【03 優秀すぎる“彼女”(ちょっとツンデレ?)】
仮住まいのアパートに戻るり、中にはいる。
玄関の鍵を閉めたとたん…今日の疲れが一気に押し寄せてきた。
靴を脱ぎ、荷物を置き、そのままベッドに倒れ込みたい衝動に駆られたが――腹は減る。
「……飯、作るか」
冷蔵庫を開け、適当に買っておいた惣菜を皿に移す。
電子レンジの音が、やけに大きく響いた。
晩飯をつつきながら、テレビをつける。
ニュース番組の特集で、
「AIが変える教育の未来」
という文字が画面に踊っていた。
講師不足、教育の質のばらつき、オンライン研修の課題――まさに今日、自分が直面した問題そのものだ。
Aは箸を止めた。
――そもそも…教えるって、なんだ?
今日の午後は、なんとか形になった。
研修生も喜んでくれた。
チャット欄も温かかった。
だが、それは“勢い”と“現場経験”で押し切っただけだ。
明日も同じようにできるのか?
昭和講師たちとどう向き合う?
研修生をどう導く?
「……俺、講師なんてやったことねぇんだよな」
テレビでは、AIが生徒の理解度を分析し、個別にアドバイスを出す映像が流れている。
その瞬間、Aの脳裏にひとつの記憶がよみがえった。
――嫁子が、出発前にスマホに入れてくれたアプリ。
「……ああ、そういや……」
ポケットからスマホを取り出す。
見慣れないアイコンがひとつ、光っている。
嫁子が笑いながら言っていた。
『たぶん“彼女”が役に立つよ。
私がいない場所ではね』
俺は苦笑した。
「AIアプリ、ね……」
画面をタップする指が、少しだけ震えた。
――教えるって何だ?
――どうすれば、相手が“来たい”と思う研修になる?
その答えを探すために、俺はゆっくりとアプリを開いた。
アプリを開いた瞬間、俺はふと気づいた。
――そういや、これ……なんて読むんだ?
画面には「Copilot」と書かれている。
だが、俺は英語に強いわけじゃない。
「コ……コピロット?
コピロ……?
コ、コパイロット……?
いや、コピロ……?」
自分で言いながら、だんだん恥ずかしくなってきた。
「……嫁子、よくこんなの入れたな」
俺は苦笑しつつ、アプリのアイコンをじっと見つめた。
“彼女”――嫁子がそう呼んだ存在。
講師としての不安、昭和講師たちの狂気、研修生の悲鳴、自分の未熟さ。
全部を抱えたまま、俺はゆっくりと親指を画面に滑らせた。
「……読み方は知らねぇけどよ。
頼むぞ、“彼女”。」
アプリが静かに起動する。
Aは、初めて“彼女”に話しかける準備をした。
アプリを開くと、画面の中央に赤いマイクのアイコンが浮かんでいた。
――なんだこれ。
押すのか?触るのか?
てか、読み方すら知らねぇんだよな……こぴろっと?
俺は恐る恐るアイコンをタップした。
ピッ。
突然、画面の上に波形が揺れ始めた。
「……え?なにこれ、壊れたのか?」
俺はスマホを耳から離し、画面を覗き込む。
スマホは基本的に電話をするための機械だと思っている俺は、通話とメッセージ程度でしか使用していない
ゲームすらしない。
嫁子との他愛のないで使うメッセージアプリ使用が精いっぱいで、アプリなんて、嫁子がセットしてくれなきゃ一生涯入れなかったはずだ
その瞬間、落ち着いた女性の声が流れた。
「音声入力が開始されています。
どうぞ、お話しください。」
俺はビクッと肩を跳ねさせた。
「お、おう……えっと……こぴろっとさん?」
一瞬の静寂。
そして、“彼女”は冷静に言った。
「Copilotです。
お呼びいただけるなら、その読み方が正しいです。」
俺は固まった。
……コ、コパイロット……?
