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絶対秘密同盟  作者: 山東京子
4/6

秘密 1

 石川君が持ってきたのは、有名な若紫の「雀の子」の後の部分だった。




 「雀の子が犬君いぬきを逃がしつる」で有名な部分は、教科書にもとられていて、療養のため山里にきていた光源氏が、たまたま愛する藤壷(父・天皇の妻だが、源氏にとっては義理の母であり年も近く、源氏は強い恋愛感情を抱いている)によく似た幼い少女に出会い、強く惹かれるという物語で大体高二ぐらいでやる。

 



 「あの後の後日譚が気になっていました」





 確かに、あの後の光源氏の若紫への執着っぷりはちょっと引くぐらいだが、しかし、それも藤壷へのかなわぬ思慕ゆえととらえると気の毒なものである。

 




 一通り、大事な単語をチェックの上、ざっと説明して10分。






 さて、文法や当時の風習、和歌の詠み方などを詳しく説明しようかとしたそのとき、今まで黙って静かに私の説明を聞いていた石川君が唐突にこう言った。





 

  「先生は、光源氏というのはどういう人間だとお考えですか?こういう、子どもへの慈しみの愛情と恋愛感情のようなものがないまぜになった気持ちというのは理解できますか?」

 






 おっと、ものすごく深い質問だな…。






「そうね、彼はやっぱり、子どもどうこうという前に、藤壺へのかなわぬ思慕があって、若紫への愛もそれを反映しているのよね。


 だから、たまたま藤壷に似た子を見つけたから彼女こそは手に入れたいと思ったという、それだけの話よね。


 藤壷に似ていたり血縁関係だったりしたら、誰でもよかったんじゃないかと思うけど、普通の成人女性だったらつまらないから、紫式部はそこに「育てる愛」みたいなドラマ要素を入れたんだと思う。


 まあ、紫式部はそういう物語の作り方は天才的だから。それで、よく「ロリコン」とかって源氏を批判する人がいるけれど、それは違うと思うし、まず第一に平安時代に「ロリコン」という概念もないしね」





 どうだろう? うまく答えられたか、私?



 この手の質問は無難に答えないと、高校生ぐらいの子たちは色々とツッコミも厳しいから我ながら冷や冷やする。





 「なるほど…。でもそれってリアリティとしてはどうなんでしょうか。たとえば、先生ご自身はどうですか?もし思いがかなわないけど好きな人がいて、その人の子どもがたとえば高校生ぐらいだったら、その高校生を好きになりますか?」





 何というか…なぜ私の話? 源氏の話では??






 「ええと…。リアリティという点では同時はリアルだったと思うけど。


 今は価値観が違うから、さっきも言ったみたいに「変態」扱いされちゃうこともあるけど。


 …私の場合か…、そうね、私はそういうことはないと思う。


 人によってはそんなこと気にしない人もいると思うけど、私のように教員をしていると、中高生っていうのは子どもみたいなものだから、まあそういうことはありえないと」





 ひい、何かリアルに生徒に個人的な思いを話している私…。



 もちろん間違ったことは言ってないし嘘もついてないが、こういうことを生徒に言っていいのか、私?





 「僕は、そういう先生の、分別のような部分が源氏には欠けていると思うんです。


 彼は、平安時代の基準でいったらもう大人ですよね? 


 でも人を思いやるというような分別はあまりない。


 藤壺への思いだって、本当にそんなに愛しているんだったら彼女の幸せを思って自分は歯を食いしばっても身を引くべきだし、若紫だって、そんな愛する人の「身代わり」になんてするべきじゃない。



 「子ども相手」だと思ってるのかもしれませんが、失礼ですよ。


 


 僕だったら絶対に相手の人を傷つかせたり困らせたりするようなことはしない。



 絶対に」





 いや、あの、正論だが…。

 彼の強い口調に私は思わず少し引いてしまった。


 

 どうしたんだ? 

