104 「村長の焦りは杞憂に終わる」
神殿を後にして馬車で移動していると、空から紙の小鳥が舞い込んできて馬車の窓枠にとまった。
「ん? この鳥って……」
その作られた紙の小鳥に既視感を覚えていると、小鳥の口から鳴き声の代わりに聞き覚えのある操紫の声がした。
『操紫です。村長、申し訳ありません。レオンが行方不明になりました』
その言葉を理解するのに数秒の時間が必要だった。
『迷子ではなく、人攫いにあった可能性が高いです。他の子供たちは無事です。今いる場所は――』
その間も小鳥の口から録音された操紫の伝言は続いていた。
居場所の他に、レオンの傍にはエヴァがいることや行方はこちらで探すつもりであることなどを操紫は話していく。すべてを話し終えると小鳥は、もう一度最初から操紫の伝言を流し、それが終わると窓枠から飛び立っていった。
「影郎」
飛び去っていく小鳥を目で追いながら影郎の名を呼ぶと、馬車の壁に映った自分の影に波紋が生じた。
「見つけてきてくれ」
何を、とまでは言わなかった。影の中から影郎が問い返してくることもなかった。それからすぐに影郎は、自分の影からいなくなった。
この世界には奴隷が存在している。
商売を司る神様の神殿が主体となって奴隷の管理・売買を行っている。商売の神様が奴隷の身元を保証し、奴隷としての権利を保障している。人攫いなどの本人の了承を無視した不当な人身売買は神殿では認められていない。
でも、神殿を介さない違法な人身売買は存在している。実際、トール様が当主となるまでライストール領では違法な人身売買が黙認されていた。そのせいで、厳しく取り締まられるようになった今でも人攫いや違法奴隷を売買する商人が裏には数多く残っているらしい。最近の人攫いは内乱のごたごたで未だに治安が乱れているライストール領で人を攫い、他領の貴族などに売るのだそうだ。
そういった話を旅の道中にバッカスさんやアサルディさんから少しだけだが聞いたことがあった。
違法奴隷にされた者の扱いは酷い。
神殿を介した奴隷ではできない魔物に対しての肉盾や劣悪な環境での労働、拷問のような虐待など非人道的な扱いを死ぬまで受けることになる。【夜鷹の爪】が捕らえて呪印で縛っていた村人たちも違法奴隷に当たる。
そう考えた時、【夜鷹の爪】のアジトで磔にされて拷問を受けていたカルラの姿がフラッシュバックした。レオンが、そのような仕打ちを受けた光景を幻視した。
落ち着け。
レオンはまだ攫われたばかりだ。まだ無事なはずである。
脳裏にこびついた悪夢を振り払おうとしていると、誰かの手がそっと俺の肩に置かれた。
ほっそりとした手は、天狐のものだった。
我に返って顔を上げると、対面に座っている険しい表情のルデリックさんと目が合った。
「カケル。今の話は本当なのか? 」
その問いに俺は重々しく頷く。
「なんてこった……」
ルデリックさんは、頭痛を堪えるように手でこめかみを押さえた。ルミネアさんは、腕を組んで不愉快そうに眉を顰めていた。
「マスター……」
隣に座っていたラビリンスが不安そうにそっと俺の手を握ってきたので、安心させるために握り返した。
天狐は何も言わずに肩に置いた手を背中に回して、俺を落ち着かせるようにさすさすと擦ってくれた。天狐の方を見ると『きっと大丈夫よ』と優しく微笑み返された。
ラビリンスに頼られ、天狐に励まされていると動揺していた気持ちも落ち着いてきた。
レオンは、遺魂珠をはめた遺具の杖をもっている。あれには、お守りとして所持者の身を守るエンチャントをいくつもかけてある。それに服もその辺の金属鎧より優れている。服の上からなら剣で斬られたって怪我を負わないだろう。
なにより、レオンの影の中にはエヴァがいる。万が一、レオンが危ない時は助けてくれるはずだ。
だから、大丈夫だ。すぐにレオンは見つかるはずだ。
「すみません。今から市場の方に向ってもらえませんでしょうか」
そう信じて、俺はルデリックさんに頼んでレナ達がいる市場に向かってもらった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
