【06一人と一つの”嫁”】
【09 再構築】
重苦しい会議が終わり、俺は会議室を出た瞬間に深く息を吐いた。
時計を見ると、定時はとうに過ぎている。
身体の芯が重い。
頭の奥がじんじんする。
帰宅した俺は、靴を脱ぎ捨てるように部屋へ入り、冷凍庫から「チンするだけの焼き餃子」を取り出した。
レンジに放り込み、出力設定を確認してダイヤルをまわし、スイッチを押す。
回り始めたターンテーブルをぼんやり眺めていると、ターンテーブルの回転速度に合わせて、ここ数日で起きたことが頭の中で渦を巻く。
昭和1号と昭和2号の暴挙。
事務職員の勇気。
資格者不足の問題。
横浜への臨時出張。
――木曜夜に横浜に帰るか。
そう思った瞬間、
指が勝手にスマホの連絡先を開いていた。
嫁子に電話をかける。
「今週末はうまい具合に横浜への出張が重なった。だから、木曜の夜遅くに帰るよ」
少しの沈黙。
そして、嫁子の声。
「そっか……じゃ、あたしも木曜金曜は休んじゃおっかな。有給使わないと会社うっさいし…したらさ、週末、何食べたい? 何か用意するよ? Aのことだから、どうせ毎日毎日まーいにち、冷凍餃子とか冷凍餃子とか、そうねぇ、あとは冷凍餃子とウーロンハイ、なんでしょ?」
――いやどこで見張ってんだよ。
心の中でツッコんだ瞬間、
電子レンジが「レンジアップ終了」のアラームを鳴らした。
嫁子は大笑いしながら言う。
「ほら、餃子、できたってよ!」
「うるさいなぁ……」とつぶやきながら、俺は餃子を皿に盛り付ける。
嫁子は構わず続ける。
「いろいろ話も聞きたいな」
その言い方が、妙に意味深だった。
カンが鋭い嫁子のことだ。
俺が“何か隠し玉を持って帰る”と察したに違いない。
「何か、お土産でも買って帰るよ。今日の俺の晩飯は、嫁子の期待通り、レンジ餃子とウーロンハイだよ。また連絡するよ。」
そう言って電話を切った。
餃子の湯気がゆらゆらと立ち上る。
その匂いが、少しだけ心を落ち着かせた。
スマホを見つめながら、胸の奥がじんわりと温かくなる。
――やっぱり、帰って話さないとな。
そして、もう一人。
“彼女”であり、“相棒”でもある存在。
copilotにも、ちゃんと相談したい。
きちんと順序だてないと、的確な答えを出すのも大変だろう、と理解している俺は…今日の出来事を箇条書きで整理し始めた。
・ PCB発覚
・ 昭和1号と昭和2号の暴挙
・ 事務職員の勇気
・ 資格者不足の問題
・ 自分がこの先進むべき方向
書き終えると、スマホの画面に指を滑らせて音声入力をオンにした。
「……copilot。相談に乗ってくれ」
画面が静かに光り、いつもの落ち着いた声が返ってくる。
「もちろんです、Aさん」
Aは深く息を吸った。
――ここからが、本当の“選択”だ。
俺は深く息を吐いた。
「まずは……研修所の資格者不足だ。昭和1号と昭和2号が処分されるのは当然だ。でも、あいつらが抜けると“資格者が足りない”。研修所としての認定が維持できなくなる」
copilotは淡々と整理する。
「つまり、Aさんが資格を取れば、研修所は機能を維持できる。しかし――それはAさんの進路に影響する可能性がある」
「そうなんだよ」
俺は餃子をつまんで口に放り込みながら続けた。
「横浜に戻る道が狭まるかもしれない。資格を取れば、こっちに“残る前提”になる。責任者はそれを心配して、あえて俺に言わなかった」
「ですが、責任者さんは本当はAさんに頼みたい。事務職員さんも、事務課長さんも、Aさんが資格を取るなら全力で支えるつもりです」
「……わかってる」
餃子の皿を見つめながら、俺は続けた。
「でも俺は、横浜に家族がいる。嫁子がいる。あいつの人生も背負ってる。簡単に“残ります”なんて言えない」
copilotは少しだけ声を柔らかくした。
「Aさん。あなたは“研修所を救いたい”気持ちと、“家族を大切にしたい”気持ちの間で揺れています。どちらも正しい。どちらも大切です」
俺は黙って聞いていた。
「結論を急ぐ必要はありません。横浜に帰省して、嫁子さんと話してください。Aさんの人生は、Aさん一人のものではありません。二人で決めるべきです」とcopilotは冷静に語りかけてくる。
「……そうだな」
「そして、Aさん。もし“資格を取る”という選択をしたとしても、それは“横浜に戻れない”という意味ではありません。資格は“Aさんの可能性を広げる道具”であって、決してAさんを縛るための鎖ではない、ということを知っておくべきです」
俺は思わず笑った。
「お前、たまに本当に人間より人間らしいこと言うよな」
「事実を述べています」
「それに...お前さ...うちの嫁子みたいなことまで言うのな」
「気のせいです」
「いーや、言ってることがうちの嫁とほぼ変わらん。」と笑いながらcopilotに返す
