19 「村長は再び安置所に」
鎮静薬を無理やり飲ませて落ち着かせた赤髪の少年は、一階の居間に連れていき、レナの希望で2人を残して俺と天狐は席を外した。
あと、その時のやり取りで、赤髪の少年がアッシュという名前で呼ばれていることを知った。
落ち着いたとはいえ、アッシュはまだ俺や天狐のことを警戒しているので、説明はレナに任せた方がいいだろう。
正直、アッシュにはさっき襲われたばっかなので、俺としても何されるか分からないという不安があって距離を置きたかった。
レナがアッシュに説明している間、俺と天狐はアッシュが寝ていた部屋を片づけることにした。
アッシュは目覚めた直後に部屋を物色したのか、随分と部屋の中は乱れていた。
ベッドと椅子ぐらいしかなかったのだが、少年は自分の寝ていたベッドのシーツを引っぺがして、布団を床に放り捨てて、ベッドを横に倒していたりと随分と荒らしていた。何故そんなことをしたのかよく分からないが、起きたばかりで取り乱していたんだと思う。
アッシュが寝ていた部屋にはアッシュ以外にも、もう1人緑髪の男の子が別のベッドで寝ていたのだが、アッシュは寝ている男の子を起こそうとしたのか、ベッドからずり落ちた男の子の両頬は真っ赤に充血して、口の中を切ったのか口元から垂れた血の跡がついていた。それでも男の子は目覚める気配はなく、穏やかに寝ていた。
「おいおい……やり過ぎだろ」
起きる気配がないから、次第に起こし方が過激になったのかもしれないけど、随分と手荒なやり方だ。
「【水の癒し】」
男の子の顔に手を翳して回復呪文を唱えると、男の子の体全体が淡く光って、充血して痣のようになっていた両頬は元の肌色に戻っていた。
回復魔法がなければ、完治するのに数週間がかかる傷が簡単に治るのは、やはり便利だ。
あ、そう言えばアッシュに出会い頭に椅子で殴り掛かられた時に庇った腕は大丈夫だっけ?
その後色々あって忘れてた。でも、受けた感じからして痣の1つくらいは出来てそうな気がする。
「………あれ? あれで痣になってないのか」
袖を捲って椅子が直撃した二の腕を見てみると意外なことに痣もなければ、赤くなってもいなかった。
もう片方の手で二の腕を揉んでみたが、痛みもなければ、変なしこりもなかった。
折れてなくても内出血はしてるとおもったんだけどな……
「カケル? 何やってるの? 」
俺が、不思議そうに自分の二の腕を眺めていると乱れたベッドを整えていた天狐が俺の奇妙な行動に首を傾げて聞いてきた。
「え、ああ何でもないよ」
「……もしかしてさっき怪我したの? 」
「いや、怪我なんてしてないよ。一度腕で庇ったけど、何ともなかったみたいだし」
「あ、そうなの。さっきはつい手を出しちゃったけどあれくらいならカケルは怪我なんてしなかったわね」
いやいや、そんなことはなかったと思うぞ?
「あの時天狐が助けてくれて助かったよ」
「じゃあ、撫でてくれる? 」
「そんなことで良ければ」
天狐が撫でろとばかりに頭を下げて俺に差し出してくるので、いつものように天狐の頭を撫でた。
耳が敏感なのは知ったので今回はそれを避けて頭を撫でた。
やはりゲームの時と手触りというのが随分と変わっている。
ゲームの時は、よく再現されているとは思ったが、それでもリアルで動物に触った時と比べれば、手袋越しで触ったようなどこかぼやけた手触りだった。それが今は、異世界という現実となったことで、比べものにならないものに変わっている。手に吸い付くような滑らかな手触りがぞくぞくするような撫で心地があった。ついつい、いつまでも撫でていたくなってしまう魔性の撫で心地だ。
「うふ、うふふ」
天狐も気持ちいいのか耳がピクピク動いて、尻尾は機嫌よくパタパタと動いていた。
「――嘘だ! ルビン兄ちゃんが盗賊になんか負ける筈ねえ!! 」
その時、アッシュの怒鳴り声が居間からここまで響いてきた。
氷水を全身にぶちまけられたような気持ちになり、気の緩んでいた俺は金縛りがあったように体を強張らせた。
「カケル? 」
撫でる手が止まっていると、天狐はきょとんとこちらを見上げてきた。
「いや……何でもないよ」
天狐の言葉で金縛りが解けた俺は、そう答えて天狐の頭をもう一度撫でてから撫でるのを止めた。
そんな気分ではなくなった。
俺は廊下に身を乗り出して聞き耳を立てた。
居間と廊下の間にドアなんてものはないので2人の話は聞き耳を立てればよく聞こえた。
「――アッシュ、本当よ。ルビンは死んだわ」
「そんな筈はねえ! ルビン兄ちゃんがレナ姉ちゃんや俺を残して死ぬなんて絶対ねぇよ! それに父さんたちだって――」
「アッシュ!! 」
アッシュの言葉の続きを遮るようにレナの有無を言わせない大声が響き、それに気圧されたのかアッシュの声が途切れた。
「お願いだからよく聞いてアッシュ、もう私達しか生き残っていないのよ」
先程比べて居間から聞こえてくる声は、消え入りそうな小さな声だったが、不思議と俺にはさっきよりもはっきりと聞こえた。
俺は部屋の中に戻り、そっとドアを閉めた。
2人の会話を盗み聞きしているのが酷く気まずく感じた。
部屋に戻った俺は天狐を撫でる気分にもなれず大人しく部屋で待っていたのだが、しばらくしてドタドタと荒い足取りと一緒にレナの大声がドア越しに聞こえてきた。
「カケルさん! いませんかカケルさん! 」
レナの俺を呼ぶ声に俺は慌ててドアを開けて廊下に身を乗り出した。
「ここにいる! どうしたレナ! 」
「あ、ここにいたんですか」
すると廊下にいたレナが、部屋から顔出した俺に気付きアッシュを引っ張りながら近づいてきた。
アッシュを強引に引き連れるレナの表情は、何やら険しい表情でアッシュは最後には見た時とは打って変って悲しみでくしゃくしゃに歪んだ顔で引っ張られていた。
「お願いします。私達2人をもう一度みんなのところに連れて行ってください」
みんな、とは安置所で眠る村人たちのことか。
レナが会いたいというならば、俺がそこまで連れていくのは問題ない。
だけど、一緒にいくアッシュはいいのだろうか? さっきの会話からしてとても死を受け入れているようには見えなかった。
「……いいのか? 」
俺はアッシュをちらりと見てレナに訊ねた。
「お願いします……アッシュはまだ諦めきれてないんです」
レナは俺に深々と頭を下げてそう言った。
俺は、アッシュを安置所に連れて行くのはまだ早いと思った。
だけど、その考えが正しいのか自分にもわからなかった。
「……うん、わかった。案内するよ」
この場合どうしたらいいか判断できなかった。
だから、俺はレナの判断に任せることにした。
アッシュのことはレナの方が知っている。身近な人の死のことはレナの方が俺よりもよく知っているだろう。なら、俺の判断よりもレナの判断の方が適切だと思った。
こうして俺は、再び安置場に足を運ぶことになった。
百人前後の小さな村の中だと、村の人全員が身内なようなものだと思います。
それを一度に失ったら……と考えながらアッシュを書きました。
レナと比べればアッシュはまだまだ子供です。




