第23話 依頼品:ビールと川
「ニグレオス師匠、お願いがあります」
ある日、ルナが俺の自宅を訪れた。
開口一番に「お願い」と言いながら、同時にビールを差し出すルナ。
うーむ……こやつめ。ははは。
「どんなお願いだ?」
ビールを受け取って、尋ねる間に開封してみる。
味見のつもりで一口飲んでみると、なんとも表現しがたい味だった。ビールである事は分かるのだが……美味いとか不味いとか以前の問題だ。
「……なんだこれ?」
「前に約束していた、うちの領地で作ったビールです。まだ、やっと形になっただけで、これから改良していくところですが。
人工林を作ってくれたときに、約束しましたよね」
「ああ、あの……え? もうビールができたのか? 俺はてっきり、まだ何年も先の話だと思っていたが」
たしかに半年ほど前、ルナの領地に人工林を作ってやった。大型のコンポスターも。農作物の食べられない部分とかを集めてコンポスターで堆肥にして、それを使って人工林を拡大し、人工林から腐葉土を回収して農地へ……というサイクルを作るためだ。
人工林と一緒に腐葉土も作っておいたから、早速その一部を回収して農地へ使ったのだろう。とはいえ、ビールを作るには原料になる麦を作らないといけない。作れても主食に回すのが先で、ビールを作るのは余裕ができてから……と思っていたのだが。
「急ぎました。
強化魔法と回復魔法を駆使して、麦が育つのを早めたり、発酵する時間を縮めたり……」
「そしたら焼きすぎて焦げちゃった、みたいな感じになったわけか」
短時間で作れた理由はわかったが、各工程の適切な時間から外れてしまったのだろう。焦げたり生焼けになったり、失敗した料理ってこうなるよね、みたいな特徴を感じる。
「まだ売り出せるような味ではないのですが、原料に余裕ができてから開発していたのでは販路に困ると思いまして、先に研究を始めました。早いほうがいいのです。あの痩せた土地が、竜殺しを領主にしたとたんに……というインパクトをもって売り出せば『竜殺しのビール』とか言って売れるはずですから。時間がかかるとインパクトが薄れます」
「なるほど。考えてるな」
3年以内に売り出せば、竜殺しの知名度が絶大な威力を発揮するだろう。
だが10年かかったら、別に竜殺しじゃなくても同じだろ、と思われてしまう。
「師匠のおかげです。人工林のおかげで今年は大豊作ですから。
しかも植え付けを終えたあとで、領民を芋男爵のところへ貸し出し始めたのが『口減らし』として機能した上に、あちらから食料も届くようになって、食料が少しあまり気味です。それでビールの開発を始める余裕ができました」
王都を中心にジャガイモスティックの素揚げが大人気になったため、芋男爵の領地ではジャガイモの生産が追いつかないほどだ。それでルナの領地から領民を借りて、代わりに食料を差し出している。
ジャガイモが品薄になって高騰した上、増産のためにルナの領地から人を借りた。人が増えて食料が不足し、ジャガイモの利益でよそから食料を買い集めるようになり、その一部をルナの領地へ送っているようだ。
「ああ、なるほど。いい方向に転がったようだな」
「はい。
てことで、ビールの改良を手伝ってください」
「無理」
「ありがとうございます。……え?」
「無理だよ。俺は飲むのが専門で、作るのはまったく知識がない。
完成品のビール自体なら、液体の一種として生成魔法で出せるけどな。
俺が知ってるのは、麦とホップを樽に入れて発酵させると出来るらしい、という程度だ」
もっとも、魔法で生成したビールは、あんまり美味しくないので、めったに飲まない。
生成魔法は、分子構造が複雑なものほど生成が難しくなる。俺は森を1秒以下で作れるが、動物だと「死体」は作れても「生きている状態」では作れない。
おそらくその影響だろう。発酵の過程をうまく再現できないのだろうと思うが、漫画家が別の漫画家の作品のキャラクターを描いたときのように「よく特徴をとらえているが、なんか違う感じ」になる。
「ええ~!? ビール好きの師匠が?
