第62話 捕獲:文字を食べる蛾
夏も終わりに近づいたある日、俺はワクワクしながら自宅で過ごしていた。
今日は注文していたビールが届く予定の日なのだ。
「まだかなー……! うふふふ……!」
待っている間に、太陽が高く昇った。
もう昼だ。
「午後に配達か? まあ、そういう事もあるよね」
時間指定サービスがないので、のんびり待つしかない。
だが、待っている間に、日が傾いてきた。
「おいおい……どうなってんだ……?」
結局、日が暮れた。
備蓄していたビールはもう全部飲んでしまったので、届かなかった今日、俺はビールを飲みそこねた。
◇
「どうなってんだゴルァ!」
翌日、販売店に乗り込んだ。
が、直後に異常を察知した。
「……何かあったのか? すごく忙しそうだが」
「これはニグレオス様。毎度ありがとうございます。
昨日いきなり帳簿が白紙になってしまいまして、どなたに何を注文されたのか把握できずに困っております。それで注文をすべて取り直しておりますので、申し訳ありませんが納品はもうしばらくお待ちを……」
「そいつは大変だな。わかった、待つよ。どのぐらいだ?」
「なんとも目処が立ちませんで……どうかすると来月になるやも……」
「来月ぅ!?」
「も、申し訳……!」
「いやいや、店の誰かが帳簿を消したわけじゃあないんだろ? なんで白紙になったのか分からんが……どげんかせんといかん」
俺は調査を決意し――
「ニグレオス様! ここにおられましたか!」
誰かが走ってきた。
振り向くと、国王陛下の筆頭補佐官アン・ポタンだった。
「え? なんでここに?」
「大至急、王城へお越しください! 緊急事態にて、陛下がお呼びです!」
「む? わかった、すぐ行く」
◇
国王陛下の執務室。
「えらいことになった」
「どうしましたか?」
「これを見よ」
「……白い紙?」
「書類じゃ。いや、書類だったものじゃ。
書いてあった内容が全部消えてしまったのじゃよ!」
「えっ!?」
それは店の帳簿が消えたのと同じ現象ではないか。
まさか原因が同じなのか?
なるほど、それで筆頭補佐官が呼びに来たのか。他人事じゃないからな。
「スペルイーターという魔物を知っておるか? でかい蛾のような魔物じゃが」
「いえ、初めて聞きます。どういう魔物ですか?」
「うむ。名前の通り、文字を食べる魔物じゃ。書類や本などから文字を食べて白紙にしてしまう。そればかりか魔法陣などの『意味ある記号の羅列』はすべて『文字』として食べてしまうのじゃ。
つまり、この宮殿に施された国土防衛魔法が消滅の危機にある。放置すれば書類がすべて白紙になってしまい、国家運営のみならず民間の経済活動にも影響を与え、王国は大混乱になるじゃろう」
「すぐに仕留めてまいります」
「待て待て。仕留めてはならん。生きたまま捕獲せよ」
「なぜですか?」
「スペルイーターの鱗粉は、文書の改竄を防いだり発見したりするのに有用な素材なのじゃよ。あと書き損じを食わせて白紙に戻すのも便利じゃ。王城でもよく使うから、専用の飼育所もあるのじゃが、昨日その飼育所から『1匹逃げた』と連絡があってのぅ」
「そのせいかぁぁぁ!?」
「うおっ!? びっくりしたのぅ。急に何じゃ、大声出しおって」
「ビールが届かなかったんですよ! 1日中! 待ってたのに!」
「お、おう……?」
「今日、販売店に確認に行ったら、帳簿が白紙になって注文が分からなくなったと!
全部の注文を取り直すから、来月まで納品できないっていうんですよ!」
「す、すまん。お前からビールを取ったら何も残らんからのぅ。迷惑をかけて、まことにすまんのじゃ」
「本当ですよ、もう!
……………………。
…………。
……なんかサラッとディスられた!?」
「おお……気づきおった」
「陛下?」
「すまんすまん。それじゃあ、よろしく頼むのじゃ」
◇
研究室。
「てことで、スペルイーターを捕まえるぞ」
俺の号令で、まず反応するのはいつもスネークだが。
今日は、いつもと違ってやる気にあふれていた。
「よーし任せろ。まずはスペルイーターの情報からだ」
「わお。スネーク先輩がやる気っすよ。珍しいっす」
「たぶんヤケクソですね。せっかく作りためていた『サボりたい時のための研究メモ』が白紙になったらしいです」
「うっせえ! 聞けよ、お前ら! 速攻で捕まえて逆さに振って全部吐き出させてやる! まずあのクソヤローの特徴からだ! 文字の中でも特にインクを好むようだから、インクを大量に用意する。これで誘導できるはずだ」
「そこを捕まえるっすね!」
「バカか、ホースディア! てめえの頭にはスライムでも詰まってんのか!?
インクを飼育所に用意すりゃあ、わざわざ捕まえて運んでいくまでもなく『ハウス!』ってなもんよ!」
「犬じゃないんですから……」
「黙ってろバニー! まずは容器からだ! 俺達でしこたまデカいのを作るぞ!
インクはニグレオスに作ってもらう! だからお前らは後のことなんか考えずに、ひたすらデカい容器を作るんだ! いいな!?」
「スネークちょっと落ち着け」
「落ち着いてられるか! コツコツやってきた努力が! 全部白紙になっちまったんだぞ!?」
「いいから落ち着け。そんなに怒鳴らなくても聞こえるんだよ」
「うるせえニグレオス! てめえは何も被害がないからいいよなぁ!? くそったれの蛾め! 畜生が! ふざけやがって!」
「んー……」
「あっ。マズイっす」
「え? なんですか、ホースディア先輩?」
「伏せるっすよ、バニー!」
「は? え、ちょ……!?」
「いいから伏せるっす! ニグレオス先輩がブチギレるっす!」
「スネーク! てめえ調子に乗ってんじゃあねぇぞこのタコがァ!」
ズドォン!
「ぎゃああああ!? 急になんだよ!?」
「誰が『何も被害がない』だとコラァ!? ナメてんじゃねえぞテメエ! 白紙になって困ってるのがテメエだけだと思ってんのか!? あぁん!? 注文が! 白紙に! なっちまって! 俺はビールが飲めねえんだぞ!?」
ズガン! ドカン! バカン! ドキャッ!
「ぎゃあああ!? ひいいい!? び、ビールでどんだけキレてんだ畜生め!?」
「俺のビールを返しやがれえええええ!」
◇
国王陛下の執務室。
「……で、喧嘩になったと」
「「……はい……」」
「研究室が吹き飛んだのぅ? きれーに全部……風通しが良くなって、これからの季節は過ごしやすいかもしれんがのぅ」
「「……すみません……」」
「いい大人が何をやっておるか、まったく……」
「「……おっしゃる通りです……」」
「とりあえず修繕費はお前らの給料から引いておくのじゃ。
給料明細が白紙になって、ちょうどよかったわい」
「「ぎゃあああああああ!?」」
きっちり叱られた。
ちなみにスペルイーターはちゃんと捕まえた。




