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人、人、人。
ヨクリの前後左右は、少年少女でごった返している。
「わっかいなぁ……」
ヨクリは校門で一人呟いた。こうも年下の人間が大勢いると、ヨクリにはそう変わらないはずの自分の年齢がとても上に思える。
ヨクリはここ基礎校レンワイス管理塔東で対象と落ち合う目的で、学生の行き交う入り口まで足を運んでいた。高くそびえる校舎は淡い青色をしており、周辺の建築物とは一線を画している。その奥にある楕円型の大きな建物は生徒が特殊な戦闘訓練をするためにあり、演習場と呼ばれている。
基礎校。十二歳から十八歳までの一貫で、十三に区分されるランウェイル国の各区域に一校から五校おかれている。国内で学費が一番安い学校で、基礎校へ入学する生徒がここ五十年で爆発的に増えなおも増加傾向にある。年度末、最高学年の生徒は都市外試験を任意で受けられる。これに合格すると、上等校入試の際実技が免除される。
ちなみに敷地内には学生寮も設置されていて、その運用費は国が賄っている。シャニールを自国の領土におさめることに成功したランウェイルは、その補償としてシャニール人の子どもを無償で基礎校にある寮に住まわせ、生活、進学の支援をした。
基礎校はヨクリらが普段相手にしている”獣”に対する戦闘の技術や知識を教わる学び舎で、卒業後は業者になるか、上等校へ進学するか、軍へ入隊するか、大体この三通りだ。
基礎校に入学する生徒が増えているという現状は業者を窮乏させる大きな要因のひとつでもあった。業者は人口過多なのだ。そのせいで依頼の取り合いや揉めごとが頻繁に起き、各円形都市の制度の改革が必要とされているが、具体的な方策はどこの地区でも打ち出されていない。
じろじろと見られている。ぶしつけともいえるその視線は居心地が非常に悪い。ちょうど下校時刻と被るこの時間帯は校門の辺りに生徒がしきりに往来しており、制服でないヨクリは異質で珍しいのだろう。人種の差——シャニール人であることも、もちろん関係しているのだろうが。
入り口に付設されている外来用の受付で入校許可をとって、来客札を首からぶら下げる。
基礎校は管理塔から離れた場所にも建立されていることがあり、主に貧民層が起こす盗難等の犯罪防止を理由に、国の基礎校全てが生徒や教職員以外の人間に対して入校の許可を必要としている。
校門をくぐり、敷地内へ歩を進める。確か合流場所は演習場だったはず、とヨクリは生徒と生徒の間をすり抜けるように移動する。
(なつかしいな)
思い出したくないものはたくさんあったが、同時によかったことや楽しかったこともそれと同じくらいあった。昔の自身と重ねて、しんみりとした感情がヨクリの胸に去来する。レンワイスの基礎校ははじめて訪れるが、やはりというか、雰囲気はよく似ていると感じる。
(やめやめ、仕事だ仕事)
これから対象と会うのだ。感傷に浸っている場合ではない。そう思って気持ちを切り替え、ヨクリは足早に演習場へと向かう。
演習場の前まで到着すると、ヨクリは両開きの大きな扉の前に立っている職員らしき壮年の男性に声をかけた。事情を説明すると、職員はその場でヨクリを待たせて確認を取りに行く。
しばらくすると先ほどの職員が再びヨクリのほうへやってきて、
「お話は伺いました。お待たせしてしまって申し訳ありません。こちらです」
謝りながら壮年の職員が案内する。ヨクリはいえいえと応対し、先導する職員に追従した。ぐるりとまわって建物の裏まで通され、職員用の扉へ招かれる。
灰白色の石材でできた通路は一本道だった。脇にいくつかの職員が使うものとおぼしき簡素な事務室があるが、壮年の職員はそれらの部屋には入らずに突き当たりの扉を開く。ぎい、と軋んだ音が鳴った。
「ご足労ありがとうございます。到着しました」
広い空間だ。少なく推算してもおよそ千五百人ほどは収容できるだろうか。素材全てが表と同じ淡い青色をしていて、床には模擬戦闘で使用する範囲を明確にわける線が引かれている。
ざっと見渡すと、幾人かの生徒と職員、それに外来の人間がこの場所に集まっていた。
