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途上のシャムロック  作者: 納戸
贄のこども
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   2

「……なにを惚けている。座れ」


 キリヤに促され、その声で無意識下にいたことに気づいたヨクリは、びくりと体を竦ませたあと目の前の椅子に腰掛けた。

 ヨクリはどこをどう通ったのかまるで覚えていなかった。ここは事務仕事をする部屋らしい。

 ヨクリの眼前の机はきれいに整頓されているが、部屋の両脇にある本棚にはずらりと資料が並べられ、真正面奥の窓際の机は書類が山積していた。差し込む陽光は暗い橙色をしており、もうじき夜が来ることを告げていた。机上の燭台は既に灯され、ゆらゆらと中の火が揺れている。


 紙と筆墨の匂いがする室内をヨクリが見渡している間、キリヤは飲み物を淹れていたようだった。支度をすませて机に戻り、カップをヨクリに差し出す。


「ありが、とう」


 カップを受け取り、久方ぶりの対面を果たした先ほどと全く同様に、反射的に礼を述べる。キリヤはカップを持ったまま、机を挟んだヨクリの正面に座った。

 ヨクリは落ち着け、と内心で己に言い聞かせ、口をつける。


「あつっ」


 口走りながら、この時期に冷えた飲み物は出てこないよなと、ヨクリはぼんやり思った。軽く火傷し、舌の痛みに眉をしかめる。顔を上げると、ヨクリの様子をキリヤが呆れ顔でうかがっていた。


「……なにをやっているんだ」

「……ごめん」


 ヨクリが目を伏せて謝ると、キリヤはふ、とため息をついてからカップを手に取り、軽く呷る。

 しばらく部屋は飲み物を嚥下する音と、かちゃ、という茶器を置く音に満たされる。音を立てていたのはほとんどヨクリで、それに気づいた時、ヨクリは変わらないなと少し心を痛めた。

 二人ともがカップを空にしたころに、ようやくキリヤが口を開いた。


「聞きたいことがあるのではないのか?」


 訊ねたいことなら山ほどあった。射抜くようなキリヤの眼差しにヨクリは目を逸らし、言う。


「……なぜ俺だけが別室だったんだ」

「まともな質問だな」


 意外だ、という響きを持ってキリヤは返答した。続けて、


「私は今治安維持隊の隊長をしている。……拿捕された人間の一覧表を確認したときは目を疑った」


 そこでキリヤは言葉を切り、冷やかな表情をたたえてヨクリを嘲った。


「おちぶれたな」


 それについてはヨクリ自身も同感で、ほかでもないキリヤの前で無様な言い訳をするつもりはなかった。しかしそれでも、なけなしの自恃を持って笑う。


「わざわざ嫌味を言うために? ずいぶん暇じゃないか」

「戯れ言を」


 キリヤが鼻を鳴らして一蹴すると、目を閉じ、腕を組んで一つ間をおいてから再開する。


「取引をするためだ」

「取引?」


 思わずキリヤと視線をかち合わせる。


「話を聞くと、お前は巻き込まれただけらしいからな」


 キリヤは言いながら、ひとつに纏められた書類をすい、とヨクリ側に差し出して、


「私からお前に依頼を発注する。それを処理できたなら、お前は私の権限で見逃してやろう」


 値踏みするように続ける。


「どうする?」


 ヨクリはその突拍子のない提案に、かえって冷静になった。


(これは、仕事だ。仕事の依頼だ。それなら相手が誰であろうと関係はない。自分の流れに持っていくだけだ)

「どうする、と言われても。内容がわからない限りは答えようがないよ」


 さっきまでの挙動を捨て去り、飄々とした態度をつくってヨクリは答えた。

 キリヤはヨクリの変貌に一瞬動揺を見せたが、再び威圧的な口調に戻す。


「わかっていないな。お前に拒否できると思っているのか?」

「そう言われても、蓋を開けてみてとても達成できない依頼だったらと思うと、簡単に頷けないだろう?」


 ヨクリははっきりとキリヤの目を見据える。双方睨み合ったあと、キリヤはふう、と息を吐いた。


「……いいだろう」


 キリヤは飽くまで優位の立場を崩さずに、顎で促した。読め、と言っているらしい。

 ヨクリは書類を手に取ると、要点を抜き出しながらぺらぺらと流し読む。

 大まかな内容はこうだ。冬期休暇中、優秀な成績の基礎校在学生を実戦のなかで教育、指導する。その際、対象を全面的に保護する。できうる限り外傷をさけるように受注者は努める、と。 


