103 「攫われた少年、目覚める眠り姫」
ヘイムを上手く撒いた男たちは、スラム街にある自分たちの隠れ家にまで辿り着いた。
男たちの隠れ家は、廃材でつくったつぎはぎだらけのボロ屋だった。中は、外見通りの貧相なもので、床は踏み固められただけの剥き出しの地面だった。隙間だらけの屋根から差す光だけが部屋の光源だった。
「はぁはぁ……しつこい衛兵だったが、撒けたようだな」
ヘイムから逃げるために全力疾走を続けた男たちは3人とも息が切れていたが、特にレオンをここまで担いで運んできたスリ男は、息も絶え絶えな様子だった。中に入るなり、腰まで麻袋を被せたレオンを部屋の奥に放り投げて、自身はその場に倒れ込んだ。
固い地面に放り投げられたレオンは、手足を縛られていたために受け身も取れずに体を強かに地面に打ちつけた。呼気が吐き出される声が麻袋の中でくぐもって聞こえた。
「へへっ、兵士に生ゴミぶちまけてやったぜ! いい気味だ」
目元が窪んだギョロ目の不健康そうな男は、ヘイムの足止めに使った魔法の行使とスタミナ切れでへとへとだった。しかし、壁にもたれかかりながらも、その時のことを思い出して黄ばんだ歯を見せて笑う余裕があった。
「こんだけ苦労したんだ。クソガキには、精々金になってもらわないとな」
最後の1人で、この中でリーダー格の無精髭の男は、他の骨ばった不健康そうな男たちよりも筋肉質であり、少し休憩しただけで息が整っていた。
「――光よ 我が手に 宿れ【ライト】」
男が呪文を唱えると弱々しい光の球が生じ、薄暗い部屋を淡く照らす。部屋の隅で咳き込む麻袋に近寄り、麻袋の口の紐を緩める。そして、雑な手つきで麻袋を取り去った。
顔を覆っていた袋が取り外されて、自分を覗き込む男と目が合うと、レオンは涙の痕の残る目で気丈に睨みつけた。
「ほぅ。この期に及んでいっちょ前に睨んできてやがる」
無精髭の男はその態度を笑い、レオンの髪を乱暴に掴んで持ち上げた。男に髪を掴まれて頭を強引に持ち上げられたレオンは、頭部の痛みにくぐもった苦悶の声を上げて目を細めた。
男は、その状態のままレオンの品定めを始めた。
カケルが保護をしてからしっかりとした食事を取り、体を清潔に保っていたレオンは、血色がよく、骨ばっていた華奢な体に肉がつき、健康そうで儚げな容姿になっていた。
こりゃ高く売れそうだな。と無精髭の男が思っていると、他の2人もレオンへと近寄って一緒になってレオンの品定めを行い始めた。抵抗しようと身を捩るが、手足を縛られていてはなすすべもなかった。
「ん? なんだこれ? 」
スリ男がレオンの服の下を弄っていると、服の懐に入っていた金属製の杖を見つける。気づいたレオンが「んんっ!! 」とくぐもった声を上げるも無視される。
「おっ、もしかしてこいつは魔導具か! 」
金属製の杖を宙に浮かぶ光球の淡い光に翳したスリ男は、表面に彫られた紋様に気づいて声をあげた。
魔導具ともなれば、安くても銀貨になる。表面にびっしりと彫られた精緻な紋様からして、間違いなく金になると踏んで男は喜んだ。
しかし、そんな喜ぶスリ男を無精髭の男が横から水を差した。
「よく見てみろ。そいつは、遺具だ」
「あっ? 」
仲間に指摘されて、杖の先端に埋め込まれた宝石が遺魂珠だと気づいた。
「――クソッ! なんだよそりゃ」
気づいたスリ男は、汚いものを触ったような反応を見せて、それを地面に投げ捨てた。
遺した者を想う死者の気持ちが結晶化した遺魂珠で作られた魔導具である遺具は、遺魂珠に認められた者でないと効果を発揮しないどころか最悪呪うことさえもあった。そのため、他人の遺具を盗むことは禁忌であり、忌避されていた。
「持たせたままだったら厄介だったな」
無精髭の男は、自分の足元に転がってきた杖を部屋の隅まで蹴り飛ばした。
「んんっ!! 」
遺具を足蹴にされたレオンは、男たちに対して怒りの声をあげた。しかし、レオンが暴れようと体に力を込めたのを感じ取った無精髭の男が、先んじてレオンの頬を殴った。
「んぐっ」
「大人しくしろ。こっちだって商品に傷はつけたくねぇんだ。そっちも痛いのは嫌だろ? 」
無精髭の男は倒れたレオンの頭を掴み、頬を地面に押し付けながら低い声でレオンを脅す。
「夜にはついてないお前と同じお仲間がいるところまで連れていってやる。これ以上痛い思いをしたくなけりゃ、大人しくしとくんだな」
腰から短剣を抜き、レオンの目の前の地面に突き立て、暗に次はこれを使うと脅した。脅されたレオンは、恐怖で体を強張らせた。
◆◇◆◇◆◇◆