生徒はおそらく、優秀生だろう。そして外の人間はヨクリと同じ、優秀生を実戦で教育指導するために呼ばれた人間だ。ほとんど身なりが良い。美しい装飾が施された特注の召し物と香油の匂いに、金持ちそうだな、とヨクリは下世話な感想を浮かべる。
「先方から事情は聞いておりますので、あとは担当の生徒へ。それでは」
職員の去り際に言った淡白な台詞にそんなに投げやりで大丈夫なのかとヨクリは一瞬思ったが、上等校を卒業し維持隊を束ねる立場にあり、更に貴族のなかでも名門のステイレル家のキリヤが推薦しているのだから、向こうはヨクリを信頼のおける人間だと認識しているのだろう。滅多な行動をしなければ大丈夫だとヨクリは結論づけた。
(確か女の子、だったよな)
注視して対象を探していると、外来の人間と歓談する生徒たちのうちの、ある少女に目に留める。少女は白地に黒の縁取りが施された上着に赤いスカートという、ここ基礎校レンワイス管理塔東の指定制服を着用していた。少女は直立で虚空を見据えたまま、微動だにしていない。
「フィリル・エイルーンさん?」
「…………」
近づいてヨクリが呼びかけると、緩慢な動作で体を向けた。青髪がさらりと宙に揺れる。
「誰ですか」
少女に誰何され、ヨクリは目的の対象であることを確信する。
「ヨクリです。あなたの担当を仰せつかった者です。フィリルさんで間違いありませんよね?」
軽く自己紹介をしつつ確認を取ると、フィリルと呼ばれた少女はこくりと僅かに首を縦に振った
。
フィリル・エイルーン。ヨクリが教育を担当する優秀生で、ここ基礎校レンワイス管理塔東の生徒だ。その特徴は、ヨクリが事前に受け取っていた写真と相違ない。肩まで伸ばされた髪の毛の青空色や、翡翠の瞳は写真では判別出来なかったが。
線の細い、小柄な少女だった。ランウェイル人女性の平均身長とあまり変わらないヨクリと比べても、かなり身長が低い。
実際に相対してみると、写真と大きく違ったのは印象だ。確かに写真でも顔に表情は全くなかったが、しかし少女は儚げとも憂えげとも異なったどこか透明感のある独特な雰囲気を纏っていて、うまく言葉で説明できない不思議な感じをヨクリに覚えさせる。
「ええと、よろしくお願いします」
ヨクリは言いながら手を差し伸べ、握手を求めた。しかしフィリルはそれに反応しない。ちょっとの間そうしていたが、やはり少女は握手に応じなかった。
(……やりづらい……)
ヨクリはこの先を悲観せずにはいられなかった。口元をひくつかせ、きまり悪く腕を引っ込める。優秀生と聞いていたので自信家だったり不遜だったりという性格を危惧していたが、これはまた別物かもしれないなとヨクリは思い直す。
「……取りあえず、場所を変えましょう。立ち話もなんですから」
「どこへ?」
気を取り直してそう提案すると、抑揚のない口調でたずねられる。
「そうだな……外へでて、店にでも入りませんか?」
「はい」
にべもなく頷いたフィリルに、ヨクリは「じゃあ、いきましょう」と返し出口へ歩き出した。横目で少女を見ると、ゆるりとした挙動で、半歩後ろを保って着いてくる。
(従ってはくれるみたいだ)
全て順調に行くとはヨクリも思っていない。素直に聞いてくれるだけ僥倖だと考える。
ヨクリは自身がシャニール人であるということによる弊害——人種差別を一番憂慮していた。紹介のときに姓を名乗らなかったし、身体的特徴からフィリルもヨクリがこの国で嫌悪の対象になっている人種であると察しているはずだ。しかしそれについて言及してこないのはヨクリにとって意外だった。
(もしかしたら、緊張しているだけなのかもしれないな)
先ほどの握手も、ただ警戒しているだけという線もある。大人しそうな性格だし、まだ接しかたがわからないのだろう。ヨクリはそう斟酌し、道すがらなるべく会話をして距離を縮めてみようと心に決めた。
■
(うん。やっぱりこの子は面倒臭いな)
結論からいうと、ヨクリの演習場での決意はすぐに砕かれた。
ヨクリがなにを訊ねても「はい」か「いいえ」でしか返さない。会話に単語が一つでも入っていればいいほうだ。フィリルには話をして意思の疎通をはかる、という気が全くないらしい。
ヨクリは馬鹿らしくなって、仕事と割りきろうと早々に諦めた。
