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途上のシャムロック  作者: 納戸
贄のこども
9/96

   4

 円状の室内。中央には巨大な試験管を模した装置がある。その硝子に時折薄緑の光線が縦横に走り抜け、中でこぽこぽと淡緑色の液体が泡立っている。

 天地に無数の管が伸び、それらは様々な計器と連結しており、僅かな重低音を発している。薄暗く、試験管を下から照らす仄かな照明と零れ出るエーテル光のみが光源となり、床面を緑色に冷たく色付けていた。


 試験管の前に立つ二人の男が居た。二人ともが、装置を見据えながら平然とたたずんでいる。

 右の男は深い青をした頭髪を短く刈り込んでおり、群青の軍服に包まれた上背のある体躯は、厚手の生地からでもわかるほどよく鍛えられていた。姿勢にも隙がなく、数多の戦の経験を物語っている。刻まれた皺が男が若くはないと教えてくれるが、彫りの深い輪郭の奥にある硬質で鋭い眼光は、心象を一切映さない。

 左の男は、身長はそこそこあるが右とは対照的にくたびれた白衣の肩が若干余っていて、普段体を使っていないことがうかがえる。右と同じくらいの年齢。顎にはまばらに髭が生え、若年の頃はさぞ立派だったろう金髪をだらしなく伸ばし、邪魔にならないようにおざなりに紐でくくり、後ろへ流している。


「顔を合わせるのは久方ぶりだな」

「……」

「相変わらずだな、卿は。……いや、閣下と呼ぶべきかな?」

「名に意味などない」

「ふっ」


 金髪の男は鼻で笑った。対し、青髪の男は世間話に乗る気などないのか、短く問う。


「経過は」

「左足をくじいているな。おそらく捻挫だろう。これが無茶をするとは思えんが、さして支障はなかろう。調整も初触を終えている。あとは時間の問題だな」


 緑を反射する銀縁眼鏡をくいと上げながら金髪がつらつらと答える。青髪は懐から手帳を取り出し、なにかを書き込む。


「それにしても、予定より少し早いな。どうした」

「…………」

「だんまりか。まぁよかろう」


 青髪の口数の少なさを知っている左の男は無精髭を指先で弄びながら頷き、再びゆっくりと試験管に向き直る。


「……見事なものだ」


 金髪の男がぽつりと呟いた。

 視線の先で小さい気泡がこぽりと生まれ、上へ伸びてゆく。翡翠色の液体に浮かぶ影は人間のそれであり、緩い曲線が描くのは小柄な少女だった。

 少女は長い睫毛を伏せ、生理的に可憐な唇を一度薄く開き、閉じた。挙動に少女の意思は感じられず、肩まで伸びた髪の毛が試験管をゆらゆらとたゆたっている。ぞっとするほど美しいその光景は無数の理論に基づいてととのえられた事実と裏腹に、なんとも神秘的に焼き付く。

 金髪の男が横目で隣を盗み見ると、青髪の視線が僅かに上下している。中ではなく、装置全体を観察しているようだ。


「気になるか?」


 男は返答しなかった。沈黙をよしとし、金髪はすこしだけ得意げに語る。


「治癒液を応用したものだよ。食事に混ぜるより効率がよい。ずっとましだ」

「……」


 やはり反応を返さない青髪に、金髪は口調を変えて短く確認をとった。


「本当にいいのか」

「くどい」


 切り捨てる言葉にも色はない。金髪は怯まず、逆にどこかおかしそうに続けた。


「……私には、頭をやられているとしか言えんな。よくせんよ」

「狢だ」


 青髪に図星を突かれ、はは、と金髪の目尻が下がる。


「違いない。……が、私は息子が可愛いからな。卿の考えは正直理解できん」

「趣味がいいとは思わん」

「そちらではない。…………あれを息子だと思うのは、十年前にやめたよ」


 金髪は表情を一転させ、苦虫を噛み潰したような顔をした。青髪は気にもとめず、傍らに訊ねる。


「あれはどうなっている」

「ん? ああ、もうできている」


 金髪はおもむろに、近くの深青色をした金属とも石材ともつかない不思議な素材で出来た継ぎ目のない机に歩み寄り、上に置かれた麻袋を持って引き返してくる。

 青髪がそれを受け取ると、口紐をほどき、中身を取り出した。

 青髪の黒い革手袋をした手のひらに収まるくらいの大きさだ。鉄らしき金属でつくられている。図術が広く浸透したランウェイルではとんと見かけぬしろものだったが、青髪はその形状に見覚えがあるらしくつぶさには調べない。


