73 「村長の馬車の中での過ごし方」
小休憩を終えた俺たちは、再び馬車に乗って先に進んでいた。今は、平野の林を抜けてドラティオ山脈の麓にまで来ていた。
この世界の人達から魔境と呼ばれているドラティオ山脈は、まるで世界を隔てる壁かと思うほどに高く険しく巨大だった。
「ふわぁ……! すごく、おおきいです……! 」
雄大なドラティオ山脈を前にしてラビリンスは、幌馬車から身を乗り出して見惚れていた。
「マスターマスター! あれ、あれっ! すっごく大きいです! 高いです! 白いです! 」
何百年もダンジョンという狭い世界しか知らなかったラビリンスは、世界の広さを実感させる絶景に大興奮だった。
ラビリンスに限らず、後方の馬車に乗っている子供達も興奮しているようだった。「すげー! でっけー! 」というアッシュの声が聞こえてくる。
ドラティオ山脈の峰は積もった雪で真っ白だった。アサルディさんの話によると、ドラティオ山脈の峰は年中雪が積もっているそうだ。山の麓は所々緑に覆われていたが、中腹からは完全に地肌が剥き出しになっていた。クロイスさんの話によると、中腹からは氷魔法を使う雪刃虎や落石と見紛う見た目で斜面を転がってくる岩石虫などの獰猛で危険なモンスターが多数出没するそうだ。
ワイバーンも出没するそうだし、ここを越えるのはまさしく命がけなのだそうだ。
特に多くの魔物たちの繁殖時期と重なる春や雪で閉ざされる冬の山越えは、自殺行為なのだそうだ。
「ただ今回はカケル殿たちもご一緒なので、万が一があっても大丈夫でしょうね」とは、アサルディさんとクロイスさんの言だった。2人とも口裏を合わせているのではないかと思うほどに全く同じことを言っていた。
フラグだと思ったのは、ここだけの話だ。
そんなことを考えていると、バサバサと鳥の羽ばたく音が頭上から聞こえた。
「ん? 」
その音に反応して馬車の後ろから身を乗り出して空を見上げた。一瞬、顔に陰が差したかと思うと、すぐ横を誰かが通り過ぎた。風が頬を撫でた。ギシリと馬車へと降り立った者の体重で床が軋んだ。
「村長、ただいま戻りました」
入ってきたのは小鴉だった。背中の黒い翼を小さく折り畳んで仕舞い込みながら即座に膝をついて俺に対して頭を垂れてきた。
こういう時の小鴉の堅苦しい態度は、何度言っても変わらない。最近はもう小鴉の性格だと思って先に俺が慣れしまっていた。
「おかえり。何か報告するようなことはあった? 」
「いえ、今のところ村長が気にかけるようなことは御座いません。上空から偵察したところ、ワイバーンはこの付近にはおりませんでした。他のモンスターの活動も活発ではありませんでした。今日のところは、モンスターと遭遇するようなことはないかと思われます。また、道の状態の方も確認して参りましたが、この所良い天気に恵まれていたため問題は御座いませんでした」
「うん、そうか。よかった。小鴉、偵察ご苦労様。今日はもうこの馬車の中でゆっくりしてくれたらいいよ」
「承知致しました」
了承した小鴉はもう一度頭を下げると、馬車の最後部に移動して胡坐を組んで座り込んだ。隣のゴブ筋と言葉少なく会話を交わした後は、目を閉じて瞑想をするような自然体で休息を取り始めた。
どうも眠っているようだった。
ここ数日、街に行くことが決まってから特に昼夜を問わず飛び回っていたので疲れが溜っているのだろう。俺はそっとしておくことにした。
さて、何しようかな……。
魔法の先生であるラビリンスは馬車から見える景色に夢中だし、これと言ってやることがない。同乗している他の仲間へと目を向けてみると、頑冶は手慰みに先程の休憩の時に拾ってきた木片をナイフで削っている。ゴブ筋は黙々と武具の手入れをしている。天狐は九つの尻尾を全て曝け出して丁寧にブラシで毛繕いを行っていた。
俺以外は、この退屈な時間を上手に過ごしていた。
まぁ、折角の旅なんだし何もせずのんびりするのもありかもな。
俺はそう思って、馬車の壁に背中を預けて目を閉じた。
ガタゴトと悪路を走る車輪が音を奏でる。幌馬車の中を通り抜ける風に乗って遠くの鳥の囀りが聞こえる。空に昇った太陽の陽射しが馬車の後部を暖かく照らす。
時折、前の方から山の景色に夢中になっているラビリンスが「ふぇー」という間抜けなため息を零す。頑冶が木片を削る音が聞こえ、武具の手入れをするゴブ筋の持つ布から少し青臭い油の臭いがした。
毛繕いをする隣の天狐からは、何ともいえない甘い匂いがした。その匂いは、嗅いでいると何だか胸の奥が満たされるような落ち着く香りだった。
そんな居心地のいい馬車の中で俺の意識は段々と薄れ、次第に心地よい微睡みの中へと入っていった…………
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「カケル、起きて。そろそろ目的地に着くみたいよ」
「うん……? ああ、そうなのか……」
