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絶対秘密同盟  作者: 山東京子
6/6

脱線

 その翌日、早速石川君は教員室に大きな袋を持参してきた。

 



 ぎょっとする私。

 それは、レコードですね、石川君?


 

 でも、こっそり渡すとか、そこは気を遣ってくれないのか。



「これ、お借りしていた資料です。たくさん、どうもありがとうございました」



「いえ、いいのよ、別に。はは。またいつでも言ってね」



 白々しい芝居をする私に、さわやかな笑みを浮かべて去っていく石川君。


 

 


 隣の席の、数学科で隣のクラス担任の木島先生が、私に声をかけてくる。

 

 「何ですか、それ」

 

 「…ええと、色々受験の資料をね、国語関係のものを、渡したんです」




 

 袋をあけずに、机の下にとりあえず置く。

 これは、このまま持って帰らねば。





 私の言ったことをもちろん疑いもせずにそのまま受け取った木島先生は、感心したようにこう言った。




「石川は最近、頑張ってますよね。私の、センター対策数学でもよく質問に来て、追加でもっと問題をくれとか言ってきたりするんですよね」



「そうですか…」




 他教科にもやる気を見せているということは喜ばしいことだが、肝心の古典の授業はどうにかしてまともなものにしないといけない。

 

 この間の、あれはなかった…。

 

 センター用の問題や二次試験用の過去問題を用意しておくのも、本人のためになるかもしれない。


 

 

 


 などと考えつつも、その日はできるだけ早く帰って部屋で何度もレコードを聴いてデル=モナコ三昧の私であった。

 





 というわけで、(レコードを聴きつつも仕事もして)色々と用意して臨んだ次の火曜日。





 「今日は、私が用意してものをやってもいいかしら」



 「え、あ、はい…構いませんが」




 本人は今日は『蜻蛉日記』(また重いものを持ってきたな…藤原道綱母による夫へのルサンチマンが延々と綴られた、昼ドラマも真っ青の日記である。文章は美しいが…)を持参してきたが、またあまり変な話題になってもいけないと思ったので、私の方で用意した二次試験の問題をやる。


 

 

 中世のものから取られた文章で、最近は、できるだけ受験生が見たことのないものを、という思慮からか(当然だが、既に読んだことのあるものが出てきたらそれだけ受験生にとって有利になってしまう)マイナーなものからとりあげられる傾向が強いが、この文章も、無名の作者によって書かれた説話もので、


 



 仏教を熱心に信仰している若い男が、ある日夢で見た神のお告げの通りに村の泉のほとりに月夜の晩に行ってみると、美しい琵琶が船に乗って自分の方にやってきた、そして不思議とその琵琶をうまく弾くことができ、この男は琵琶弾きとして幸せな人生を送ったというものである。


 


 要するに仏教の信仰を奨励しているのだが、話自体はまあ幻想的というか、それほど悪くはない。



 

 一通り問題を解かせて、解説に入るが、それほど難しい文章でも問題でもなかったので、まあまあできたようだ。


 


 今度はもっと難しい文章・問題にしよう。




 時計を見たらまだ20分ぐらいしかたっていない。


 これはもう一つ、半分ぐらいはできるかもしれない、そして半分は宿題というか自主課題に…と思ったところで、石川君が全然関係ないことを言い出した。




 「先生、あの、どうでしたか、レコード?」


 

 おっと、私にオペラを語らせてはいかんよ、君…。


 ぐっとこらえて何とか短く済ませようとする私。

 



 「それはもちろんとても楽しませもらったわ。お父様によくお礼を言ってね。今日返すつもりで持ってきたの、はい」


 

 と忘れないうちに、そして話を終わらせようと袋に入ったレコードを渡す。


 


 しかし、石川君はそのまま会話を続ける。


 

「先生は、どうして、ヒスオタになったのか、お聞きしてもいいですか?」




 すごくディープな質問…。



 こんなところで私の履歴を語って彼の時間を無駄にするわけにはいかない。しかし、無視するわけにもいかないので、




 「うん、まあ色々とね」



 と濁す。



 「聞きたいな。教えてもらえませんか?」




 うわあ、出た、いたずらっ子の顔!




