第8話 調査・開拓:物見櫓
今日はルナの屋敷だ。
剣を教えた弟子で、俺には使えない強化魔法を使える。その実力でドラゴンを倒したことから、爵位と領地を与えられた新興貴族である。
「ニグレオス師匠、来てくれたんですね!」
屋敷の前へ転移すると、門番が報告に行くまでもなく、ルナが3階の窓から飛び降りてきた。
使用人に案内させて客間で待つのが普通の領主だ。自ら出迎えるのは本気で歓迎している証である。
まあ、窓から飛び降りるのはどうかと思うが。親に知られたら大目玉……いや、ルナの両親はもう諦めていたっけ。昔からこうだもんな、ルナは。
無痛症の患者が、痛くないからといって無茶苦茶な行動をするのと同じだ。強化魔法が得意すぎて、自分の能力でできることと一般常識が乖離しているのだ。まあ、そうでなければドラゴンに挑もうなどと思わないのだが。
「他の貴族の前でやるなよ?」
野蛮だの礼儀知らずだのと言われて、他の貴族たちの付き合いが悪くなる。娘に貴族としての基本的な教育ができていない、と親であるゴーファ辺境伯までもが悪く言われることになる。
伝えるべき情報を伝えないとか、平気でやるからな、あいつら。使者は出したが途中で何かあったのでしょう、とか言われると、魔物や盗賊に襲われて全滅する可能性もあるので、反論できない。
「やりませんよ。師匠の前だけです」
ぷりんっ、と効果音が聞こえそうな感じで、胸とお尻を強調するようにポーズをとるルナ。
言ったそばからコレなので頭が痛い。
「あ……あれ? 師匠はこういうの、お好きでない……?」
「好きだけど、時と場合ってのがあってだな。そういうのダメだぞ、と言ったそばからやられても、ムードがないだろ」
「おお……師匠もムードとか言うんだ……」
「どこで感心してんだよ」
「だって師匠の周りに女性の影って無いし、女性ウケがいい振る舞いとかも見たことないから、そういうの分からない人なのかなって」
「ひどい言われようだな。その通りだけど」
「その通りなんだ……。
だったら、もう押せ押せで行くしかないかなと思ったんですけど」
押す気なのか。どうも今日は積極的だな。性的ほのめかしは今まで無かった行動だ。とうとうルナも色気づいたか。それにしては窓から飛び降りるけど。
……いや、だからこそ、なのか? 貴族としては異常行動と言わざるを得ない「素の振る舞い」は、貴族社会では結婚相手が見つからない。ましてやドラゴンを倒した実力者で女当主となると、貴族男のプライドは「尻に敷かれる」どころか踏み潰されて木っ端微塵だ。
それに気づいて、やっと焦り始めて、俺にロックオンしているのか? 俺なら昔から知ってるから、今さら嫌うこともないし。……あー……考えてみたらルナにとっては優良物件なのか。
「こっちが引けるタイミングじゃないと、押してもぶつかるだけだぞ」
「それは、師匠が引けるタイミングなら押してもいいと?」
「おお……強引にムード作ってきたな」
「あっ、バレた。
仕方ない。仕切り直しましょう。
じゃあ本題に入りますので、まずは中へどうぞ」
そして屋敷の中へ。
案内された部屋には、ソファとテーブルがあって、テーブルの上ではバケツに入った氷水に数本の瓶が浮かんでいた。
「こいつは、ビールか?」
ビールやワインは樽で販売され、樽から注ぐのが普通だ。
ガラスの製造技術はまだ未熟で、ビールやワインを入れて販売するほど大量生産できないし、ビールのような発泡性の液体を入れるとガス圧で割れる。それに密封するための蓋もない。
……という諸問題を、生成魔法で解決したのは俺だ。機械的に製造する方法はまだ開発されておらず、生成魔法の使い手を鍛えて作らせるという方法であるため、大量生産はできないが、王侯貴族の食卓で時々見られる程度には普及してきている。
時が経てば、氷を生成する魔術師と同じように、裕福層なら誰でも1人は抱えている時代が来るかもしれない。飲料や香水など、ガラス容器の形状や色に工夫をこらせば高級感も出てブランド化できる。何かの大会などで景品として与えるとかの使い道もあるし、ガラス生成の需要はけっこう高い。
「その通りです。
仕入れたあとで聞いたんですけど、この瓶を作ったのは師匠だそうですね。珍しいビールを手に入れたと思ったんですけど、もう飲んだことありますよね?」
残念そうに言うルナが可哀想になって、俺は少し嘘をつくことにした。
