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3話

『なんで格闘ゲームって銘打っておきながら自動小銃を取り出すキャラが居るんだろうね』


 二年前に最新機種だった紅音のスマートフォンの横画面いっぱいに、格闘ゲームの画面が表示されている。そしてその右下には茶髪の和装をした少女、甘党あずき。その声は明らかに若菜水鳥のものであり、もはや二人が同一人物であることは疑う余地も無い。彼女は分かりやすく不満そうに唇を尖らせて目を吊り上げ、今しがた自分を斃した敵キャラを批判する。


『キャラ批判? 違います、武器批判だよ。格ゲーなんだから格闘しないと。え? いや、波動は武器じゃなくて自分の生命エネルギーでしょ。生まれながらに持ってる。でも銃火器は生まれながらにして持ってない。はい、論破。ぱ。産まれた時から拳銃を持っていた人だけ私に反論してください。後ほど証拠写真をDMで送ってもらいます』


 そんな冗談を甘党あずきが笑顔で言うと、コメント欄は意気揚々とプロレスを始める。


「なんだかなぁ、余所余所しいというか――嫌われてるのかもしれぬ」


 登校後。紅音は自席に突っ伏して甘党あずきの配信を観ていた。


 そんな紅音の投げやりな呟きを聞くのは、隣の席の緒方。薄桃色のヘアピンと真っ黒なストレートのロングヘアが印象的な少女だ。中肉中背で、彼女も彼女で美形に分類されるだろう。


「新居のルームメイト?」


 頬杖を突く緒方に、紅音はスマホを置いて伸びをしながら頷く。


「ふぁあ――そう、そのルームメイトちゃん。なんかさ、詳しい説明は省くんだけど、その子、Vtuberをやっててね。配信を覗いた感じだと、かなり感情表現豊かな子なんだよ。んだけど、私の前だと表情筋がピクリともしなくてさ、ずっと無表情」


 紅音もあまり陰口を言いたくはなかったが、悩んで仕方が無いので相談はさせてほしい。


「シンプルにアンタとの会話がつまらないんじゃないの?」


 なんて酷いことを言う女だ! 紅音は怒り心頭になって声高に言い返す。


「おいおいおい! よいよいよい! 配信者に向かって何を言いますか。それにつまらないったって、初対面の相手と交流するときってさ、愛想笑いくらいは浮かべるもんじゃない?」


 そう言い返すと、緒方は「それすらないんだ?」と唖然として腕を組んだ。


「それは確かに、アンタが嫌われてるかその子に事情があるかの二択かもしれないわね」

「そうでしょ、そうでしょ? でも嫌われる理由に心当たりは無いんだよね」

「でも嫌われてる奴って皆そう言うから」

「緒方は自分が嫌われる心当たりはある?」

「無いに決まってるでしょ」

「なるほど、本当に皆そう言うんだね」


 ――ガン、と緒方の蹴りが紅音の机の脚を蹴る。紅音はその靴底を蹴り返した。


 紅音は肩を竦め、オーバー気味にやれやれと両手を広げて言った。


「冗談はさておき、どう接すればいいのか困ってるんだよね」


 緒方はふぅと投げやりな溜息を吐くと、足を組んで椅子の背もたれに頬杖を突き直す。


「どう接するも何も、どうあれ向こう側が距離を縮めることを嫌がってるなら、無理に仲良くしようとしなくたっていいんじゃない? ただの同居人だし」

「む」

「鬱陶しく思われてるなら距離を置く。これがコミュニケーションの鉄則でしょ」


 それは確かにその通りであり、紅音は目から鱗を落としながら声を上げた。


 自分が若菜水鳥と同年代であり、かつ甘党あずきのファンだったという点もあって、どうにか距離を縮めようとしていたが、言われてみるとそうする義務は無い。勿論、仲良くなれたら嬉しいし、そういう機会があれば逃すつもりは無いが、今、焦る必要はないだろう。


