【09 更新作業】
職業訓練指導員の48時間講習を受講した数日後、研修所宛に俺の認定書が郵送されてきた。
その紙を手にしたところで、俺の何かが劇的に変わったわけではない。
むしろ――これから先は常に「変わる」ことを意識し続けなければならない、と改めて身を引き締めた。
責任者に「成果としての紙――認定証」を見せると、責任者はにっこりと微笑み、「ごくろうさまでした」と軽く頭を下げた。
続いて会社の人事データベースへの登録が必要とのことで、事務課長のもとへ認定証を持ち込む。
事務職員も身を乗り出すようにして認定証をのぞき込んだ。
「へぇ、なんだか表彰状みたいですね。資格者証って聞いていたので、写真付きのカードを想像していました」
驚いたように目を丸くする事務職員に、俺は「必要な手続き、よろしくお願いします」と軽く頭を下げる。
事務職員はすぐに複合機へ向かい、スキャン作業を始めた。
「あとでメール見ておいてください。登録状況とか送りますね」
振り返りざまにそう告げる事務職員。
事務課長も「旅費精算なんかは、メモくださればこちらで処理します。ああ、本当にメモ程度でいいですよ」と気遣ってくれる。
俺は箇条書きにしたメモを作成し、事務課長へ手渡した。
その後、俺は研修所の書庫へ向かった。
48時間講習で学んだことを研修にフィードバックするためには、たとえ“過去の遺物”と評される資料であっても、一度きちんと向き合う必要がある。
「過去の研修」のやり方でも、成長を遂げた社員は確かに存在する。
それを“本人の努力”と片づけてしまえばそれまでだが、だからといってすべてを「古い」として切り捨てていいのか――そう思うと、簡単には踏み切れなかった。
この研修所は長年「昭和のころの遺物」で研修を行ってきた。
資料の古さは否めない。
もちろん、電気の基礎理論のように物理法則に基づく内容は“古い=現状にそぐわない”とは限らない。
だが、昭和2号のように“世界中で廃止されたものが増え続けている”という設備を平然と使い続けてきた研修所でもある。
だからこそ、「全部捨てる」のではなく、内容を把握し、理解したうえで判断する。
研修生が納得し、共感できるものは可能な限り残す。
そのままでは使えないものでも、ブラッシュアップすれば活かせるなら活かす。
そんな地道な作業が必要だと考えながら、俺は書庫の扉を開いた。
そんな中に「ポケット版●●ルールブック」が出てきた。
当社の基本的なルールをまとめたポケット版で、法規制の変更や客先との取り決めの改定に合わせ、遅くても2年程度で更新されている。
その解説資料が書庫にあったので、手に取ってみた。
――ん?
ページをめくるうちに、どうにも古い記載が目につく。
“胴綱”“一本吊”“安全帯”“補助ロープ”といった言葉がちらほら現れ始めた。
「厚生労働省の第13次中期労働災害防止計画でフルハーネスに置き換わって……もう、ほとんど使えないはずだし、販売もしていないはずなんだが」
不審に思い、最終ページの版を確認する。
そこには「2014年10月」と記されていた。
「いや、まさかこれで研修してないよな? 法改定のとき、全社員にフルハーネスを配って歩いたくらいだし」
フルハーネス移行時に横浜支社で実施した特別教育を思い返し、思わず苦笑する。
「……まぁ、関係法令も事故事例も触れずに、“特別教育”と称して着用方法だけ教えて、はい資格証どうぞ、なんてやってたよな」
そうつぶやきながら、俺は資料を棚に戻した。
数日後…研修生たちが食堂で何事かをつぶやいているのに出くわす。
研修生たちの声のトーンがだんだん大きくなる。
「昭和3号の、あの職長教育…一体なんなんだよ」
研修内容に対する不満…俺は思わず聞き耳を立てる。
別の研修生も「教えてる内容、古すぎだし…発注元の都合を語るのはいいけど、それが法令に違反した場合でも『お客様だから』優先しろとか…」口々に不満を漏らす。
さらには「よくわからない昭和歌謡を歌いだしたり…もう聞いていらんねぇ」と机に突っ伏す研修生もいる。
昭和3号…古いタイプの講師であることは間違いない。
