約束 1
それから数十分後。
アンネゲルトと少女は女子シャワー室から去り、残るはベンジャミンと負傷者、それに死体だけだった。
あの二人は彼が半ば追い出すようにして外に行かせた。今頃は街に出ているだろう。
これ以上死体を見せたくないという気持ちからでた行動ではない。
直接、口でこそ言わないが――少女は人殺しだ。
それが戦争だとか、戦場に出ざるを得なかっただとか。
無理矢理な契約を結ばれかけたとか、物扱いされたとか。
どのような理由があったとしても。
人を殺したことが許される免罪符になるわけではない。
それが許されるのは正義のヒーローだけで、この世の中にそんなものはいない。
「そらあいつも分かってんだろうがな……」
牢獄に閉じ込められたままだったのは罪を感じていたからなのか。
長い時の中、何を考えてきたのだろう。あの暗い場所で。
表面上でも気が狂わなかったことが奇跡といえる。
ただし、少女がまともな神経をしていた場合の話だが。
「ま、これは後回しでいいことか」
今は目の前の掃除とバケモノ退治だ。
彼女について考察するよりも優先すべきことは山ほどある。
携帯端末機を取り出し、深く深くため息をついた。
「嫌なんだよな……本当に」
アドレス帳を呼び出し、とある電話番号をプッシュした。
三コール目で相手は出た。《ハロー旦那!半年ぶりじゃねぇか?相変わらず今日も命狙われてたりした?ハッハーもしかして電話口にいるのは旦那じゃないかもな!》
言葉が殴りかかってくる。
それに加えキンキン声だ。頭痛がする。
「落ち着け。俺はお前の言葉にいちいち反応出来るほど器用じゃない」
《やっぱ旦那だったな!声を出すまで分からないなんてシュレッダーの猫みたいなもんだな!》
ベンジャミンはこめかみを押さえた。
「よお動物虐待野郎。俺が嫌いなのはうるさい奴とペットを虐めるやつなんだよ」
《冗談キツいぜ旦那!だったらあんた人間にも優しさちったぁ別けてやれよ!》
「本題入るぞ……。現在地送るから速やかに来てくれ、掃除屋」
《よっしゃ!じゃあ後でな旦那、賃金弾ん―――》
最後まで聞かずに電話を切った。
たかが数分の会話だがかなり疲れた顔をしている。
もう一度アドレス帳を呼び出し、今度は別の番号にかける。
《……生きていたのか》
声からして分かる。あの白髪の男はとても残念がっていると。
ベンジャミンは先ほどとは打って代わり薄く笑みを浮かべた。
「ひどい言われようだな」
《成功したのか、アレを連れ出すことに》
「した。で、お土産も出来たわけわけなんだが欲しいか?」
《土産だと?なんのことだ》
「アレを欲しがる組織だかなんだかの末端。だがダメ元で来た感がプンプンする」
《…どこからバレた?》
「さぁな、俺に言わないでくれ。CIAかどっかに頼んでみたらどうだ」
《話を聞く価値はありそうだな。しゃべれる状況か》
「一人死亡。一人は…出血多量で気絶してる」
手首のない男に近寄り、息をしているのを確認した。
「来るなら早く来させろよな、掃除屋に持ってかれるから」
《自分で手配しろと何度……》
《若造が…口のききかたに気をつけろというのに》
白髪の男の声にかぶさるように、後ろから苦々しく吐く小さな声がする。
どうやら何人かで電話を聞いているらしい。
悪態が聞こえてると教える義理もないのでベンジャミンはめんどくさいので知らないふりをした。
「この調子なら三日後にはニホンに渡れる。ああ、あとあいつの旅行グッズも揃えないといけないな」
ついでに社会勉強も兼ねようと考える。
ある意味少女は七十年前から現在にタイムスリップしてきたようなものだ。
《なぜだ?》
「なにが?」
《なぜお前はそこまでアレに拘る?なぜ人間扱いをする?》
心底不思議そうな、白髪の男の問いかけ。
ベンジャミンの脳裏に彼女と初めて会った日のことが横切った。
彼にとってあまりにも絶望的で最悪な状況での対面。
そして少女は、ベンジャミンの命の恩人となった。
十五年前、別れ際に交わした言葉を思い出しながら言った。
「――陳腐だが、約束だからだ」
ようやく果たしに来れたのだ。