「いや、無いぞ。
瓶を作ったのは俺だが、商人に相談したときは、耐久性を見せるために適当なビールを入れただけだからな。その後どんなビールを入れて販売しているのかは知らん」
ソファに座ると、さっそくメイドがジョッキに注いでくれた。
一瞬メイドがルナをすごい顔で見て、ルナが浮かせかけた腰をおろしたように見えた。ルナが注ごうとしたのをメイドが制したようだ。
「……おお。これはまたスッキリした味わいだな。癖がなくて飲みやすいし、何にでも合いそうだ。
さすがは王室御用達の商人。いい仕事してくれる」
「今度贈りましょうか?」
「何をしてほしいんだ? このビールを樽でくれるなら、たいていの事は解決してやるぞ」
俺がそう言うと、ルナはテーブルの上に地図を広げた。
いよいよ本題だ。
「これは私の領地の地図です。作りかけですが。
ご覧の通り、山脈に囲まれた地形で、今居るのがここです。領地を囲む山脈は、隣接する領主から貰った情報で書いています。なので、このあたり……私の領地から見える森と、隣の領地から見える山脈で囲まれた範囲が、実際どうなっているのか探査する必要があります」
測量が正確なら、という前提つきだが、集落同士の距離から察するに、森までは遠いな。隣の領地のほうが近いほどだ。前に「農業ができないほど土地が痩せている」と助けを求められたが、森のほうには集落が書き込まれていない。
わざわざ痩せた土地に我慢して住んでいる――その理由は、森が危険だからだろう。強力な魔物でも住んでいるのか、陛下がルナにこの土地を与えた目的とは合致するが、住んでいる一般人にとっては、たまったものじゃないな。引き換えに、陛下の思惑通り、ここで鍛えられた兵士は強くなりそうだ。
「画家を乗せて空を飛んでやろうか?」
領主としてルナが欲しがるのは、軍事作戦の立案に使えるレベルの正確な地図である。立体模型なら俺でも作れるが、地図を書くのは立体の生成とはまた違う。
しかも今回の場合、立体模型ではダメなのだ。模型だと見たままで地形が分かってしまう。地図なら高低差や構造物などが記号化されていて、地形を正確に把握するには技術が必要だ。それは地形情報の暗号化にほかならない。万が一盗まれた場合のことを考えると、誰でも見たらすぐ分かるような立体模型はマズイのである。
「いえ……はい。それもお願いします。先に情報だけ取ったほうが安全でしょうね。
今回お願いしようと思ったのは、物見櫓の建設です。領地軍の訓練がてら地図を作ろうと思いまして、そのための櫓を等間隔に……本当はその建築も領地軍でやるほうが訓練になるのですが、まだそこまで育っていないので、作らせても安全性に不安がありまして」
陣地の構築は「工兵」と呼ばれる専門部隊の仕事だ。道路を作ったり橋をかけたり障害物を除去したりもする。俺みたいな生成魔法の使い手はその最たる適任者で、魔力さえ足りるなら橋でも陣地でもすぐに作れる。
ただし生成した物体の強度は、素材の質や構造によって変わる。そのあたりが生成魔法の使い手の「腕前」というわけだ。
そして軍隊は司令官の性質によって、全体の性格が変わる。規律が厳しく上官に絶対服従なので、司令官の性質がそのまま全体に表れるのだ。
「ルナは生成魔法が使えないもんなぁ……強化魔法を使う部隊ばかり強くなって、工兵はあんまり育たないわけだ」
「作っていただいた櫓を見本として、工兵に同じものを作らせれば、いい訓練になるでしょう。
なので、櫓を1つと、画家を連れて空を飛んでいただくのが1つ、お願いできますか?」
「もちろんだ。
陛下に話して、王室御用達の画家を貸してもらおう」
「陛下に……それは、大丈夫なのでしょうか?」
「国土の地図なんだから陛下にも1枚は提出しないと。
王室御用達の画家を使えば、画家から地形情報が漏れる心配もない。
むしろ喜んで貸してくれると思うが。
まあ、ルナがどうしても他の画家を使いたいというなら、それでもいいぞ。画家から情報が漏れないように対策するのも忘れるなよ」
「陛下にお借りしてください」
「任せろ」
というわけで、ちゃちゃっと櫓を作って、画家を連れて空を飛んだ。
画家がデッサンできるようにゆっくり飛ばないといけないから、けっこう暇だったな。ついビールを飲みたくなる。帰ったら、今日は飛びながら飲んでみるか。