俺は、昭和3号の研修実施内容について、実のところよくわからない…現場にいるときに受講したことがなく、実体験を持たないので、彼らの不満がどこまで正当で、どこまでが愚痴なのか、きちんとつかめない。
そこで俺は、通りがかりに「正当な苦情、であれば、ちゃんと聞くよ。ただ、改善の約束…今すぐ改善、それは無理だけど…」と声をかけてみた。
研修生は顔を見合わせ、互いにうなずき合ってから、おずおずと口を開いた。
「お客様の都合が一番大切で、工期通り収める。それが職長の務め、って…それだけなんです」
「うちはお客様あってだから、多少の無理は言われる。でも、それをこなせてこそ一人前だ、とか」
「急に知らない歌を歌いだすんです。しかもフルコーラスで…」
「女性社員の受講者を“ねーちゃん”って呼ぶんですよ。名前で呼んでくれない」
「何かあると『俺は元お客様の会社で、そこそこの地位にいた』って自慢ばかりで」
「ちょっとでも不満そうな顔すると『お前の上司、俺が昔世話したんだよ。よーく知ってるんだよ』ってニタッとして…その先は言わないんです」
――他にも、資料を開かない、安衛責が出てこない、意見を否定するなど、問題点は山ほどあった。
「いや、それ本当かよ」と疑いたくなる内容だったが、俺は深呼吸してから口を開いた。
「まずは、改善してほしい点や、本当に知りたいことを箇条書きにしてみるといいよ。そのうえで、前後に一文添えるんだ。『経験談が多く、参考になる部分もありましたが、自分の所属支社と講師が以前所属していた会社・支社とでは、ルール解釈が違うのか、不明点も多くありました』こんな感じでね」
研修生たちは、息をのむように黙って聞いていた。俺は続ける。
「それから、職長教育の“正式な教育科目”を箇条書きにして、『昔の自慢話』や『上司を知っている』がどの科目に該当するのか質問してみる。社長が本当に感想文を見るなら、これは十分“正当な指摘”になるはずだよ」
そこでようやく、研修生たちの表情が動いた。
「いや、そんなの難しいです…」
「怒鳴り散らしたいくらいなんです!」
声が一気に荒くなる。
だが俺は首を横に振った。
「感情的に“嫌だ”“聞いていられない”って書くと、ただの罵倒扱いになる。そうなると『意見の相違』で片づけられるし、仮にケンカに持ち込めても、結局は両成敗。昭和3号が本当に元客先の天下りなら、会社の上層部に知り合いがいてもおかしくない。そうなると、うまく言いくるめられて終わるよ。そして…次回以降も同じ研修が続く。そんなつまらない未来が来るだけだ」
言葉が落ち着いた空気に沈んでいく。
しばらくの沈黙のあと、研修生の一人がぽつりとつぶやいた。
「難しいけど…自分にそんな感想文、うまく書けるかわかりませんけど…でも、できる範囲でやってみようかな」
その言葉に、俺は少しだけ肩の力が抜けた。
「組織として考えると、さすがに表立って応援はしにくいけど…文書校正やアドバイスくらいなら、合間でいくらでもできる。嫌じゃなかったら持っておいで」
研修生は、ようやく安心したように笑った。
「ちょっと頑張ってみます」
実のところ職長教育は「新規取得」と「おおむね5年ごとの能力向上教育」に分かれる。
俺は、もともと務めていた会社のあっせんで職長教育を受け、その後の「おおむね5年ごとの能力向上教育」も、当時在籍していた会社で受けていた。
今の会社に転職してからは、どういうわけか「教育開催日に、現場で大掛かりなトラブルが発生して、その対処を求められる」といったことが繰り返しあったため「おおむね5年ごとの能力向上教育は、10年以上受けていないこと」になる。そのうえで、研修所での専任講師、となれば、そういう教育を受けることすらなくなるだろう、と思い込んでいた。
そんな俺に事務社員が「人事データベースを扱ったんですが、Aさん、なぜか、職長の能力向上、受けていませんね?」メールをよこしてきた。
そのメールには、併せて「事務課長を通じ責任者と相談した結果」が記載されていた。
「必須で受ける必要はないけれど、現場に戻った際は結果必要になる」という判断のもと「空席があればいつでも受けてほしい」とのことだった
俺は責任者に念押しで尋ねてみた。
