41 「魔物の氾濫」
「ほら早く起きなさい。ご飯出来てるわよ」
「ん~おはようママ……」
その日の朝は、いつもと変わらぬ爽やかな朝だった。
空が白み始めた早朝からいつものように母親に起こされたレスティアは、寝惚け眼を擦りながら母の用意したおいしい朝食を摂る。
「むーできない。お姉ちゃーん! 頭やってー! 」
「はいはい。レティもそろそろ自分で出来るようにならないとな」
「えーいいよ。お姉ちゃんにやってもらうからいいもん! 」
顔を洗い、いつものように服を着替えて姉に髪を編んでもらい、愛用の剣と弓を装備して防具を身に着ける。
「うん、ちゃんと手入れしてるな。よろしい! 怪我には気を付けるんだぞ」
「うん! いってきます! 」
そして、姉に装備のチェックをしてもらったレスティアは、いつものように家族に見送られて家を出た。
レスティアが住むここ、エルフの里は数多のモンスターが棲む深い森の中にあった。
里の中心に生えた世界樹の幼木を守護する役割も持つこの里は、里全体を魔物除けや隠蔽の効果などを持つ強力な結界で覆ってあり、モンスターの跋扈する森の中でありながら安全な暮らしができていた。
そのエルフの里の近くにはダンジョンが一つ存在しており、そのダンジョンから取れる魔石などを里のエルフたちは生活に利用していた。また、そのダンジョンには森に棲むモンスターよりも弱いモンスターが出現し、宝箱などがない代わりに罠が存在しないため、まだ未熟な幼いエルフたちの鍛錬の場としても利用されていた。
レスティアもまたその1人で、ダンジョンに潜れるようになってまだ一年の新米だった。
最近になってようやく、ダンジョンの中を監督役の大人の付き人なしでソロで行動することを認められたレスティアは、早く一人前になるんだと張り切っていた。
レスティアが、ダンジョンの異変に気付いたのは耳障りな音波を飛ばしてくるサイコバットを弓で射落した頃のことだった。
「うー耳がキンキンする。……ちょっと酔っちゃったかも」
特徴的な横に長いエルフ耳を手で押さえて気分悪そうにするレスティアは、腰の小袋から酔い止めの丸薬を取り出して飲み下す。
「んっ。でもこれで今日は七体目! 矢はまだまだあるし、この調子なら今日は二桁を超えるかも! 」
まだ顔色は優れなかったが、狩りが順調なことにレスティアはご機嫌だった。意気揚々と催音蝙蝠が落ちた場所へと向かう。そこには既に催音蝙蝠の姿はなかったが、代わりに半透明のくすんだ緑色の石、魔石が落ちていた。それを拾うとレスティアは、腰の魔石が入っている袋に入れた。
「ん? 」
最初の異変は、地面の微かな揺れだった。
それを敏感に感じ取ったレスティアは、大型のモンスターが接近してきていないか周囲を警戒するが、しばらくしてもそれらしい影が見つからず首を傾げる。
「気のせい、なのかな? 」
そう思っていると、次の異変をレスティアの耳が捉えた。
――ズズン……――ズズン……――
「この音……何かがぶつかってる? 」
気になったレスティアは、その音が聞こえてくる方へと警戒しながら足を向けた。
「ここは、封魔の大岩? 」
音の原因は、呪符をびっしりと貼られた大岩の向こう側から聞こえてきていた。
「おー、レスティアお前も来たのか」
「あ、トバイ。それにみんなも! 」
封魔の大岩の側にはレスティアと同年代のトバイたちが集まってきていた。ソロでの活動が認められたばかりのトバイたちもまたレスティアと同様に大岩の向こう側から響く音に引かれてここに集まってきたようだった。
その好奇心が、レスティア達の引き際を狂わせた。
ズドン……!
――ビシィッ
最後の異変が、レスティア達の目の前で起きた。
一際大きな衝突音がしたかと思うと封魔の大岩に大きな亀裂が縦に走ったのだ。
「おい、見ろ! 封魔の大岩が! 」
いち早くそれに気づいたトバイが叫ぶ。周りの子たちが遅れて気付き口ぐちにざわつき始める。
「まさか……」
「そんな……嘘でしょ……! 」
封魔の大岩が絶対に破られることがない。
その先入観からレスティア達の動揺は大きく、逃げるという次の行動をとるまでのタイムロスに繋がった。
――ピキ……ピキピキ……ピキ、ビキビキ……ッ!
