106 「騙される狼少年」
「おいガキ、俺たちがおいしいもん食べさせてやるよ」
「本当に!? いいの!? 」
操紫とはぐれて、肉の匂いに誘われるがままに市場を一人ふらふらとしていたポチは、市場の人気のない寂れた一画で男たちに声をかけられた。おいしいお肉が食べられると古典的な誘い文句を素直に信じて、ポチはほいほいとスラム街に通じる路地へと誘われた。
そして、自分が攫われているのだとは露にも思わずにそのまま古びた建物の地下室へと連れてこられていた。
すんすんと、ポチは鼻をひくつかせる。部屋に染みこんだ饐えた臭いと獣臭が鼻腔に広がる。薄暗い地下室の中で子供たちの嗚咽とすすり泣く声が聞こえてくる。
「ヒック……ヒック……ママぁ」
「お家に帰りたいよぉ……」
子供が入った檻の横を通り過ぎながら、ポチは不思議そうに首を傾げる。ポチが話を聞いて、想像していたのとは違う状況だった。
これはおかしい。一体、おいしいお肉はどこにあるのだろうか。
この地下室にそれらしい匂いはしなかった。
「ねぇ、お肉は? 僕、子供は食べないよ? 」
肉の匂いがしないことが気になったポチは、先頭を行く男に尋ねた。
「ぶはっ」「ふっく……! 」
この地下室を見ても、騙されたことに気づいていないポチの様子に男たちは思わず噴き出した。
「お、おう。肉な。肉はこの中で待ってたら、持ってきてやるよ」
「そうなの? うん、わかった! 」
そう言って男が鍵を外して檻の入口を開けると、ポチを半ば強引に檻の中へと入れた。そして、ポチが中に入るとすぐに檻の入口を閉めて鍵をかけた。
そこで男たちは我慢の限界を迎えた。檻の中に入ったポチを前にして腹を抱えて笑い始めた。
「ぶははははっ! こいつ結局、最後まで信じてたぞ! 獣人はチョロいって噂は本当だったんだな! 」
「いやいや、単にこいつが食い意地張ってただけだろ! クククッ、だからって地下室に連れてこられて、一番に肉がないことを気にするんだから、どんだけ食い意地張ってんだよって話だ」
「ひーひー、止めろ。俺を笑い殺す気かよ」
目の前でこうして笑われると、流石のポチも自分が騙されたことに気づく。しかし、自分を騙した理由が分からず、首を傾げた。
自分の食べ物を奪うためでも、殺すためでも、食べるためでもなく、こうして檻に入れられた理由を人の社会に疎いポチには理解できなかった。
「何で僕に嘘をついたの? 」
思わず出たポチの疑問の声に、笑い合っていた男たちはきょとんとした顔でポチを見た後、互いに顔を合わせて一段と大きな笑い声をあげた。
「ぶははははっ! ダメだこりゃ! 面白過ぎんだろこのガキ! この状況でまだわかんないのかっ!? 奴隷だよ、奴隷! お前を奴隷として売る為に決まってんだろ! 」
今まで男たちが攫ってきた子供たちは、例えポチのように言葉巧みに連れてきたとしても地下室にまで連れてきた来られれば、自分が騙されたのだと気づく。非合法の奴隷に堕ちる恐ろしさは、この領地の人間ならば子供ですら知っている。檻の中に入れられた子供は、待ち受けている未来に絶望し、誰かに助けを呼んで泣き叫ぶ。
これまでがそうだったので、これから自分に降りかかる不幸を理解できないでいるポチが男たちには新鮮で、おかしくて仕方がなかった。
「おじさん達は、悪い人なの? 」
「ああ、そうさ! 俺たちは子供を攫って奴隷にするわるーいおじさんなんだよ。お前は、おつむは悪いようだが、容姿は整ってるんだ。物好きな金持ちに高く売れんだろ。精々、俺たちの酒代のためにも高く売れてくれよ」
だから、ポチが確認するように問いかけた言葉に男たちは悪ふざけで肯定した。それが自分たちに牙が向けられる行為だとは知らずに。