「……基礎校生の護衛兼教育?」

「そうだ」


 口を突いて出た言葉にキリヤはうなずいた。ヨクリは訝しげに、


「この内容は普通、上等校卒業者が受けるものだろ」



 通常、依頼管理所で依頼を請け負う業者のほとんどは基礎校を卒業している。ヨクリも例に漏れず、基礎校で業者として必要な知識や戦闘技術を学んだ。

 上等校とは、基礎校より質、量共に高位の指導を受ける教育機関だ。基礎校を卒業した者が目指す。上等校を出たものは国から優秀者とみなされ、各分野の中枢を担う職につける。他にも業者登録の際、通常斡旋されない高額の依頼を受注できるなど、様々な施設で優遇をうける。ここを出ると洋々な将来が約束されると言っても過言ではないが、そのぶん難関を極め、入学試験はもちろん在学中の課題も厳格で、たゆまぬ努力が求められる。



 ヨクリがそう判断した理由は二つあった。

 一つ目は、基礎校優秀生の護衛となると、護衛にあたる者は社会的に信頼のおける人間でなければならないということ。なぜなら、そうでなければ生徒を教育している学校や保護者が納得しない。

 二つ目は、書面に記載された報酬金。この依頼の報酬金は普段依頼管理所が提示している依頼のそれよりも遥かに高い額だった。並の業者が請けられる依頼ではない。


「その通りだ。その依頼は私に名指しで送られたものだ。だが私は手があいていない。だから、代わりを探していた」


 ヨクリの問いに、キリヤはあっさりと首肯した。それを見て、ヨクリは内心で考える。


(キリヤは上卒、か)


 同い年で治安維持隊を纏める地位に就いているという話から予想はしていた。だが予想が事実へ確定したとき、ヨクリの心は大きく揺らいだ。


(……あとでいくらでも劣等感につつまれたらいいさ。今はそんなときじゃない)


 ヨクリは自らを叱咤し、残りの疑問をキリヤにぶつける。


「なら、依頼を断ればよかったんじゃないのか」

「そうしたいのは山々だったが、懇意ある人物からの依頼だ。無下にはできん」


 これ以上の問いは無意味だとヨクリは踏んだ。あとは自分がこの依頼をうけるかどうかだったが、ヨクリはもう肚を決めていた。


「……わかった。引き受けよう」


 依頼に必要な経費が出ないという不利を考慮しても、経歴に傷が付かず、刑罰をうける必要がなくなるという利点はそれを補って余りある。多少無茶な依頼でも請け負うつもりだったヨクリにとっては、書面に書かれた内容は渡りに船と言ってよかった。


「そうか」


 キリヤはヨクリの受諾に喜色など一切見せずおもむろに席を立ち、


「少し待っていろ」


 一言そう伝えると、キリヤは扉を開いて部屋から出て行った。その背中を見送ったヨクリは脱力し椅子の背もたれに体を預け、一人呟いた。


「本当に、もう会うことはないと思っていたのにな……」


 キリヤ・K・ステイレル。ランウェイル国でも指折りの名門貴族。基礎校時代のヨクリの同級で、友人と呼ぶに相応しい関係だった。少なくとも、ヨクリはキリヤを友だと思っていた。

 ヨクリはシャニ—ル人であるヨクリ自身に気兼ねなく接した清廉潔白なキリヤの性格に好感を持っていたし、努力を惜しまない姿勢に尊敬もしていた。キリヤに触発されて積んだ修練の結果は、かけがえのないヨクリの財産になっている。


(……やめよう)