ヨクリたちは基礎校から少し離れたところに位置する、落ち着いた雰囲気の茶店の一角にある二人席に腰を据えていた。照明が上品に店内を照らしていて、内装は若干年期を感じさせるが清潔で、給仕の愛想もいい。こういう高級そうな店には諸事情もあってヨクリはあまり近づかないのだが、今日は奮発してもいいだろうとヨクリは決めていた。
「好きな物、頼んでいいよ」
ヨクリはくだけた口調で、品書きを手渡しながら対面のフィリルに告げる。
基礎校生の護衛兼教育という、今後ヨクリが請け負うことがないような格式ある仕事なのでヨクリは丁寧に接していたのだが、道中フィリルが「礼を払わず結構です」と断じたので、それを受け入れた。特に苦手というわけではないが、年下の相手には気楽に接したいというのもヨクリの本音だった。
「結構です」
そう言うだろうなとヨクリは思っていた。まだ会ってからほんの僅かだが、仕事柄人と接する機会が多いので、以前の例と当てはめ、少女のなんとなくの機微は掴みつつあった。ただ、ヨクリは自分が人嫌いの気があることを自覚しており、あまりこういう分析を信じてはいない。現に先刻外したばかりだ。
「そう。じゃあ適当に頼むね」
ちょうど水を運びにきた給仕に、いくつか注文をする。給仕は恭しく「かしこまりました」と頭を下げ、厨房のほうへ去って行った。注文を終えたヨクリは水を一口飲むと、居住まいを正してフィリルの方へ向き直った。
「改めまして、ヨクリです。貴方の指南役として依頼を賜りました。冬期休暇のあいだ、どうぞよろしくお願いします」
具体的な話の切り出しに、ヨクリはフィリルに一礼した。
「フィリル・エイルーンです。よろしくお願いします」
単調な声音でフィリルも挨拶を述べる。ヨクリは出会い頭の一件もあり、無視されるのを覚悟していたので目を丸くした。礼儀正しいのかそうでないのか、いまいちよくわからない。
「それじゃあ、話をはじめよう。ええと、そうだな。まず、はじめになにか聞いておきたいこととかはない? なんでもいいよ」
こうしてヨクリから振らねば、フィリルの意見を把握できない。それは先刻のやりとりで学んだうちの一つだった。
「女性のかたとうかがっていたのですが」
「あれ、聞いてない?」ヨクリはおかしいなと首をかしげ、「俺は代理。元々きみの担当は確かに女性だった。でもその人は火急の件があるみたいで、依頼を引き継いだんだ。……女性のほうが都合よかった?」
ヨクリは説明しながらおそるおそるにフィリルに訊ねると、
「いえ、ただ」
「ただ?」
「いえ、なんでもありません」
言いよどんだフィリルに、ヨクリは怪訝に思ったが、「そういえば持ってきていたな」と手持ちの鞄から書類を取り出して少女に差し出した。
「……まぁ、これをみて判断して。不服だったら俺から依頼主に連絡取ってみるからさ」
薄茶色をしたそれは、ヨクリの依頼経歴書だった。業者をはじめてからこれまでの受注履歴と達成履歴がおおまかに記載されている。依頼管理所に申し付けると、いくらかの手数料と引き換えに発行してもらえる。念のためにヨクリが持参してきたものだった。
「…………」
フィリルが目を通していると、給仕がもどってくる。注文したものを卓上に並べると、「ごゆっくりどうぞ」と一言告げてから立ち去った。
「豆と葉、どっちがいい?」
「結構です」
ヨクリはフィリルは視線を紙にやったまま再び拒んだが、ヨクリは苦笑しながら半ば無理矢理に少女のほうへ二つのカップをやった。
「まぁ、おごりだからさ。せっかく注文したんだし」
フィリルはちらりとヨクリの顔をうかがったあと「どうも」と小さく頭をさげ、葉出しのほうのカップを手元に寄せた。ヨクリは満足そうに笑うと、残ったほうを取る。
「よかったらこれも食べてね」
皿に乗せられた焼き菓子もフィリルにすすめたが、頷いただけで食べようとはしなかった。煩わしく思われてるなぁ、とヨクリは肩をすくめながら菓子をひとつまみする。
「おいしいな……」
カップを呷って嚥下したあとに一人呟く。久々に口にする甘みに、舌がぴりぴりと痺れる。口のなかを洗い流す茶も香ばしく、とても美味だった。そういえばキリヤのところで飲んだものはどんな味だっただろうか。そもそも豆だったか、葉出しだったか。思い出そうとしても、思い出せなかった。——味なんてわかる状況じゃなかったから、仕方ないか。