「古物だ。触ったことくらいあるだろう? 引き金を引くだけでいい」


 金髪は古物と言ったが、汚れや傷は見当たらない。それは当然だった。

 古物というのは、失われた技術のことを指す。図術が世に広まるよりずっと前に、人が世界の法則にならい、人の理解できる知識をもって作られた手段そのものがランウェイルで用いられる古物という概念だった。


「知っている。効果は」

「エーテルの巡りを遮断する。弾は二発。殺傷力は皆無ゆえ、当たりさえすればよい。ただ、施紋はされておらんから状況を見て使え」


 青髪は金髪の簡単な説明を聞きながら、しばらく見詰めたあと手の中にあったそれを元の袋に戻した。


「君の引具も調整しておいた。いつもと逆の作業はなかなか新鮮で面白かったよ」


 金髪が顎でしゃくった先に引具と思しき長物が連結台座に納まっている。


「あんな時代錯誤なものをなにに使うつもりかね」

「…………」

「……またか。まあ、もう慣れたがね」


 飽くまで無言を貫く男に、金髪はやれやれ、とため息をつく。

 つかの間の静寂。正面を見詰めたままの青髪に、金髪は話題を変える。


「もう卿は後には引かんか。……そうはいっても、状況が少し変わったな。これでは帳尻が合わん。首都議会はどうする? いずれどこからか知れ渡る。黙ってはおらんだろう」

「犬には餌を与えるだけでよい」


 青髪の男はよくわからないたとえをするが、得心した面持ちで金髪はふむと小さく頷いて、


「ステイレルの長女か。あれはまだ若いぞ」

「飢えた獣は口に入れる物を吟味せぬ」


 金髪は考えるそぶりをみせ、


「……確かに、見栄えはよいな。十年前の長兄もある。……なるほど、喜んで食いつくか。卿に御せるかな?」

「あれも犬だ」


 かわらず冷徹な低い声音で青髪が答える。金髪は瞳を一度閉じ、


「道理だな。……ふむ、彼女は犬というよりは虎の子といったほうが相応しいか。上等校の上級士官課程を卒業した数少ない女性。才覚にあう勇猛果敢な性格と聞くしな」


 口の端を上げて同意しながら、独り言のように言う。続けて、


「ただ、何事も滞りなく、というわけにはいかないものよ。ゆめゆめ足下を掬われんようにな」


 釘を刺す言葉を残し、話は終わったと言わんばかりに装置に背を向ける。白衣がその軌道を追って宙に翻った。


「手を貸すのはここまでという約束。これから先私は一切の関与をせん。くれぐれも、飛び火せぬようにしてくれよ」

「無論」


 了承を背中で受け取り、金髪は入り口へ歩き出す。重金属の扉に手をかけながら、ぼそりと愉快げに呟いた。


「…………画してかどうか、野良猫を手懐けておる。さて、風向きはかわるのかな」


 金髪が出て行くが、青髪は振り返ろうともしなかった。静謐な瞳をぴったりと装置においている。

 試験管の少女は瞼を閉じ、ときおり胸元を浅く上下させたりぴくりと指先を震えさせたりして、機械的に命を伝えるだけだった。


「……」


 青髪はひととき、目線を変えてじっと少女を見ていた。

 やがて、飽きたように顔をそらし、部屋の奥へ足を運んだ。連結台座の上に置かれている長大な引具の柄に、携えた袋の口紐を外れぬよう縛り付け、柄の中ほどを握る。重さを感じさせぬ手つきで無造作に持ち上げ、引き返して試験管の脇を通り抜ける。


 その刹那、少女の顔を一瞥したのかどうかは、青髪しか知り得なかった。


 軍人っぽい無骨な足取りで入り口へ向かい、室外へ出た。男の足音が響き、室内にこだまして、徐々に小さくなってゆく。


 男達が去り、そのあとがしゃんと音が立ち、図術照明が落とされる。部屋は試験管の少女たった一人が残される。

 宗教のたぐいとはほど遠い室内は反面、ある種の荘厳さを備えていた。

 試験管の少女はまどろみのなかにいるように、ゆるくまばたきをした。

 今度こそ少女は、その唇で言葉を紡ぐ。しかしそれは低い駆動音と水の音にかき消され、声にはならなかった。かわりにふわりと、口から水泡が零れ出る。動きがあらわすのは、短い単語だった。


 あと、すこし


 少女に生み出された一つの水泡はゆっくりと翡翠の海を少しの間だけ泳いだあと、徐々に小さくなってやがて消えた。


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