「そっか。なら、許してくれるよね」
「ギャハハハハ! 何を許すってんだよ。俺たちがお前を今更見逃してやるとでも思ってんのかよ。どれだけめでたい頭を…………あ? 」
ポチの言葉が自分たちに向けられたものだと思った男が、鉄格子にもたれかかって可笑しくて仕方がないと笑っていると、檻の中でポチがおもむろに服を脱ぎだして笑いが止まる。
「ぅんしょ、ぅんしょ……うぅ、やっぱ服脱ぎにくい」
まだ慣れていないようで服を脱ぐのに苦戦しつつもポチは裸になり始める。
今度は、男たちがポチの行動が理解できずに顔を見合わせる。
これが見え麗しい美女ならば見逃す代わりに体でも売ろうとしているのかと、いそいそとズボンを脱ぎながら考えるものだが、あいにく男たちはポチの未成熟な子供の体に興味はなかった。
しかし、間抜けな顔で見ていられるのもそれまでだった。
服を脱ぎ終えたポチを覆うように白銀の毛が全身から生え始め、それに伴いポチの体は内側から膨れ上がるように巨大化していく。
その変容に心当たりがあった男が冷や汗を全身から噴き出しながら檻から後退る。
「こいつ、まさかテイムモンスターか!? 魔獣が子供に化けてたなんて聞いてねぇぞ……! 」
「おい……これ、まずいんじゃないのか? 」
「まずいなんてもんじゃねぇ……人に化けれる高位の魔獣なんて俺たちの手に負えるはずがねぇ! 」
「あ、おい! どこにいくんだお前! 」
まだ事態の深刻さに気づいていない相方を置いて、男はその場から逃げ出した。一刻も早く恐ろしい魔獣から距離を取ろうと地下室の入口へと走った。
男の背後から魔鉄製の頑丈な鉄格子がこじ開けられる悲痛な音と子供たちの悲鳴が地下室に鳴り響いた。
「ギャッ――!? 」
逃げ遅れたのだろう相方の悲鳴が地下室に木霊した。
「ハッ――ハッ――ハッ――!! 」
男は階段を駆け上り、外へと通じる重い鉄の扉へと手を伸ばした。幸運なことに誰かが入ろうとしているのか、扉は外の者によって開かれようとしているところだった。
「助かった……! 」
男はその隙間に体を滑り込まして、外へと転げ出た。ひとまず、地下室から出られたことに男は安堵する。しかし、すぐにあの魔獣のことを自身の組織のボスに知らせることを思い出した。
床に倒れ込んだ男は起き上がるよりも、扉を開けようとしていた仲間にボスに伝言を頼む方を優先した。
「おい、今すぐボスに伝えてくれ! 高位の魔獣が子供に化けて紛れ込んでた! 早くしないと大変なことに……! 」
伝言を伝えながら身を起こした男は、その仲間の方を見て声を失った。
「……こりゃ参ったな」
自分と瓜二つの男がそこには立っていた。
「なぁっ……!? なんで俺がはっ! 」
「悪いな。取り合えず、眠っとけ」
唖然とする男の腹に問答無用で蹴りが入れられた。その強烈な蹴りで男の意識は闇に沈んだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
檻を前足で押しのけて外へと出たポチの姿は、檻の大きさに合わせたために普段よりもかなり小さかった。それでも大の男よりも大きく、逃げ遅れた男の頭を前足で踏みつけてあっさりと昏倒させた。
ポチは、その男の襟首を咥えると、他の檻の隅で震える子供たちを無視して地下室の入口へと向かった。
入口の前まできたポチは、階段の前で立ち止まって顔を上げた。階段を上がりきった扉の前では、逃げ出した男が立っていた。その足元には人が倒れていた。
その倒れた男は、立っている男の容姿と瓜二つだった。
「わう……? 」
それに気づいたポチは、首を傾げた。