 紅音は腕組みして緒方のアドバイスを検討し、そして徐に頷いた。


「それは確かに、その通りだね」






 若菜水鳥とはルームメイトだ。故に、彼女とは上手くやるべきだ。


 しかし、『上手くやる』とは必ずしも『仲良くする』ことではないと紅音は思う。


 お互いの長所と短所を認め合い、そしてそれを尊重しながら暮らすべきなのだ。


 例えば若菜水鳥が何を考えているか分からず、彼女が紅音と距離を縮めたがらないのであれば、紅音も水鳥と無理に距離を詰めない。反面、水鳥の金銭面や生活面に対する誠実さについては紅音も見習うべき部分が多く、それに合わせて努力をしよう。――対して、紅音はややズボラなところがあり、それを水鳥が不快に思う場面もあるかもしれない。しかし、彼女の私生活に影響を及ぼさない範囲においては看過してもらうなど、尊重し合える部分はあるはずだ。


 それを共生と呼ぶ。自分達は共生できるはずなのだ。


 そう理解してからの紅音の行動は、憑き物が落ちたように晴れやかだった。


 ――ルームシェア開始から一週間が経過し、注文した家具や家電が次々に家に到着した。テレビにソファ、掃除機、リビングのテーブルセットに洗濯機、収納、クッション、各種キッチン用品等々。挙げたらキリがない程の家具を買い揃えた。


 それから、段々と新生活は日常に名前を変えていった。


 朝、起きれば既に支度を済ませた水鳥が朝食を摂っている。


 昼間はいつも通りに学校へ。休日は配信か外出か。


 夜はあまり顔を合わせない。規則正しくご飯を食べてから配信を開始する水鳥に対して、紅音は熱湯を注いだカップ麺を防音室へ持っていき、食べながら配信をするのだ。


 水鳥との会話は、紅音が思っていたよりも悪くない。悪くないというのは、少なくないし、殺伐としていないという意だ。当然、和気藹々と仲良く話し合うことは無いが、必要最低限の事務的会話は勿論、気が向いたら雑談をすることもある。


 相変わらず彼女の表情はピクリとも動かないが、


「二億円稼いだらさ、一回でいいから海外に行って大麻を吸ってみたいんだよね」

「余計なお世話かもしれないけど、それは配信で言わない方がいいと思うよ」

「札束風呂にも入ってみたい。でも一万円でやると二十億円かかるらしいからさ、ジンバブエドルに換金しようかなと思ってるんだよね」

「片付けてる時に涙が落ちないなら止めないよ」


 ――と、多少は冗談にも乗ってくれているように思える。


 必要な会話は滞りなく、時折、紅音から雑談を繰り出して。


 それ以外は起きて、学校に行って、夜は配信をして、寝る。その繰り返し。


 水鳥の生活はメトロノームの擬人化ではないかと疑いたくなるくらい規則正しく、起床も就寝も、出発も食事の時間も、その献立まで隙が無い。対する紅音は酷いものだった。父の裕二から告げられた叱責などすっかり忘れ、朝はカップ麺、昼は学校で菓子パン、夜は再びカップ麺。休日は少しだけ豪華に、カップ麺にコンビニの煮卵をトッピング――そんな日々が一週間。


 月曜日。味噌カップ麺、あんパン、豚骨カップ麺。

 火曜日。醤油カップ麺、焼きそばパン、塩カップ麺。

 水曜日。シーフードカップ麺、コロッケパン、カレーカップ麺。

 木曜日。豚骨カップ麺、ハンバーガー、醤油カップ麺。

 金曜日。カップ焼きそば、野菜ジュースとフライドポテト、カップうどん。

 土曜日。豚ネギ塩カップ麺、あんパン、台湾風カップ麺と煮卵。

 日曜日。味噌カップ麺――の蓋を、朝、紅音が口笛を吹きながら開けようとした時。



「ねえ、紅音って死にたいの?」



 テーブルで背筋を伸ばして朝食を摂っていた水鳥が、珍しく彼女の方から口を開いた。


 しかし、素直に喜ぶにはあまりにも彼女の言葉が物騒で、冗談の気配もない真顔だったので、「へ」と紅音は間抜けな顔を返してしまう。


「な……何の話? 私、なんか怒らせるようなことしちゃった?」


 水鳥はジッと紅音の手元のカップ麺を見詰めた後、次いで自分の食事に視線を落とす。


 水鳥の食事は随分と手が込んでいる。今朝は和食だ。昨夜の内から漬け込んでいた鮭の西京焼きに、ほうれん草の胡麻和えと冷凍で小分けにしている肉じゃがの小鉢。白米と漬物に加え、こちらはインスタントではあるものの、後から玉ねぎを追加した味噌汁。


