29 「村長、地獄の朝稽古」
朝食を摂った後は、日課のゴブ筋との朝稽古をした。いつもと変わらず、景気よく転がされた。
それでも昨日よりマシになってると信じたい。うん。
ゴブ筋だってそう言ってくれてるし、きっとそうに違いない。
「そうじゃないとやってられないよ、ホント……」
HPが半分切るまでズタボロにされた俺は、地面に仰向けに寝転がりながら内出血で所々青くなった腕で透きとおった青い空から目元を隠して独り言ちた。
今日は今までと比べていい動きが出来たと思うんだけど、怪我の具合は過去最高かもしれない。
俺の気のせいでなければ、少しずつではあるがゴブ筋も手加減というのを止めてきてる気がする。
反応速度とか、動きのキレとかが始めた当初より絶対いい。
この調子だと、いつか骨の1つや2つは折れそうな気がする。顔面にもらうこともあるし歯も1本や2本くらい折れそう……
痛いのも嫌だけど、歯が欠けたり骨が折れたりするのはもっと嫌だなー……
打撲とかとは違って、一度やってしまうと取り返しがつかない辺りが嫌だし恐い。
あれ、でもその辺案外回復呪文でどうにかなっちゃうんじゃないか?
サタンとか、黒骸との喧嘩で角を根元近くから折ってたけど次に会った時は何事もなく生えてたし、鱗とか羽根とか、体の一部である木の枝とかも回復呪文で問題なく治療出来た筈だ。
おおー、そうだよ。
魔法という便利な力は、簡単に骨や歯だって生やせるに違いない。
ははっ、なら何の心配もないじゃないな。
これなら稽古で例え骨や歯を折ったりしても――-
それって、つまりこれ以上稽古が厳しくなっても大丈夫ってことじゃないか……!
思い至ってしまった残酷な真実に俺は、両手で頭を抱えて、ぬぉぉおおおおと言葉にならない声をあげながら意味もなく地面を転がった。今さら土で汚れようが気にならなかった。
「だ、大丈夫か、村長……? 」
「……だいじょーぶ。だから今は放って置いてくれ」
今はそっとして欲しかった。
「……わかった。明日もやるのか? 」
「ああ……明日も頼むよ。今日はありがとな」
ゴブ筋は、そうか、とだけ言って去って行った。いつもと変わらないならば恐らく解体場にでも向かったんだろう。
「ふぅ……」
今更起き上がる気も起きず、俺は地面に寝転がったまま目元を隠して楽な姿勢をとる。
目元を腕で覆って視覚を遮断していると他の感覚が鋭敏になる。
肌を撫でる爽やかな風の感覚や去っていくゴブ筋が踏み鳴らす微かな地面の音がよく聞こえた。
中央広場の青空食堂から漂ってくる料理の匂いや仲間の喧騒が風にのって俺に伝わってくるし、空を飛翔する仲間の羽音も聞こえる。村の外周を走るレナ達のかけ声も俺の鋭敏になった感覚はしっかりと捉えていた。
それら鋭敏になった感覚が集める無意識の無差別な情報群は、パズルのピースを嵌めていくようにまとめられて組み上げられて、視界を介さない周囲の風景をぼんやりと脳裏に浮かびあがらせた。
不思議な感覚だ。いつも視ている場所なのに、全く別の場所のように感じる。
完全に脱力してぼうっと脳裏に浮かびあがった風景を眺めていると、自分という存在があやふやなものになっていくような気分にさえなる。
しかし、意識がより深く沈んでいくと今度は、脳裏の風景が薄れて、あやふやだった自分という存在に感覚が集中する。
テンポの早い心臓の鼓動、全身を巡る血の流れ、空気を取り入れ吐き出し肺は上下し、ゴブ筋に叩かれ青痣が出来た場所は他よりも熱い。
あやふやだった自分という存在を定まっていき、それに伴い脳裏の風景はあやふやなものになる。
暗く何もない場所に自分だけがいる、そんな不思議な感覚になってくる。
そして、その感覚に身を任せていた俺は、ふと自分という存在から感じられる感覚にいくつかの違和感を感じた。
それは、胸の中心に感じる大きく巨大な何か。
それは、下腹部に潜む何か。