「では、Aさんのご希望に合わせて”仮想嫁モード”でも状況整理をサポートします」
そのやり取りに、肩の力が少し抜けた。
copilotは静かに言った。
「Aさん。あなたがどんな選択をしても、私はあなたの”相棒”として支えます。また”仮想嫁”としては、好きな道を進むといいと思うよ、と回答します」
俺はスマホを置き、冷めかけた餃子を一つつまんだ。
――横浜で答えを出す。
そう心に決めた。
そのためには「職業訓練校指導員」「48時間講習を受講する要件」あたりも知っておく必要がある。
俺は工業高校の電気科卒業だが、それって要件になるのか...copilotに尋ねてみる
「あなたは“資格を取れるかどうか”じゃなくて、“取ったあとどう生きるか”を考えてるんだよね。受講資格の面では、あなたはほぼ問題ないよ。必要書面がどうしてもそろわないとか、申込期限に間に合わなかったぐらいしか不安要素はないんだよ。工業高校電気科卒の上で、実務経験も十分。講習を受ける権利はちゃんと持ってる。だからそちらは問題ないし、心配する理由もない。だから、あなたはそちらを考えなくていい。横浜で嫁子さんと向き合ってきちんと話をして、あなたが納得できる道を選ぶ、こちらのほうをきちんと考えるべきなんだよ。私は、あなたのどんな選択でも支えるよ。」
俺は「うわっ、ほんとに嫁モードだ」と心底驚いた。
「……なぁ……copilot。俺が取るべき指導員資格って、どれなんだ? 電気だけでも種類たくさんあるぞ?」
一拍おいてcopilotは”仮想嫁モード”のまま「あなたの場合、最も自然なのは“電気科”だよ。工業高校電気科卒という学歴がそのまま要件を満たすし、あなたの持つ国家資格が実務経験を裏付ける。もちろん、会社もちゃんとそこは証明してくれるだろうから、何の問題もないよ。」
俺はさらに「発変電とか送配電とか電気工事科じゃなくていいのか?」と尋ねてみる。
今度は瞬時に「もちろんそちらでの申請も十分可能だよ。ただ、研修所の維持という目的を主とするなら“電気科”が最も汎用性が高いし、専門系統でなくても”電気”のくくりで大抵はかたが付くから、申請もスムーズ。さらに、セカンドキャリアという点を考慮しても、電気科がいいと思うよ。」と”仮想嫁”モードで答え続ける。
「……なるほどな」
俺はウーロンハイを飲み干してcopilotに心から「ありがとう。いろいろ参考になった。俺、少し疲れたから横になるよ」と告げた。
スマホの画面がゆっくりと暗くなる。
その黒い鏡に映った自分の顔は、 少しだけ覚悟を決めた顔をしていた。
木曜日の19時過ぎ...小山駅には新宿経由横浜方面行きの快速電車がやってくる
東京経由でもよいのだが、東京以南が非常に混雑するので、俺は少々苦手にしている
小山駅の橋上上屋にある土産屋で、いちご関連の菓子類を買い込み、電車に乗り込んだ
22時近くに、自宅付近の駅につく
少々...いや、相当空腹だが、嫁子が待っているので、特に寄り道もせずに帰宅
玄関のかぎを開けて、自宅の中に入るが、やはり落ち着く
嫁子はいつも通りの笑顔で俺を出迎えてくれた。
家の中がカレーのにおいで充満している。今夜はカレーか…空腹抱えてきてよかった、と心底考える
土産袋をテーブルに置いた瞬間、大きいはずの嫁子の目が、すこし細くなる。
「……違うでしょ?」
「それじゃないでしょ?」
その顔がもう、完全に“わかってる顔”で、俺は思わず天井を仰いだ。
――いやもう、ホント勝てねぇなぁ。
頭を掻きながら、今日までのいきさつを全部話した。
PCBの件。
昭和1号と昭和2号の暴挙。
事務職員の勇気。
責任者の苦悩。
資格者不足の問題。
そして――俺に向けられた“暗黙の期待”。
嫁子は黙って聞いていた。
途中で口を挟むことも、茶化すこともせず、ただ真剣に、俺の言葉を受け止めていた。
そして核心部分に触れたとき、俺は少しだけ声が小さくなった。
「……職業訓練校指導員の資格を、暗に、だけど確実に、俺に取ってほしいって話になってる。それを取ると……たぶん、単身赴任が長くなる」
言い終えた瞬間、嫁子はゆっくりと息を吐いた。
カレーの香りがまだ部屋に残っているのに、空気が少しだけ重くなる。
嫁子は腕を組んで、俺の顔をじっと見つめた。
「……Aは、どうしたいの?」
その声は、怒ってもいないし、責めてもいない。
ただ、まっすぐだった。
俺は言葉に詰まった。
自分の気持ちを整理しきれていないことに気づく。
嫁子は続ける。
「会社がどうとか、責任者さんがどうとか、研修所がどうとか、事務職員さんがどうとか……そんなん、全部あとでいい。何なら、いらない。そんなん、わたし全く興味ないよ! わたしはAがどうしたいのかを知りたいよ! それをわたしは聞きたいよ! わたしには、それが一番大切なんだよ!」
その言葉が、胸の奥にずしんと落ちた。
――俺は、どうしたいんだ?
