81 「悪戯な風は、縛られない」
「うー……やっぱり納得できない」
村長たちが旅に出た3日目の早朝、村で留守番を言い渡されたシルフィーが頬を膨らませて拗ねていた。その目の前では、半人半蜘蛛のアラクネが蜘蛛の足と両手を使って器用に布を織っていた。
「あなたが日頃から問題を起こすからよ。村長たちが出かけている間大人しく出来ていれば、今度連れて行ってくれるって言ってたじゃない」
「だって、つまんないもん。村長たちだけ街に行くなんてずるい」
「はぁ、まったく……。シルフィーは子供ね」
「ぶー、どうせあたしはおこちゃまですよー」
そう言って胸に抱きついてくるシルフィーにアラクネは嘆息する。
胸の谷間に頭を埋めてぐりぐりと頭を擦り付けてくるシルフィーを、アラクネは手慣れたようにあやしながら布を織る手を止めることなく器用に蜘蛛の足のみで続ける。
「そんなに街に行きたいなら分身体を街に飛ばせばいいじゃない。あなたも私みたいにできるんでしょう? あなた自身はこっちでお留守番しておけば約束破ったことにはならないんじゃないの? 」
「それだっ!! 」
何気ないアラクネの一言に、シルフィーはガバリと胸から顔を上げた。その拍子にアラクネのたわわな胸がぶるんと揺れた。
「どうして気付かなかったんだろう……! アラクネってば天才! 」
舞い上がるような感情と共にシルフィーは、空に舞い上がってくるくると回る。ポンと、シルフィーの体からぬいぐるみサイズの分身体が分裂した。分身体と本体のシルフィーはお互いにハイタッチして「いえーい!」と息が合った様子で空中を滑るように舞い、ダンスを踊るかのように踊った。
狂気乱舞するシルフィーの様子にまずいことを教えてしまったかもしれないとアラクネは遅れながらに気付くのだった。
「頼んだよあたし! 」
「らじゃー! 」
悪巧みは急げとばかりにシルフィーは、部屋を飛び出すようにして村の外れに来ていた。分身体、チビシルフィーにシルフィーは話しかけていたが、一般的な眷属とは違って分身体は自身の半身と変わらない存在なのでシルフィーが行っていることは、一人芝居と何ら変わらなかった。
「シルフィー、本当に行く気なの? 」
「もちろん! 」「とーぜんっ! 」
責任を感じて後を追ってきたアラクネが尋ねると、シルフィーとチビシルフィーは口を揃えて頷いた。その様子からアラクネは、説得は無駄だと悟った。
「……わかったわ。それならこの子も一緒に連れて行ってあげて」
野放しにはできないと説得を諦めたアラクネは胸元から掌ほどの赤目の白いクモを出してチビシルフィーに差し出した。
「この子も? 」「アラクネの眷属? 」
「ええ、そうよ。この子の五感と同調できるから私の代わりに連れて行って頂戴。そしたら私もこの事は目を瞑ってあげるから」
「ねっ? 」とアラクネは悪戯っぽくシルフィーに笑いかける。実のところ、何をしでかすかわからないシルフィーのお目付け役だった。
しかし、その笑みに騙されたシルフィーとチビシルフィーはお互いに顔を見合わせた後、にやぁと悪どい笑みを浮かべた。
「これで私達共犯者だね! 」「一蓮托生! 」
チビシルフィーがアラクネからチビグモを受け取って自分の頭に乗せた。
「それじゃ、いってきまーす! 」
「うん、楽しんでくるんだよあたしー! 」
「くれぐれも無茶なことはしないようにねー」
ふわりと風に乗るように浮かび上がったチビシルフィーは、2人に見送られながらチビグモと一緒に空へと舞い上がっていくのであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『――』
「こっちに行けばいいんだね。ありがとー」
『―――!――!』
道中、時折空を漂う風の精霊に先行するカケル達のことを訪ねながらチビシルフィー達は、空を飛んでいた。仮にも最高位の精霊の一角であるシルフィーの分身体のチビシルフィーは、精霊としての格が弱い為に人の言葉を話すことができない最下級の精霊であってもコミュニケーションを取ることができた。
「あ、あれだ! 」
そうして、空の上を漂うかのように風に乗って一昼夜ずっと飛び続けたチビシルフィーたちは丸一日かけてカケル達に追いついた。
それは、ちょうどカケル達が崖道を移動しているところだった。
「うわっ、すごい行列。それに道ほっそーい! 」
