第3話 建築:宮殿の壁
今日は国王陛下に呼ばれた。
問題は、その場所だ。
謁見の間や執務室ではない。私室よりもさらにプライベートな空間である。
「珍しい場所に招かれましたな」
私的な会談ということになっているので、臣下の礼は省く。
そもそも臣下を招く場所ではない。王族専用の、寝室とかあるエリアだ。王族以外では世話係のメイドぐらいしか入れない。ここには警備兵もいないのだ。完全にプライベートな空間である。警備はその周りに最終防衛ラインが構築されている。
「今回はどうしても、な。
あれを見よ、ニグレオス」
言われて、指さされた方向を見ると、壁の一部が劣化している。
「補修工事ですか」
そのために呼ばれたのだと理解した。
新しい国王陛下が即位すると、新しい宮殿を建てるのが王国の伝統だ。しかし今の国王陛下が即位したとき、直前に大きな災害があって、国中が沈み込んでいた。
その暗い雰囲気を吹き飛ばすための慶事として即位された陛下は、伝統を破って宮殿を建てず、その資金を復興支援に回した。
――我が民こそ我が宮殿なり。
即位に際しての演説は、王国史に残る伝説となった。即位からもう10年以上たつが、今も祝日になると広場や酒場で吟遊詩人が歌っている。
ご自分用の宮殿を建てなかった陛下は、亡き曽祖父たる先々々代の陛下が建てられた宮殿にお住まいだ。新築同然に磨かれているとはいえ、すでに築100年。よく見ると古くなったのが分かる。
「直せるか?」
「……難しいですな。
機能回復だけなら簡単なのですが、外観が……年月を経たものには相応の風格がございます。それっぽくわざと汚す必要がございますが、そうなると『陛下のお住いをわざと汚すなどとんでもない』と反発を招きましょう。
しかし、それをしませんと、直した所だけ真新しく、目立ってしまいます。そこだけ別の色を塗ったような具合になりますので、かえって見苦しくなるかと」
プライベート空間とはいえ、世話役のメイドは出入りする。
王族の直接の世話係なんて、よほど信用されたメイドでなければ選ばれないが、それでもメイドからその家族へ、家族から他の貴族へ、と情報が漏れる可能性は否定できない。
そして冤罪でも逮捕されると風評被害が出るように、陛下の要請だからというのは盾にならない可能性がある。
「うーむ……悩ましいのう。
いっそ壁全体を作り直してしまうほうが簡単か?」
陛下があごひげを撫でながら言う。
「それは妙案ですな。
簡単な補修ではなく、大規模な構造の修復という事になれば、文句も出にくいでしょう」
俺は大きくうなずいた。
構造に問題があるのを放置しては、崩壊するような事態になりかねない。陛下に怪我でもあったらどうするのか、と強弁できるからな。建築物の構造材をどうこうする規模でやっちまうのは、いい手だ。
「あとは、支払いも大きいくなるが、という点だの?」
陛下が言う。
外聞の問題、つまり「高貴な者の義務」だ。雑に要約すると「裕福な者は募金しろ」的なことなので、「タダでやらせる」というのは正反対の行動になってしまい、白い目で見られる。
とはいえ、そこは友情価格ということもあるわけで――
「秘蔵のビールでもあれば、喜んでやらせていただきますとも」
「ワインはあるが、ビールはないのう……。
いっそ、王室御用達のビールを選定してみるか。さすれば新しいビールも造られよう。それを流してやるのはどうじゃ?」
陛下はあまりビールを飲まない。これは個人的な好みの問題ではなく、文化的な背景によるものだ。
王国ではワインもビールも作られているが、安価に大量生産できてアルコール度数も低いビールは、平民に好まれた。相対的にワインは「貴人の飲み物」という印象になっていき、王侯貴族はワインばかり飲むようになったのだ。
しかし俺はワインを飲むと二日酔いになるので、ビールしか飲まない。そのビールの王国最高の銘柄を決定するというのは、あまりにもアツい展開だ。俺は胸に手を当て、深々と頭を下げた。
「更地にしてから、陛下のための新しい王宮を建てさせていただきます」
「「ぶひゃひゃひゃひゃ!」」
しれっと答えた俺に、陛下が振り向き、俺たちは2人して大声で笑った。
笑いすぎて涙ちょちょぎれた。
なぜなら、更地にしてしまうと意味がないからだ。
「100年前の宮廷魔術師が技術の粋を結集して作り上げた宮殿を、更地にされては困るな。
国土全体を守護する防御の魔術。宮殿はその骨組みに当たる『部品』なのじゃから」
こぼれそうになった涙を指で拭って、陛下が言う。
「我が民こそ我が宮殿。陛下の名演説ですな。
実際には国民から無差別に魔力を吸い取り、国土防衛魔法の燃料にするわけですが」
貴族には知られているが、平民には知られていない情報だ。
この国土防衛魔法のおかげで、王国は軍事的に堅牢である。が、同時に、魔力を抜き取られた平民が魔法をほとんど使えないという弊害も出ており、平民向けの魔法教育が他国よりも遅れている。
その分をカバーするべく、貴族たちが魔法に力を入れるわけだが、あと何年この方法が通用するか……遅くても300年後か400年後には、民衆という圧倒的な数の暴力は、研究という分野でも猛威を振るうだろう。英雄の時代は終わり、群衆の時代が始まるのだ。
ま、そんな頃には今生きている俺たちはみんな寿命であの世だが。
「うむ。
して、どのように補修する?」
「見たところ、単純な経年劣化です。部品交換と清掃がメインですな。すぐに終わります。
ですから、王室御用達のビールを選ぶのは、ちとやりすぎかと。『たまには珍味も口にしたい。ビールでも飲んでみようか』とでも言ってくだされば、地方貴族の領地から勇んで送られてくるでしょう」
「ああ、なるほど。
それで地方の活性化もできそうだな。いい手じゃ。よし、それでいこう」
◇
今日は自宅の庭に穴を掘る。火鉢を生成してもいいが、穴を掘る形のほうが個人的に好みだ。なんというか、より「自然との距離が近い」感じがする。
拳ほどの大きさの穴をほって、土属性の生成魔法を2発。
1つは、木炭の生成。
1つは、金網の生成。
木炭を穴に入れて、金網で蓋をする。
さらに火属性の生成魔法で着火したら、市場で買った芋を網の上へ。
「まずは塩だけで食ってみるか」
ちらっと視線を送った先には木箱。
木箱の中には無数の小瓶。中身は各種の調味料だ。
少しずつ芋を転がしながら、次第にほんのりと甘い匂いが漂ってくるのを楽しむ。
そうしてじっくりと火が通るのを待ちながら、陛下にもらったビールを飲んだ。
「……おう……これはまた、独特だな」
王国北部の田舎領地から贈られてきたというビールである。山岳地であるため標高が高く寒冷で、麦の栽培には適さないらしい。その代わりに芋の栽培が盛んで、わずかに作られるビールは芋料理と合わせるように改良されているという。
フルーティーで華やかな香り。柔らかな口当たりと、控えめな苦味。独特な香りが芋とマッチして、豊かな風味を体験できそうだ。うまい。まだ芋を食う前だが、分かる。うまいヤツだ。これはもう食うまでもない。……食うけど。
「……ぷはぁ!」
最高だ。今日も最高の1日だ。