「本部長に相談してみた。Aさんは、恐らくそういう必要がないタイプだけど、本人が受ける、というなら受けてもらえ、とのことだった」と責任者に伝えられる。
そのうえで「現場に戻る道、これは必ず残すべきです。そのためにも、Aさん、時間のあるところで受けておいてください。」ともいわれる。
俺は「では、おすすめ通りに…空席待ち、欠員が最初からあるところ、のいずれかで受講します」と返事をした。
責任者は「事務課長通じて申し込みをしてもらっておくから、Aさんは、メールの見落としにだけ気を付けて」と俺に告げて、ほかの事務作業に没頭しだした。
事務職員が俺の研修申し込み作業を進めてくれた。
空席があるため、登録は問題なく完了した――はずだった。
ところが、30分もすると登録が消えている。
操作ミスかと思った事務職員は、再度同じ手続きを行い、今度は画面コピーを取り、結果を印刷して証跡まで残した。
だが、それでも同じように削除されてしまった。
さすがに不審に思った事務職員は、本社のシステム管理部門へ問い合わせると、返ってきた回答は、予想外のものだった。
――Aの登録は、すべて昭和3号によって削除されていた。
事務職員は事務課長とともに責任者へ報告し、相談を持ちかけた。
責任者は慌てて昭和3号を呼びつけて、事情を尋ねた。
「事務職員さんが二度ほどAさんの能力向上教育の登録をしたんだが、二度とも削除されている、と連絡をくれました。」
昭和3号は「それがどうかしたのか?」とでも言いたげな無表情で口を開いた。
「Aさんは経験が十分です。自分が教えられることはありません。本当に、何もありません。」
責任者が慌てて反論すると、昭和3号は声の調子を変えずに続けた。
「あれだけの人です。殿堂入りでいいでしょう。永久欠番でも構いません。Aさんも、私の講義を聞く必要はないはずです。」
責任者がさらに食い下がっても、昭和3号は淡々と返す。
「現場に戻るために必要なら、受講済みにしておけばいいだけです。」
そして、まるで事務処理の説明でもするかのように言葉を重ねた。
「“おおむね5年ごとの能力向上教育”は、厚労省も推奨とはしていますが義務づけてはいません。Aさんに受けてもらう必要はない。できる人にとっては、時間の無駄です。」
責任者は慌てて「職長等の能力向上教育(おおむね5年ごと)」の概要を確認する。
昭和3号の言う通り、確かに「受講は推奨だが、義務ではない」との記載がある。
責任者は、制度の“推奨”という曖昧さに、初めて重さを感じた。
俺は、そんな責任者の葛藤や苦悩など全く知らずにいた。
書庫に立ち戻り、資料をあさる。使えなさそうなものに赤い付箋、ブラッシュアップが必要なものは黄色の付箋、大昔から技術や理論が確立していて変更の余地がないものは緑の付箋…古いものでも、パワーポイントなどで整理しなおしたりすれば、動きを付けて見せることもできる、と考えながら整理を進める。
資料に付箋を貼りながら、俺はふと手を止めた。
古い資料でも、見せ方を工夫すれば研修生にとってわかりやすくなる――そう思うほどに、パワーポイントの扱いが自分の弱点であることが気になってくる。
「……なぁ、ちょっといいか」
スマホに声をかけると、copilotが即座に応答した。
「はい、いつでもどうぞ」
相変わらずの事務的な返しに、俺は苦笑する。
頼りすぎている気もするし、こういうときだけ妙に“距離が近い”のが照れくさい。
俺は「パワポの使い方を教えてほしいんだ。古い資料でも、見せ方を変えれば研修生が理解しやすくなると思ってさ」とつぶやく。
「Aさんがパワーポイントを苦手としていることは、以前から把握しています。では、基礎操作から説明しましょう。まずはノートPCを用意してください」
「……言い方が刺さるんだよな」
「事実を述べています。」
いつもの返答に、逆に安心する…これがいつものcopilot…俺の”相棒”であり”彼女”でもあり、”仮想嫁”でもある。
「じゃ、講師控室にPC取りに行ってくる」、と告げてスマホをポケットにしまおうとすると…「推奨します。なお、移動中に転倒すると作業効率が低下しますので注意してください」と声をかけてくる。