 光源氏は架空の男だぞ…そんなに怒らなくとも。



 それになぜ自分の話?


 そして高校生らしくない、まるで悟りきった大人のような意見だが…。





 ただ、こうやって真剣に文学に登場する人物について考える彼の姿は、やはり国語を愛する者から見たら頼もしい限りであることは間違いない。


 石川君をほめたたえようとしたそのとき、搾り出すような声で彼は思いもかけないことを言った。






 「先生、僕は分別のある、賢い人間になりたいんです。今すぐにでも。今すぐにでも大人になりたいです。こういう未熟な、一人立ちできない自分が歯がゆいです」






 一体彼はどうしたというんだろう?


 私は正直、彼が何を言いたいのかよくわからなくて言葉を探しあぐねた。






 「それはとても正しいことだと思うけれど」




 「けれど?」





 「でもあまり焦らないで。皆、学校に通って色んなことを経験して、やがて社会に出てそういう過程を経るものだし、石川君もその途中なわけで、今すぐに急に「分別のある大人」なんてなれるわけないし、ならなくていいの。



 それに…石川君からみた大人ってどんな人、例えば? 私たち先生は大人に見える?」


 


 「大人に見える先生もいるし、見えない先生もいます」




 礼儀正しいのにこんなところでは妙に正直な返答に、思わずクスリと笑ってしまったが、ふと自分が大人に見えてない方に分類されていたらどうしようという気にもなった。



 すると、思いが表情に出てしまったのか、石川君が慌てて、




 「岸森先生は、僕の、目指すべき大人の姿です」




 と言ってくれた。






 こんなに若いのにお世辞がうまいなんて、空恐ろしい子…!


 と思いつつも、やはりそういわれると満更でもない私(単純なやつ)。





 「どうもありがとう。でもね…、もし経済的な意味で言うんだったら、それは私は家族に養われているわけではないから、一人立ちはしているけど、でも、そういう私でも精神的には未熟なところはたくさんあるし、自分で「分別のある大人」だなんて思ったことはないわ。



 子どもっぽいところだってたくさんあるし。


 …それに、人生は何歳になっても勉強だと私は思うわ。

 色んな意味でね。


 だから、自分が未熟だと思って一生精進し続ける態度が大事だと思う」





 うわ…、私は何を偉そうに語っているんだ、お前は釈迦か何かか!


 と心の中で一人でつっこむも、もう言ってしまったので取り返しはつかない。




 しかし、幸い、石川君は深くうなずいていた。


 …というか、自分で言うのも恥ずかしいけど、結構感銘を受けている?





 「だから僕、先生のこと尊敬しているんです。今みたいなことをパッと言えてしまうから」




 しかし、さすがにそんなに全身全霊で感動されると恥ずかしい。


 居心地の悪さを感じていると、石川君は急にいたずらっぽい顔になってこう言った。






 「あの…、先生の子どもっぽいところって…もしかして、「ヒスオタ」なとこ?」









 !!!!!



 …。

 

 …。




  

 …なぜ、なぜそれを知っているんだ、石川~!!!!



 心の中では絶叫しつつも、現実では絶句している私に、


 



  「やっぱり」


 


 と楽しげな彼。




 そうなのである。

 


 私は学校ではひた隠しにしているので、教員間ですら誰にも知られていないのだが、いわゆる「ヒスオタ(※)」-歴史的名歌手のオペラを偏愛、いや溺愛、いやもう何でもいいけど、とにかく愛する人間なのだ。それはもう、現実の人間よりも興味を持っているんじゃないかというぐらい…。



 特に、私の神様仏様マリオ・デル=モナコ様(※)…はもう本当に彼なしでは生きていけないぐらい…言ってて自分でも怖いが(笑)。



 

 いやいや、冗談でなく、決して二次元の世界に生きている人々を批判できない「オタク」の私である。




 それを。



 なぜ、なぜ知っておる?!






 「何で知ってるのかって思ってらっしゃいますか? 実は知らなかったです。今、ちょっとカマかけました」



 

 カマかけたって…おいおい!