ヨクリがそうやってどうでもいい暇つぶしをしていると、一通り読み終えたフィリルはヨクリに書類を返却しながら、
「すごいですね」
全くそうは思っていなさそうな平坦な声音で称賛した。フィリルがなにを褒めたのかすぐに理解したヨクリは適当に謙遜する。
「どうなんだろう……自分じゃよくわからないかな」
フィリルから受けとった書類をしまう。
ヨクリの来歴。基礎校を卒業してから三年間、間をあけずに依頼を受注、解決させていて、初年度は失敗もあったが、もう残すところ少しの今年度は依頼の達成率が九割を超えるほどだった。依頼の難度はばらけていたりもするが、少女の言う通り優れた成績と言っていいのかもしれない。
「どう?」
「あなたでかまいません」
ヨクリの問いにさらりと答える。担当をかえてくれと言われていたらヨクリにとっては非常に困る状況になっていたので、内心でほっとする。
「そう。……まぁ、上級依頼ははじめてなんだけれどね」
「じょうきゅういらい?」
「上等校卒業生のみが受注できる依頼のことだよ。きみの教育はそれに相当する」
フィリルのそっくりそのままの返しに、ヨクリは口頭で説明した。
上等校を卒業した者は通常出回っている依頼よりも難易度と報酬金が高い特別な依頼を請け負える。それは業者間などで上級依頼と俗称されていた。
「俺、基礎校までしか出ていないからさ」
「そうですか」
話は終わりとばかりにフィリルが流すと、ヨクリは質疑応答を切り上げ、本題に移る。
「じゃあ、依頼の話をしよう。まず…………」
■
ヨクリが二杯目を空にし、フィリルのカップも残り僅かになったころ、一通りの打ち合わせが終わる。
外は暗闇に包まれはじめようとしていた。店内の客もヨクリら以外は入れ替わり、歓談が耳にはいりだす。この時間帯はどうやら繁盛するらしい。
「っと、もういい時間かな」
ヨクリは窓の景色を見て言い、
「あ、そうだ」
荷物をまとめようとして、思い出す。フィリルに確認しなければならないことがもう一つあった。
「ええと、俺の他にも二人の男性にきみの教育を手伝ってもらう予定なんだ。大丈夫?」
「かまいません」
マルスとアーシスの件を話すと、少女は興味なさそうに了承する。
ヨクリはさっきからのフィリルの対応に心配になった。いくらなんでもおざなりすぎる。
「……本当に大丈夫? 今日会ってからずっとその調子じゃない。嫌なら言っていいんだよ?」
「…………」
しばらく沈黙がおとずれた。フィリルを注視しても、その感情を読み取れない。ずっと無表情を貫いたままだ。なにも映さない顔は出会ったときの印象のまま、どこまでも透明だった。
「はい」
鈴の鳴るようなその声音にも色がない。ヨクリはようやく異常だと悟った。まだ十五歳だ。大人びているとか、そういう度合いを逸脱している。この少女は、異常だ。
「……俺、シャニール人だよ? それについてもなんとも思わないの?」
「なんとも」
(どうしてそんなに他人事なんだ)
真っ直ぐな視線で少女はきっぱりと答えた。その返答に、ヨクリは感情が高ぶるのを明確に知り、心を抑えるように努める。
(……仕事だ。これは仕事。いいじゃないか、どうでもいいって思っているんだったら。そのほうが俺にとってやりやすい。俺が怒る理由なんて、どこにもないはずだろ)
ヨクリは心中で、眼前の少女に深入りせぬよう自らを戒める。関係ない。フィリルとは冬期休暇の間だけの浅い繋がりだ。——痛い目を見るのは、もう嫌だろ?
「……わかった。……助かるよ」
声が震えないように、会話を打ち切った。
ヨクリは一度大きく深呼吸して、
「……じゃあ、今日はこんなところにしよう。寮まで送って行こうか?」
「結構です」
「そう、わかった。初日の朝に迎えにいくから」
「わかりました」
ヨクリは荷物をまとめながら、フィリルを促す。
「支払いは済ませておくよ。それじゃあ、また」
「はい」
会話が終わると、フィリルはすっくと立ち上がって店の出口へと向かった。ヨクリはその小さな背中を見送る。そうしないと気持ちが落ち着かないような気がしたからだ。
(なんでこんなに俺は動揺しているんだ)
瞼を閉じて胸の底からため息をひねり出した。
そうすると、先ほどまでの乱れが嘘のように消し飛ぶ。
「……あほくさ」
ひとりごちたあと、ヨクリは手を挙げ給仕を呼んだ。