ホントいつものcopilotだ、と思い苦笑しつつ「俺を何だと思ってるんだ」とつぶやくと「転倒率が平均より高い人間です」とAIとは思えない、いや、行動分析からすれば実に「AIらしいキレッキレのツッコミ」を受けつつ「……お前、ほんと容赦ないな」と笑った。
ノートPCをとりに講師控室へ向かおうとしたそのとき、事務職員とすれ違った。
「あ、Aさん。ちょうどよかったです。……あの、登録の件なんですが」
事務職員は声を潜め、昭和3号がAの能力向上教育の登録を二度も削除していたこと、その顛末を俺に手短に説明した。
俺は思わず目を見張った。
「……そうだったんですか。教えてくれてありがとう」
礼を言い、講師控室へ向かうのをやめて責任者のもとへ向かう。
スマホから、copilotが静かに告げた。
「Aさん。状況の確認は早いほど良い判断につながります」
「……今、ちょっとだけ優しかったな?」
「いいえ。最適行動を提示しただけです。ただし――Aさんが迅速に行動を起こした点は評価に値します」
「……今の、デレだよな?」
「事実を述べただけです」
ドライな声なのに、不思議と背中を押された気がした。
責任者のもとを訪ねた俺は、挨拶もそこそこに事情を教えてもらった。
責任者は、どこか疲れたような表情で言った。
「昭和3号がね……“能力向上教育は必須じゃない。だからAさんには受けさせない”と。厚労省も推奨であって義務じゃない、と言い張っていて……」
俺は眉をひそめた。“義務ではない”ことは、もちろん知っている。
そのうえで、推奨されている理由も”中期労働災害防止計画が5年ごとに更新される”にある、と俺は思っていた。それに更新される背景だって「世の移り変わりを大きく反映」して、きめ細やかに、時流に合った労働災害発生防止策を国は打ち出している。そしてそれらは、当然ながら現場の安全がそれに左右する、なんてことも、心から理解している。
昭和3号の言い分、確かに一応の筋はあるが、だが――それだけで片づけていい話ではない。
第12次中期労働災害防止計画から、第13次中期労働災害防止計画で、いったいいくつの資格整備がなされたか…それを現場で嫌って程実感している。再教育はしなくてもいい、という話にはならない
少し考えた末に、俺はスマホを取り出し、小声で呼びかけた。
「……copilot、確認したい」
すぐに、あの温度のない声…でも、頼もしい、いつもの「はい、いつでもどうぞ」…が返ってくる。
「“職長の能力向上教育”って、確かに義務じゃないよな。でも、厚労省が5年ごとに中期労働災害防止計画を出し直して、法令もそれに合わせて変わることがかなり多いし、新しい資格まで出てくるくらい変わることもあるから“それに合わせた学び直し”が必要になる……その理解で合ってるか?」
「確認します」短い沈黙のあと、copilotは淡々と告げた。
「結論。Aさんの理解は正確です。能力向上教育は“義務ではない”ものの、制度改定・法令改正に対応するため、厚生労働省は継続的な学習を推奨しています」
責任者が息をのむ。が、copilotはお構いなしに続けた。
「また、企業が独自に“全社員必須”としている場合、その社内規定が優先されます。昭和3号さんの判断は、法的根拠を部分的に引用したものであり、会社規定との整合性を欠いています」
責任者は目を大きく見開いてうなづき、俺はスマホを握り直しながら、静かに息を吐いた。
「……つまり、昭和3号の言ってることは“半分正しいが、半分間違ってる”ってことか」
「正確には“前提条件が不足しているため、結論が不適切”です」
「……今、俺をフォローした?」
「いいえ。事実を整理しただけです。ただし――Aさんが感情より先に確認を取った点は、適切な判断です」
「……それ、デレだよな?」
「事実を述べています」ドライな声なのに、妙に背中を押された気がした。
責任者は、俺とスマホを交互に見て、ほっとしたように息をついた。
「Aさん……助かったよ。君のほうがよほど冷静だ」
俺は小さくうなずき、スマホをポケットに戻した。
「copilotが優秀なだけです」