 

 何なんだこの子は。





 「腹に一物」…山田先生の言葉が蘇る。

 

 あなどれないわ、本当に、この子。






「前、音楽の論文やったときに、先生の情熱がすごかったんで、何でなんだろうって思ってたんです。


それでそのあと、音楽の白井先生と岸森先生が熱いオペラトークを交わしているのを聞いてしまって。そうかなって」


 


 何でそんなことを覚えている?!


 


 音楽の論文? 私ですらそんなの覚えてないのに…。

 

 というか、そんなに熱かったのか、私。恥ずかし過ぎる…。






 というか、白井先生とオペラトーク! 


 それは覚えているけど、どこで聞いてたの、この子。

 


 いや、廊下で立ち話だったと思うから、盗み聞きとまで言ったらかわいそうだが…。






 「それで、マリオ・デル=モナコ、でしょ」



 


 ひえええ!

 

 そ、そこまで…。




 

 「先生があまりにも熱く語ってたから、覚えちゃいました」





 もう何を言ってとりつくろっていいのかわからず、ただただ目を白黒されるばっかりの私。




 「実はね、うちの父もヒスオタなんです。それで、うちにすごいレコードコレクションがあるんですよ。だから、よかったら先生に何かお好きなの持ってこようかと思って」


 

 …それは、とても魅力的な話だが、確かに。



 実家にはかなりたくさんレコードがあるが、一人暮らしの今、スペースが限られているため、レコードプレーヤーは持ってきたものの、かけるレコード自体が3~4枚しかないため、ほとんど聴くこともない。

 


 そもそも聴いてる時間もあまりないのだが、何かストレスを発散したいことや、とんでもないミスをしたときなど、そういうときは専らユーチューブで私のアイドル・モナコ様(言ってて気持ち悪いが。ごめんなさい)を聴いて溜飲を下げ、仕事への活力としているのである。



 


 というか、お父様といつか語り合いたい…。

 

 て、いや、そうじゃなくて。



 



 もとい。





 彼は生徒である。



 

 そんな個人的な貸し借りなど、しかも私の個人的な趣味のものでの貸し借りなどあってはいけないだろう。



 


 しかし、魅力的な話だ!!…いや、いかんいかん。


 


 石川君は更に追い討ちをかける。




 「こうして僕の勉強のために個人的にお付き合いいただいているわけですし、何かお礼がしたいと思って。もちろん父からは既に了解を得てありますし、父も先生にはお世話になっているんだから、是非そうしろと申してました」


 



 ご両親もそうしろと言っているのか…。

 

 家族ぐるみで来られると、…こ、断りづらい。



 



「僕は、口は相当堅いですよ。このことは誰にも言わないですし」





 何でなのか、さっきからずっといたずらっぽい表情の石川君。






 調子狂うわ、この子、本当に。



 大人っぽいのか、子どもっぽいのか、真面目なのか、遊びがあるのか。




「つまり、先生がヒスオタなのも秘密にしておきます。ごめんなさい、知られたくなかった…んですよね?」





 …。



 

 これは、この子は私を脅しているのか??



 いやいや、いくらなんでもそんな悪意のある子にはさすがに見えないが…。






 「じゃあ、僕はそろそろ帰ります。とても勉強になりました。また来週よろしくお願いいたします」




 真面目に礼儀正しくそう言って一礼して帰っていく石川少年。


 


 …というか。

 


 古典の授業だったはずが、なぜか途中から人生論?そしてヒスオタの話になって終了した本日のマンツーマン授業。










 一体何だったんだーー??!!







 来週こそはきちんと授業をしてあげようと思った私であったが。





 

 その来週の授業は、更にとんでもないことになる…。


※マリオ・デル=モナコ…http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%83%A2%E3%83%8A%E3%82%B3


※ヒスオタ…「ヒストリカル・オタク」=歴史的録音を好んで聴くオペラファン

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