第70話 捕獲排除:研究所を破壊
国王陛下の執務室。
陛下が、机の上の分厚い資料をずいっと押し出した。
読んでみろと言われている気がするが、気のせいだろう。誰がこんな分厚い資料を読もうと思うものか。絶対途中で飽きる。たぶん寝る。
「尋問の結果報告じゃ。
前に隣国が異世界から召喚した、猛毒の魔物――あれを使って、隣国は人工的に新たな兵力を作ろうとしている。
ゴーファ虫は、その研究途中で誕生したプロトタイプ的な存在らしい。知能が低くて複雑な作戦は実行できず、隣国に対して味方という認識も持たせられないため、隣国はこれを害獣のように利用している。
すなわち、この魔物に対して効果的な毒を使うことで追い払い、王国へ行くように仕向けて、あとは勝手に暴れるのを待つというわけじゃ」
「我々が見たものは、その結果という事ですか」
隣国め、やはり異世界関連の研究を続けていたか。
前に召喚施設を破壊したときの、関わると呪われるように見せかけた作戦がうまく行かなかったのが痛い。あれがうまく行けば、危険を察知して手を引いただろうに。
「ついては、今度もその研究所を破壊して、奴らの企みを阻止せねばならぬ」
「それを俺に『やってこい』とおっしゃる?」
「うむ。宮廷魔術師の職分から外れる話じゃが、我慢してもらいたい」
「いえ、そういう事が言いたいのではなく」
「では何じゃ?」
「こういう話なら元帥閣下も同席しているはずでは?」
今まではそうだった。
だが今日はなぜか居ない。
すでに状況が動いていて、元帥はそちらに対応中という事だろうか?
「ああ、いや、そんなに心配することは――」
陛下は何か思い出す様子で言い淀み、ため息をついた。
「――ことはあるか……。
ニグレオス。お前があんまりいじめるので、元帥のやつめ、胃痛で倒れてしまったのじゃ」
「んん~……? あの人がそんな繊細なタマですか?」
「嫌われることには慣れていても、してやられることには不慣れなようでな。
そもそも『してやられること』など、あってはならぬ役目じゃからして」
「マジっすか……。
だとしたら、これからも定期的に煮え湯を飲ませて差し上げなくては。挫折を知らない天才とか、危なっかしくて使うには難儀ですからね」
「ま、まあ、その通りじゃが……ほどほどにな?」
◇
俺の執務室。
「ジェームス、そういう事になった。手伝ってくれ」
副官のジェームスに相談する。
遠い将来に起きるかもしれない核戦争を回避、または可能な限り遅らせたい。俺とジェームスは、そのための同志だ。
核兵器ではないが、異世界召喚というのも人類存亡に対する脅威度は高い。
「まったく、隣国はろくな事をしませんな」
「まったくな。
接続先が毎回同じとは限らないし、『向こう側』のほうが高度な文明を持っている可能性だってある。拉致された臣民を取り戻すために、俺達が見たこともない兵器を持ち出して一方的に蹂躙される可能性だってある」
「物騒な話ですが、否定できる材料がありません。まさにそれが最も恐ろしい事です。
異世界召喚をやめさせるのが理想ですが……」
そこまで言うと、ジェームスは急にフリーズした。
数秒そのまま動かず、ややあってゆっくりと考え込む仕草に移った。
「……どうした?」
「……前に召喚施設を破壊したときは、呪いを装ったのでしたね」
「うむ」
「しかし『呪い』の正体が毒物だとバレてしまった」
「そうだな」
「……いつだったか、『100年先の技術ではダメでも、1000年先の技術なら』と話したことを覚えておられますか?」
「ああ、うむ……高度すぎて理解できない技術力を詰め込めば、見られても真似される心配はないという話だったな」
文明というのは、1歩1歩の積み重ねだ。この世界には魔法があるから銃砲は発達していないが、もし銃砲の実物を鹵獲すれば分解して仕組みを理解し、真似して作れる可能性は高い。
だが、ABC兵器だと、鹵獲して分解しても仕組みを理解できないだろう。理解するための土台となる知識がまったく足りないからだ。もちろん真似して作るのも無理だ。部品や素材を作る技術がない。
「いっそ、やってみますか? 異世界から現れた報復部隊に偽装して」
「痛い目を見せてやるわけか。
だが、諸刃の剣じゃないか? 特効薬的な効果があるかもしれないが、逆に見せつけた技術力に執着される可能性もある。実現可能だと見せてしまうことで『答えを知ってから問題を解く』状態になるのも危険だ。
いろんな意味で物騒な話になってしまうぞ?」
「たしかに研究開発は加速するでしょう。
しかし100年もしないうちに『実際に見た人』は寿命で死に絶えます。その後の世代は伝聞でしか『答え』を知らず、やがて眉唾物の伝説として風化するかと」
「そのぐらい『解析するのが難しい技術』であれば……という事だな。
しかし戦争を激化する技術は作らないと決めたはずだ。研究開発が加速するのなら、俺達の方針に反するのじゃないか?」
「作るのは我々ではなく、異世界の報復部隊です」
「物騒なことを言うな。その手には乗らん。
誰が作ったかではなく、結果どうなるかが問題だ」
「技術の発展を永遠に阻止し続けることは不可能です。
我々が生きている間に、努めて何もしないことで発展を遅らせるとしても、それはせいぜい数十年。核戦争が起きるとしたら、早くても数百年後でしょう」
「どうせ微々たる影響しかないから、深く考えるだけ無駄だと言いたいのか?