「馬鹿者!! どうしてすぐに知らせなかった! 」
男たちを見失ったヘイムは、市場まで戻って上司であるニダロに事情を説明して叱責を受けていた。
「そんな、レオンが人攫いに……」
村よりもはるかに人が多くて広いから迷子になったのだろうなどと軽く考えていたレナは、レオンが人攫いにあったと聞いて顔を真っ青にしていた。その場に残っていたタマやアルフたちも不愉快そうに眉を潜める。
「この街では、人攫いは犯罪にはならないのか? 」
「いいえ、もちろん犯罪です。トール様が当主となられてからは、神殿を介さない奴隷は認められていませんし、人攫いは厳しく取り締まっております」
「その割には、人攫いはなくならないのだな」
「……先代までは神殿を介さない身元不明の奴隷も黙認されていたからです。そのため、人攫いが横行し、それによって私服を肥やす者たちがおりました。トール様は、それを根絶やしにしようと動いておりますが、彼らの動きは弱まるどころか激しくなっているのが現状なのです」
アルフの問いにザッツリーが、やるせないように零した。これは、新兵というよりは貴族としての言葉に近かった。
「このようなことになってしまい誠に申し訳ありません。少年の行方は、我々の総力を以って全力で捜索致します」
「頭を上げてくださいオートン殿。このような事態になったのには、レオンから目を離してしまった私たちにも非があります。一緒に探しましょう。大丈夫です。彼は一人ではありませんので」
「それはどういう……? 」
「レオンのそばにはいつも眠り姫がいるのですよ」
村長に連絡しないといけないですね。と困った顔をしつつも、操紫の顔に焦りは見られなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「騒々しいわねぇ」
無精髭の男がレオンから離れようと腰を浮かした時に、その声はした。
男の生み出した光球によって、部屋は淡く照らされていたにも関わらず、いつの間にかレオンの背後は陰り、その場に不自然な暗闇が生じていた。
声は、その暗闇の中からした。この場でいるはずのない鈴を震わせたような少女の声に、男たちの意識は自然とそこへと向けられた。
その暗闇の中から白磁のような白い手が出てきたかと思うと、暗闇を身に纏ったかのような黒のドレスを身に着けた赤い瞳の妖艶な金髪美少女が、ぬるりとそこから現れた。
「なっ」
無精髭の男は、レオンの背後に生じた暗闇から現れたエヴァを目にして固まった。
長くスラム街で生きてきた男たちの人生の中で、これほどの美貌の少女にあったことはなく、他の男たちもエヴァの幻想的な姿に目を奪われる。
そんな空気の中で、寝起きのエヴァはふわぁと眠たそうに欠伸をする。
欠伸で眦に涙を浮かべながら周囲を見回し、男に頭を押さえつけられたレオンとその男の手に握られた短剣に目を留めた。
眠たげだった赤い瞳が、不快そうに細められる。
「気安く私のものに触れないでもらえるかしら」
部屋の陰から影の刃が飛び出し、レオンを押さえていた無精髭の男の腕を斬り飛ばした。
「うがあぁ!? 」
無精髭の男の絶叫が上がった。
傷口から鮮血が迸り、そばにいたレオンに降りかかり、その顔を赤く染める。術者の精神が乱れたことで、部屋を照らしていた光球は消失し、男たちの視界は暗闇に包まれた。
最後に見たのが、仲間の腕が斬り飛ばされる瞬間だったため、男たちはパニックに陥った。
「ヒ、ヒィィ!! 」
「なんだ!? 何なんだよあの女はぁ!? 」
パニックに陥ったスリ男とギョロ目の男は腰を抜かしながらも、隙間だらけの家から漏れる光を頼りに、外へと出ようと駆け出した。
しかし、エヴァはそれを認めなかった。
「ごめんなさいね。あなたたちを逃がす気はないの」
闇の中でさえ妖しく輝く赤い瞳が男たちを捉える。
白魚のような白い手が男たちへと伸ばされると、男たちの影から棘のような影の槍が飛び出し、2人の両足を貫いた。
「ヒィイアアアッ!! 」
「うがぁ、足がっ!! なんだこれ!? ちくしょう! なんだこれ! 」
足を地面に縫い付けられたギョロ目の男は情けない悲鳴を上げ、スリ男は槍が刺さった足を押さえて喚いた。
3人の男たちがそれぞれ手傷を負い、地面に蹲って動けないのをよそに、エヴァは地面に転がったまま自力で起き上がれないでいるレオンへと視線を向けた。
「私が寝ている間に何があったかはわからないけれど、大変な目にあったみたいね」
エヴァは、この惨劇を引き起こしつつも何でもないことのように振舞っていた。手足を縛る縄を爪であっさりと裂いて解いて、レオンを助け起こす。