外傷としては唇を多少切った程度の軽いものだったが悪意を向けられ、無抵抗に暴力を振るわれたレオンの精神的な消耗は激しかった。
大人びた雰囲気と色気を出しつつも自分と同じか、それよりも幼く見えるエヴァが振るう圧倒的な力にレオンは、一度は怖れを抱いていた。しかし、エヴァに抱きしめられ、背中を撫でられている内にその力で自分を守ってくれる存在だと再認識したことで怖れは、安心へと変わった。
そして、安心は眠気を呼び、レオンはエヴァのほんのり膨らみのある胸の中で眠りについた。
エヴァはレオンに抱きしめられて地べたに座りこんだまま、男たちが逃げられないように影で拘束しつつ死なない程度に治療を行った。影が体を這うという中々ない体験をしたスリ男やギョロ目の男たちは、恐慌を起こしたがそれで振り解ける筈もなく、意識のない両腕を失った男も含めた3人とも黒いミイラ男のようにされて部屋に転がされた。
それで仕事は終わったと言わんばかりにエヴァは、レオンの肩に顎を置いて眠りについた。
そうやって、お互いを支え合うように抱き合いながら寝ていると、レオンの影に変化が現れる。その変化を敏感に察知したエヴァは、浅い眠りから目を覚ました。
「見つけたにゃ! レオン生きてるかにゃー! 」
レオンの影から飛び出してきたのは、闇夜を思わせる漆黒の巨大な豹だった。それは、影から飛び出して地面に着地する僅かな間に黒いライダースーツのようなぴったりスーツを着たタマへと姿を変えた。
「にゃ? 」
タマの視界に最初に映ったのは抱きしめ合って座り込んでいるエヴァとレオンの姿であり、気怠そうに半目でこちらを見るエヴァと目が合った。タマは、意外そうに眼を見開いた。
「起きてたのにゃ? 」
「ええ、騒がしかったからね。レオンに悪さした人たちならそこに転がってるわよ」
そう言われて、タマは部屋に転がっている黒のミイラ男たちの方を見る。そうすると、部屋に転がっている誰かの腕と血だまりも目に入った。
レオンに再び視線を向けたタマは、顔を寄せてすんすんと鼻を鳴らした後、安堵したように息を吐いた。
「大した怪我はしてないみたいだにゃ。生きててよかったにゃー。ここを仲間に知らせてくるからちょっと待っててにゃー」
タマはそう言い残すと部屋の陰の中に沈んで姿を消した。エヴァは、タマが去ると再びレオンの肩に顎を置いて目を瞑った。目を瞑ったままエヴァは、口を開いた。
「何が起きているかは、よく知らないけど、レオンは無事だってあなたも村長に伝えといてね」
それに答える者はいなかった。
レオンの影から誰もいなくなったのを感じたエヴァは、再び眠りについた。
それからそう時間を置かずにバタバタと慌ただしい足音が外から聞こえてきた。
「ここか! 」
そう叫んで、ボロ屋に押し入ってきたのはニダロだった。
「……誰かしら? 」
抜剣して押し入ってきたニダロに対して、睡眠を邪魔されたエヴァは不愉快そうに半目を開けて誰何した。顔合わせの時に寝ていたためにエヴァは、ニダロの顔を知らなかった。エヴァは、ニダロが男たちの仲間かと考え、白い手をニダロへと向ける。
血生臭い臭気が立ち込める薄暗い部屋の中は、もはやエヴァの支配下にある。妖しい魔の気配を発するエヴァにニダロは気圧された。
「……ッ!! 」
狼人族としての本能が生命の危機をニダロに訴えていた。そのため、名乗るよりも先に本能的に切っ先を向けてしまった。
「そう、あなたもなのね」
それを敵対行動だと捉えたエヴァは、ニダロを無力化するために影を操った。足元の影が足から這い上がり、ニダロを拘束しようとした。
「待ってください。彼は護衛の方です」
その動きが寸でのところで止まった。ニダロの背後から苦笑を浮かべた操紫が現れた。
「そう……」
敵でないとわかると、エヴァは敵意を霧散させた。しかし、自分の意思に反してニダロの足に絡みついた影が元の自然な形へと戻っていくのを面白くなさそうに柳眉を歪ませた。
「……タマにも伝えたけど、レオンに悪さした男たちはそこに転がってるわ。一人がレオンに危害を加えようとしたから腕ごと斬り飛ばしたわ。必要だったらあなたが治しておいてね」
「わかりました。エヴァさんがいてくれたお陰で大事にならずに済みました。ありがとうございます」