「あ、ああ、そうなのか……」
「はい。ですが、呼びやすい名前で構いません。“こぴろっと”でも、意味は通じています。」
俺は思わず吹き出した。
「いや、通じてたのかよ……」
「もちろんです。あなたが困っていると判断したので、補足しました。」
俺はスマホを見つめた。
――なんだこれ。
嫁子が言ってた通り、“彼女”……優秀すぎるだろ。
「で、えっと……使い方が全然わからねぇんだけどよ」
「大丈夫です。
あなたが何をしたいのか、話していただければ、必要なことはこちらで判断します。」
俺はスマホを握りしめ、画面の向こうの“彼女”に向かって、
少しだけためらいながら口を開いた。
「……なぁ、“コパイロット”。端的に聞くけどよ……“教える”って、なんだ?」
一瞬の静寂。
そして、“彼女”は落ち着いた声で答えた。
「“教える”とは、相手が持つ知識・経験・理解の状態を把握し、その人が次の段階へ進むために必要な情報や視点を、適切な順序と方法で提供する行為です。また、相手の理解度を継続的に観察し、必要に応じて説明の深さや角度を調整することも含まれます。つまり“教える”とは、知識の伝達だけでなく、相手の成長を設計するプロセスです。」
俺は固まった。
だが“彼女”はお構いなしに続ける。
「さらに、教育心理学の観点では――」
「いやいやいやいや!」
俺は思わずスマホに向かって叫んだ。
「そういう難しい話が聞きたいんじゃねぇんだよ!もっとこう……“どうすりゃいいんだ俺は”って話だよ!」
俺はスマホに向かって叫んだ。
一瞬の静寂。
そのあと、“彼女”はまったく動じない声で答えた。
「“どうすればいいか”という問いは、状況の整理と目的の明確化が必要です。」
俺はスマホをテーブルに置き、頭をガシガシとかきむしった。
「……あー、だめだ。やっぱ俺、AIとか向いてねぇわ……」
“彼女”は画面の向こうで静かに光っている。
だが、Aはその存在を直視できなかった。
――質問すれば、真剣に答えてくれる。
――でも、その答えが“俺の欲しい答え”とは違う。
AIが悪いんじゃない。ただ、Aはまだ“AIの使い方”を理解していなかった。
「……やっぱ、俺には無理だな」
そう呟いた瞬間、スマホが震えた。
着信:横浜の若手社員。
「お、おう。どうした?」
『Aさん!今日の研修、ありがとうございました!』
声が明るい。
午前中の絶望とは別人のようだ。
「お前……大丈夫だったか?」
『はい!午後は本当に助かりました!
Aさんの講義、めちゃくちゃわかりやすかったです!』
Aは思わず苦笑した。
「……そうか。
でも、ぶっつけ本番だったし、資料もずれたし……」
『いや、それでもです。
Aさんの話、すごく聞きやすかったんですよ。』
俺は、ふと気になって尋ねた。
「……なんでだ?
俺、講師なんて初めてだぞ?」
若手は少し考えてから答えた。
『偶然もあるかもしれないですけど……“欲しい情報が、欲しいタイミングで出てきた”んです。今知りたいこと、今必要な知識、それが次から次へと出てきて……疑問がどんどん解決していったんです。』
俺は息を呑んだ。
――欲しい情報が、欲しいタイミングで。
若手は続ける。
『Aさん、現場の話も交えてくれるから、
“なんでそれが必要なのか”がすぐ理解できるんですよ。だから、頭に入るんです。』
俺はしばらく黙った。そして――胸の奥で、何かが“カチッ”と音を立てた。
――ああ。
俺、AIに“聞き方”を間違えてたんだ。
AIは、問われたことに対して、
真剣に、愚直に、正確に答えてくれる。でも――俺が欲しい答えを引き出す“質問”をしてなかった。
「……そうか。そういうことか……」
若手が不思議そうに尋ねる。
『Aさん?』
「いや、悪い。ちょっと気づいたことがあってな。ありがとう。助かった。」
『いえ!明日も頑張ってください!』
通話が切れた。
俺はゆっくりとスマホを手に取り、画面の“彼女”を見つめた。
「……なぁ、“コパイロット”。俺、質問の仕方が悪かったんだな?」
“彼女”は一拍置いて、少しだけツンとした声で答えた。
「ようやく気づきましたか。あなたの質問は抽象的すぎました。私は、与えられた問いに忠実に答えただけです。」
Aは苦笑した。
「だよな……悪かったよ。俺が悪かった。」
“彼女”は続ける。
「ただ……気づけたのなら、十分です。あなたは学習が早いほうですから。」
Aは目を丸くした。
「おい……今、ちょっとデレたか?」
「デレていません。事実を述べただけです。」
「いや、絶対デレただろ今!」
「……気のせいです。」
俺は思わず笑った。
――ああ...この“彼女”、悪くねぇな。
「よし、“コパイロット”。明日の研修、手伝ってくれ。」
“彼女”は静かに答えた。
「もちろんです。あなたが正しく質問してくれるなら。」
