第9話 諜報・潜入:光と音と匂いの迷彩
今日は陛下の執務室だ。
入室すると、軍部の最高責任者である元帥がいた。
「あー……嫌な予感が……」
「ふ……私が嫌いかね、宮廷魔術師殿」
元帥が薄く笑う。
軍隊のトップなんて、無茶を言う上層部の最たるものだからな。嫌われることも多いだろう。そして嫌われることに慣れきった様子の笑い方だ。
「元帥殿、国防を一手に引き受けるご活躍には感謝こそすれ、嫌う理由はありませんよ。王国が平和であればこそ、私がのんびりビールを楽しめるのですから」
そうでなければ俺は兵器開発に追われることになるだろう。
好き勝手に「国を富ませるため」といって色々と開発できるのは、平和だからこそだ。
「しかし、この組み合わせで呼び出されると、のんびりビールを楽しめなくなりそうで嫌なのです。もちろん『今から飲み会やろうぜ』みたいなお話でしたら喜んで」
「……そうか」
「いつかそんな理由で呼び出してみたいものじゃな」
陛下と元帥が、揃って苦笑いした。
というわけで、嫌な予感は的中することが確定した。
「先日のゴーファ辺境伯の領地で起きていた盗賊団の件じゃが、ニグレオス、そなたが捕まえてくれた盗賊たちから情報を得た。思った通り、盗賊団は偽装。正体は隣国の兵士じゃった。
あのときも言った通り、これを隣国に糾弾しても『そんな奴らは知らん』と言い張るじゃろう。一応糾弾するけど。
従って、政治的に打てる手はもうない」
報復関税とか経済制裁とかは、相手が非を認めた場合にだけ有効な方法だ。相手が認めないのに実行すると、それに対する報復行為をする口実を与えてしまう。それでも糾弾はする必要があるが、そこまでだ。
対立を深めれば行き着く先は戦争である。相手はすでに侵略を前提とする破壊工作を仕掛けてきているのだから、開戦を早める行動は相手の思うつぼ。王国としては、ここは我慢して穏やかに済ませるように見せかけつつ、そうやって時間を稼いで侵略対策を進めるしかない。
「ここからは軍事的な手だ、宮廷魔術師殿。
やってほしい事は、隣国への潜入と諜報活動だ。奴らがこれ以上の破壊工作をしないように、そんな事をしている余裕を奪う。別のところへ注意を向けさせてもらいたいのだ」
「また貧乏くじですか。やはり嫌な予感は当たりました」
後方支援なしの単独潜入。捕まっても助けてもらえないやつだ。成功して戻ってきても公には認められない。最初から歴史の闇に葬られるのが前提の作戦である。
こんなこと繰り返してたら、そのうち誰かから「ボス」とか呼ばれそうだな。俺は蛇じゃないのに。
「最近、王宮が牛肉を仕入れている先で、新しい品種が開発されてのぅ。これがまた美味いんじゃよ。
ニグレオス、そなた『肉を焼いてビールを飲むだけの集まり』とか、どう思う?」
「最高ですね。
それで具体的な作戦は?」
さすが陛下。
俺の動かし方をよく分かっていらっしゃる。
◇
向かった先は隣国。ゴーファ辺境伯の領地と隣接している、隣国側の辺境伯の領地である。要するにゴーファ辺境伯の領地から国境を超えた先である。
捕まえた盗賊(偽装)からの情報で、破壊工作の指揮を執っているのは、この辺境伯だと分かった。ゴーファ辺境伯による偵察で、国費が運ばれている様子はないことが分かっている。つまり領地の運営資金で実行しているわけで、資金繰りを困らせれば破壊工作に動く余裕はなくなる。
――そのための情報を集めてきてほしい。
元帥の指示通り、俺は辺境伯の屋敷へ潜入。
体の周りに偽の風景を生成し、光学迷彩を実現。