空から隊列を見下ろしたチビシルフィーは、キャッキャッと楽しそうに笑う。チビグモはその頭の上から無言でじーっと眼下の隊列を眺めていた。村長たちとの約束を半ば破ってきているチビシルフィー達は、ここに居てはいけない存在であるが為にカケル達に気づかれないよう空の上から見ていることしかできなかった。
「あ、前から馬車が来てる」
そんなチビシルフィー達であるから前から結構なスピードを出して崖道を走る馬車に真っ先に気付いた。
「何だか危なそー」
見ていたチビシルフィーがそう感想を漏らすほどに、その馬車は滑落の危険のある崖道の中ををかなりの速度で飛ばしていた。現に、舗装されていない道に転がる石やくぼみに車輪が乗り上げたり、落ちる度にガタンガタンと車体が大きく揺れていて今にも転倒しそうだった。
そうこうしていると件の馬車が先頭を行く騎士団の騎馬隊へと近づていき、両者が互いに気付くところまで接近したところで件の馬車が急停止した。そして、幅の狭い崖道にも関わらず無理に馬首を翻そうとして、馬車を牽引する馬の一頭が足を踏み外して崖へと落ちた。もう一頭の馬も引きずり込まれるように崖へと落ちた。そして、その馬たちと繋がっていた馬車も足場の土砂と一緒に真っ逆さまに崖から落ちた。
「いっけない! 」
チビシルフィーが動いたのは、半ば反射であった。一陣の風になってあっという間に落下する馬車に近づいたチビシルフィーは、落ちる馬車や人に対して下から突風を吹かせて落下速度を軽減した。分身体であるチビシルフィーが、咄嗟に振るえる力はその程度のことしかできなかった。しかし、それによって【竜の咢】の連中は即死を免れ、真竜の卵も傷一つなかった。
「急に落ちちゃうんだもん。焦ったー」
ふぅ、とチビシルフィーは出てもいない額の汗を拭き取る仕草を取る。
「それにしてもあんな場所で方向転換しようとするなんて無茶するなー」
そう言いながらチビシルフィーは、落下に巻き込まれた人の安否を確認する。全員、辛うじて生きていた。念のため回復魔法をかけておこうかと思案していると、壊れた馬車から零れ落ちた積み荷に紛れて青白い卵が転がっているのが目に入った。
「青い卵? わぁ、おっきい! これ一個でどれだけプリン作れるんだろ! 」
怪我人の治療をそっちの気でチビシルフィーの関心は、自分よりも大きな卵へと移った。風のように移り気な風精霊の悪癖が出てしまっていた。
「えへへ、これで村長にプリン作ってもらおう! 」
チビシルフィーは、卵に抱き着いて無邪気に食べきれないほどのプリンの山を妄想していた。
「ギチギチ」
そんなチビシルフィーにチビグモが警告するかのように牙を擦り合わせて音を出した。それにチビシルフィーはハッとなって顔を上げた。その視線は、頭上へと向けられていた。
「やばっ、小鴉兄がこっち来てる! 逃げなきゃ! 」
空気の動きから小鴉の存在をいち早く察知したチビシルフィーは、こうしてはいられないと卵から体を離す。誰かに取られてしまわぬようにチビシルフィーは卵を転がして土砂の中に埋めた。未練がましそうに卵を埋めた場所を見つつもチビシルフィーは、飛び上がって谷底を後にした。
それから空の上から谷底へと降りてきたカケル達の一部始終を見たチビシルフィーは、隠していた卵を見つけたモグに対して地団太を踏んで悔しがった。
「あー! それ、あたしが最初に見つけたのに! モグのバカ! どうしてこんな時に限って村長たちについてきちゃうの! 」
そんなことを叫びつつも、チビシルフィーはカケル達の手によって怪我人が無事に治療されたことに安心していた。最も、地上に戻った後にその者たちが犯罪者として拘束された時には「助けて損した! 」と地団太を踏んで憤っていた。
そして、虎視眈々と食材として狙っていた卵から幼竜が孵化した時は、チビシルフィーは「あー! 」と勿体ないとばかりに叫んだ。同じタイミングで、村で留守番をしているシルフィーもまた「私のプリンが! 」と叫んでいた。
チビシルフィーにとっては、踏んだり蹴ったりな状況の連続にチビシルフィーのフラストレーションは溜まっていた。故に、カケル達がいつものように露天風呂を作成しているのを眺めていたチビシルフィーは、ある些細な悪戯を思いついた。
そして、脱衣所の男と女の表記を入れ替えてまんまと天狐たちを騙したチビシルフィーは、天狐たちに言い寄られてたじたじとするカケルや珍しく我儘を言った小鴉を見て夜の空の上でケラケラと愉快そうに笑うのだった。
シルフィー「約束は破ってない(キリッ」




