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絶対秘密同盟  作者: 山東京子
2/6

約束

 

 気、気まずすぎる…と思っていた私は、正直ホッとしていそいそとドアの元へ駆け寄る。




 「どうぞ」



 誰だか知らないけど助けてくれてありがとう~!と思いながらドアを開けてみると、そこにいたのは、私の担任受け持ちクラスの生徒の一人、石川孝太郎だった。もちろん授業も受け持っている。



 

 「岸森先生に質問があって来ました。教員室で他の先生から、岸森先生は国語科室にいらっしゃると聞いて」



 石川君は、成績から言っても素行や活動から言っても特に可もなく不可もなく、良くも悪くも目立たない生徒で、こうして質問に来ること自体珍しく(というか初めてかも?)少しびっくりしたが、生徒が勉強に熱心なのは感心なこと。


 彼も高三になったから勉強に本腰を入れようというのかもしれない。


 最近は、高三になってから、では遅い受験勉強だが、彼の場合は国公立志望で、しかも一般受験を目指しているから今からでも本人次第で何とでもなるだろう。特に、彼はやらなくてもそこそこできるタイプの生徒で、だからこそあまり努力してこなかったようだが、やる気が出てきたらこれは期待が持てる。




 「さあどうぞ」



 石川君を部屋に招きいれたとき、ふと彼の目線が険しくなった。

 何だ?

 と思ったら、彼の視線の先には山田先生が…。


 


 何と言うか、敵意とまで言ったら言い過ぎかもしれないが、明らかにマイナスの感情が発せられている。


 


 

 女生徒に人気の山田先生だもの。男子生徒からは反感を買うことも多いのかもね…。





 そう考えると、真面目で誠実な山田先生の気苦労が伺い知れて、益々「生徒から人気があってうらやましい」とか能天気に考えていた自分が恥ずかしいし申し訳ない。




 私ですら感じ取った反感の眼差し。山田先生自身もやはりそれを敏感に悟ったのだろう、さっと席をはずし、「じゃあ、僕は教員室に戻りますんで」とそそくさと部屋を出て行った。




 

  


 大きな机の周りにいくつも並んでいる椅子のひとつに石川君を座らせ、私は向かい側に座る。



 

 「さて、どうしたの?」




 と聞いたところで、私はふと、彼が教科書もノートも参考書も何一つ持参してきていないことに気づいた。




  これは進路とか何か大きな質問かもしれない…と身構えた私に、彼が発した言葉はあまりにも思いがけないものだった。








 「先生、僕、古典をすらすらと原語で読めるようになりたいんです。それでそうなるにはどうしたらいいか、質問に来ました」








  は?

  今何と?




  

  古典をすらすらと原語で読む??




  自慢じゃないが、私だって、さあどうぞといきなり初見の古典の原典を渡されてもすらすらとは読めはしない。というか、国語教員は研究者じゃない。教科書の教材や、受験国語に関してならいくらでも答えられるが、その範囲を超えたら正直、それはわれわれの仕事ではない。



  それを、高校生の彼がやりたいと?



  


  何と答えていいのか窮していると、石川君は立て続けに、






 「僕は古典はあまり好きではなかったんですが、最近『源氏物語』の文学性に惹かれてもっと色々と知りたいと思うようになったんです。古典をすらすらと読めるようになれば、受験にも役立つと思うし、でも今まできちんと勉強してこなかったから、どうしたらいいのかわからなくて、それで先生に助言を頂きたいと思いまして」





  

  彼はあくまで真剣である。




  …が、つっこみどころが多過ぎて…。益々答えに困る私。




  

  いやそれは古典をもっと読めるようになりたいというのは、国語を愛する私としては本当にうれしい。諸手を挙げて賛成し、「でかした!一緒に学ぼうではないか」と抱きしめてあげたいぐらいだ。



  が、古典を読めるようになるというのはそんなにすぐにできることではないし、受験国語にというならこんなに非効率的な話はない。大手予備校の人気講師が聞いたら「ばか者!」と激怒するだろう。




  きちんと勉強してこなかったと彼は言うが、仮に中学から古典のみを一心に勉強してきた生徒がいたとしても(そんな生徒がいたら逆に困るが)、高校生になって古典を原語で読めるようになれるわけでもない。





   

  そんなに古典が好きになったのだったら、大学で本格的に学んではどうだろうか?


