時は過ぎ…
ポタ…ポタ…。
小さな音が響き渡る。
屋根から迫り出して来た雪から水が滴り落ちる音だ。
マリーはふと雪がちらつく窓の外を眺め、物憂げな溜息を零した。
両手で支えていた本を机に置き、白く曇ってしまった窓ガラスに手を当てる。
ひんやりとした感触と同時に触れていた場所から体温が抜けていく。
「ローレントはどうして居るのかしら…」
マリーと離婚してからと言うもの、ローレントの良い噂は聞いたことが無い。
公爵家から正式に追放され、マリーと言う妻を失ってからは彼の生活は荒れ果てていると言う。
遊び歩いていた時の友人達は貴族と言う地位から転落した彼を助けてはくれなかったようだ。
金があるから遊んでいたのだろう。
そういった遊びには疎いマリーにでさえ考えが付く。
顔が良いだけの無職の男に女が言い寄るわけが無いのだ。
せめて性格が良ければ変わったのだろうけど。
始めのうちは公爵家から手切れ金として渡された資金でどうにか遊んで暮らしていたようだけど、しばらくして金も尽き掛けて来ると今まで言い寄ってきていた者達は距離を置き始めた。
金が完全に底をつく頃には住む場所すらも無くなったと聞いている。
「でも、手助けは駄目…よね…」
彼の事を思うのなら仕事を斡旋してあげるべきなのだろうが、きちんと働いてくれるかどうか正直言ってマリーには自信が無かった。
素直な性格でもなければ、汗水垂らしてその日の資金を稼ぐような男ではない。
話しかけて見ようものなら「金をくれ」と言われるだけだろう。
貴族であった者が、金に溢れていた者が働く事は難しい。
マリーのように少しずつ庶民の暮らしを知り、ちょっとした小遣い稼ぎが出来るようになるまでには時間が掛かるだろう。
本音を言えば、マリーは安堵しても居た。
あのまま結婚生活を続けていけば、間違いなくマリーは身体を壊していただろう。
それだけならいい。
だが、もしかしたら実家やロウト様達にまで迷惑を掛け続けてしまうのではないかと不安を抱えていた。
離婚をするのは意外と簡単であっても、そこまでの決心がマリーにはつかない。
友人として見てきたローレントの良い部分。
妻として見えてきたローレントの悪い部分。
それらを受け入れて直してあげるだけの自信がマリーには無かった。
「結局のところ。最低なのは私だったという事でしょうか?」
真っ白な雪がちらつく外。
友であったローレントは何をしているのか。
食べ物はあるのだろうか。
寝床は? 温かい衣服は?
…そこまで考えてマリーは首を振る。
甘やかしてばかりいたから彼は悪い方向に堕ちていってしまったのだ。
同じ過ちを繰り返さない為にも彼の事は考えないほうがいいだろう。
友であった彼は、もう何処にもいないのだから。
「御嬢様、少し宜しいでしょうか。奥様が御呼びで御座います」
「お母様が? 何の御用かしら?」
「さあ? 私は御嬢様を呼んできて欲しいとしか頼まれなかったものですから、詳しい事までは分かりません」
昔からマリー付きとして働いてくれている侍女が首を傾げる。
珍しい事に母は侍女に何も言っていないようだ。
常であれば簡単な用件は侍女に伝えてくれているのだが。
侍女に先導されながら冷えた廊下を歩く。
慌てて羽織ってきた上着の前を合わせながら、廊下の窓から見える景色に目を細めた。
「最近は特に寒くなってきたわね…はあぁ…息も真っ白よ…」
「近隣の村々では冬篭りの準備が急いでいるみたいですよ? 今年は雪が降るのが例年よりも早かったですからね」
「ああ、そうかもしれないわね。去年はもう少し暖かかったわよね。室内に居ても寒くて凍えそうよ。村の皆は大丈夫なのかしら?」
貴族である自分もこれだけ寒いのだ。
大した備えも無い村の皆は大丈夫だろうか。
ふとそう思ったマリーは侍女に問いかける。
彼女はマリーの父を手伝って村の指導も行っているのだ。
「御安心下さい。御嬢様がそう言われるだろうと思いまして。秋の内から暖炉にくべる用の木を集めるように言ってありますし、寒さ対策にはならないかもしれませんが、家々の周りを冬風から守るように塀も作ってあります」
「ほぅ…さすがはリオンね…。私だったら思いつきもしないわ。何時も有難うね」
マリーの賞賛に侍女は控えめに微笑み「御部屋に着きました」と足を止めた。
此処から先は部屋の主の許可無くして入る事はできない。
廊下を歩いている時の話し声で気が付いていたのだろう。
中から入室を許可する声が聞こえてきた。
※ご静読有難う御座いました。