「あなたにお礼を言われるようなことではないわ。ところで、どうしてレオンがこんなことになったのか聞いてもいいかしら? 」
「ええ、構いません。それを説明する義務が私にはありますから」
操紫は、ニダロには人攫いの男たちを連行するように頼み、席を外してもらった。
ニダロは、エヴァに抱きしめられているレオンに一度見た後、ヘイムとザッツリーを呼んで男たちを連行していった。どうもエヴァに対して苦手意識を抱いたようだった。
部屋に残ったのが自分たちだけになると、操紫は被っていた帽子を取って神妙な顔でエヴァに事の経緯を語った。
「――と、言うわけでして……あの、エヴァさん、聞いてますか? 」
話し終えた操紫は、レオンの肩に顎を置いたまま目を瞑っているエヴァに問いかける。
「聞いてるわ。ようは、レオンがあなたたちからはぐれたところを攫われたってことなのでしょう。幼生体が群れからはぐれれば淘汰される。外の世界ではそういうものなのでしょう? レオンにはいい経験になったでしょうね」
「それは野生の生物の話ですね」
少しずれたことを言うエヴァに操紫は苦笑いを浮かべる。しかし、あまり怒っていないようだと操紫は内心でほっと溜息を吐いた。
しかし、それもエヴァの続けた言葉で凍った。
「それもそうね。彼らは生きる為だったかもしれないけど、話を聞いた限りだとレオンを買おうとしていた人たちは別に生きるためというわけではなさそうね。それに、人のものを勝手に自分のものにしようとするのは気に食わないわね」
「そうですね。ですが……」
「ねぇ」
雲行きが怪しくなってきたのを感じ、話を逸らそうとした操紫の声に被せるようにエヴァは、口を開いた。
「別にそいつらは潰してしまってもいいわよね」
エヴァの感情の昂りに呼応するように部屋は隙間から差す僅かな光を呑み込んだかのように暗くなり、部屋に立ち込める血の臭いが強くなる。そんな暗闇の中で、すっと目を見開いたエヴァの瞳は、爛々と紅く輝いていた。
いつになく覚めた目をしているエヴァに本気だと悟った操紫は、迂闊な発言は言質を取られてしまうと口を噤んだ。成り行きとは言え、観光組のリーダーに任せられた操紫が少しでも賛同すれば、許しがでたといって、本当に潰しに行きかねない。
少なくとも村に置いてかれた問題児たちは、そう拡大解釈してカケルに事前報告なく潰しに行く。
操紫は沈黙を保った。
エヴァはしばらく操紫をじっと見つめた後、興味を失ったかのように再び目を瞑った。それに伴い、部屋に弱い光が再び差し始め、薄暗いながらも明るくなる。
「……別に、サタンたちのように勝手に動くつもりはないわよ。やるなら、ちゃんと村長の許しをもらってからにするわよ」
「そうしてもらえると助かります」
操紫は大きなため息をついて、心の底からそう願った。
村長、出遅れてます。こっからどんどん出遅れていき、心配が重なっていきます。
しばらく、村長以外を中心とした話が増えていきます。多分
ボロ屋の中は、その空間の血や影にエヴァの魔力がしみ込んでいたのでエヴァの魔力で満ちてました。それを本能的に感じ取ったニダロは、圧倒的な力量の差を感じ、とっさに攻撃態勢に入りました。
エヴァは、元々城タイプのダンジョンの最奥に引きこもっていたボスモンスターなので、箱入りです。
余談
獣の姿になったタマは、一度服を全部脱いでます。
そのため、人の姿に戻った時は影をスーツのように纏って服として代用してました。魔力で服を実体化させるのは、人化する際の高等テクニックの一種です。これが出来ないと人化を完璧にできても全裸になってしまいます。実体化させる服は、個人のセンスが問われます。
ゲーム時代は、デフォルトフォルムからヒューマンフォルムの変更の際には、あらかじめ設定されていた装備は装備された状態で変わるし、そうでない場合は効果のないインナーなどの下着姿でした。(フォルムについての説明は27話の後書き参照)
異世界に来てからは容赦なく全裸になります。異世界に来る時点で、完璧な人化ができる者たちは本能的にその服を作るテクニックを身に着けてました。しかし、苦手とする者も中にはいます。