頭上から聞こえてきた天狐の呼びかけで深い眠りに入っていた俺の意識は覚醒した。毛布のように上にかけられていた天狐の尻尾を除けながら俺は体を起こした。
「また膝枕してくれたのか。ありがとな天狐」
「いいのよ。私が好きでやってるのだし」
寝ている間にしてくれていた天狐の膝枕のお陰かぐっすりと眠ることが出来た。天狐が傍にいる時に寝ていると、天狐が膝枕をしてくるのはいつものことだった。
天狐のような美女に膝枕されてしまうのに慣れてしまってるなぁ、と思う。
天狐の膝枕はあの太ももの絶妙な柔らかさと弾力が、低反発枕を凌駕する丁度いいフィット感と心地いい温かさを生み出していて最高の枕だった。それに何かいい匂いするし、天狐の心音がよく聞こえて落ち着ける。
慣れたというか、骨抜きにされてしまっているような気さえする。
いや、頑冶達が用意してくれた自室のベッドの枕も十分寝心地がいい枕なんだけどね。どっちも日本にいた時に使ってた枕とは比べ物にならないくらいいい枕なんだけどね。
それに今回は天狐が毛繕いしたての尻尾を絨毯のように馬車の床に広げて、別の尻尾で毛布のように包み込んでくれていたので、馬車の中に吹き込む冷たい風は全く気にならなかった。馬車の中をよく見回すと、ラビリンスが天狐のもこもこの尻尾の中に体を埋め込んで熟睡していた。あと、胡坐を組んだまま眠る小鴉の首に天狐の尻尾が回っていた。
「お? 小鴉はまだ眠ってるのか。珍しいな」
「ええ、私が尻尾を首に回した時に一度目を覚ましたけど、すぐにまた寝たわ」
「よっぽど疲れていたのかな……」
毎日ずっと昼夜関係なく飛び続けてるイメージが強い小鴉が、こうした姿を見るのは珍しかった。
大きな黒い鳥の姿で羽根を休めている姿を見ることは時々あったけど、人の姿のまま休んでいる姿を見るのは本当に珍しい。
俺は小鴉を起こさないように床に膝をついてそぉっと近づいて下から覗き込むようにして小鴉の寝顔を見る。顔の下半分を黒い布で覆い隠された小鴉の寝顔は、顔の緊張が解けているのか眉尻が下がっていつも硬い表情が和らぎ安らかな寝顔だった。
あどけない寝顔とは、まさにこういった寝顔のことを言うのではないだろうか。
などと思っていると、天狐が広げていた九つの尻尾を仕舞い始めた。
すると、当然小鴉の首に回っていた天狐の尻尾もしゅるしゅると動くわけで、閉じられていた小鴉の瞳がうっすらと開かれて目が合った。
見つめ合ったのは五秒にも満たない僅かな間だった。月のない夜空を思わせる小鴉の黒い瞳は、最初の数秒程はぼおっと見つめ返してきていた。しかし、それを過ぎると瞳の中に光が宿り目が零れんばかりに見開かれて、黒い布で隠された口が息を呑むのがわかった。
「!!!?? 」
俺を認識した小鴉は、声なき声を上げた。馬車の中で突然バサァッと背中から黒い翼を広げたかと思うと、その場から真上に飛び上がって馬車の天井に頭を強かに打ち付けた。その衝撃で、一瞬馬車が浮き上がった。
それで少し我に返ったのか、小鴉は広げた翼を再び背中に畳んで仕舞い込みながら馬車の前へと飛び退った。前の方で木を削っていた頑冶が迷惑そうに体を仰け反らして小鴉の通れるスペースを作り、そこに小鴉は着地した。
着地するなり小鴉はそこに膝をついた。
「お見苦しいとこを見せしてしまい申し訳御座いません。少し気が動転してしまいました。次はないよう精進します」
「え……あっ! いいっていいって頭下げなくて! 全然気にしてないから。むしろこっちこそ驚かせてごめん」
「いえ、そのようなことは御座いません。某がどのような状況であろうとも動じない精神を磨けばよいのです」
「いやいや、その志はいいと思うけどさっきのことでそこまで気にしなくていいから」
むしろ小鴉の珍しいところが見えて、俺としてはラッキーに感じていた。
まるでミカエルのような反応だった。
「それよりもさっき頭を天井にぶつけてたけど大丈夫だったか? 」
「あれくらい何ともありません」
そうきっぱりと言って頭を下げたまま一向に上げる様子のない小鴉にどうしようかと閉口していると、天狐が横から助け船を出してくれた。
「小鴉、それくらいにしておきなさい。カケルが困ってるわよ」
天狐のその言葉でやっと小鴉は顔を上げてこちらを見てくれた。
「さっきのは驚かせた俺が悪かったし、本当にそこまで気にしないでくれ」
頼むよ、と小鴉に言い聞かせるように言うと小鴉は、「……承知致しました」と言って膝立ちで頭を下げるのを止めてくれた。
「おーい! カケル、今日はこの辺で野営するぞー! 」
馬車の中でそんな一幕があった間に俺たちはこの日の野営地となる目的地へと到着したのだった。
寝起きに間近で村長と目が合って翼を広げて飛び上がってしまう小鴉可愛い。
前書きのFAは、城戸・ししゃも・一輝様から頂いたものです。ありがとうございます。
他にもオリーやラビリンス、天狐、ゴブ筋などを頂きました。ありがとうございます。
頂いたFAは、登場人物紹介のキャラの所にひとまず置いておこうと思います。