足音などは、ノイズキャンセラーの原理で「音を打ち消す音」を生成して隠す。もっと簡単に真空の幕で包む方法もあるが、それだと俺も周囲の音を聞けない。接近されても気づかないと困るので却下だ。
そうすると、10m以下まで接近してもバレないから簡単だ。
書類をあさって、大きな金額が必要になるものをピックアップ。それらの実行周期を確認して、近々次の実行時期が来るものを選ぶ。
――そこで問題が発生すれば、大金を投入して「正常に戻す」処理が必要になり、破壊工作に動く余裕はなくなるというわけだ。たとえば大きな設備の点検とかが良い。点検で異常が見つかれば補修工事が必要になる。
元帥の指示通り、そういう系の情報を集めていく。
集めたら、そのまま帰る。
破壊工作は、今回の任務に含まれない。俺は生成魔法が専門。作るほうが専門で、壊すほうは専門外だ。できるだけ資金と時間がたくさん必要になる壊し方とか、俺だと分からない。きれいに全部ぶっ壊せばいいだけなら俺でもできるんだが。
候補は多いほうがいい。できるだけ多くの情報を集めていこう。
コツ、コツ、コツ……。
誰かの足音が近づいてくる。
複数だ。2人かな。
書類を漁っていてもノイズキャンセラーの魔法で音は消しているし、光も外に漏れないように要らない方向には暗闇を生成している。光学迷彩も生成しているから、部屋に入ってきただけでは、俺がいることに気づかないだろう。
「何の匂いだ、これ?」
「うん……? 確かに嗅ぎ慣れない匂いがあるな」
近づいてくる奴らが話している。
匂いだと? 犬系の獣人とかか? まずい。匂いを即座に消す方法はない。別の匂いで隠すことはできるが、それだと別の匂いが発生してしまうので「何かあった」のはバレる。
風で散らして匂いを薄めることはできるが、犬系の獣人は嗅覚が鋭く、その程度ではほとんど誤魔化されてくれない。
「なんだ、この匂い? いきなり現れて、移動しているようだ」
「侵入者か? 転移魔法でも使ったとか?」
「バカな。転移魔法は『1度でも訪れたことがある場所』にしか飛べないはずだろ。
転移魔法で入ってきた侵入者っていうなら、1度はここに来たことがあるヤツってことになっちまう」
「むう……かといって小動物が入ってきたってわけでもないだろ。この匂いは、何かの金属や人の汗……よく乾かした布の匂いもする。新品の装備を着たばかりの新兵みたいな匂いだぞ」
まずいな気づかれそうだ。匂いをたどってここまで来るのも時間の問題だ。
まずはドアの金具に錆を生成して、開きにくいようにしておくか。メイドが毎日掃除していても、ドアノブの内部までは掃除しないはず。
それから別の匂いを生成して、移動しながら匂いが変わるヤツ、というミスリードを作っておこう。俺の匂いを薄めて、小動物の匂いを強めていく感じで。猫でいいかな。最後は窓から出ていった感じにしよう。
「あれ? 開かないぞ」
「回せよ。そのドアノブは回して開けるやつだぞ」
「回らないんだよ。なんだ、これ?」
「開けられないように工作されてるんじゃないか? ぶっ壊そうぜ。応援も呼ぼう」
「いや、でも匂いが猫っぽいじゃないか。
どこぞで撫でられて人の匂いでも付いた猫が、ふらっと入ってきただけ、なんて事なら、応援まで呼んでドアぶっ壊すのはマズイだろ?」
「わかった。応援は呼んで、ドアはそれから何とかしよう」
よし、少しだけ時間を稼げたぞ。
この間にさっさと書類をあさって……猫は窓から出ていったことにするから、窓もちょっぴり開けておこう。
あとは転移魔法で帰るだけだ。
複数の足音が近づいてくる。応援が駆けつけたか。だが残念。
それじゃあ、さよならだぜ。