 なにを考えるにしても、もう遅い。たらればの話が浮かぶ前に、ヨクリはかぶりを振って思考を打ち払った。それと同時に、かちゃ、と小さく後ろの扉が開く音がする。

 ヨクリが体を起こして振り返ると、細長い袋と紙束を抱えてキリヤが室内に戻ってきた。

 キリヤはヨクリを一瞥し、さっきまで座っていた椅子に腰掛ける。


「お前のものだ」


 言いながら、キリヤはヨクリに包みを手渡した。

 開けて中身を確認すると、それは押収されていたヨクリの私物だった。袋の輪郭をつくっていたものは、普段腰に下げている片刃の剣だった。

 ヨクリはすぐに剣を取り出して机に立てかけ、手早く他の物も整理する。

 ヨクリが一段落した頃合いを見計らい、キリヤは袋と一緒に運んできた書類をヨクリ側に差し出した。


「記入しろ」

「依頼の手続き、ここでするのか」


 書類は、依頼の受注者を記入し管理所に届ける受注書だった。キリヤはヨクリにうなずいて、


「元々私に持ちかけられた依頼だ。管理所には私が提出しておく」

「わかった」


 ヨクリは隣に置かれていた筆記具を手に取ると、一度全ての書類に目を通してから記入欄を埋めはじめた。


「お前は書かれた日時に、基礎校へ対象を迎えに行け。先方には私から話を通しておく」


 ヨクリは文字を綴りながらキリヤに首肯する。さらさらと、筆を走らせる音。


「……もう、三、四年振りになるのか」


 濡れたように室内に響いた、再会してからはじめて聞いた感情を含んだキリヤの声に、ヨクリの筆がかすかに鈍る。


「ずっと、業者をしていたのか」

「……そうだよ」


 キリヤの問いかけにヨクリは紙に視線を合わせたまま答えた。手は止めない。


「私は今でも、信じていない」


 筆が、ぴたりととまった。


「お前のあのときの気持ちなんて、私にはわからないし、知りたくもない。……ただ、あのとき私はどうしても許せなかった。お前を」


 顔を上げずに紙を見つめているヨクリは、キリヤの表情に気づけない。


「お前は、変わらないな」

「……変わったよ」


 変わっていないのはきみのほうだ、とヨクリは記した文字をぼうっと見ながら思う。


「いや、変わらないさ。お前と今日会って、わかった」


 ヨクリの淡々とした返しをキリヤは否定する。ヨクリはようやく顔を上げ、その驚くほど真剣な眼差しに、僅かに目を見開いた。


「まだ、そうやってゆくつもりなのだな」


 キリヤの支離滅裂とも思える問いだが、ヨクリには覚えがあった。

 キリヤも、やはり忘れてなんていなかった。忘れられるはずがないのだ。できるなら、ヨクリはとっくにそうしたかったのだから。


「いつまで続ける? ……五年先か? それとも十年?」声音をふるわせながら、 

「答えろ!」


 キリヤの糾弾に、ヨクリはきつく目を閉じた。それを見たキリヤは顔を強張らせた後、整った眉を吊り上げて「……いつも、いつもそうだ。お前はなにも変わっていない……そうやって目を閉じて全てから逃げて、なにも見ようとしない、なにも言わない!」


 吐き出すように、キリヤは続ける。


「自分を弁護しようともせず、かといって、誰かを責めるわけでもない……そんなもの、どうしようもないではないか……」

「…………」


 言葉尻に切なささえ混じったキリヤの言の葉にすら、ヨクリは答えなかった。目を閉じ、拳を握り。ひたすら、耐えていた。


「ヨクリ!」


 キリヤの叫びと同時に筆を置き、ヨクリは立ち上がった。依頼の資料を懐にしまいながら、書き終えた書類を差し出す。


「依頼の件、確かに承ったよ」


 必死に無表情をつくってそう言いながら、立てかけていた剣を手に取る。キリヤは差し出された書類を呆然と見たあと、体を震わせた。


「…………ふ、ふふ」


 キリヤは笑っていた。うなだれ、長い髪がだらりと下がる。

 きびすを返してキリヤに背を向け、ヨクリは再び目を閉じた。


「それじゃあ」


 扉を開いて、部屋の外へ出た。

 俯いたままのキリヤの、


 ——やはりお前は、最低だ——


 という言葉を耳にしながら。

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