第59話 紛争解決:近隣領主の苦情処理
陛下の執務室。
今回は、俺の副官ジェームスも一緒に呼ばれて、陛下の前に立っている。
陛下は大きな机に地図を広げ、メガネをかけてそれを見ていた。
そして陛下の執務をサポートする補佐官たちが、少し遠巻きに居並び、筆頭補佐官が俺達の隣で地図を指さして説明を始めた。
「宮廷魔術師ニグレオス殿の手助けでルナ伯爵の領地に建設された河川は、この位置にある湿地帯から始まって、このように流れ、元々あるこの川へ排水する形になっています。
そのさらに下流は、ご覧のように広がっており、河川周辺の領主たちから悪臭や薬品による健康被害の可能性を理由に、苦情が集まっております」
俺が悪臭対策を(色々と失敗しながら)やったあと、ルナは他の集落でも革工房を郊外へ移した。住民は問題が解決して満足しているらしい。
なのに、それより遠くの連中が騒いでいる。
「実際のところは? 薬品の濃度はそんなに高いのか? 悪臭が隣の領地まで届くものなのか?」
陛下は明らかに苛立っていた。
なぜなら、あまりにも馬鹿げた主張だからだ。下流の住人が困るような方法では、他領に被害が出る前に、自領が自滅してしまう。つまり、そんな馬鹿なことをやるはずがないのだ。
にも関わらず、ありもしない被害を訴えて苦情を出してくるということは――
「陛下……他派閥の……貴族には……」
筆頭補佐官は、陛下の怒気に気圧されて、まともに返答できなくなっていた。
かわいそうなので、俺が代わりに答えてやろう。
「奴らに物事の道理は通用しません。無理を通して道理を引っ込めさせ、なんとか利益を得ようとしているだけです」
「…………」
陛下は怒りに震える手で、ゆっくりとメガネに手をかけた。
あまりの震えでメガネを掴むのに苦労するほどだった。
そしてメガネを外すと、地図を見つめたまま、静かに告げた。
「今から告げる者を除き、あとの者は部屋を出よ。
ニグレオス。ジェームス。アンポンタン」
ぞろぞろと補佐官たちが部屋を出ていく。
その足音に紛れて、俺は筆頭補佐官に尋ねた。
「あんた、名前アンポンタンなの?」
「いえ、アン・ポタンです」
「ほぼアンポンタンだな」
「納得しないでください。侮辱罪で訴えますよ」
「すまんかった」
そして扉が閉められた。
すると陛下は立ち上がり、気持ちを落ち着けるように深く息を吸い込んだ。
……が、無理だった。
「畜生めぇぇぇぇぇッ!」
ブチギレ陛下がメガネを投げつけた。
机に当たったメガネは砕け散った。
「あのハイエナどもが! 邪魔ばかりしおって! 王国貴族が王国の発展を妨害して何とする! 裏切り者め! 奴らは背信者だ! 得をするのは敵国だけじゃ! そのぐらいの事もわからんのか!? バカばっかりじゃ! 居ないほうが良い! 粛清してしまえ! 反逆罪だ、あんな奴ら! 大ッ嫌いじゃ! バーカ!」
強化魔法が得意で、中でも声量に特化している陛下の怒声だ。
生で聞くと鼓膜が破れるので、以前開発した耳栓をこっそり着用する。
廊下に出て待っている連中には、丸聞こえだろうな。何のために外へ出したのかわからない。
「ですが陛下、実際にやってしまうと領主の数が足りず、王国の運営が……」
筆頭補佐官が、気圧されながらも早口で道理を説く。
だが、それは火に油を注ぐ結果になりかねない危険な反論だ。
「知っとるわ! そのぐらいの事はわかっておるんじゃ! あ゛ァーッ! もう!」
ドスン、と再び腰掛ける。
恐るべき自制心を備えた陛下は、それだけでもうほとんど落ち着いていた。
俺は耳栓を外した。
「で? どうすればいいと思う?」
陛下の視線が俺達を順に巡る。
口を開いたのは、ジェームスだった。
「3つ案があります」
「ふむ? 聞かせよ」
「まず1つめ。粛清をお望みなら、粛清してしまいましょう。領主が足りなくなるのは一時的な問題として受け入れるのです。また育てればいいではありませんか。
むしろチャンスでは?
