83 「村長たちの五日目の夜」
何度かの小休憩を挟みつつ、俺達は出発から5日目の日没までにドラティオ山脈を越えることが出来た。山の中腹まで降りた頃から肌を刺すような寒さは和らいで、今では肌寒いくらいにまで回復していた。金属甲冑を着ている騎士団の人達も心なしホッとしているように見えた。
野営地につくと、早速みんなは天幕の設営や露天風呂の作成に取り掛かった。
リンダやローナのような子供は毛皮のコートを脱ぎ捨てて、オリーと一緒にキャッキャッと陽気な笑い声をあげて野営の準備をするみんなの周りを元気に走り回っていた。今日の子守り役となった様子のレオンが元気の良い3人に振り回されていた。エヴァの姿はなかった。多分また誰かの影の中で寝ているのだと思う。
そんな中、俺は天狐やレナ達と夕食の準備をしていた。ラビリンスと幼竜は、天幕の寝心地を確かめているのでここにはいない。
「カケルさん、野菜切り終えました。これは炒めたらいいんですか? 」
「ありがとう。野菜肉炒めにしたいから野菜を炒める前にそこにあるラードをフライパンの底に引いて、そこの白いプロビルを黄色くなるまで炒めてくれるかな。それで、肉に火をしっかり通してから野菜を入れてね」
「はい、わかりました! 」
「カケル。ステーキが焼き上がったから保温をお願いね」
レナに指示を出していると、横合いから列を為した焼きたてのステーキが空中を飛んでくる。天狐の【神通力】によるものだ。天狐お得意の【狐火】と【神通力】によって天狐一人で一度に10人分の働きをしてくれているので助かっている。
「わかった。――内なる火よ その身に留まり給え【創造魔法:保温】」
呪文を唱えて、天狐が寄越してきた皿に盛られた料理に魔法をかけていく。
料理にかけた魔法は、その名前の通り、効果は料理の保温であり、【付与】の【火の恩恵】から着想を得てアレンジを加えた魔法だ。料理自体に付与するのではなく料理が盛られた皿を起点に温度を一定に保つように設定した魔法なので、一度かければ維持にMPを消費を必要としない付与とは違って、時間の経過でMPを消費する。が、維持にかかるMPは微々たるものなので大した問題ではない。アイテムボックスに入れてしまえば済む話なのだけど、アイテムボックスのことは一応騎士団には隠しているのでこんな魔法を編み出すきっかけとなった。それに今の俺には丁度いい練習にもなる。
「くぅーん、くぅーん」
「なんだポチ、腹が減ったのか。天狐、その辺に骨がなかったか。貰えるかな? 」
「これね。ええ、いいわよ」
食事を用意しているとポチが地面に伏せって物欲しそうな鳴き声をあげるので調理の際に出たまだ肉片の残った魔獣の大きな骨をあげた。放り投げてやるとポチは飛び上がって空中で器用にキャッチした。
「わふっわふっ」
着地したポチは獣形態のまま猛烈な勢いで骨にしゃぶりつき、歯を使って肉をこそぎ取って骨をバリバリと噛み砕き嚥下した。魔獣の頑丈な骨を歯牙にもかけない豪快な食べっぷりだった。
「……」
「ムイまで来たのか。どうしたお前まで何か欲しくなったのか? 野菜の切れ端とかあるけど食べるか? 」
いつの間にかポチの横にいたムイが無言でじーっとこちらを見てくるので尋ねてみると、コクコクと首肯された。
少し痛んだ部分や汚れていて廃棄となった野菜クズをボウルに盛り付けてムイに渡した。
俺としては綺麗で新鮮なのだけを食べて欲しいと思うのだけど、俺があげなければムイは廃棄するゴミを隠れてこっそりと食べてしまうので、諦めてムイが望めば渡すようにしている。別に害があるというわけではないし、裏でこっそり食べられるよりは安心できる。
「そんちょ、ありがと」
ムイは、一言礼を述べてから受け取ったボウルを持ち上げて中身を一気に呷った。重力に従って下に落ちる野菜クズは、大きく広げられたムイの口内へと落ちていき消えていった。食べ終えたムイは、お腹を擦って満足げな表情をした。
「カケル、次これお願いね」
そうこうしていると、天狐から新たに焼き上がったステーキが列をなしてやってきた。個人的に画期的だと思う【保温】の魔法の欠点を言えば創造魔法の性質上一度に一つの魔法しか使えず、使用の度に詠唱が必要となり時間がかかることだった。
一度に複数の対象を選択するように魔法を書き換えたいところだけど、複数選択を魔法に組み込むのはすぐに出来る作業ではないので、諦めて料理に一つずつ丁寧に保温を施していった。
夕食の準備が出来る頃に、天幕の準備などをしていた仲間たちが作業を終えて集まってきた。
「つ、疲れた」
「あー楽しかったー」
「わたし、お腹空いたー! 」
「おおっ、今日も美味そう! 」
子供達も一日馬車に乗りっぱなしであった運動不足を発散できて晴れ晴れとした表情だった。アッシュは、稽古が終わったばかりなのか汗だくで泥だらけだった。
「ちょっと待った。アッシュ、ご飯食べる前に汚れた体を綺麗にしてこい」
「えー、そんなの後でいいじゃんかよ。お腹減ってんだよ……ってうわっ!? 」
料理を目の前に渋るアッシュの襟首を黒士がむんずと掴んだ。
「アッシュ駄目。村長の言うことは守る」
そう言うと黒士はアッシュの襟首を掴んだまま強引に出来たばかりの露天風呂に連れて行った。今日の一番風呂をアッシュに譲ってあげよう。
モグとオリーが椅子やテーブルを用意してくれた。そこに完成した料理を並べていった。みんな、適当に席についていく。そこには寝起きの瞼を擦るラビリンスの姿もあった。幼竜はモグの頭に乗っていた。