 「ね?」



 たたみかけてくる。



 「ええと…」

 

 

 仕方がないので話し始める私。




 「大学に通ってたときにね、先輩の送別会をやるっていうので、そこで何か音楽でもかけるかということになってクラシック音楽のCDを買いに行くことになったのね。


 ヴィヴァルディの『四季』とかまあそういうのを探しに行ったの。それで、行ったお店でかかってた曲が、何というか、運命の出会いっていうのかな、それが、マリオ・デル=モナコのCDだったのよね。


 何なんだこれ?人間ってこんな声出せるの?って雷打たれたみたいで。


 それまで全然オペラどころかクラシック音楽も全然興味がなかったんだけど、もうそこで、そのCD買って、そこからはもうずっと古い音源探しては買い、探しては買い…でここまで来たかな」





 なるべく短く、そしてオタクっぽくならずに歴史を話したつもりだが、石川君は容赦なくつっこんでくる。




 「僕、オペラって聴いててもあんまりよくわからないんですが、どういうところがいいんですか?」




 「うん…、何かね、人生の色んな局面が凝縮されてるところがあるのよね。


 荒唐無稽なストーリーばっかりなんだけど、それに素晴らしい音楽がついているから、すごくこちらの感情に訴えてくるっていうか。



 たとえば、ヴェルディの「リゴレット」、あれはティート・ゴビのリゴレットを初めて聴いたときには泣いたわよ。娘を貶めた憎い男の殺害を依頼したものの、その話を聞いた娘が男を思って自分が身代わりになり、リゴレットは男の死骸だと思っていたら、娘の死骸を受け取るの。


 そのときのリゴレットの、嘆き、悲しみ…本当にどんな気持ちがするんだろう、ってその後聴くたびに泣けてきたわ。名演だった。


 あれはふつうの舞台劇とかでは出ない感動だと思うのよね、うん」





 …もうダメだ、止まらない。



 でも、何だか石川君は楽しそう?




 「あと、プッチーニの『ラ・ボエーム』は本当に切なくて毎回聴くたびに胸が苦しくなるくらいよ。若さと貧しさ、情熱的な愛…本当に悲しい、美しい話だし、音楽も琴線に触れるものばかりで、自分の青春時代―全然そんな美しいものじゃないけど―を回顧するわけよね」




 「へえ…。そうか、じゃあ今度『リゴレット』と『ラ・ボエーム』、ちゃんと聴いてみようかな。僕ね、小さい頃から父のせいでオペラばっかり聴いてるから、逆にちゃんと鑑賞できなかったんですけど、先生のお話伺ってたら、何か聴きたくなってきました。聴きどころとか、ありますか?」




 「聴きどころ…それは全部だけれども(笑)、とにかく、『リゴレット』はティート・ゴビのものを聴いてね。『ボエーム』は、一番切ないのは三幕で主人公のミミが歌う、「あなたの愛の声に呼ばれて出た家に」 "Donde lieta uscì al tuo grido d'amore"ね。とにかく、元祖、愛と闘病の狭間のドラマよ。最近の闘病もののドラマは、ボエームに比べたら陳腐なものが多い気がしてしょうがないわ」


 


 どんどん余計なことをしゃべり続ける私…。ああ、もうダメ…。




 「…って語りすぎてごめんなさい。あんまり私にオペラの話向けない方がいいわよ」


 


 ところが、私のオペラトークを聞いた人々のよくある反応とは違い、石川君はむしろうれしそうな顔をしていた。



 「そんなことないです。本当はもっと色々お話聞いていたいぐらいなんですが…。そろそろ帰ります。じゃあ、今日帰って早速聴いてみます! もちろん勉強もしますが」

 



 社交辞令ではなく、心から言ってるように聞こえた。



 もしかして、本当にそう思ってる…??




 「そ、そうね」




 変わった子だわ、本当に…と思っていると、




 「先生のお話聞いてると、何か本当に楽しそうで。僕、絶対オペラ好きになると思います!」



 という言葉。





 「え…」

 




 「僕勉強してくるんで、今度オペラトークしましょうね!」




 というと、こちらが返答する間もなく去って行った…。




 いや、そんなことは勉強せずともいいから、受験勉強をしてくれ…。

 




 今日は途中までとても有意義な授業だったのに、なぜこうなる?! 

 と私は頭を抱えたのだった。


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