 随分と綺麗な朝食だと思った紅音は、ハッと彼女の言いたいことに気付く。つまり、これだけ丁寧な食事を繰り返して、ジャンキーなものを食べたくなったということだろうか。


「もしかして水鳥もカップ麺を食べたい? 大丈夫! まだまだあるよ!」


 言いながら紅音がキッチンに収納していたカップ麺を引っ張り出すと、水鳥は「ちょっと言い方が乱暴だったね」と言って箸を置き、立ち上がった。


 何だ、何だ。殴る気じゃないだろうな。紅音が身構えていると、彼女は紅音の前を素通りして、キッチンの脇に置いてある容器包装のゴミ袋に構わず手を突っ込んだ。


 そして、一つ、二つ、三つ――と、次々にカップ麺の容器を引っ張り出した。自治体の容器包装回収日は月曜日。つまり、そこには一週間分のカップ麺の容器が洗浄されて入っている。


「四枚、五枚、六枚、七枚――」

「そんな、皿屋敷じゃないんだから」

「――八枚、九枚、十枚、十一枚、十二枚。うん、ピッタリ十二枚」

「それがどうしたの?」

「月曜日から六日間で食べたカップ麺の容器が十二個。つまり?」

「月曜日から六日間で食べたカップ麺の数は十二個だね」


 揶揄うように軽口を言い返すと、水鳥はピタリと口を閉じて真っ直ぐに紅音を見詰める。


 無表情で無機質な視線が刺々しく突き刺さり、たった一人の人間で針の筵にされた紅音は、開けられた穴から冷や汗を流しつつ、笑顔で弁明した。


「じょ、冗談ですやんか! 言いたいことは分かるよ! つまり、一日に二個もカップ麺を食べるのは身体に悪いって言いたいんでしょ? 大袈裟だって、人間そんなすぐ死なないから!」


 確かに健康的とは言いにくいかもしれないが、以前もこんな風な食生活をしていたことはあった。当時は父親に怒られたものだが、結果として、今、それほど健康に問題が起きていないのだから、そこまで危険視しなくてもいいだろう――と、そんな紅音の楽観視を水鳥は咎める。


「すぐは死なないけどジワジワと死に向かってるよ」

「あれ、もしかして水鳥って食品添加物のアンチだったりする?」

「食品添加物を否定はしないけど、食品添加物が主食の人間には戸惑うかな」

「お! 良い言葉だね。日清のお客様サポートセンターに書いて送りたいくらい」

「もしかして、紅音の学校って家庭科の授業無かったの?」

「あったし、授業はちゃんと受けてたよ。避妊具の重要性も学んだ」

「家庭科は家庭の作り方を教える授業じゃないよ」


 水鳥は能面のまま視線だけを横に逸らして、淡々と言った。


「私は雨宮さんにとても恩義があるの」


 何やら水鳥も水鳥で管理人兼大家の雨宮雪子と接点があるらしい。


「つまり?」

「ここを事故物件にする訳にはいかない」


 大袈裟だなあと紅音が肩を竦めると、水鳥は無機質な目を紅音に送った。


「紅音は麺が好きなの? それとも作るのが面倒くさいの?」

「作るのが面倒くさいね。できれば寝ている時に口に注ぎ込んでほしいくらい」


 勿論、多少誇張して表現しているが、水鳥のように丁寧に食事を用意して規則正しく食べるというのは性に合わない。現代の若者らしくタイムパフォーマンスを考慮して、お手軽な食事を配信などの片手間に食べるが紅音の理想とする食事である。


 そんな紅音の言い分をしかと聞き入れた水鳥は、数秒、顎を摘まんで考えてから言った。




「紅音の分のご飯も作ろうか?」




 「――何だって?」と間抜けな声を上げてしまったのは仕方が無いだろう。


 当然だ。それなりに下らないやり取りをできるようになったとはいえ、相変わらず彼女は笑みの一つも見せてくれないのだから。薄っすらと嫌われているものだとばかり思っていた紅音は、まさか水鳥の方からそんな提案を受けるとは思わず、唖然としてしまう。