エヴァは、心配する素振りは見せつつも、ほとんどいつもと変わらない自然体でレオンと接していた。
それがレオンには異質に映った。暴力を振るう男たちをさらなる暴力によって制したエヴァに、恐れを抱いた。
いつもとは違う理由で、エヴァに触れられた箇所から自分の体が強張っていくのをレオンは感じる。
「んふ」
自分を見るレオンの瞳に怯えが映ったのをエヴァは、然もあらん、と微笑を零す。
彼は、そういう子である。
私は、そういう怪物である。
村にあった書物を収めた倉で出会った時もそうだった。初めて出会った私に怯え、血を求められて怯え、一緒に魔物を狩りに行って怯えられた。
エヴァは、カチコチに固まるレオンを抱き寄せて、その顔についた返り血を怪物らしく赤い舌で舐め上げた。しばし、口の中でその血を味わい、柳眉を歪めた。
「やっぱりまずいわね」
エヴァは、顔を舐められて思考が空転するレオンに再び顔を寄せて、血の滲んだレオンの唇をぺろりと舐めた。それだけに留まらず、そのまま唇に吸い付き、貪るように唇の傷口から血を啜った。
「はぁ、やっぱりレオンの血はいいわね」
レオンの血を味わったエヴァは眦を緩め、お気に入りの酒を飲んだかのような陶酔した吐息を零した。白磁の頬には朱が差していた。
「え? えっ、えっ!? 」
エヴァに唇を奪われた衝撃で我に返ったレオンは、ばっと自分の唇を手で隠して顔を真っ赤にさせる。レオンにとって先程の行為は吸血ではなくキスであり、彼にとってファーストキスでもあった。
それを好意を抱く相手から突然奪われたのである。レオンにとって混乱の極致であった。
乙女のような反応を見せるレオンに、エヴァは満足そうに目を細める。自分を見るレオンの瞳にはもう怯えは見られず、羞恥と困惑が入り混じっていた。
「ホント、可愛らしい子」
怯え、恐れながらも私の手から逃れない愚かで愛らしいレオンをエヴァは、ぎゅっと抱きしめた。
エヴァの視界の端で、もぞりと人影が動いた。
無精髭の男が血走った目で短剣を握りしめて立ち上がっていた。男の左腕の肘から先は、半ばから断ち切られていた。痛みによる興奮から視野狭窄を起こしている男は、レオンに血走った目を一心に向けていた。
「フゥフゥ、ころ――」
無精髭の男が行動を移すよりも早く、男の背後から伸びてきた影によって男の口は塞がれる。同時に、短剣を握っていた腕は、男の血溜まりから生じた赤黒い大鎌によって、肩から先を刈り取られた。
「~~~~~~ッ!! 」
口を塞がれた男の声なき悲鳴は、エヴァに抱かれて惚けているレオンの耳には届かない。
興が乗っていたところに水を差されたエヴァは、ただ冷ややかに自らの血の中に沈んだ男を見下ろしていた。
【ライト】
【光魔法】に属する超初級呪文。
詠唱文が長いのは、術者の技量によるもの。超初級呪文は、少しでも齧ったものならば誰でも使えるため、一般で広く使用されている。ただし、向かない者はその補助のために詠唱文が長くなり、効果も低い。
・『エヴァ』
種族:久遠の吸血姫
真祖にして、元高難度ダンジョン【永遠の不夜城】の最奥で眠るダンジョンボス。ダンジョンボス故にユニークモンスターではないが、破格のステータスと本来の吸血鬼では持ちえない【影渡り】や【影操術】などの固有スキルを有している。
【追記】癖のないプラチナブロンドの金髪を腰まで伸ばしている。吸血鬼の特徴とも言える血のように赤い瞳に白磁のような白い肌をもち、笑みを浮かべると鋭い犬歯が口元から覗く。身長は150㎝と小柄で幼い容姿に反して背中と胸元が大胆に露出した黒のイブニングドレスを着ている。それが背徳的な妖艶な色気を出している。【82話参照】
影や血を巧みに操り、敵を無力化する。本人はあんまり動かない戦闘スタイル。
仲間になったのは遅い方なのだけど、後衛として戦闘に出ることは多かったので固有スキルや戦闘スタイルに関わるスキルは、おおよそカンストしている。
一日の大半を寝ているというか、一週間の間に起きているのは半日程と噂されるくらいには寝ている。三度の飯より昼寝が好き。誰かの影の中で寝ていることが多いので、姿を見かけることさえ稀。カケルの影の中だと影郎がいるし、外が騒がしいのであまり居着かない。レオンの影の中が気に入っている。
レオンのことは、血の味も含めてかなり気に入っている。エヴァにとって、吸血は飲酒のような嗜好に近い。
ちなみにカケルの血は、口当たりがまろやかで風味豊かで美味しいけど、度数がやたら高くて嗅ぐだけで酔ってしまうと言って避けられている。