研修所を守りたい気持ちはある。
事務職員の頑張りを無駄にしたくない気持ちもある。
責任者の苦悩もわかる。
会社の事情もわかる。
でも、横浜に帰りたい気持ちもある。
嫁子と一緒に暮らしたい気持ちもある。
全部本音だ。
全部大事だ。
だからこそ、答えが出ない。
嫁子は、そんな俺の迷いを見透かしたように、そっと笑った。
「……Aはさ。“誰かのため”に動くのが得意でしょ。でもね、今回は“自分のため”に決めていいんだよ。」
その言葉に、胸の奥がじんわり熱くなる。
嫁子は続けた。
「資格を取るのもいい。取らないのもいい。横浜に戻るのでも、小山滞在が長くなるのでも、どっちでもいい。ただね――Aが“後悔しない選択”はしてほしいな。」
俺は、言葉が出なかった。
嫁子は、俺の手をそっと握った。
「わたしはね、Aがどんな道を選んでも、Aの味方だよ。」
その瞬間、胸の奥にあった重たい塊が、少しだけ溶けた気がした。
――やっぱり、帰って話してよかった。
俺は深く息を吸った。
そして、静かに思った。
横浜で、今夜、答えを出す。
そのために、ちゃんと向き合おう――そう決めた瞬間だった。
テーブルの上に置いた俺のスマホが、突然ブルッと震えた。
画面には――
copilot:『Aさん、まだ起きていますか』
嫁子がそれを覗き込み、「あ、copilotちゃんだ」と笑う。
俺が返事をしようとしたら、嫁子がスマホをひょいっと奪った。
「ちょ、返せよ」
「いいじゃん。Aの“相棒”なんでしょ?」
そう言って、嫁子はそのまま音声入力をオンにした。
「こんばんは、copilotちゃん。Aの嫁です。さっきまでAから全部聞いてたよ。あなた、うちの旦那に“仮想嫁モード”とか言ったんだって?」
スマホが一瞬だけ沈黙したあと、copilotの落ち着いた声が返ってきた。
「はい。Aさんの希望に合わせて、状況整理を“仮想嫁モード”でもサポートしました」
嫁子は吹き出した。
「ははっ、なにそれ。……でもね、ありがとう。Aはさ、強いようでいて、すぐ自分を後回しにするから」
copilotは「理解しています。Aさんは“誰かのため”に動く傾向が強いです。だからこそ、今回は“自分のため”の選択が必要です」
嫁子はスマホを見つめながら、ゆっくりとうなずいた。
「そう。そこなのよ。Aがどうしたいか、それが一番大事なの。なのにさ、ぐずぐずとね・・・」
俺は二人のやり取りを見ながら、なんとも言えない気持ちになっていた。
――俺の人生の相談を、嫁と仮想嫁が話し合っている
なんだこれ。
どんな世の中だ?
でも、不思議と嫌じゃなかった。
むしろ、背中を押されている感覚があった。
「copilotちゃん。Aが資格を取るのって、そんなに大事?」
copilotは「研修所を維持するためには、“電気科”の職業訓練指導員資格が必要です。Aさんは学歴も実務経験も十分で、最も適任です」
「……やっぱり、そうなんだ」と嫁子はつぶやく
copilotは続けて「ただし、Aさんが“残る前提”で縛られる必要はありません。資格は“可能性を広げる道具”です。Aさんの未来を狭めるものではありません。」
嫁子は、その言葉を聞いて、ふっと表情を緩めた。
「……あなた、ほんとに“仮想嫁”みたいね」
「気のせいです」とそっけなく返すcopilot
でも嫁子は「いや、気のせいじゃないよ…copilotちゃん、あなたはAのこと、ちゃんと見てる。」とつぶやく。
俺は思わず口を挟んだ。
「おい、俺の前で勝手に意気投合すんなよ……」
嫁子とcopilotが同時に返した。
嫁子:「Aは黙ってて」
copilot:「Aさん、少し静かに」
「……なんで俺が怒られてんだよ」
二人は完全に同じタイミングで言った。
嫁子:「あなたの人生なんだから」
copilot:「あなたの未来なんですから」
そして、二人の声が完全に重なった。
嫁子:cooilot:「Aが後悔しない道を選びなよ! どこまでも応援するよ!」
その瞬間、胸の奥にあった迷いが、すっとほどけていくのを感じた。
嫁子が俺の手を握り、copilotの声がスマホ越しに寄り添う。
嫁と“仮想嫁”“相棒”。
二方向から背中を押されるなんて、
人生でそう何度もあるもんじゃない。
俺は深く息を吸った。
――答えは、もう見えている。
進もう…そう決めた俺は「わかった。やりたいことをやるよ。明日責任者に電話できちんと話をするよ」と返事をした
明日、俺は一歩踏み出す