 沈黙を葛藤と解釈したか、水鳥は気負いなく続けた。


「一人分も二人分も、大して手間は変わらないから。材料費を折半してくれるなら構わないよ」


 どうやら冗談でも何でもなく、本心からの提案らしい。


 ようやく驚きから我に返った紅音は、口を押さえながらその提案を検討する。


 水鳥が何を思ってこの提案をしたかは、この際、考えないものとする。大事なのはこの提案が自分にとって利益があるものかどうか。――そんな思考を見透かしたように歩き出した水鳥は、テーブルに置いていた肉じゃがの小鉢を持ってくると、フォークをそこに乗せる。


「まだ口付けてないから、腕が気になるなら食べてみる?」


 「そこまで言うなら是非」と、紅音は小鉢とフォークを手に取った。そして肉を穂先に引っ掛けてじゃがいもに被せ、まとめて串刺しにして、一口に放り込んだ。途端、適温の肉じゃがが健康的な薄い塩味と出汁を口いっぱいに広げ、牛肉由来の僅かな脂が口内を健全に潤す。


 美味しい。それ以上の表現をすると感動が陳腐に聞こえてしまいそうな味だ。


 僅かに目を見張ったままじっくりと咀嚼した紅音は、嚥下した口でそのまま回答した。


「シェフを呼んでくれたまえ」

「目の前に居るよ」






 水鳥の手料理は期待を大きく上回るほど美味しかったので、結局、紅音は朝と晩に食事の支度をしてもらうことになった。紅音の悲惨な食生活を見ていられなかった水鳥の提案ではあるものの、料理にかかる手間を踏まえ、食費は紅音が八割負担することにした。


 早速、その日の昼には合い挽き肉を焼いたハンバーグと白米、ツナサラダ、セミドライトマトのカプレーゼと、それから塩分を控えめにしたミネストローネが食卓に並んだ。


「サイゼリヤじゃーん!」


 配信を一時切り上げてリビングに戻ってきた紅音は、開口一番にそう叫んでしまう。思わず口角が上がってしまうほど、そのイタリアン達は色鮮やかで見栄えが良かった。


 水鳥はキッチンでデニムのエプロンを外すと、それを折り畳んで籠に掛ける。


「口に合わなかったら言ってね。次回から修正するように頑張るから」

「いえいえ、そんな。作って貰ってる側で贅沢は言いません。さ、食べましょうぞ」

「先に食べてて構わないよ。飲み物を用意するから」


 そう言って水鳥は、紅音が箱買いしているウーロン茶を開けてコップを二つ用意した。今更『私もやるよ』とは言えないので、紅音はジッと椅子に座って水鳥を待つ。それから少し経って、「待たなくてよかったのに。どうぞ」とコップを置いてくれるので、「どうも。一緒に食べた方が美味しいじゃない?」と持論を返しておいて、一斉に手を合わせた。


「いただきます」


 紅音は期待で珍しく分泌された唾液を納得させるように、早速プレート上のハンバーグをナイフで切って、デミグラスソースを付けてから口に入れる。途端、肉汁が口を支配した。まるで背脂を頬張った時のような多幸感に突き動かされるまま、パクパクと白米も貪る。


 野菜は肉ほど好きではないが、かといって後回しにするほど子供でもないので、付け合わせのブロッコリーとニンジンも次々に口へ運ぶ。――あまり野菜は好きではなかったが、どういう工夫がされているのか、苦手な風味が無く食べやすい。子供っぽくデミグラスソースをたっぷりとブロッコリーの花蕾に付け、あっという間に付け合わせを食べきった。


「美味しい」


 紅音は穏やかに頬を綻ばせながら思わず呟いて、それから、料理人に伝えるのを忘れていたことを思い出す。「あ」と間抜けな声を上げて顔を上げると、水鳥は両手に食器を持ったまま、しかしまだ料理に口は付けず、紅音の様子をジッと見ていた。


 無言で食べ続けて印象が悪かっただろうか。紅音は取り繕うように笑う。


「お、美味しいよ! 凄く美味しい――ごめん、夢中で食べてた」


 しかし、気分を害しているのかいないのか、水鳥は表情なく呟いた。


「別に責めてないよ。良い食べっぷりだなって思っただけ」

「料理の出来が素晴らしいからね。いや、本当に美味しいよ。私もハンバーグを焼いたことあるけどね、表面カリッカリの中パサパサだった記憶があるからさ、上手に作れるのは尊敬する。いや、レシピ通りにやればできるんだろうけどね? それを調べて結果に反映できたという知識と実践も含めて料理の腕じゃない? だからさ、美味しい料理は素晴らしいと思う」