「なんだ、一人で逃げ出せたのか。余計な気遣いしちまったな」
意識のある方の男はポチと目が合うと、ガシガシと頭を掻いた。さっきまでポチを奴隷にして売ると言っていた男が言う発言ではなく、ポチは首を傾げる角度が大きくなる。
その様子に男は、ポチが理解できていないことに気づく。
「あぁー、俺だよ、俺。月影だ。お前なら匂いでわかるだろ」
そう言われて、すんすんと鼻を鳴らしたポチは、月影と名乗った男から他の仲間の匂いがするのに気づいた。
「うぉん! 」
「やっと気づいたようだな……。ったく、分かりやすい誘い文句に騙されて、村長との約束をそんなことで破りやがって。小鴉あたりにバレたら飯抜きされんぞ」
「くぅーん」
月影の苦言に、ポチは尻尾を垂れさせてうなだれる。
出かける前にカケルとした約束事の中には、知らない人について行ってはいけない。というものもあった。それを肉で釣られて破ったとあっては、月影の言う通り、お叱りが待っていそうだった。
「まっ問題なく逃げ出せたならいいさ。さっさと戻るぞ。俺ぁまだ見て回りたいとこがあんだ」
「わふっ」
月影に同意するようにポチが尻尾をぶんぶんと振りながら鳴いた。その拍子に咥えていた男がどすんと音を立てて床に落ちた。それで男の存在を思い出したポチが、ふと後ろを振り返った。
「あん? どうしたポチ? 」
「うぉん! 」
「……悪いが今の俺じゃ、お前の言葉はわかんねぇぞ」
何かを伝えようとするポチに月影は、困ったように眉間に皺を寄せる。焦れったポチは、月影のズボンの裾を噛んで引っ張った。
「あ、おい。わかったわかった。お前についていけばいいんだな。わかったから離せ」
ポチが引っ張るのを止めると、月影は仕方ないと肩を竦めてポチの後をついていった。
そして、そこで数々の檻の中に入れられた子供たちを目にして眉を潜めた。
「なるほどな。ちょっとした小遣い稼ぎってわけじゃなくて組織ぐるみってわけか。全く、どこの世界でも胸糞悪いもんはなくならねぇな」
月影は、反吐が出るとばかりに舌を打った。その音に檻に入れられた子供たちは過敏に反応して、息を呑んだ悲鳴がそこらかしこからした。月影の今の姿は、ここに子供を連れてきた実行犯の一人なのであるから無理のない話であった。
子供たちの反応から色々と察した月影は、面倒くさいとばかりにガシガシと激しく頭を掻いた。
直後、食器にこびり付いた汚れが落ちるかのように体の表面が溶けた。溶けた下から銀のような金属光沢が覗いたかと思うと男の姿は、別の平凡そうな男の姿へと変わった。月影がこの旅で普段取っている村人の姿だった。
「久しぶりの機会だったのに残念だったなぁ」
姿の変化に伴い、先程までの粗野な口調も穏やかな口調に変わっていた。
「それじゃあ、さっさと終わらせてここを出ようか。この子たちもポチのように攫われたんだろうし、あとで兵士の人に任せれば、大丈夫でしょ」
「うぉん! 」
チョロいガキだと思ったら、魔獣だった。こいつはやべぇと思ったら逃げた先に俺がいた。何を言っているかわからねぇと思うが信じてくれ。嘘じゃねぇ。
服を脱いだのは、そのまま変身したら破いちゃうからです。別になくても、戻った時には魔力や毛を変化させた服を着ているので問題はないけど、カケルからもらったものなのでちゃんと脱ぎました。
ポチは、誘惑が多い場所に連れて行ったら、それに並ぶカケルとかが近くにいないと迷子になるし、甘い誘い文句にはほいほいついていく。だけど鼻がいいので思い出せば合流できるし、攫った輩は悪い人認定されれば後悔する。
時系列的には、赤兎馬が少年の逃走劇を見学してたくらい。
そろそろ、まとめていきたい。