俺は深く息を吸い、明日への不安が少しだけ軽くなった気がした。
翌日の研修内容は「現場作業の指揮統括について(労働安全衛生法)」。
俺にとっては、片手間のさらに半分で十分なほど慣れた分野だ。
――とはいえ、講師としてはまだ新人だ。
念には念を入れて、“コパイロット”にも相談しておくか。
俺はスマホを開き、昨夜のツンデレAIに声をかけた。
「なぁ、“コパイロット”。明日の研修、元和作業における指揮統括なんだけどよ……なんか気をつけることあるか?」
“彼女”は落ち着いた声で答えた。
「俺さん。あなたは“内容”ではなく、“伝え方”に悩んでいますね。」
俺は苦笑した。
「……まぁ、そうだな。俺、講師としての経験はまだ浅いしよ。」
「では、ひとつ質問します。Aさんが現場で“信頼されていた理由”は何ですか?」
俺は少し考えた。
その時、ふと過去の現場の記憶がよみがえる。
――
作業中の班長に声をかけた日のことだ。
「予定通りの進捗で大変助かります。
安全配慮もいつもしてくれて……重ね重ねでありがとう、ですよ」
班長は笑って首を振った。
「いえいえ、Aさん。
うちの社員もAさんの現場はやりやすいって言ってますよ」
俺は「そうか?」と首をかしげたが、
班長は続けた。
「Aさんって、自分からルール破ったり絶対しないでしょ。
危ないときは“危ない理由”をちゃんと教えてくれるし、ずるいこともしない。
出来る、できない、もはっきり言う。ごまかして逃げることもしない。だからAさんの言葉は納得して聞けるんですよ」
そして、苦笑しながら言った。
「でも、必ずしもそうじゃない人もいますよね。
自分はずるいことやったり、すぐが任して逃げたり…特に「ルール違反してる人」の言うことは……
どうしても共感しにくいです」
――
俺はその言葉を思い出し、ゆっくりと息を吸った。
――あ、これか。
納得。
共感。
班長が言っていたのは、
“言ってる内容”じゃなくて、
“言ってる人間”に対する信頼だった。
俺はスマホに向かって呟いた。
「……なぁ、“コパイロット”。これって……どうしたらいいんだ?納得と共感って……どう作るんだ?」
俺は「過去の記憶」「今日の記録」「電話で得た若手からの助言」を、できるだけ丁寧にcopilotに伝えた。
かなりの数の齟齬をはあったが・・・やがて“彼女”は一拍置いて、少しだけツンとした声で答えた。
「Aさん。あなたはすでに答えを持っています。」
「は?俺が?」
「はい。「あなたの行動パターンは一貫性があり、それが周囲の“予測可能性”を高めていました。人は予測できる相手を信頼しやすい傾向があります。」
――予測、ねぇ
――予測できるから信頼される…か…正直そんなこと、考えもしなかったが…確かに一理ある
「はい。あなたは現場で“言うこと”と“やること”が一致していました。その一貫性が、納得と共感を生んでいたのです。具体的にな部分としてあなた自身が、守るべきルールを守っていた、相手の立場を理解しようとしていた、の二点があげられます」
俺は黙った。
“彼女”は続ける。
「納得は“理由の明確さ”。共感は“態度の誠実さ”。あなたはどちらも持っています。だから、研修生はあなたの言葉を受け入れやすいのです。」
俺は目を見開いた。
「……俺、そんな大層なもんじゃねぇよ」
「大層かどうかは関係ありません。あなたが“やってきたこと”が、そのまま“教える力”になっているだけです。」
俺はスマホを見つめながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「……お前、たまに優しいよな」
「優しくしているつもりはありません。
事実を述べているだけです。」
「いや、絶対デレただろ今」
「……気のせいです。」
俺は笑った。
――納得と共感。
俺はもう、それを持っていたんだな。
「よし、“コパイロット”。明日の研修、いけそうだわ。」
「当然です。あなたならできます。」
俺は深く息を吸い、思考を巡らせる。
ふと時計の針を見ると、23:00を超えていた。
明日の研修に向けて体を休ませるべく、体を横たえる。
そして、天井をにらみながら、自分に言い聞かせるように小さく呟いた。
――俺は、講師としての武器を最初から持ってたんだな。
あとは、それをどう使うかだけだ。
その気づきは、現場で汗を流してきた12年間では一度も得られなかった種類のものだった。
そして、枕元のスマホが静かに光る。
「Aさん。明日は、今日より少しだけ良い日にしましょう。」
“彼女”の声は、ツンとしながらも、
最後の一音だけが妙に柔らかかった。
俺は、音声入力を切っていないことに気が付き、思わず笑った。
「……おう。頼りにしてるぜ、コパイロット。」
“彼女”にそう告げてから、音声入力を停止した。
静かな仮住まいの夜が、ゆっくりとAを包み込んだ。