 料理人への感謝の意も込めて多少大袈裟に賛辞を贈ると、そんな打算が伝わってしまっているのか、水鳥は何も言わずに紅音を見詰め続ける。調子の良いことを言ってしまっただろうかと内心で冷や汗をかいていると、水鳥は「ありがとう」とだけ呟いて、食べ始めた。


 怒っていないなら何よりである。胸を撫で下ろした紅音は次々に料理へ手を付けながら、少し口が空いた時にはペラペラと思うまま料理の感想と雑談を口にした。


「カップ麺みたいに味が濃いものも美味しいけど、こうやって美味しさを計算した味も良いものだね。献立の種類が多いと楽しめる味の数も広がるし、種類が多い分だけ食べるのに時間がかかるから、食事を楽しむ時間も広がる。食が娯楽であることを思い出した」

「そこまで分かっているのに、どうしてカップ麺ばかり食べるのさ」


 相変わらずの無表情だったが――気のせいか、一瞬、その表情に呆れを感じた。


 紅音は少し呆けた顔で水鳥を注視した後、我に返っておどけた笑みを返す。


「そりゃやっぱり、ここまでの料理を作るのにかかる時間が、ね」

「三十分もかければまともな料理はできるよ。実家でもそんな感じだったの?」

「父さんが家に居る時は作ってもらってたね。ここまで贅沢じゃなかったけど、一汁三菜は頑張って作ってくれてた。愛情の味がしたね。でも刑事課の組対でさ、あんまり家に居られないこともあったから、そういう時は自分で用意してた。つまり、カップ麺ですよ」


 水鳥は何かを考えるように視線を逸らして押し黙り、一度何かを言おうと口を開く。しかし、表情をピクリとも動かさないまま考え直すように口を閉じたから、先が読めた。


「父子家庭じゃないよ。両親は健在だしお姉ちゃんも居る。ただ、お母さんはお母さんで水商売をやっててさ、もう四十も近いのに未だにお客さんを取り続けて、大体朝帰り。お姉ちゃんは家に帰ってこないね。恋人の家に泊まり込みで色々やってるみたい」


 どうやら紅音の言葉は水鳥の疑問を解消できたらしく、「そうなんだ」と淡々とした彼女の相槌が食卓を滑る。そして、次いで湧いた疑問を彼女は口にした。


「寂しくはないの?」

「寂しくはないね。お姉ちゃんはもう好きにしろって感じだし、お母さんは最初、子供の為に仕事を辞めてた人だから。ただ、私とお姉ちゃんが大きくなってきた頃、どうにか昼職に就こうとしたところで、お父さんにやりたいことをやれって言われて再就職。だから邪魔をしたくないなっていうのが私の本音。そんで、お父さんは言わずもがな、立派な仕事だし尊敬してるし、それに救われてる人が居るなら私も文句は言えない」


 水鳥は何か思うところがあるのか、「警察の、組対」と呟いて視線を虚空に投げる。


「組織犯罪対策課、だっけ?」

「そう、暴力団とか犯罪組織の取り締まりだね」

「そっか……それは、本当に――立派な仕事だね」


 そう呟く水鳥は相変わらず何を考えているのか分からない真顔だったが、その口ぶりが少しだけ、何か思うところがあるように聞こえたから、紅音は聞き返しそうになる。


 しかし、話してばかりで手を動かしていなかったので、ミネストローネに口を付けた。実を言うとトマトの酸味があまり得意ではなかったのだが、こちらはコンソメの味が力強く酸味と調和しているおかげか、甘味の方に味覚が敏感に反応してくれる。


「そういえば、紅音――『みづほ』の配信を観たんだけど」


 カプレーゼを食べ終えた水鳥が、コップを手に切り出す。


 紅音は思わず口を半開きにして驚いた。最近では親しみと慣れから甘党あずきに対する憧憬の念は弱まりつつあるものの、それでも彼女の提供するコンテンツは好きだ。そんな憧れの人が自分の配信を観たと聞いて、驚き喜ばない道理が無い。