後任者を教育するに当たって、王国への忠誠心を植え付けるようにすれば、今後このような問題は起きないでしょう。ちょうど貴族向けの学校も準備中ですし、タイミングとしては今が最良かと」
やったなぁ。学校の建築。
俺は建物だけ作って、あとは文部大臣が頑張っているはずだ。
「なるほど。痛みを伴う改革というわけだな。非常に魅力的な提案じゃ。
少なくとも後半は採用じゃな。王国を盤石にするプランとして、ぜひとも採用したい。
では2つめは?」
「2つめは、適当な利益を与えて黙らせる方法です。即効性は抜群ですが、貴族に譲歩する形になるので、今後の王権が少し弱くなるかと。また、中には『もっとよこせ』と調子に乗るバカも出てくる可能性があります。
まあ、いったん黙らせてから、後で理由を付けてじわじわ利権を奪っていく方法もありますので、リカバリーは可能かと。粛清の方法としても穏健です」
「悪くはないが、それは採用できんな。デメリットが大きすぎる。
奪う以上に新たな利権を得る立ち回りが可能な連中も居るからのぅ。特に違法な利権に手を出すようになるとマズイ。犯罪組織に骨抜きにされて、王国がすっかり腐敗してしまいかねん」
陛下がため息まじりに首をふる。
「という事を、ハイエナどもは分かっていない」
ぼそっと俺が追加すると、筆頭補佐官がポンと手を打った。
「まさしく!」
その反応は自分がやりたかったのに、という顔で陛下が筆頭補佐官をじっと見た。
筆頭補佐官は脂汗を流し始めた。
筆頭補佐官に10秒ほど無言の圧力をかけたあと、陛下はジェームスに視線を戻した。
「……で、3つめは?」
「第1案と第2案、どっちが良いか、貴族自身に選ばせます。
なお、第2案に基づき貴族に与える利権は『今回のことでは処罰なく、今後も王国のために尽くす権利』とするのはいかがでしょうか?」
「強硬じゃな。しかし非常に魅力的じゃ。
じゃが、もう少し穏健にやりたいのぅ。第1案を粛清から利権の剥奪に修正するのはどうじゃ?」
「恐れながら……逆らって怒らせても、その程度で済む……とナメられる事になるかと」
筆頭補佐官が本当に「恐れながら」言った。
ビクビクした感じで上目遣いだ。おっさんのコレは萌え要素なくてキモいな。毅然と言ってほしいものだ。
「アンポンタン、お前そんなにビビらんでもよかろう?
いつもの覇気はどうしたのじゃ?」
「よろしいので?」
「よろしいとも」
「では遠慮なく。
いや陛下のせいでしょう!? あんだけ怒鳴り散らしてビビらない配下はいませんよ!?」
「お、おう……本当に遠慮なく言ったな」
「はい、そりゃあもう!」
「しかし、じゃ」
陛下は俺とジェームスを見た。
俺達は陛下が怒ってもビビっていない。
陛下が八つ当たりで俺達をどうこうする事はない、と確信しているからだ。
「……あ、はい」
俺達と目が合うと、筆頭補佐官はスン、と落ち着いた。
「陛下。俺もひとつ思いつきました」
「おっ、ニグレオスの案か。面白そうじゃな。聞かせてみよ」
「市街地にクマが出たので駆除することにした。ところがクマの愛好家から『かわいそうだからやめろ』と苦情が出た。
そこで『うるせえ黙ってろ、ぶん殴るぞ』と恫喝するか、『じゃあやめます。住民は死にます。お前らが悪いです。良心ないんですか』と詰めるか、このうちどっちがいいのか自分で選べと迫るか。
今こういう状況ですね。
俺が提案するのは『じゃあクマをお前のところに送るから、あとよろしく』という方法です」
「ふむ……? つまり?」
「文句を言ってきた貴族のところへ革職人を送り込んで、悪臭や薬品に対する処理法を学ばせるということで解決を図る。これが表向きで、裏では研修中にたっぷり悪臭を撒き散らすように密命を与えておく。
ありもしない悪臭に文句を言った貴族が実際に悪臭が出て苦しむというわけです。これは研修中というのが重要で、未熟なので万全な方法ができないのは当然であるし、何かあれば沙汰を下した陛下と革職人を派遣したルナ伯爵を敵に回すという事で革職人の安全も保たれるかと」
「ふむふむ……表向き問題解決に尽力した形になるわけで、過激な粛清などを避けつつ嫌がらせもおこなうと」
「いかがでしょう?」
「ぐへへへへ。ニグレオス、おぬしも悪よのぅ?」
「いえいえ、お代官様ほどでは」
ニタニタ笑って、この会合は解散となった。