封魔の大岩に亀裂が入った後も何かがぶつかる衝突音は続き、その激しさも増していく一方だった。
大岩の表面に細かい罅が走っていき、それに反発するかのように呪符の表面がバチバチと青白い火花を散らす。
「に、逃げなきゃ!! 」
その光で呆然自失の状態から我に返ったレスティアは、ハッとなって叫んだ。それをきっかけに他の者たちも次々と我に返る。
お互いに示し合わすことなくレスティア達は、ほぼ同時にその場から逃げ出した。
それから一分としない内に封魔の大岩は、抵抗虚しく粉塵を巻き起こしながら砕け散った。
粉塵が舞う中、大岩が塞いでた穴の中からのそりと大きな黒い魔獣が這い出てきた。
「グゥォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!! 」
体中至る所に無数の傷を刻んだ魔獣は、片方が半ばから折れた2本の角を側面から生やした顔を上げて咆哮を張り上げた。
それに続いて、黒獣の後から穴から這い出てきた何十何百といった傷だらけの魔物達が咆哮を上げていく。
その大合唱は、ダンジョン中に響き渡り、ダンジョンの外、エルフの里全域にまで木霊した。
それは、レスティア達の平穏な日常の終わりを告げる鬨の声であった。
百数十年、ずっと封魔の大岩によって閉じ込められ続けたダンジョン中層より下の凶悪な魔物たちが、解き放たれた瞬間であった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
レスティアの姉エイリサの耳に魔物たちの咆哮が届いた時、エイリサは森で仲間と狩猟をした帰りだった。
「ッ!!? レティ!! 」
魔物の咆哮を耳にした瞬間、エイリサは妹のレスティアの危機を感じ取った。
それは最早直感としか言い様がなかった。
「何だ、今の咆哮は? 」
「里の方から聞こえたようだが――っ、待て! エイリサ! 1人で飛び出すな!! 」
仲間の制止を聞かずにエイリサはその場から飛び出し、レスティアがいるダンジョンに向かった。
背中に背負う枷にしかならない狩りの成果である大きな葉で包んだ紅大熊の肉塊をそこらの茂みに放り捨てて目についた大木を駆け上がる。
「お願い、私に力を貸して――! 」
そして太い枝がある高さまでくるとエイリサは、魔力を纏った手で幹をタンッと叩いて方向転換すると太い枝の端へと走っていく。
エイリサの手を通して大木へと伝わった緑色の魔力が作用して、エイリサが走る大木の枝がぐぐっと不自然な曲がり方で斜め下に反れる。
「ありがと――」
エイリサが足の裏を通して流した魔力を引き金に、エイリサを乗せた枝が弾かれたように元へと戻る。
弓から放たれた矢のようにエイリサは宙へ投げ出された。
「――受け止めて! 」
緩やかな弧を描いてエイリサは木々の隙間を縫うように飛んでいき200メートル先の大木の枝に着地する。着地の瞬間に足場の枝に魔力を流したことで枝は撓んでエイリサの着地の衝撃を吸収し、そのままエイリサを前へと飛ばす発射台に変わる。エイリサは再び宙へ投げ出された。
そうやってエイリサは木から木へと飛びながら移動し、5分と関わらずにレイティアが潜っているダンジョンの前に辿り着いた。
「グゥォオオオオオオオオオオ!! 」
ダンジョンの入口からはエイリサが見たことのない魔物たちが堰を切った様に留めなくダンジョンから出てきていた。
エイリサのように魔物の咆哮を耳にして駆けつけてきたエルフたちが、魔物の進攻を食い止めようと必死に応戦していた。そのエルフたちの後ろには、レスティアの姿があった。レスティアだけでなくダンジョンにいたであろう子供たちが一ヵ所に固まっていた。
里のエルフたちは、魔物が跋扈する森で暮らすために皆が子供の頃に戦う術を学ぶ。
故に里のエルフは全員が戦士と言えるが、まだ戦いの経験が浅い未熟な戦士であるレスティアたちはこの切迫した事態で一歩も動けないでいた。
「レティ、生きてたのね。よかった……! 」
ガタガタと震えているが五体満足のレスティアを目にしたエイリサは安堵からホッと息をついたが、その直後に魔獣の一体が、仲間を踏み台にしてエルフたちが張った防衛線を飛び越えた。
「っ!? しまったっ! 」
頭上を飛び越えられたエルフがそう叫ぶが、次から次へと押し寄せてくる魔物たちの相手が手一杯で手を出せなかった。
「キュルゥオオオオオ!! 」
自身の傷と返り血で白い毛を赤黒く染めた鼬のような大きな魔獣はそのまま、縮こまって震える子供の1人に飛びかかった。口を大きく開き、噛みつかんとしていた。
「ヒッ」
死の迫る中子供に出来たのは、小さな悲鳴を上げることだけだった。
それを目にしたエイリサは、目に止まらぬ速さで背中の矢筒から引き抜いた矢を弓に番えて射ち放った。
放たれた矢は狙い違わず白い魔獣の目に刺さり、脳まで貫通して魔獣の顔を跳ね上げさせた。一矢で絶命した白い魔獣は、子供の手前で倒れる。
エイリサは矢を次々と弓に番えて放ち、他にも防衛線を突破しようとした魔物たちを瞬く間に射殺していった。
「お姉ちゃん! 」
「レスティア! 早く逃げなさい!! あなたたちは邪魔よ! そこで固まってないでさっさと動きなさいッ!! 」
エイリサの存在に気付いたレスティアが姉を呼ぶが、エイリサから返ってきたのは怯えて固まるレスティアたちを駆り立てる言葉だった。
「ひゃい! 」
普段見せない戦士としての姉の顔にレスティアは一瞬怯んだが、すぐにハッとなって正気に返るとトバイ達と視線でやりとりをして、示し合せてその場から散開した。
里へと散らばって逃げていったレスティアたちを見届けたエイリサは、空っぽになった矢筒を放り捨てて木から飛び降りた。
「ここは死んでも食い止める。だからあなたは絶対に生きて……! 」
落下しながら腰に差した鉈を抜いたエイリサは、逃げた妹の無事を願いながら目の前の戦いに自らも身を投じた。
里の存亡をかけた戦いはまだ始まったばかりだった。
捕捉説明
里の近くにあるダンジョンは、上層から中層へと続く入口を大岩で塞ぎ、森のモンスターよりも強いモンスターを上へあがってこないようにしていた。
今回は、その塞いでいた大岩が破壊されて、ずっと閉じ込められていた魔物が溢れ出てきた。
エイリサの植物の操作は、種族固有の魔法の一種です。
この前初レビューを頂きました!
百合紳士様、本当にありがとうございました!