美食家って、探し回ったあとは自分で作るようになるものでしょう?」
確かに「なければ作れば良い」の世界に入っていく人は多い。絵画や文学や音楽など、自分で作り始めたり、作る人達を支援したりする貴族は多い。特に継承権の低い王族や大貴族などは、資金に余裕があるせいで顕著にその傾向がある。なにかの分野で学者として名を残す人も少なくない。
そして確かに俺にもその傾向はあるが、俺の場合、それはビールには向いていないのだ。
「俺は美味しく飲めればずっと同じビールでもいいからなぁ。
ビールよりも、むしろツマミのほうがグルメかもしれん」
実際、ジャガイモスティックの素揚げは俺の発案だし。
ビールはずっと同じものでもいいが、ツマミがいつも枝豆ではつまらんと思うのも事実だ。
「芋男爵に頼んだらどうだ? あそこのビールは芋料理によく合う。
技術者を借りて指導を受けてみたらいいんじゃないか?」
「わかりました。じゃあビールについては、そうします。
もうひとつお願いがあるんですけど」
そう言って、ルナは別のビールを差し出した。
今度のビールは、スッキリとして飲みやすく、美味しかった。
「……こっちが本命か」
「はい。
魔法で早く育つようにしたのは人工林についても同じでして、もうかなり大きくなってます」
「早っ!? え? 嘘、マジで?」
「はい、マジです。
腐葉土を回収して農地に使うだけでは持て余す状態になってます」
「ヤバ……! 木なんて50年ぐらいかけてやっと材木になる大きさに育つのに、何したらそんな早く育つんだよ?」
「強化魔法と回復魔法をガン積みしたら、こうなりました。領地軍の訓練として定期的にやってたんですけど、思ったより効果が出てラッキーでした」
「マジかよ。
……で、俺に何をしろと?」
「人口を増やして農地を広げようと思うのですが、そのためには家を建てる木材が必要でして、製材所とか作りたいなぁ、と」
「え? 製材所って、丸太の保管と切断だけだろ? そのぐらい領地軍の工兵部隊で作れるんじゃないか?」
作るものとしては、木材の保管や切断作業に使うための大きめの小屋と、作業台、あとはノコギリとかの工具類だ。どれもそんなに複雑な構造はしてない。
「ほとんどはそうなんですが、人工林なので近くに川がなくて、製材機を動かす水車が設置できないんです」
「ああ、そうか……荒れ地だもんな」
川があれば水とともに養分も運ばれてくるので、自然と肥沃な土地になる。だが荒れ地ということは、川がない可能性が高い。
実際、ルナは領地の地図を作ったが、荒れ地の範囲に川はなく、小規模な湿地があるだけだった。
「確か、湿地から水を汲んで生活してるんだったな。
湿地には水が湧いているんだったか」
「そうです」
「そして人工林も、育つ早さを加速したら育ったわけだな? 水をまいたか?」
「はい、それで育ちました。
水は撒いていません。人工林が広がると、自然と地面がいくらか水分を含むようになりました」
「やっぱりか……」
「やっぱり?」
「おそらく地下に水脈がある。
湿地からは自然と湧き出ているが、人工林は木の根が地下から水を吸い上げるんだろう。
地表は荒れ地でも、木の根が水を吸えるほどなら、意外と浅いところに水脈があるのかもしれん」
「ということは、井戸を掘れば……」
「そうだな。村にひとつずつ掘っても水が出るかもしれない。湿地から汲んでくるよりは楽になるだろう。
組み上げる必要がある場合は、そのための装置が必要だが……湿地に井戸を掘れば、おそらく自噴する。そこを起点に川を作ろう。そうすれば水車を動かせる」
「かなり大きな工事になりそうですね」
「まあ、工兵部隊にやり方を覚えてもらうさ。
そっちのほうがルナも領民の人気取りができて、統治が楽になるだろう?」
「うわ、急にゲスい。
まあ、事実ですけど」
「全部俺が作るのは無理……ではないが、嫌だぞ? 宮廷魔術師としての仕事もあるし、何よりビールを飲む時間が削れるのは惜しい」
「結局ビール……さすが師匠。ブレないですね」
「あたりまえだ」