そうしていると、行商人のアサルディさんや傭兵のバッカスさんたちも自分達の天幕の設営が終わってこちらに顔を出しにきた。
「カケルの旦那、今日もご馳走になるぜ。よろしくな」
「いつも声をかけて頂きありがとうございます」
「気にしないでください。好きでやってることですから。気になるのでしたら街に着いた時は街を案内してくださいね。楽しみにしてます」
「はい、心を込めて案内させていただきます」
狂人集団、夜鷹の爪の盗賊団に襲われて一文無しのバッカスさん達を何だかんだで救出してからずっと面倒を見てきているので、旅の間も食事の面倒を見ていた。
バッカスさん達は、餞別として武具やお金になりそうな薬草や魔物の毛皮などをいくらか渡してあるので一応、一文無しではなくなっていると言える。それにこの旅の間、バッカスさん達はポチ達の狩りに同行して弱い魔物を狙って狩りをしていたりするので、街に戻ってすぐに路頭に迷うなんてことはないと思う。
「うひょー。見てみろよあのステーキの肉厚! やべぇ、涎が止らねぇぜ」
「ちょっとボバドル。あなたはしたないわよ」
「無茶言うな。ホワイトマフォースの熟成肉だぞ。香りを嗅いだだけで涎が止まらねぇ。ああ、喰いてぇな」
「ホワイトマフォースのステーキってそんなにおいしかった? 昨日のスープに入ってたのはすごく柔らかったけど、基本的に筋っぽくて硬かったと思うんだけど」
「これだからヒューマンは分かってねぇなぁ。あの噛み応えがいいんじゃないか。噛む度に肉汁が口に溢れ出る美味しさは堪んねぇぞ。俺のいた部族じゃホワイトマフォースを狩れる戦士は、そりゃもうメスにモテモテだったぞ」
「私には理解できないわ。でもまぁ、カケルの出す料理なんだから期待してるわ。んーいい匂い。これが全部その辺から採ってきたものっていうのが信じられないわ」
シアンさんとボバドルさんは、お互い意識はテーブルに配られていく料理に向けられていた。ボバドルさんは口から零れそうになる涎を拭い、シアンさんは深く息を吸ってその料理から立ち昇る匂いに笑みを浮かべる。
「うまそう! 」
その一部始終をテーブルの縁からローナが顔を出して覗いていた。ローナはボバドルさんを真似してぐしぐしと自分の左頬を袖で拭った。
「おっ、チビもわかるか」
「うん! お肉うまそう! 」
そう言って笑うローナの頭をボバドルは、話の分かる奴だとぐしゃぐしゃと撫でた。
全ての席に料理が置かれて大体のみんなが席に着いたところで食事は始まった。わいわいと騒がしく俺たちは食事を楽しんだ。
「あ、これガーリックの匂いがする。おいしい!」
レナの作った野菜肉炒めを一口食べたラビリンスがそう叫ぶ。
「それはプロビルっていう香辛料を使って味を引き立てているのよ」
「プロビル……確か強壮薬に使われるような薬草だな。料理にも使うのだな」
天狐がラビリンスに匂いの正体を教えて上げていると、偶然近くに居合わせたオスカーさんが2人の話に喰いついた。
「ええ、プロビルの根っこの球根を香辛料として使うの。疲労回復にいいのよ」
「なるほど。初めて食べた味だが悪くない。プロビルは、今日見つけたのか? 」
「ええ、山に自生していたのを偶然見つけたの」
「そうか。この辺りに生えているのか」
「ガーリックって言ったら、他に餃子とかガーリックトーストとか食べたいな! 」
「ぎょうざ? あと、ガーリックトーストというのは、どういう料理なの? 」
「聞いたことない料理だな」
「あ、えっと……餃子っていうのは、餃子の皮に大蒜とかお肉を入れて焼くんだけど……って、ああ! 餃子の皮は、パンを薄く延ばした生地で、私の手のくらいの大きさなの。それで中にミンチにしたお肉とか大蒜……じゃなくてプロビルとか薬味を混ぜた具を包み込んでフライパンでパリッと焼いた料理なの! それでガーリックトースターは、粉末にしたプロビルとかの香辛料をバターに混ぜて焼きたてのパンに塗ったもの!香ばしくておいしいの! 」
「……うまく想像できないな」
「でも、何だかおいしそうね」
ラビリンスの拙い説明にオスカーは首を捻り、天狐はふふっと微笑んだ。
そうして、俺たちが食事を楽しんでいると雷光騎士団の天幕の方で俄かに騒がしくなる。ざわざわとした動揺した空気がこちらにまで伝わってきて、何だか慌てた様子でバタバタと忙しなく騎士団の人達が走り回っていた。
何かあったのかな?
「何事かしら」
話を中断した天狐が、その金色の瞳を騒がしくなった騎士団の方へと向ける。耳を立てて、様子を探っているようだった。
「もしかして魔物が出たのかな? 」
「しかし、それにしてはあまりピリピリしてねぇな。むしろ動揺の方が大きいように見えるな」
正面でステーキを頬張っていたバッカスさんが、野営地を忙しなく走り回る騎士たちを注意深く観察しながら答えた。
「ええ、あなたの言う通りね。カケル、どうやら出たのは魔物じゃないみたいよ」
天狐にそう言われて、真っ先に脳裏に思い浮かんだのは、盗賊であった。
「いいえ。カケル、どうやらそうでもないみたいよ」
俺の顔色を見て何を考えているのかわかったのか、天狐は首を振った。
「事情はよく分からないけど、現れたのは雷光騎士団のような統率された集団よ」
天狐のその言葉に俺とバッカスさんは揃って顔を見合わせた。