  今この大事な時期に、そういうことに時間を割くのは危険だ。

  彼の第一志望大は確か、2次で国・英・社、センター試験では5教科受験が必須だったはずである。



  私は国語教師だが、と同時に彼の担任でもある。彼の進路指導には責任を持たなくてはいけない。



  

  


  「あのね…」



  という私を遮る形で、石川君が更に発言した。





  「先生、僕は受験のための勉強にはあまり意味を見出せないんです。もちろん志望大学には合格したいですし、そのために勉強しないといけないのはわかっています。でも、せっかく古典に興味を見出すことができて、初めて勉強することの喜びを知ったのに、これでまた、文法とかここがテストに出る、というようなことばかり勉強することになると古典が嫌いになりそうです。

 

 それに、週1回、放課後に20分か30分ぐらいなら先生のご負担にもならないと思うのですが、どうしても難しいでしょうか」





  私は言いかけていた言葉を全て飲み込んだ。




  彼は、こんなはっきり自分の意見を(しかも正論である!)言う生徒だったっけ?


  しかも、ものすごく真摯な態度だ。



  めがねの奥の瞳が尋常ではないくらい熱を帯びている。




  そんなに古典が好きなのか…???



  私は混乱しながらも、国語教師としての国語愛に負けた形で彼の懇願を受け入れた。(古典がそんなに好きだという生徒は、8年の教員経験の中で初めて出会ったのである。こんなにうれしいことはない!!!)





  「そうね、わかったわ。週1回30分ぐらいならあなたの負担にもならないでしょうし、それで古典へのやる気が増進されるなら結果的にプラスになるでしょうから」







  思いつめたような表情をしていた石川君がほっとしたように相好を崩した。





  「よかった。うれしいです。先生のご迷惑にならないようにしますから」



  


  いや、私は、それは生徒のために時間を割くのは仕事だし、私の時間というよりも君の時間の問題なのだが…。


  と思いつつも、最近の生徒には珍しく敬語の使い方もよく知っていて、私の都合を考えてくれるというところもずいぶん大人びた子だったんだなと感心したのも事実である。




  彼のことは授業では高一のときからずっと受け持ってはいたが、担任は今年が初めてである。それで、目立たない生徒ということもあって彼のことはあまりよく知らなかったのだが、こんな生徒だったとは知らなかった。ご両親の教育もよく行き届いているのだろう。



  

  


  「じゃあ、早速明日、『源氏物語』を持ってきてもいいですか?放課後、すぐにこの部屋に来ます」





  すっかり明るい表情となった石川君は声を弾ませてそう言って、私の返事を待つ間もなく脱兎のごとく部屋を去った。






 え…、早速源氏から??




 正直それは避けたいところだった。


 源氏物語といえば、私が読んでも難しいもので、解釈がいまだに研究者の間でわかれているところも多々あり、古典読みとしては上級の上級だ。単語も、源氏物語でしか使われていない言葉などもあり、受験単語として頻出のものも箇所によってはほとんどない。


  

 しかし、『枕草子』などに比べるとストーリーとしての魅力は断然生徒にアピールするようである。恋愛を扱っているからだろうか。彼もやっぱりそういう興味関心からなのかもしれない。



 せめて源氏のどこの部分をやりたいのか言ってほしかったが(箇所によっては私が勉強する必要があるかもしれない!)、もう彼はいない。





 


 「やれやれ…」








 大変なことを引き受けてしまったかもしれない…とそのときも思ったが、本当に想像もしてないぐらい大変なことに巻き込まれてしまったと悟るのはもっとずっと後になってからのこと…。

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