第26話 災害対策:海難事故
ある日、王城。
宮廷魔術師の俺は、陛下に呼ばれてその執務室を訪れた。
「ニグレオス、船団をひとつ助けてほしい」
陛下は落ち着いた様子で言った。
お前なら出来るじゃろ、と言わんばかりだ。
できるけど。
「陛下、船団ってことは海ですか?」
俺は嫌そうに言った。
海ってことはアレだ。南だ。
「うむ」
「南部ですね。南部は嫌です。ビールが飲めないので」
王国南部ではワインの生産が盛んだ。
ビールは庶民の、ワインは貴族の飲み物とされるが、さすがに産地では庶民向けの安いワインなんてものもの売られている。
ビールの生産が盛んなのは北部だ。ここが肝心で、北部からビールを運んでくると輸送コストがかさむため、南部では庶民向けワインのほうが安く手に入る。
そして当たり前の話だが、売れないものを仕入れる商人はいない。だから南部ではビールが飲めないのだ。
ところが俺は酒に弱く、ビールならいいがワインだと二日酔いになる。しかも解毒魔法を使えないので、自分で解毒できない。
二日酔いの原因はアセトアルデヒドという毒性物質であり、これはアルコールを分解したときに生成される。これをALDHという酵素でさらに分解すると無毒になり、最終的には尿といっしょに排出される。
ところがALDH酵素を生成魔法で作って注射しても、体内では異物として破壊されてしまうため、ほとんど効果がない。
なので俺はビール(のようにアルコール度数の低い酒)しか楽しめないのだ。
「別にワインが嫌いなわけではなかろう?
実は庶民向けの安ワインに、極端にアルコール度数の低いものが出たのじゃよ」
味はアレじゃが……と陛下は言う。
「なんですと?」
陛下の舌は肥えてるからなぁ。いいもの食ってるんだもの。陛下の「不味い」はアテにならない。
なので、この情報には注目する価値がある。
「王国海軍はこれを飲料水として使えるか実験するために、船に乗せて訓練航行に出たのじゃが、その船団が海難事故にあってのぅ。
助けてくれたら安ワインのひとつやふたつ、海軍から寄贈させてもらうのじゃが」
ただ酒だと……!?
僥倖……! なんという僥倖……! 祝福……! 福音……! 棚ぼた……! 助ける功名がただ酒の光明に……!
「そういう事は早く言ってくださいよ。やだなぁ、陛下ったら。へっへっへっ。じゃあ、ちょいと行ってきますんで」
「なんという三下感……。
お前、宮廷魔術師としてもう少し品位というものをだな……」
ため息混じりに陛下が言う。
態度なんてもんは、人間関係にとって「潤滑油」にすぎない。人間同士の関係は、潤滑油がなくてもなんとか回るものだ。
が、欲しいというのならドバっと注いでやろう。
「はっ! 宮廷魔術師ニグレオス、謹んで拝命いたします!」
「ジェームスの真似か?」
「バレました?」
こういうときの参考資料として優秀なんだよな、あいつ。クソ真面目だから。
「バレバレじゃ。
まったく、国王の前でモノマネとか、図太いのぅ」
「陛下と俺の仲じゃないっすか」
「チッ……くやしいがその通りじゃ」
「舌打ち!?」
「早う行って来い」
しっしっ、と陛下が追い払うように手を振った。
ぐぬぬ……仕方ない。
「うふふ……仲のよろしいこと」
王妃陛下に笑われて、俺たちは黙るしかなかった。
この人には勝てない。
◇
さて、現場の海域だ。
着る魔法で空を飛んできた。
船団はどこかな~?
「閣下、この高さから見ても見つからないということは、船体は沈没した可能性があるかと。
船員が漂流中であれば、その救助を急がねばなりません。探知装置の使用を推奨します」
連れてきたジェームスが言った。
俺の副官にもらったが、こいつは補佐官として極めて優秀なのだ。
ちなみに今ジェームスは鉄板の上に乗って飛んでいる。空飛ぶ絨毯ならぬ空飛ぶ鉄板だ。なお鉄板の操作は俺がやっている。
「よし、探知装置を起動してみよう」
探知魔法が使えないので、物理的な探知装置を作ったのだ。
電波を飛ばして反射で探知するレーダー。
音波を飛ばして反響で探知するソナー。
さらに温度によって色を変えることで生物の体温を際立たせるサーモグラフィー。
これらら駆使するべく、ゴーレム軍団を出撃させて様々な地点から観測する。
「閣下、船を用意したほうがよろしいかと」
板金鎧のように中空構造になっているゴーレムが、要救助者に「装着」させて飛んでくる。
このまま飛んで帰るのでいいかと思っていたが、ジェームスは船を作れという。なにか理由があるのだろう。
「船だな、わかった」
すぐに生成して、要救助者たちを乗せてやる。
船造りに関する知識はないので、作ったのは単純な構造のボートだ。乗れる人数は少ないが、人数分作れば問題ない。
「ぎゃあああ! 鎧に食われた! 助けてくれぇぇぇ!
……あっ、船だ! やった! 助かった!」
なんという顕著な反応。
まあ、着る魔法なんて馴染みはないだろうけど。たしかにリビングアーマーみたいで不気味かもしれないけど。
「助けたのに、ひどくね?」
「仕方ないことです、閣下」
「背中を撫でるな! よしよし、じゃねーんだよ! そこまで落ち込んでねーわ!」
とにかく全員たすけて、ボートをゴーレムで牽引して帰った。
◇
「よくやった、ニグレオス! さすがじゃな!」
戻ってきた俺を、陛下が手放しで褒める。
犠牲者ゼロというのが効いたか。
船は沈んだけど。
「陛下、ワインは……」
船に積んであったらしいが。
「海に沈んだのぅ」
ですよね。
じゃあ――
「寄贈という話は……」
「海の藻屑と消えたのぅ」
「陛下ぁぁぁ!?」
嘘だろぉぉぉ!? おいぃぃぃぃぃ!?
がしっと陛下の方を掴んで、がくがく揺すった。
「や、や、やめよ!
お前どうせビールしか飲まんじゃろ? 冷えたビールと枝豆を用意してあるから」
「おほっ! さすが陛下! やったー! ばんざーい! いただきまーす!」
いやぁ、さすが陛下だ。話が分かる。
「お前ちょっと幼児退行しとらんか?」
「まっさかー! 幼児はビール飲みませんって」
「うーむ……」
今日もビールがうまい。
最高の一日だ。