たしかに努力しても必ず結果が出るとは限らん。だが結果を出した人は、必ず努力をしている。
それに、技術の発展を永遠に阻止し続ける方法なら、アテがないこともない」
「そんな方法がありますか?」
「定期的に人類文明を崩壊させればいい。
災害でも魔王でも構わないが、数百年に1回ぐらいのペースで暴れるように仕組みを作れば、核戦争レベルまで発展するのを阻止できるだろう」
「わざと人類を大量虐殺しようとおっしゃる!? どっちが物騒ですか、まったく。
それに、やるとしても調整を間違えば人類は滅亡してしまうかもしれません。逆に人類文明の破壊が不十分だと、3歩進んで2歩下がる感じで少しずつ発展していくでしょう。共通の敵がいて人類が団結するとなれば、発展は早まる可能性もあります」
「そのへんは難しいところだ。1度目を乗り切って2度目が来るまでにどこまで文明が再興するか、というのが毎回違うだろうし、自動的に調節する機能が必要だな。
ある意味では、隣国が開発している『人造の魔物』がその最たる候補といえる」
「では王命に背いて、隣国の所業を放置しますか?」
「……出来ない相談だな」
前半も後半も論外だ。
「でしょう?」
「隣国が勝手に自滅してくれれば『歴史に残る愚行』として教材になるだろうに」
「では国境線に壁を作りますか? 物理的に王国へ侵入できなくしてやれば、例の魔物は隣国で暴れるでしょう」
「ここまでの議論で最も『マシ』な案だな。
だが隣国とはいえ無辜の民が苦しむことになる。陛下はそれをお望みにならない」
ゴーファ辺境伯の領地で川が汚染されたとき、ブチギレた陛下がそれでも戦争に走らなかったのは、まさにそれが理由だった。
今回も、ここまでの事をされてなお戦争には走らず、両国にとって損耗の少ない方法で済ませようとしておられる。
「隣国のアホどもに、陛下の爪の垢でも煎じて飲ませたいところだ」
「それです」
「何だ?」
「隣国の首脳陣をすげ替えてしまいましょう。
まともな人物が後任になるように手を回してやればいいのです」
「ふむ……それが最善策かもな。
暗殺かクーデターか、あるいはもっと穏健で長期的な方法か……どういう形になるか分からんが、やるなら俺の手を離れた話になるだろう。特にまともな人物を後任に据えるという部分がな。
計画だけ作って上奏してみたらどうだ?」
「やってみましょう」
「じゃあ、それはそれとして、今回の作戦についてだが」
「尋問して場所はもう分かっているのでしょう? ならば、あとはシンプルな方法でよろしいのでは?」
「シンプルな方法?」
「鉄の雨でも降らせてやればよろしいかと」
「また物騒な……でもまあ、それでいいか」
◇
隣国。造魔研究所。
「うーむ……」
データを見ながら、研究者はうなる。
だが、諦めて資料を放り出した。
「全っ然! 進展がない!」
人造魔物の血液毒素は、異世界から召喚したオリジナルの魔物より弱い。毒素が弱まったのは、「酸欠」状態を回避するために異世界酸素ともいうべき毒素を「代謝には不要なもの」にしたからだ。このバージョンの人造魔物は、異世界酸素を単なる不純物として血液中に残留させるだけなので濃度が薄まっている。
「濃度を上げれば長生きできず、長生きさせれば濃度が下がり……あちらを立てればこちらが立たずってなもんだ。政治も同じだろうに『両立させろ』とか無茶な要求しやがって……。
存外、税金でやってるのが悪いんじゃねーか……? 専門機関が10年も難儀していた問題が、民間の研究でさらっとブレイクスルーなんて、よくある話だし」
理想は、長生きしつつ毒を強めたバージョンだ。
異世界酸素を異世界一酸化炭素や異世界硫酸に改造したバージョンを作り、より強力な生物兵器にしようとしている。
しかし、それはまるで水に油を溶かそうとするような矛盾した話だ。
「はぁ~……どうすれば……」
煮詰まったときは、ちょっと散歩するのがいい。
歴史に名を残す発明家たちは、散歩してから仕事にとりかかる習慣を持っていた例が多い。
「……うん? 空が暗い……? なんだ、あれは? ハチか何かの群か?」
見上げた空に浮かぶ、無数の黒い点。
それはちょうどハチぐらいの大きさだった。
そしてちょうどハチのように「刺す」能力があった。
上空にばらまかれた「それら」は、自由落下で加速し、拳銃弾ほどの速度で大地に迫った。
「あぺ――?」
近づいている、と認識できたときには、もう逃げる暇もなく。
散歩に出かけた研究員は、何が起きたのかも分からないまま、一瞬で蜂の巣になって倒れた。
さらに「鉄の雨」は豪雨のごとく降り続く。
所詮は拳銃弾ほどの威力。とはいえガトリングガンで散弾を発射するような有り様だ。1発1発は少しずつだが、ものすごい勢いで命中箇所を確実に損傷させていく。まさに「削る」と表現するのがふさわしい光景だ。
しかも「鉄の雨粒」は、同じ体積の木材より8倍ほども重い。豪雪地帯のように降り積もった「雨粒」の重みに、損壊した建物が耐えかね圧壊したのは当然の結果だった。
「…………」
上空から結果を見届けた魔術師は、降り積もった鉄の雨をかき消して。
その姿をもかき消した。