それは、全身を巡る血の流れに混じって流れる何か。
ただの気のせいと言ってしまえばそれまでのとてもあやふやで不確かな感覚。しかし、それはあるように感じた。
その違和感のあるあやふやな感覚に意識を向けながら俺の意識は次第に微睡みの中に沈んでいった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
微睡んでいた俺の意識は、自分に近づいてくる足音で再び浮上した。
ゴブ筋にしては、地面を踏み鳴らす音は軽く小さい。
「あの……カケルさん、大丈夫ですか? 」
「ん、レナか……」
目元を覆っていた腕をどかして見るとしゃがんで俺の顔を覗きこむレナと目があった。
朝稽古が終わって間もないのか、上気したレナの顔は真っ赤で前髪は汗で濡れていた。息も荒い。
今日も頑張ったんだなと寝惚けた頭で思っていると、レナの汗が顎を伝って俺の頬に滴り落ちた。
「あっ、ごめんなさい」
すぐに気付いたレナが手を伸ばし人差し指を鉤爪状に曲げて指の甲で頬についた汗を掬い取った。
頬を微かに撫でるその仕草がくすぐったく、ちょっとドキッとした。
「気にしなくていいよ」
そう言って俺が体を起こそうとすると、それを察したレナが体を引いてくれた。
上半身を起こすと、しゃがんでいるレナと視線が一緒くらいになった。いや、僅かに俺の方が低いかな?
「泥だらけですね」
体を起こした上半身を中心に見て、レナは言った。
「まぁ、今日も散々ゴブ筋に転がされたからな」
その後に地面を転がったせいでもあるだろうけど
「……全身傷だらけですね」
「いつものことだよ。これくらい回復呪文の1つでも唱えればすぐ治るよ」
「いつものことなんですか………」
「まぁね。無傷で朝稽古が終われるようになるのが目標なんだけど、それを達成できるのがいつの日になるか」
自分で言っててまだまだ先の話になりそうで、苦笑してしまう。当面の目標はゴブ筋に一撃いれるところだろう。
取りあえず、このボロボロの体のままだとレナにいらぬ心配をさせてしまうのでさっさと回復してしまおう。休息をとったことで、HPは8割まで自然回復してるから、残り2割くらいなら水の中級で十分かな。
ついでにレナにもかけとこう。
「【清水の癒し】【清浄水】」
呪文を唱えて対象を指定して魔法を発動する。
問題なく発動した魔法は、俺とレナに効果を及ばす。
HPが回復するに伴って全身の痛みがすぅっと薄れていった。青い光に包まれた腕から青痣が跡かたも消えていく。服や体についていていた汚れも水に流されて清潔な姿になる。
魔法の発動に伴いMPが多少減る。
その際にゲームでは感じることのなかった体から力が抜け出ていく感覚を覚える。ここに来てからは何度も経験した感覚だ。恐らくこれが体内から魔力が抜けていく感覚なのだろう。
いつもは意識しないと気付かない極些細であいまいな感覚。
しかし、何故か今回は、下腹部から腕へと魔力が巡り手の平から外へと抜け出ていく感覚をはっきりと知覚することが出来た。
今の……
「あ、ありがとうございますカケルさん」
「ん? ああ……いいよいいよ。汗をかいたままだとべたべたして気持ち悪いからね」
礼を言ったレナにそう返事を返すが、頭の中では先程の感覚のことを考えていた。
スキルなしでの魔力操作、その取っ掛かりをやっと見つけた気がした。
【清水の癒し】
【水魔法】スキルの呪文
水属性回復呪文の中では中級の呪文。HPの回復だけでなく、軽度の状態異常にも効果がある。ただし、状態異常回復は確率で失敗することがある。
『思考操作』
格闘、戦闘要素のあるVRゲームでは必須とも言える重要な基礎技能。
この技能を扱えるようになって初めて一人前とされるのがプレイヤーの中では一般的。
似た技能として、音声操作や視線操作、タッチ操作、アクション操作などがある。