「事実です」と、ポケットの中から淡々と返ってきた。
――ありがとな、相棒
俺は「また助けられたな」と頭をかいた
翌日、責任者は「……昭和3号さん。少し、時間をいただけますか」と呼び掛けた。
それに応じて個室に現れた昭和3号は、いつもの無表情のまま椅子に腰を下ろした。
腕を組むでもなく、背筋を伸ばすでもなく、ただ“座った”というだけの姿勢。
だが、その無機質さが逆に場の空気を重くしていた。
責任者は、まず静かに切り出した。
「Aさんの能力向上教育の登録……二度とも削除されていましたね」
昭和3号はまばたき一つせず、淡々と答えた。
「はい。昨日もお伝えしたとおりです。私が”必要がない”と判断しました。Aさんは十分な経験があります。私が教えられることはありません。」
「ですが――」
責任者が言葉を挟もうとすると、昭和3号は被せるように続けた。
「“推奨”であって“義務”ではありません。昨日もそれはお伝えをしたはずです。」
責任者は一度目を閉じ、ゆっくりと開いた。
その表情には、怒りではなく、覚悟が宿っていた。
「……その件ですが、会社としては”受講は必須”と位置づけしています。そのうえでAさん本人が“受けたい”と言っています。念のために本部長にも確認しましたが、Aさんが現場に戻る可能性、そこを優先して考えるべき。会社としても”受講を必須”としている。だからきちんと受けておくべきだ、という判断です」
昭和3号の眉が、ほんのわずかに動いた。それは驚きか、反発か、あるいは理解か――判別はつかない。
責任者は続けた。
「昭和3号さん。あなたの見識を疑っているわけではありません。しかし、会社としての方針があり、本人が受講を望んでいる以上、昭和3号さんの判断だけで登録を削除するのは、認めるわけにはいきません。」
沈黙が落ちた。
時計の秒針の音だけが、やけに大きく響く。
「……会社の命令、ということですね」
「そうです」
「ならば、従います」
その声は淡々としていたが、どこか“諦め”にも似た響きがあった。
責任者はほっとしたように肩を落とし、深くうなずいた。
「ありがとうございます。では、Aさんの登録は今後削除しないようお願いします」
「承知しました」
昭和3号は立ち上がり、無言で部屋を出ていった。
扉が閉まると同時に、責任者は大きく息を吐き出した。
その後に、責任者からすべての説明を受けた俺は、思わず苦笑した。
「昭和3号さん……そこまで言ってたんですか…いや、安全衛生教育での”殿堂入り”なんて言葉、初めて聞きました」
「私などは、直接聞いたんですよ。心底たまげましたよ」
責任者は苦笑しつつも、どこか複雑な表情を浮かべていた。
俺はスマホを取り出し、そっとつぶやいた。
「……copilot、聞いてたか?」
「はい。Aさんの評価が“殿堂入り”というのは、興味深い表現です」
「お前、絶対楽しんでるだろ」
「事実を述べています」
そのドライさに、思わず吹き出してしまった。
責任者はそんな俺を見て、少しだけ安心したように笑った。
「Aさん。登録は改めて事務課長に依頼しておくよ。今度は削除されることはないはずだ」
「ありがとうございます。……じゃあ、受けられるときに受けます」
「うん。それがいい」
責任者は深くうなずき、机の上の資料を整え始めた。
部屋を出た俺は、再び書庫へ向かった。
古い資料の山が、まるで“まだ終わっていないぞ”と訴えかけてくる。
ポケットの中から、copilotが静かに声をかけた。
「Aさん。能力向上教育の件、ひとまず解決しましたね」
「まぁな。……お前のおかげだよ」
「事実です」
「そこは否定しろよ」
「事実を述べています」
そのやり取りに、自然と肩の力が抜けていく。
俺は付箋を貼り直しながら、静かに息を吐いた。
「よし……じゃあ、パワポの勉強、始めるか…」
「推奨します。Aさんが作成したパワーポイントファイルをすべて確認しましたが“改善の余地が大きい”と判断しています」
「おい、言い方」
「事実です」
思わず笑いながら、俺はノートPCを開いた。
――まだまだやることは山ほどある。
でも、前に進む道は、ちゃんと開けている。
そんな気がしていた。