 紅音が満更でもなく頬を緩めて「どうでした」と訊くと、水鳥は真面目に答える。


「面白かった。君の日常会話が面白い理由が分かった」


 真顔。無表情。能面。そう語る水鳥の表情は僅かも動かない。


 明らかなリップサービスに紅音が笑顔の裏で落ち込んでいると、水鳥は「本題はそこじゃなくて」と言いながらウーロン茶を一口。そして話を切り替えた。


「君は恋人が居るって言ってたけど、大丈夫? 家を空けたりしようか?」


 一瞬、何の話か分からずに紅音は呆けた顔で水鳥を見詰める。何の冗談だと聞き返しになって、そういえば、と配信上で視聴者向けに吐いていた嘘を思い出し、軽く笑った。


「ああ、はいはい! 恋人ね。居ないよ、そんなの。全部嘘!」

「……なんで、そんな嘘を?」


 水鳥が絞り出すように疑問を口にするから、紅音は頬張ったカプレーゼを笑顔で飲み込む。


「私は顔出しで配信してるからね。そして私は可愛い。下手な希望を持たせる商売をすると逆恨みが怖いから、私への恋愛感情は成就しませんよ、という魔除けの意味を込めて恋人が居るって公言してる。そんでもって、恋愛関係を夢見て投資してしまう人が出ないように、投げ銭も切ってる。流石にね、二億円稼いでも地獄までは持って行けませんから!」


 わははは! と笑う紅音を、水鳥は口を噤んで見詰める。


 紅音はミネストローネを飲み干すと、熱い吐息を吐いて、続けて持論を語った。


「――投げ銭は感情だからね。感情は蓄積する。二種類の好意の内、純然な応援を裏切るのは炎上かもしれないけれど、恋愛感情は成就以外の全てが裏切りだもの。勿論、大半の人間は自制心が作用する。でも、そうでない場合もある。私は顔を集客に、そしてトークとゲームを武器にすると決めた時点で、その辺りのリスクヘッジを徹底する必要があった。当初はお父さんも反対派だったからね。説得には苦労したけど、お陰様で厄介なファンは居ない」


 紅音が不敵に語ると、水鳥は「それでもたまには出るんじゃない?」と訊き返す。


「出るね。でも大丈夫、月に一回くらいは『どういうセックスをしたか』を赤裸々に語って定期的に脳みそを焼いてるから。火加減はベリーウェルダン。大丈夫、生き残りは居ないよ」


 「まあ、完璧じゃあないだろうけども」と紅音が唇を吊り上げる。


 「君は本当に凄い人だね」と思っているかも定かではない賛辞が水鳥から反響する。


 紅音は残りの料理に次々とフォークを伸ばしつつ、チラリと水鳥を見た。食事をしていた彼女は視線に気付くと目を上げ、パッチリと視線を交錯させる。「なに?」と素っ気なく聞こえる質問が来るので、少しだけ緊張しつつ紅音は思うままを伝えた。


「いや、何。あんまり自己表現をしない人なのかなと思ってたけど――思っていたより、喋ってくれるなぁと思って」


 すると水鳥は料理に伸ばす手を止め、物言わぬまま静かな瞳で紅音を見詰めた。何か気分を害してしまっただろうかと笑顔の裏でビクビクしていると、水鳥は言う。


「君がたくさん話すからね」


 ――その言葉はどう解釈するべきだったのだろうか。


 他意は無く言葉通りに紅音の口数が多いからそれに釣られたという話なのか。それとも、紅音がうるさいからそれに応えてやっているということなのか。全く目的は分からなかったが、友人関係と思って詰めた距離が相手のパーソナルスペースの間合いであることに今更気付いてしまい、足下が消える浮遊感を味わいながら、紅音は、頬を引き攣らせた。


 悪い意味ではないだろう。そう思う気持ちが希望的観測を含んでいたから、それは良くないことであると自分に言い聞かせ、紅音はどうにか笑みを取り繕って質問を重ねた。


「あの……もしかして、一人で食べる方が好きだったりする?」


 たっぷりとデミグラスソースを付けたハンバーグをフォークに刺したまま、水鳥は無感情な瞳を紅音に向けた。――この期に及んで、やはり、彼女は紅音に腹の内を見せない。


「どっちでもいいよ。君が部屋で食べても、私は気分を害さない」



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