入室した侍女に「紅茶とお茶菓子を持ってきて」と言うと、彼女はゆったりとソファに身を沈めた。
向かい合うような位置に腰を下ろしたマリーに彼女は優しく言葉をかけた。
「ごめんなさいね、マリー。自室で寛いでいたのでしょう?」
「構いませんわ。それにしても、お母様が私を呼ぶのは久しぶりでは有りませんか?」
その言葉に母はクツクツと喉を鳴らす。
随分と頭の回転の速い娘ではあるが、他者の心の機微にはひどく疎い子だ。
母であるエリーゼは柔らかく目を細め、彼女が戸惑った様子で帰って来た日を思い出した。
春の日差しとは裏腹に内心が煮えくり返りそうだったのを良く覚えている。
滅多に他者に近づかない娘が幼い頃からの知り合いであるローレントには良く懐いていた。
マリーにしてみれば面倒な遊び相手であり、家同士の関係上、断りきれない仲だったと気付いたのは何時だったか。
親友であるロウトの息子ならば安心だと嫁に出したのが間違いだったのだ。
結婚してから届く娘からの手紙には「女遊び」「博打」「不倫」等とても公には出来ない事ばかりが書かれていた。
困った表情までもが伝わってくるかのような文面に始めのうちは驚いて戸惑ったものだ。
しかし、それも何ヶ月も続くようになると流石に我慢の限界が来ると言うもの。
親友からの頼みで結婚させた愛娘が侍女のような扱いを受けていると知れば、怒らぬ母親などは居ないだろう。
それでも一年は待ってやった。
マリーはローレントに恋心は抱いていなかったものの、友人として大切に思っているのを知っていたからだ。
そうでなければ昔の伝手を総動員して消し去ってしまうところだった。
愛しい旦那様が止めてくれなければ可愛い娘を奪い返しに行こうかとも思っていた。
悔しい事にマリーは帰ってくるように言う母よりも友を取った。
年々酷くなっていくローレントの面倒を見ては手紙で疲れたような言葉を漏らすようになっていった。
早く帰ってくればいいのに。
そう思っていたエリーゼは考えた。
自分が言っても聞かないのであれば原因の両親に言えばいいのだ、と。
エリーゼからの話を聞いたロウトは深く謝罪してきた。
もう随分と前から息子の現状についての情報は入ってきていたが、必死に頑張っているマリーを見ていたため、割って入る隙を見つけることが出来なかった。
マリーの両親から言われてからの行動は早かった。
馬鹿息子が出かけている間にロウトはマリーに謝ったと言う。
不甲斐無い父親ですまない、とか。
心底どうでもいい、とエリーゼならば言うのだろうが、マリーは優しい夫の気質を受け継いでいるのだ。
※ご静読有難う御座いました。